第五章 明かされてゆく真実その二

 時の流れを感じさせるものの、立派な瓦屋根をした平屋。前に訪れた、どこか品格を漂わせる響子の実家にようやくまた辿り着くことができた。

 響子を横目で見てみたが、過去に住んでいた家を前にしても感傷を伴う懐かしさに浸っている様子もない。

 ただ現在だけを見て、彼女は玄関の横開き扉を開ける。響子の後に続いて、私と真奈美ちゃんもお邪魔した。だが、家の中は前に入った時と何も変わりはなかった。


「私がこの家で調べておきたかったことは、父が昔、応慶大学のオカルト同好会の仲間達と一緒にアフリカで撮ったっていう記念ポートレートよ。もし私の記憶が確かなら、その裏側にメンバー全員の……父とあの男の名前もあったはずなの」


「あの男って……まさか」


 私は言いかけて、気付く。父が卒業したのも、応慶大学だ。

 夢の中で自分の記憶より若い父がこの家で儀式をしていたことが意味するのは、かなり以前から鷹羽真彦と父、鳳来丈一に面識があったという事実。

 夢で殴られていたのは私だとばかり思っていたが、身に覚えがない以上、違うのかもしれない。もしかしたらあれは鷹羽真彦が見ていた光景で、目線が低かったのは私が幼かったからではなく単に彼が床に蹲っていただけの可能性も。

 もし二人が若い頃から知り合いだったとしたら、辻褄は合う。しかし、私と響子の接点が親の代からあったとしたら、こんな偶然はあるだろうか。

 私と響子が出会ったのは、たまたまではなく、必然。いや、意図的なものだったのではないかと疑ってしまう。

 私が考えていることを察したのか、響子が続けて口を開いた。


「恵ちゃん、そういえば貴方が探偵事務所を開きたいって言った時、私が金銭面で援助してあげたわよね。あれは純粋に貴方の背中を押してあげたいと思ったからだし、他に他意はないわよ。私達の関係に偽りはないわ、それだけは信じて頂戴」


「ああ……勿論だ。私が君を疑うものか。君に対する気持ちは、決して揺らぎはしないよ」


 当然、そう、当然のことだ。これまでの私達の思い出を綴る出来事の数々が、作為的なものであるはずがない。それは恋人の私が、一番良く分かっていることだ。

 私は馬鹿げた迷いを捨て、響子と一緒に真っ直ぐに伸びる廊下を歩き出す。しかし、真奈美ちゃんだけは玄関から動かなかった。

 私達が振り向くと、彼女は玄関の扉に手をかけて、外に出ていこうとしている。

 一体、どこに行こうとしているのか。それは分からなかったが、私が声をかける前に彼女の方から疑問に答えてくれた。


「やっぱり移動手段は必要だからね。さっき道端でバイクが転がってたのが、ちらっと見えたんだ。使えそうなら持ってくるだけだから、心配ないよ。だから、二人だけで捜してて。そのポートレートってのをさぁ」


「そうか、助かる。心配ないと思うけど、一人で外に出るなら気を付けてくれ。君が強いのは知ってるが、油断するなよ?」


「誰に言ってるか分かってるのかい、お姉さん? 手早く済ませてくるからさ、そっちはそっちで頑張ってて」


 それだけを言い残し、真奈美ちゃんは玄関から出ていった。

 その後ろ姿を見送ると、私は踵を返し、響子と共に歩き出す。そして廊下最奥の左側にあるふすまを開けて、再び夢の中で見たあの部屋に足を踏み入れた。

 そこにあったのは、前と同様の光景だ。あの後、誰かが物色した痕跡もない。

 夢で繰り返し見てきた、父が私……いや、あるいは鷹羽真彦に暴行を加えて、怪しげな儀式を行っていた、記憶のままのあの部屋。

 私に先んじて、響子は部屋に置かれた本棚へと歩いていき、手を伸ばす。本と本の間に折り込まれた、何の変哲もない、ポートレートへと。

 まるで最初から目的の物がそこにあると知っていたように、その動きに迷いは一切なかった。


「あったわ。父が私に残してくれた、ポートレートが」


 そう呟くと、響子はポートレートに映っている複数の人物を一瞥。そして今度はそれを裏返して、何かを確認している様子だ。


「響子、知ってたのか? そこにそのポートレートがあるって。なら、外がこんなことになる前に、もっと早い段階で取りにきていればよかったんじゃないか?」


 私の質問に響子は振り返り、笑いながら答えてくれた。右手にオカルト稀覯本を持ち、左手にはたった今、本棚から取り出したポートレートを手にしている。

 あの嬉しそうな、笑み。どうやら、ずいぶん浮かれているようだ。


「このポートレートのことを思い出したのは、オカルト稀覯本が私の父、鷹羽真彦の名義で事務所に郵送されてきてからよ。ほら、ポートレートには、父が持っている、本の外観がしっかり映ってるわよね? だから、実物を見たら、すぐにぴんときたわ。それに裏側には、応慶大学のオカルト同好会一同って書かれていたのもね。見なさい、メンバー名の中に私の父と、貴方の父親の名前もあるでしょ?」


 響子がこちらに向けた、ポートレートの裏側。そこに書かれている人物名の中には、確かに鳳来丈一……と、父の名があった。

 他にも鷹羽真彦を始めとした、複数人の名前が。彼ら全員は響子が言う、応慶大学のオカルト同好会のメンバーだろうか。

 響子の私を見る目が、次第に冷たくなっていく。彼女にこんな軽蔑の目で見られるのは、初めてのことだった。


「貴方は知らないと思うけど、私の父を指名手配したのは、鳳来丈一なの。だけど、父が他国の諜報員だなんて、でっち上げよ。娘だからこそ、分かることがあるわ。父はそんな犯罪行為を、決してやってないって」


「そんな……じゃあ、私の父が君の父親を陥れたっていうのかっ?」


「そう、貴方に近づいたのも、鳳来丈一に復讐するためだったわ。いずれ証拠を揃えて、訴えてやるつもりだったし、その娘をからかってやろうってね」


 私の問いに、響子がいつになく冷徹に言い放つ。私の前にいるのは、もう自分の知っている彼女じゃなかった。私はショックで身体を、わなわなと震わせる。

 響子が私の知らない別人に変わっていく、現実。それに私の心は耐え切れずに、目からは、自然と涙が零れ落ちてくる。

 それでも思い出の中の響子に縋ろうと、私は彼女に近づいていく。しかし、そんな私を彼女は拒絶した。


「寄らないで、汚らわしい。貴方の顔を見てると、あの男が目に浮かぶわ。私に懐かせて、あわよくば利用するつもりだったけど、もう必要なさそうね。今の私には、父が味方してくれている。分かるのよ、父がオカルト稀覯本を私に送ってくれた時点で、私がこの家に来るように導いてくれたんだって」


 響子は精神が高揚しているのか、頬を紅潮させている。神を信仰する信者のように、自分が神がかり的な力で守られていると、そう信じているようだ。

 彼女の身体の輪郭が徐々に、後ろ暗い闇色に覆われていっている。

 空から降り注いでいた、あの黒い雪。ひょっとしたら、あれらに触れ続けたことで、彼女もまた変貌し始めているのかもしれなかった。


「あは、はははは……鳳来親子は皆殺しよっ。父が力を貸してくれる、私に復讐を完遂させるためにっ」


 手からオカルト稀覯本とポートレートを落とし、両手の爪で顔を引っ掻きながら高笑いをし続ける、響子。居ても立っても居られず、私は彼女に駆け寄ろうとする。

 しかし、そんな時。私の背後から、何かが飛び出した。小さいその何かは、私と響子の間に割って入ると、響子に向かって威嚇の鳴き声を上げる。一匹の黒猫だった。

 これまで何度も姿を見せていた、私の飼っている黒猫。またしても、こんな時に……。更には後ろからもう一人、真奈美ちゃんも駆けつけてきた。


「今、こっちに猫が……って、お姉さん達、何やってんのさぁ!?」


「響子が、黒ずんだ感情でおかしくなったんだっ。手伝ってくれ、真奈美ちゃん。彼女を取り押さえたいっ!」


「どういう状況なのか、よく飲み込めないけどさぁ。了解したよっ!」


 そう、これは響子の本心じゃないに決まっている。黒い感情に心を汚染されたせいで、正気を失っているだけに過ぎない。

 あの闇色の靄を取り除けば、また元の彼女に戻ってくれるはずだ。今、その思いだけが自分の心を支え、行動させていた。

 私は響子に飛びかり、手足を振り回して激しく抵抗する彼女を床に押し倒す。暴れて私の顔を、腹を殴る彼女を無力化させるため、両腕を押さえた。

 間髪いれずに真奈美ちゃんも、今度はそのばたつかせる両足を抑え込む。


「あは、あははっ、父の声が聞こえるのよ、恵っ。父が教えてくれてるの、鳳来丈一がオカルト稀覯本に書かれていた、強力無比な呪いの儀式を行ったって! あの男はね、暴徒化した人々を生贄にして、亡き妻を生き返らせようと画策してるのよっ!」


「それが本当ならっ、私が父を止めてみせる! だから、落ち着いてくれ、響子。あいつがそんなことを仕出かす奴だとしたら、私だって許さないからっ!」


 父がこの部屋で行っていた儀式が、そうだというのだろうか。確かに私もチェーンメール事件に、父が関わっていることを疑っている。

 黒幕だとまでは考えていなかったが、母を生き返らせようとするためとはいえ、大勢の人々を犠牲にしたのなら、それは人の道を踏み外した行為だ。

 どうやら直接、警察署に確認しに行かなくてはならなくなったらしい。そして事の真偽を、父に問い質してやらなくては。

 私と真奈美ちゃんに取り押さえられて、やがて響子は大人しくなっていった。歯を食いしばり、彼女も黒い感情に対して、必死に抗っているのだ。

 悪しき感情に易々と支配されない、この並外れた意思の強さが彼女にはある。こんな彼女だからこそ、私は尊敬している。さすがは響子だと思った。


「……落ち着いてくれたか、響子? 君が言ったことが真実かどうか、分からない。だから、これから確かめに行こうと思うんだ。私と一緒に来てくれるかい?」


「恵……ちゃん。私としたことが、心の弱みに付け込まれたみたいね。けど、そのお陰で父がもう逃亡中に死んでいることと、目的が分かったわ。父は呪いに取り込まれて、虚空を彷徨っているのよ。貴方の父親の願いを妨害するために、今も呪いの担い手として罪のない人々を殺めているわ」


 響子は床に背を着けたまま、力なくそう口にする。今まで連鎖する呪いの発端を作ったのは、由奈ちゃんと亜希ちゃんだと思っていた。

 しかし、彼女達の望みさえ利用されていたのだとしたら。そもそもの原因は、もっと昔から起きていたのかもしれない。そう、私達の父の代から。

 私は響子の手を取って、彼女を立ち上がらせる。これからやるべきことは、もう決まった。だから、後は行動あるのみだ。


「呪いを取り巻く因縁が、親世代の時からあったというなら、私達の代でそれを終わらせればいい。そうだろ? そのために君の力を貸してくれ、響子」


「ええ、そうね、恵ちゃん。だけど、その前に……謝らないといけないわね。私……貴方に、ずいぶん酷いことを言ってしまったわ」


「……いい、平気だ。だって、呪いの影響を受けたんだろ? 私にとったら、響子がすべてだから。君を失うことが一番、怖いんだ。だから、許すよ……響子っ」


 そう言うなり、私は響子の身体をきつく抱き締めた。彼女が正気に戻ってくれたことが、とにかく嬉しかったから。

 彼女もまた私の腰に手を回し、抱き返してくれる。あの闇色の靄を介して実の父からの声を聞いた響子も、私を許してくれたのだろうか。

 答えは、分からない。しかし、私の父が彼女達に酷い仕打ちをしたのなら、私はこの手で父を裁いてみせる。そして許しを請うのだ、彼女に。


「行こう、響子。あまりモタモタしている時間はない。外が暗くなってきたら、移動に伴う危険度が上がることになるからね」


「向かうのはいいけど、M市の警察署は、オフィス街のど真ん中よ。人が密集しているあの一等地は、このパンデミックの被害をモロに受けている可能性が高いわね。拳銃で武装しているとはいえ、果たして持ち堪えてくれているかしら」


「それなら安心していい、響子。断言できる。父があんな暴徒達に殺されることは、あり得ないってね。何しろ、私に戦い方を教えてくれたのは、父なんだから」


 響子の懸念に、私は即答する。父からの愛情を知らない私がたった一つだけ教え込まれたもの。それは敵から身を守り抜くこの護身術だ。

 生まれてこの方、喧嘩で負けたことがない私の強さを支えているのは、父譲りのその腕っぷしの強さによるものだ。

 父が昔、よく言っていた。自分の身くらいは自分で守れるようになれ、と。

 教わった期間は、私が小学生だった一時期だけだったが、護身術を授けてくれた技量の高さに関してだけは、私は父を全面的に信用できる。


「鳳来丈一が貴方以上の実力者だっていうのなら、一安心……と思いたいけど、何事にも絶対はないわ。何か間違いが起きない内に、早く駆けつけましょう。私も貴方の父親には、どうしても言っておきたい積年の恨みがあることだしね」


「ああ、君の言う通りだな」


 私と響子は笑みを交わし合う。闇色の靄に憑依された後遺症を心配していたが、軽口を言えるならもう大丈夫だ。

 そう安堵した私の足元に、黒猫がすり寄ってきている。この猫、もしかしたらさっきは私の危険を知り、真奈美ちゃんを連れてきてくれたのではないか。

 ふと、そんな疑問が浮かんだ。だとしたら、私の恩人でもある訳だ。

 なら、この場に放置しておく訳にはいかないな――と、そう思い、私は黒猫を抱き抱えて、真っ先に部屋を出た。

 響子と真奈美ちゃんも私の後に続き、空気を読んで今まで黙っていた真奈美ちゃんが、ここでようやく口を開く。


「お姉さん達さぁ。さっき言ってたバイクを外に二台、運んどいたよ。すぐに出せるようにしといたから、行くなら急いで」


「ああ、ありがとう、真奈美ちゃん。君が気を利かせてくれる人間で、助かるよ」


 私達は行動する度、着実に事件の真相に近づいている。まだ疑問は残っているが、警察署で父と対面した時、きっとすべてのピースがはまるに違いない。

 ただし、それでパンデミックを終わらせる術が見つかるかはまだ不明瞭だ。しかし、今はただ真相究明のために、私達は前進するしかなかった。

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