第一章 舞い込んできた、奇妙な依頼その二

 何度かけても繋がらなかった、響子への電話。パトカーの警官からこの場で事情を説明させられ、任意同行をやんわりと断った後になって、ようやく繋がった。

 さっきから警官にスタンガンを所持していた理由も問われたが、私が女性ということもあって、護身用ということでどうにか納得してもらえた。

 しかし、イライラは収まらない。私も由奈ちゃんもずぶ濡れのまま、さっきの場所から一歩も動けていないのだから。いい加減に風呂に入りたかったが、その前にどうしても彼女に確認しておきたかった。

 現場近くにはまだパトカーが停車しており、すでに捜査を始めているようだ。


「なあ、響子。君の恋人として……そして探偵として最初に断っておくが、私は絶対的な科学の信奉者じゃないが、オカルトの盲信者でもない。今日まではそう思ってたんだ。だから、君が私に回してくれた依頼、どう判断しようか迷っている」


 私は開口一番、電話相手の鷹羽響子に今の心境を打ち明けた。電話先で彼女が愉快そうにしている様子が目に浮かぶようだ。

 私の率直な感想。それを聞いた彼女は、普段通りの涼やかな声で返してきた。


『すまなかったわね、恵ちゃん。オカルト話や陰謀論が大好きな貴方なら打ってつけだと期待していたのだけど、その口ぶりだと遭遇したようね?』


「ああ、ついさっきね。あれは何だ?」


 電話の向こうで、響子の嘲るような笑い声が聞こえてくる。

 自分の恋人ながら、相変わらず手厳しい。ようするに彼女は、私に対してこう言っているのだ。貴方もプロの探偵ならそれくらい自分で考えなさい、と。

 しかし、こんなのはいつものことだ。むしろ、彼女らしいなと思い、私はそれに応じた。


「あれが本物の心霊現象なら、確かに心が惹かれるよ。私もオカルトは大好きだからね。けど、人の生死がかかってるんだ。面白がれはしないな。あれは予告を成就させるためなら、人目につく場所だろうと確実に行動してくる。明日は付かず離れず、彼女の護衛だな」


『貴方に任せて正解だったわ。依頼はこのまま引き受けるつもりってことよね。こんな仕事、大抵の人間は馬鹿馬鹿しいと思って相手にしないから、どうしようと思ってたのよ。さすがは私の恋人だわ。ねえ、これから彼女の高校を下見に行くつもりなんでしょ? この件で話したいこともあるし、そこの校門前で落ち合いましょう』


「ああ、了解したよ、響子。詳しいことは会ってから聞く」


 そこまで伝えてから私は電話を切った。この仕事に得体の知れないものが関わっていると知ってたんじゃないかと、喉元まで出かかったが抑えた。

 何しろ、側には由奈ちゃんを待たせてあるんだ。まずは彼女を自宅に送り届けないことには、次の行動には移れない。

 私はスマートフォンを仕舞ってから、由奈ちゃんに向き直った。守るのにしても彼女に護衛されることを承知してもらわないとスムーズにはいかないからだ。


「あの、誰と話してたんですか、探偵さん?」


「ああ、心配はいらない。同業者に、少しばかり質問があっただけだから。それより明日からしばらくは、私が朝一番で君の自宅まで迎えに行くよ。この現象が解決するまで君を一人で登校させる訳にはいかないからね。了承してくれるかな?」


「は、はい……それは勿論!」


 由奈ちゃんは拒否しなかった。まあ、無理もないか。二つ返事で承知してくれた彼女は、会った当初の興奮で鬼女のようだった形相が嘘のようにしおらしい。

 びしょ濡れで可憐な容姿も手伝って、思わず抱きしめたくなる程だ。私の共感覚が映し出す彼女の纏う感情もくすんだ青色、弱々しい怯えを示している。

 これが仕事ではなく、相手が依頼人でさえなければ手を出していたかもしれない。

 まあ、私の性癖のことは一先ず置いておいても、久しぶりに入ってきた、それもやりがいを感じられそうな依頼だ。自然と気合も入る。

 しかし、だ。私にはこれまで仕事がない日はごろごろと昼過ぎまで寝ていた生活習慣の乱れがある。早々に朝寝坊しないように気を付けなくてはと、心の中で自分を戒めた。


「由奈ちゃん、何かあったら時間帯は気にせずに、さっき教えた連絡先にかけてきて欲しい。出来るだけすぐに駆けつけるから」


 由奈ちゃんには、私の方からも聞きたいことはまだある。日を改めて彼女に電話で聞いてみようと思った。片耳を食い千切られた被害者の友人と、三人目の女生徒。

 生存している以上、恐らく由奈ちゃん同様に今もコックリさんに標的にされている他の二人についても知っておく必要があると思えたからだ。

 今度も素直に頷いてくれた由奈ちゃんを促すと、私達は歩き出す。彼女の自宅は、本当にここからすぐ近くだったようで、数分とかからずに辿り着いた。


「探偵さん、今日は本当に助かりました。何てお礼を言っていいか」


「仕事だからね、気にしなくていい。それじゃあ、明日またね、由奈ちゃん」


 私は由奈ちゃんが自宅玄関に姿を消すまで見届けてから、その場を離れた。

 しかし、今日はまだやるべきことはある。太陽が沈む前に、これからすべきことを頭の中で復唱した。

 まずは由奈ちゃんが通う高校に実際に出向き、響子と合流する。そしてルートと周辺の道路地図を頭に叩き込むのだ。――何が起きても即座に対応できるように。

 私はスマートフォンで目的地までの地図を開くと、徒歩で移動を始める。さっき由奈ちゃんに軽く雑談として振ったが、彼女が通う湘南高校では、数か月前、生徒達が麻薬の売買をし、逮捕されたというニュースがあった。

 今回の事件に関係ないかもしれないが、一応、記憶に片隅に入れておいて損はないかもしれない。


 ――やがて、私が湘南高校の校門前に辿り着いた時、先に響子が到着していた。


 響子は愛車であるプリウスの開けたドアから、その姿を覗かせている。

 車内にいる彼女の他人を魅了するセクシーな服装を見た私は、ドキリとした。

 ミステリアスで大人びた横顔に、ウェーブがかった赤く染めたロングヘアー。黒いキャミソールで覆われていても、それでも堂々とした存在感を放っている、豊満な胸。両肩も大胆に露わにし、申し訳程度に着ている服は赤色のスーツだ。

 ボタン下二つを残してはだけさせたジャケットは、かろうじてスーツの役目を……いや、果たせていないな。

 下半身も抜け目なく、スカートの両足内ももに沿ってついているボタンも片方は下二つまで外し、太腿をこちらに見せている。


「まったくなんて格好だ。私を誘惑するためにやって来たのか、響子?」


「それもあるけど、情報を交換しましょう。乗りなさい、恵ちゃん」


 私が呼びかけられるまま助手席に乗り込むと、響子は運転席側のドアを閉め、私の手に自身の手を添えてきた。生暖かい体温が肌を通して伝わってくる。

 つい一週間前、二十三歳になった響子を祝いにいった時も、誘惑してきたのは彼女の方だった。

 私より五歳も年上だが、そう何度も主導権を握られるのは嫌いだ。片意地を張って誘いには応じず、私の方から話を切り出した。


「私の前に現れた、あの正体の知れない何かだけどね。全身を覆うような漆黒、憎悪の塊のように見えた。響子、何か知ってるんじゃないのか?」


「今はまだ私も分からないことは多いわ。けど、由奈ちゃんに見せてもらったと思うけど、あのチェーンメール。実は受信しているのは彼女達だけじゃないのよ。今、巷で猛威を振るっているわ。犠牲者も警察が把握している以上にいるでしょうね」


 初めて聞く話だった。そんなことはニュースにもなっていない。

 確かに響子の探偵事務所は、うちと違って大手だ。従業員も多いし、情報収集の面でも圧倒的に勝っている。

 いや、しかしこれは響子の探偵としての手腕が優れている証拠だ。いつの間にかどこからか情報や依頼を拾ってくる。このセンスは父親譲りということか。

 恋人関係にあるとはいえ、内心で対抗心を燃やしていた彼女に先をいかれたことは素直に悔しく、私は唇を強く噛んだ。


「だとすると、メールの送り主は同じ可能性がある訳か。あの右目を貫かれた小学生も、もしかしたら……。何者かは不明だが、一連の事件で糸を引いている黒幕。こんな大規模な事件だ、君が放っておくはずがない。鷹羽探偵事務所は今、そいつを追ってるんだな?」


「そうよ、ご名答。でも、ただの好奇心からじゃないわよ、ちゃんと依頼人はいる。私だって慈善事業をしてる訳じゃないもの、ただ働きはごめんだわ」


 響子は唇を剃り返すようにニッと笑う。口ではそう言っているが、私同様に純粋に真相を追求することが楽しくて仕方がないという顔だ。

 やはり彼女は私の最愛のパートナーだけあって、本質は似た者同士。こういう所は本当に馬が合う。


「じゃあ、そっちは私の出る幕じゃないな。君に任せておいた方が良さそうだ。私は由奈ちゃんからの依頼に専念するよ。それと一つ頼みがあるんだが、いいか?」


「何かしら、恵ちゃん?」


「湘南高校に潜入したい。あそこの女子制服を用意してもらえるか? 私のサイズに合うやつだ」


 私の要求を聞いた響子は、目を丸くする。しかし、すぐに嬉しそうに目を輝かせて私の顔をじろじろ見つめ返してきた。

 彼女は探偵業を通し、様々な依頼を請け負うことで出版業界やファッション業界など繋がりは多岐にわたる。

 だから、彼女に頼めば女子制服の一着くらいどうとでも用意できるはずだ。

 やはり出来るだけ護衛対象の近くにいた方が守りやすく、失敗はない。実際に敵の悪意ある姿をこの目にしたことで、そう思えたからだ。


「分かった、明日の朝には間に合わせるわ。後で自撮り画像送りなさいよ。貴方の女子高生姿」


「ああ、勿論だ、響子」


 車内でお互いの手を握り合うと、私達は口づけを交わした。長身で身体も鍛えている私の方が男役を引き受けたい所だが、響子は易々とそうさせてくれない。

 むしろ、それを焦らすことで楽しんでいるかのように思える。しかし、彼女は私の恩人だ。本当に感謝している。

 警察官の父親に反発し、家を勘当同然で飛び出してきた私を拾ってくれた。そして探偵という、これから歩むべき道をも示してくれた。

 まだ探偵としては経験が浅いが、腕っぷしの強さなら私は誰にも負けない。この力で私は響子には務まらない仕事をやってのけてみせる。

 持ちつ持たれつ、互いに利益を齎し合う対等の立場までのし上がるために。

 そう考えながらしばらく身体を重ね合わせ、大人の営みを続けた後、私は響子から離れ、身だしなみを整えた。


「そろそろ行くよ、響子。今日中に高校周辺の地理を頭に入れておきたいんだ」


「それは残念ね。続きはまた今度やりましょう、恵ちゃん」


 私はドアを開き、助手席からプリウスを降りた。まだ名残惜しそうな顔をしていたが、響子は最後に微笑んでアクセルを踏んで車を発進させていく。

 湘南高校の校門前から瞬く間に走り去り、曲がり角を回って見えなくなった。


「やれやれ、シャワーを浴びるのは夜遅くになりそうだな。しょうがない、今日はもうひと頑張りして、風呂だけ入って寝るとするか」


 私はそうぼやくと、歩き出す。そんな時、まるでその行動を遮るかのように突如、その音は鳴った。スマートフォンのメール着信音だ。

 確認するのは後にしようとも思ったが、今日はメールに縁がある日だ。何となく気になって確認してみると、差出人は不明だった。

 しかし、虫の知らせだろうか。このメールが何なのか分かった気がした。逸る気持ちを抑えて指でタッチし開いてみれば、やはり予想していた通り……。


 ――鳳来恵は、黒猫に指を噛まれて怪我をする。


 そこに書かれていた文面。それは紛れもなく由奈ちゃん達が受信していた、あのチェーンメールと同じものだった。

 一体、どこでどんな条件を満たしたのか。巷に広がっているというこのメールの拡散力を、私は初めて思い知ることになった。

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