血の雨ときどき、怪異~美少女探偵の私は、腕っぷしの強さで呪いの連鎖パニックを乗り切る~
北条トキタ
第一章
第一章 舞い込んできた、奇妙な依頼その一
「はあ? コックリさんの呪いだってぇ?」
「そうなんです、探偵さんっ! だから、コックリさんの正体を調査してください! お金なら必ず払いますから!」
この私の苗字を冠する鳳来探偵事務所に押しかけてきた、制服姿の女子高生。私は荒唐無稽なことを捲し立てる彼女の頭からつま先までを胡散臭げに睨め回した。
黒い長髪に、小柄で小動物のような顔立ちは、美少女といって差し支えない。制服を見れば、名門私立として有名な湘南高校の生徒だということも分かる。
中退していなければ私も今頃は現役女子高生だったろうが、同年代にもかかわらず、彼女はモデル体型で長身の私にはない、愛くるしい容貌の持ち主だ。
実に私好みの外見をしている。時と場合によっては、口説きたい程に。
だが、応接室に入ってくるなり、鬼女の如く私に激しく詰めかけているこの剣幕がすべてを台無しにしていた。
私は努めて「おいおいおい、来る場所間違えているんじゃないか?」と言いたいのを堪えて、まずは落ち着いてもらうように雑談を交えて嗜めることにした。
「そういえば湘南高校っていうと、前に事件があったよね。名門として知られてるけど、実際にはそういう生徒も少なからず集まる学校なのかい?」
「創立八十年って言ってますけど、入学初日から不登校になる子もいる学校ですね。この間なんて、凄かったんですから」
「なるほどね。まあ、まずは座りなよ、お嬢ちゃん。そこのテーブルの椅子にね」
女子高生はしばし押し黙って私の顔をじろっと睨んでいたが、やがて渋々といった表情で椅子に腰を下ろした。
こんな相手でも一応、今の所は数少ない客だ。しかも、世話になっている同業他社から依頼人として紹介された手前、邪険には扱えない。
私は事務所の奥にあるキッチンで湯呑に茶を入れると、お盆に載せてテーブルの上に置いてやった。
「本当とするなら、こいつは好奇心が掻き立てられる何とも魅惑的な事件じゃないの。だって、犯人は人間じゃないって言うんだからね。けど、まずはお互いの自己紹介といこうじゃないか。私は鳳来恵、私立探偵だ。今度はお嬢ちゃんの名前を聞かせてくれるかな?」
「有栖川由奈、です。探偵さん」
由奈ちゃんは、むすっとした顔をしている。どうやら私が冗談半分で聞いているのが伝わっているようで、機嫌が悪いようだ。
開業したばかりで閑古鳥が鳴いているとはいえ、私もプロの探偵の端くれ。依頼人に対してこれはいかんと思い直し、私は態度を正す。
「分かった、ここからは真面目にいこう。君が言うには、コックリさんが現れて君の友人の片耳を食い千切った、ってことでいいかな?」
「だから、そう言ってるじゃないですか。そんなに信じられないんでしたら、コックリさんが実際にいるって証拠を見せたって構いませんよ」
「へえ、それは面白いね。ぜひ見せて欲しいな」
由奈ちゃんからのまさかの申し出に、私も少しだけ興味が湧いてきた。
実を言うと、私もオカルト話は嫌いじゃない。コックリさんなら中学生の頃によくやったし、同級生と心霊スポット巡りもしたものだ。
しかし、それはあくまで遊びとしてであって、仕事とは分けて考えている。なのだが、呪いを信じている彼女の自信の源泉がどこにあるのか知りたくなったのだ。
彼女はスマートフォンを取り出し、私の方に差し出す。そして受信トレイ内のメール一覧が映っている画面を確認するよう促してきた。
言われるままにさっと目を通してみると、スパムだろうか。それが数十通送られてきていた。頻度は一日に数回だが、どれも既読済みになっている。
「スパム、だよね、これ。メールを開いてみてもいいかな?」
「どうぞ、探偵さん」
念のため許可を取ってから、私は一件一件開いていく。
そして全部を読み終えた私が最初に抱いた感想。それは今時、珍しいチェーンメールだな、というものだった。
所謂、不幸の手紙というやつだ。この手紙を受け取った者は、十人に同様の手紙を出さないと不幸になるというあれに近い。
違うのは、不幸にならない回避方法が書かれていないということだ。今日、これから貴方はこんな災難に遭うことになると、ただ一方的に書かれている。
下らない、チェーンメール。最初は私もそう思った。しかし、私は由奈ちゃんの主張を一笑に付さなかった。メール文にあった、とある記述が目に留まったからだ。
私はテーブル近くにある、新聞スタンドに収納された新聞紙の山に手を突っ込む。
「片耳を食い千切られる、か。確かこの事件、先週の出来事だったよね」
この街にしては大事だったから見覚えはあった。地方紙の一面を飾った記事だ。
私はそれらしい新聞を探し出すと、ゆっくりと引き出す。そして手に取った新聞に目を通してみると、やはりあった。
確かに書かれている。ニュースでも報道された、実際にここ最近、起きた……それもまだ警察が捜査中の事件なのだ。
被害者の名前も一致しているし、日付を見れば事件が発生した日にちと同じだ。それも早朝だった。つまり事件が起きる前に犯行を予告されていたことになる。
私の中でオカルト好き女子の好奇心が大きく膨れ上がっていくのが、分かった。
ずいぶん面白い仕事をうちに回してくれたものだと、私の恋人で同業者でもある彼女に心の中で感謝する。
そして、このチェーンメール。現時点で気付いたことはいくつかあるが、まず一つはメールの受信日が後になる程、災難のレベルが上がっていっているのだ。
最初は、転倒して足をすりむくという小さなものから始まり、最近のでは手首が走行する車にぶつかって捻挫するというものになっている。
よく見れば由奈ちゃんは左手首に包帯を巻いており、痛むのか庇う様な仕草をしていた。
「その腕、本当に車にぶつけられたのかい? 今日届いたメールには、君の身に起きることが書かれているね。雨の中、道を歩いていると引き摺り回された挙句に、右目に刃物を押し込まれる、か。ずいぶん穏やかじゃない犯行予告じゃないの」
由奈ちゃんがここまで必死な形相で私を頼っている理由が、腑に落ちた。身の危険が迫っているのだから、当然だった訳だ。
警察ではなく探偵を頼ってきたのは、恐らく警察では相手にされなかったからだというのは容易に想像がつく。
しかし、今聞いた話だけでは、まだピースが足りない。チェーンメールの予告を、コックリさんの仕業と言ってることに理由があるはずだからだ。
私はテーブルに身を乗り出すと、その根拠を彼女に問い質してみることにした。
「君はさっきコックリさんの呪いと言ったけど、チェーンメールが送られてくるようになった発端があったんだよね。話してくれるかな?」
私が真剣な顔つきになったのを見て、ようやく由奈ちゃんも気持ちが落ち着いてくれたらしい。さっきまでの怒りの感情は鳴りを潜め、しかし、今度は消え入りそうなか細い声で訴えてきた。
「……今月の初めのことです。私は友人と夜の学校で、普通とはちょっと違うコックリさんをやったんです」
「その普通と違う、というのは?」
途端、由奈ちゃんの顔色が青ざめていく。身体を小刻みに震わせて、何とか声を絞り出そうとしているようだ。
「定番の五十音と一から十までの数字の下に、もう一枚の紙を用意したんです。県立図書館で見つけた古本の図案を、赤ペンを使って描いたもので……。そして……こんなことって言い難いんですけど、学校であまり仲が良くない女生徒を呪ってくれるよう、お願い……しました」
「おいおいおい、そりゃまた……」
発端となった儀式の動機を聞いた私は、溜めていた息を大きく吐き出した。由奈ちゃん達が行ったのは、コックリさんから派生した儀式ということだろう。
本当にその儀式が原因で呪いが生じた? 勿論、私もオカルトは好きだ。しかし、私は絶対的な科学の信奉者じゃないが、オカルトの盲信者でもない。
またそういった怪奇現象を扱う専門家でもないのだ。この通常とは毛色の違う依頼にどう手を付けていいものか考えあぐねていた時、雨粒が窓ガラスを叩き出した。
最初は小雨だった雨脚も、次第に激しさを増していく。その雨音を聞くなり、由奈ちゃんは頭を両手で抱えてガタガタと震え出した。
「なるほど、雨か。天気予報じゃ晴れだったはずだけど……一応、これもチェーンメールの予告通りという訳みたいだね」
「いやぁっ! お願いです、助けてください、探偵さんっ! 私、殺されたくないっ! まだ死にたくないんです!」
私は立ち上がると、テーブルに顔を埋めて泣き喚く由奈ちゃんの肩に、そっと手を添える。そして私は彼女の耳元で、優しく囁いた。
「大丈夫だ、由奈ちゃん。私は依頼人の身の安全を守る所までが仕事だと思ってる。でも、話はまだ終わってないよ。コックリさんの儀式の後、チェーンメールが送られてくるようになったとして、呪いをかけた女の子はどうなったのかな?」
「あの異常者が簡単に殺される訳ないじゃない! 忌々しいくらい、まだしぶとく生きてるわ! でも、私は違う。あいつと違って、普通の女の子なのよ! コックリさんに襲われたら、殺されるしかないの!」
それだけ叫ぶと由奈ちゃんは、テーブルに突っ伏したまますすり泣き始めた。
チェーンメールに書かれていた人物の名前は、合計三人。この子とその友人と、もう一人は彼女が今、口にした女生徒だろう。
一通につき、書かれている名前は一人だけだが、それが数十通。由奈ちゃん達は今日まで予告通りの災難を受け続けてきたに違いない。
一人はコックリさんとやらに耳を食い千切られた犠牲者になり、助けを求めてきた由奈ちゃんには、これから今度こそ命の危機が迫っている。
だが、明確に死を予告されながら切り抜けている、呪いをかけられた三人目。由奈ちゃんが異常者と呼ぶこの子は、何者なのだろう。だが、少なくとも予告された事柄は絶対に成就するのではなく、逃れることはできるらしい。
どうやらこれから由奈ちゃんをこの雨の中、無事に自宅まで送り届ける上で光明が見えてきたのは確かなようだ。
そして付け加えるなら、もう一つ。本気で怯えている彼女には悪いが、探偵として興味を惹かれる面白い依頼だとも思った。
何しろ、親の敷いたレールを逸脱してまで始めた探偵業だ。こういう仕事こそ私は待っていたのかもしれない。
「さあ、立って、由奈ちゃん。まだ明るい内に私が家まで送っていくから」
「で、でも……探偵さん。この雨の中を歩いてたら、コックリさんが」
ようやく顔を上げ、私を縋るように見つめてくる由奈ちゃん。その両目は涙で腫れており、せっかくの可愛らしさが形無しだ。
「そのコックリさんとやらが何者か知らないが、本当に刃物で物理的に襲ってくるのなら対処のしようはある。何しろ、私は生まれてから一度も喧嘩というもので負けたことがないんだ。男相手にだってね」
嘘だと思ったのだろうか。それでも不安げにしている由奈ちゃんに、私は着用している黒いレザーワンピースのポケットから護身武器を取り出し、見せてあげた。
――スタンガン。普通に市販されている、何の変哲もないやつだ。
人間相手に使ったことはないが、必要とあれば容赦なく使うつもりでいる。
由奈ちゃんはまだ身体の震えが止まらないものの、いつまでもここで泣き崩れていても仕方がないと思ったのだろう。ようやく立ち上がり、私の手を取った。
「さ、行くよ。くれぐれも私から離れないで」
「は、はい……」
由奈ちゃんの手を引いて応接室を出た私は、玄関の傘立てから二本の傘を取り出して、一本を彼女に手渡した。
そして玄関を出る時、私はチェーンメールの記述を改めて思い出す。
予告されていたのは、雨の中を歩いていると道の上を引き摺られた後に、刃物で右目を貫かれるという一文のみ。
それを信じるなら、家まで辿り着ければ一先ず安全圏。気を付けるのは、道中だけということだろうか。
時刻は夕暮れ前。だが、外の天候は雨で、すでに暗くなっている。いや、それだけではない。私の自動的に生じる、もう一つの感覚が違和感を訴えていた。
これは一般に共感覚と呼ばれている。私の場合は、あらゆる感情に色がついて見える現象のことだ。
それには特徴があって、歓喜や感動などプラスの感情は明るい色に。悪意や憎悪といった後ろ暗い感情はどす黒い色となって視界に映し出される。
ここはオフィス街から外れた倉庫街にあるとはいえ、人通りはそれなり。普段は人ごみに出れば共感覚が騒がしく働き出すのだが、今はどうしてか感度が悪いのだ。
いや、実は以前にも、こういう事態になったことならある。あの時は……。
「参ったね、こりゃ。さて、どうしたものかな……」
「どうしたんですか、探偵さん?」
頭を掻きながら私が悩ましげにしているのが伝わったらしい。由奈ちゃんは、私の顔を見上げて心配そうに話しかけてきた。
「いや、何でもないよ。行こう、由奈ちゃん」
徒歩で行くか車で行くかで迷ったが、ここは徒歩を選ぶことにした。
警察でいう所の、おとり捜査だ。犯人を誘き出し、正体を明らかにするため、あえて危険を冒してやろうと思った。
由奈ちゃんから住所を聞き出すと、私達は強まる雨脚の中、傘を差してカップルのように並んで歩き出した。私と彼女の身長差は、男女程にある。
ストレートの黒髪、筋が通った鼻。自分でも顔立ちは整っている自信はあるが、背丈は男に負けないくらいの高身長だ。
谷間部分を大きく露出させた黒いレザーのワンピースを着ているのは、父親への反発心もあるが、単に私がレザーファッションを好んでいるためでもある。
何者かに襲われても、迎え撃つ準備は万端。来るなら来てみろと、むしろそれを期待し、由奈ちゃんをエスコートしながら舗装された歩道を歩いていく。
彼女を少しでも安心させようと、他愛無い雑談を交えながら、約一時間。
やがて小学校に続く通学路が見えてきた。道の左右には用水路が流れており、周囲の視界を遮る大きな建物はない。見通しは悪くない場所だ。
ただ下校時間を過ぎているためか、あまり車や人の姿はない。しかし、それでも不審者が現れたなら誰かしらの目にはつくはずだ。
「見えてきましたっ! 私の家、あそこなんです! もう少しで着きます、探偵さん……っ」
由奈ちゃんが指をさす方向には、家々が立ち並ぶ住宅街があった。
小学校の校舎のすぐ近くだ。目的地が間近に迫り、希望に目を輝かせた彼女が私の手を握ったまま、駆け足で走り出す。
――だが、そんな時。ぞわりと私の背筋に冷たいものが走る。
同時に視界一杯に悍ましい黒色が広がっていく。感度の悪かった共感覚が、ここにきて働きを取り戻し始めたのだ。
眩暈がして私が頭を押さえていた時、何かが現れた。私達の行く手を遮るように。
一匹の黒猫だった。妙に殺気だっていて、私達を睨み付けている。
いや、黒猫だけじゃない。その奥にまだ何かが立っている。誰かではなく、何かと口走ったのは理由がある。私の目には、そいつが全身を負の感情で真っ黒な靄に覆われているかに見えていたからだ。
「あ、あ……っ」
由奈ちゃんが、足をすくませて立ち止まる。だが、共感覚のない彼女には、あの黒い靄は見えていないはず。
もしかしたら生物としての生存本能が今、この場が危機的な空気に満たされていることを感じ取っているのかもしれなかった。
「…………っ! 下がってなよ、由奈ちゃん」
あれが何なのかは分からない。本当にコックリさんが現れたのかとも考えたが、今すぐ正体を断定するのは避けた。
黒ずんだ何かと私達の距離は、僅か十数メートル。気付けば、さっきの黒猫の姿は、すでに見当たらない。だが、敵は視界に映る、この闇色に覆われた何かだ。傘を投げ捨てた私は、迷うことなくスタンガンを取り出し、地面を蹴って突進した。
足元の水溜りが、駆け抜けるごとにバシャバシャと跳ねていく。ここまでどす黒く映る悪意は、初めて見る。しかも今、その感情が私達二人に向けられているのだ。
身の危険を感じなかった訳じゃない。――しかし、この時この瞬間。
相手が何であってもここで戦わなければ、抜き差しならない事態に陥るだろうことは直感が訴えていた。
「あんた……で、いいのかな? 悪いけど、依頼人に手出しはさせないっ!」
緊張感に比例し、集中力が高まっていく。私は目前まで迫った人型の漆黒に対し、すれ違いざま鳩尾にスタンガンを叩き込んだ。
直撃と同時に、火花が散る。肉を攻撃した確かな感触があった。人間なら身体の自由が利かなくなる程の威力がある。
しかし、こいつは悲鳴すら上げなかった。怯んだ様子さえもない。代わりに黒色の感情が私の背後で大きくなっていくのが、ちらりと見えた。
「探偵さんっ!」
背後で、由奈ちゃんが私のことを叫んでいる。怯えの色を含んだ声だ。それだけ聞けば、事態が好転していないことは明白だった。
私は地面を蹴った。地を駆ける獣のような速さで振り返り、再び漆黒にスタンガンを突き出す。決定打にならなくても、これは相手に反撃の隙を与えないため。
だが、スタンガンの先端は漆黒の胴体に届く前に、素早く右手の平で止められていた。かなりの動体視力だ。それでも電撃が火花を散らし、肉が焦げた匂いが広がる。
間髪いれずに左拳を繰り出そうとも考えたが、すぐに引っ込めた。感情の僅かな揺らぎは、まるで私が攻撃するのを誘っているように見えたからだ。
火を噴きながら肉を焼くスタンガン。それをこいつは右手で離さずに、握り続けたまま。しばらくの間、この体勢で睨み合いが続き、私は荒く息を吐き出した。
「なあ、あんた。一応聞いておくけど、まさか本物のコックリさんだったりするのかい?」
こいつが呪い成就の担い手なのかは分からないが、どす黒く見える悪意は本物。
更には一手しくじれば殺されると分かる、人間離れしたこの圧迫感だ。確認するように質問してみたが、当然というべきか漆黒は答えなかった。
見れば、こいつに掴まれたスタンガンが不調をきたしていた。雨によってショートし始めたのか、バチバチと電流が激しく明滅している。
だが、私の判断の方が早かった。スタンガンを手放すと、私は父から習った護身術に戦法を切り替えて、足払いを仕掛ける。そのまま仰向けに綺麗に転倒した漆黒の胸元を、右足で力一杯踏み付けた。
「念のために……二つ持ち歩いてるんでね、スタンガンはっ!」
私はもう一つのポケットから別のスタンガンを取り出す。そしてすかさず漆黒の眉間辺りに勢いよく押し当てる。
放電によって、バチバチと肉が焼ける音がした。闇色に見える靄は、立ち上る炎のように天へと舞い上がる。
「これも職業柄なのかな、無性に追求したくなるんだよね。ここまで感情が深い闇色に見えるお前が、どういった存在なのかが」
警戒することを怠ることなく、穏やかに私は漆黒に話しかける。相手が本当にコックリさんだったとしても、物理技が通じるならすべきことは同じだ。
――しかし、次の瞬間。仰向けのまま漆黒の右手が私の首に伸びた。肌が触れあったことで、こいつの冷えた体温が伝わってくる。
だが、動揺はしなかった。今の攻撃は躱そうと思えば躱せたのに、あえて捕まってやったからだ。こいつのことを、もっとよく調べるために。
注意深く注視していた時、漆黒が纏う全身の闇色がより激しく逆巻き始める。怒りと憎悪で、感情が高ぶったからだと私には一目瞭然だった。
「へえ、怒ったのかい? けど、私と本気で喧嘩しようっていうなら後悔するよ」
漆黒は立ち上がり、私の首を掴みながら、挑発的に顔をのぞき込んでくる。
正直、首を圧迫されていては呼吸が苦しい。しかし、そんな中でも私はごく自然に観察眼を働かせていた。
やはりこいつは人間の輪郭をしている。全身が真っ黒で覆われているため性別は分からないが、私を凝視する両眼だけは深紅に燃えているかに見えた。
もう少し知っておきたい、こいつの正体。悪意の塊である、こいつが何なのか。
視線を漆黒の手元に這わせると、私は気付いた。こいつの左手には、いつの間にか刃渡りの大きい鉈が握られていることに。
あれで由奈ちゃんの目を貫いて殺す気か――と、ただ冷静にこの状況を分析していた。恐れは感じない、恐れは。あるのはどうやってこれを覆すか、それだけだった。
「……そろそろ離しなよ。いい加減に……鬱陶しいからさっ!」
私は声にならない声を絞り出す。そしてスタンガンを強く握り締め、今度は漆黒の眼球内に突っ込んでやる。
その抵抗によって、こいつの右手の力が緩んだ。いや、それを切っ掛けとして、闇色の頭部が急速に膨張し、派手に飛び散る。
そこからは、瞬く間の出来事だった。そのまま連鎖するように、こいつの首から下も崩壊を始め、四散。物の数秒後には、闇色の何かは影も形もなく完全に消失してしまっていた。
だが、この化け物がスタンガンの負荷に、耐えられなかったとは思えない。
突然、なぜ――そう思ったが、その疑問はすぐに解けることになる。私の全身を打ちつける雨が止み始めたのは、そのすぐ後のことだったからだ。
「……なるほどね、チェーンメールが予告した雨の中で殺されるという記述から外れたからか。意外にも書かれていたことは、律儀に順守してくれるんだな」
「た、探偵さんっ。大丈夫ですか!?」
後ろから小走りに走り寄ってきた由奈ちゃんが、心配そうに声をかけてきた。見れば、彼女の手に傘はなく、服装はびしょ濡れだ。私と同じように。
ああ――事件のことを整理するのは、後回し。彼女を自宅に送り届けたら、まずは真っ先に湯船に浸かりたいと、本心からそう思った。
しかし、そんな時。私の思考を遮るように、どこか遠くから悲鳴が響く。
まだ若い、男児の声だ。声がした方向を向くと、そこには顔面から血を流している小学生児童が横たわっていた。
「なんで、どういうことだっ……!」
私は急いで駆け寄る。すると、男児の右目は刃物で貫かれ、血が流れていた。それも服は水を吸い、身体を痙攣させ、明らかに絶命している。
理由はともかく、救急車を呼ばないといけないだろう。すぐさま一一九番をしたが、救急車の到着を待つ前にすべきことがあった。今回の依頼を斡旋してくれた同業者から、詳細を聞いておかねばならないと思ったのだ。
私は続けてスマートフォンで画面を指でタッチし、電話をかける。私の恋人であり、鷹羽探偵事務所の二代目所長、鷹羽響子へと。
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