第37話 表舞台 (6)
優は新鮮だった。カリンがどうのと言うわけではない。適度な大きさの胸、透き通るような白い肌。そして初めてではないが故に適度に感受性が有った。そしてカリンには決して要求しないこともしてくれた。玲子を腕の中に抱きながら
「橋本さんありがとう。とても新鮮だった」
「葉月専務、この状態では名前で呼んでください」
そう言うと
「分った。玲子、君も専務は止めてくれ。優でいい」
「じゃあ優、私もとても良かった。もし、また会いたくなったら電話して。その代わり美味しい食事をご馳走して。それだけでいいから。後、あなたでまだ二人目ですから。慣れているわけではありません。最初の人は、“きちん”と恋人同士だったんですよ。身持ちは固い方です。ですからさっきの“慣れているんですね。誘われているの”というのは訂正してください」
そう言って彼の目を見ながら言った後、彼の胸に顔を埋めた。優は
「分った。訂正する」
というと玲子の顔を上げさせて、程よく可愛い胸に唇を当てた。
カリンの元にかおるの結婚の招待状が届いたのは玲子との関係が出来てから少し経ってのことだった。
かおるは、父親の執務室で秘書を全て退室させると盗聴防止用のボタンを押して父親のそばに行った。そして母親譲りの美しいまでの切れ長の目を厳しくすると
「お父様の言う事に従います。お父様の選んだ方と連れ添う事にします」
そう言って少し寂しそうな目をするとかおるの父親は
「かおる」
とだけ言った。
かおるは父親が選んだ男と会った。今まで父親が紹介した男と大差ない人間だった。
“なぜ、こんな男と。せめてカリンの夫くらいの器量があれば”そう思いながら“決してカリンの夫に惹かれているのではない”と自分に言い聞かせながら、自分がいかに三井の家にとって相応しいかを語る目の前の男にうんざりしていた。
“こんな男に体を許すならカリンの夫に体を許したほうがよっぽどまともな選択だ。あの男なら三井の家を守る器量を持った子どもを宿してくれるだろう”考えてはいけないことを考えながら、勝手に喋る相手の口元を見ながらかおるは、がまんが限界に近づいたことを悟った。
まだ、自分の自慢話をしている男にラテン語とヘブライ語で“くそ食らえ”と言うと隣の席に座る父親に視線を投げて席を立った。
父親は、かおるの言葉を理解していた。三井の家は世界中に関連企業がある。英語やギリシャ語だけではビジネスは出来ない。それゆえにかおるは幼い頃から八カ国もの言葉を父親の命令で覚えさせられていた。
父親以外の人間、特に母親などは頭にクエスチョンマークを山のように立てながら何を言ったか分らない娘の顔を見るとその目を夫に移した。
かおるの父親は、相手の男を見て“仕方ないか。この言葉が分らない程度では、三井の家は継げまい”そう思うと相手の親に
「縁が無かったことにしてくれ」
とだけ言って席を立った。
父親は立ち去ろうとする娘を呼び止めて
「かおる、“くそ食らえ”はないだろう。結婚前の娘が言う言葉ではないぞ」
「お父様、紹介して頂けるならもう少しまともな人にしてください」
「全く。お前という娘は。しかしわしも嫌いだ。あんな男は」
と言って声を立てて笑った。
かおるはそんな父親を見て
「お父様が私の夫になればいいのに」
と半分真顔で冗談を言うと
「勘弁してくれ。こんなに優秀で美人の娘が自分の妻では、ゆっくり寝ることも出来ん」
と言ってもう一度笑った。
大好きな父親と廊下を歩きながらいきなり父親の前に出て目を“じっ”と見ると
「お父様、お願いがあります」
そう言ってかおるは父親に自分の考えを話した。
「少し歩こう」
娘の考えを聞いた父親はホテルの中にある日本庭園を模した中で人がいないところに来ると
「かおる、それでいいのか。本当に。三井の家を継ぐということは厳しいぞ」
真剣な眼差しで愛おしい娘に言うと、娘はその美しい切れ長の目をはっきりと開けて
「自分が決めたことです」
父親に自分の意思の強さを見せた。
「ねえ拓、お願いがあるの」
切れ長の目を男にしっかりと向けると、少し下を向きながら
「拓、私と一緒になってほしいの」
いつもは、常人を寄せ付けない厳しさと雰囲気を持つかおるが、この世で唯一甘えた目をできる男に懇願するような目で言うと一瞬、男の顔が変わった。
「かおる」
時間が流れた。かおるは拓の自分の目を見る目線を決して離さなかった。
拓は、かおるの性格を良く知っていた。冗談と本気を確認するほど愚かではなかった。そういう意味では、父親から紹介されるどの男よりかおるに相応しかったのだろう。
拓は、かおるの顔を“じっ”と見ると
「僕は、かおるの仕事出来ないよ。なにも出来ないよ。それにご両親は」
「拓は何もしなくていい。ただ今のようなアルバイトは出来なくなる。私の側にいてくれるだけでいい。お父様の了解を取った」
「えっ」
と言うと一度だけ見た。かおるの父親の顔を思い出した。また、少し時間が流れた。
「そうか。でもうちの親には、かおるのこと裕福な家庭のお嬢様位しか言っていない」
「拓、それはお願い」
この男とカリン以外は、知ることのない顔で言うと顔の前に手をあわせた。
「お父さん、お母さん、話がある」
普段は、なにも言わない息子が自分から話があると言われると少し身構えた雰囲気で
「なんだ、拓」
「僕、結婚したいんだ」
拓の父親は呆れた顔をして
「定職にも着けない男が何を言っている。それにお前の様な奴に誰が嫁ぐ。一人暮らしもできないくせに」
父親の手厳しい言葉を無視して拓は、
「相手は、前に連れてきたかおる」
一瞬、父親と母親は顔を見合わせた。
「かおるさん、あの綺麗なお嬢さんがお前の嫁さん」
あまりにも不釣り合いの二人に
「拓、正気か。あんなに綺麗でお金持ちのお嬢さんをどうやって養うんだ」
「いや」
少し黙るともう一度両親の顔を見て
「婿に入る」
さすがに両親は驚いた。
その顔を見ながら、拓は少しだけ申し訳なさそうに
「黙っていた事がある。実言うとかおるは、三井かおるは三井家の次期跡取りなんだ」
「えーっ」
さすがに拓の両親は驚いた。
「三井って、あの三井」
母親が目を丸くしながら言うと、父親は
「無理だ。無理に決まってる。だいたい、婿に入るからってそんな大金持ちの家と我が家じゃ合わなすぎる。かおるさんの一時の思い付きじゃないのか」
その言葉に拓は、初めてみせる厳しい目付きで父親に
「かおるは、思い付きを言うような子じゃない」
普段見せない真面目な顔で言う息子に両親は困ったと思うしかなかった。
結局、かおるは父親から“一切の仕事に接しない事”を理由に“浅井拓”と結婚する事を許された。
大変だったのは拓の親だった。“三井のお嬢様”とは知らず、単に“裕福な家のお嬢さん”程度にしか思っていなかった。それだけに拓から言われると目を丸くして
「無理だ。合わない」
と言って止めさせようとした。
始め、かおるが挨拶に来て頼み込んだが、頭を畳に擦り付けながら“合わない”と繰り返す始末。仕方なくかおるは父親に頼んだ。
“決めた以上しかたない”と三井の総帥自らが、拓の家に来て
「わがままな娘だが、婿に入って頂けないか。拓君には体一つでいい。すべてこちらで用意させて頂く」
と言い、頭まで下げられて拓の両親は諦めた。
ただその時、お付の者も含め八人ものセキュリティが拓の家のそばに黒塗りの車を止めて警戒したことで近所の家では話題に事欠かない事になった。
それから少し経ってカリンの元に結婚式の招待状が届いた。結婚が決まった後、かおると拓の結婚の段取りは凄いスピードで進んだ。
長い付き合いでもあったせいか、今更お互いを確かめる必要もないと判断した父親は、その権力を利用して、“あっという間”に式の仕度を整えた。たった三ヶ月だった。
三井家の式は早々には準備できない。政財界の大物や関連企業の役員の調整、更には、三井本家の都合など全て強引なまでに進めた。
これにはさすがに長く付き合ったとはいえ、かおると拓も驚いた。
カリンは招待状を見ながら
「かおる、結局、拓と一緒になるのか。うん、うん」
と嬉しそうな顔で言うと、彼は
「えっ、拓ってあの不釣合いな男」
と言うと
「優、あなたにとって拓は不釣合いでも、かおるにとっては大事な人です。結婚が決まった以上、その言葉謹んで下さい」
最近一段と“葉月家の女”が板についてきたカリンは、夫の顔を見た。
「分りました」
と言うと彼はやはり不思議そうな顔をした。
結婚式は二人とも呼ばれた。三井の家のしきたりに則った格式の高い結婚式だった。披露宴は、数日後に総理大臣も呼ばれるほどにすごい披露宴だった。政財界の重鎮と若手が一同に集まっていた。
カリンは、自分で着た着物をきちんと着こなして夫と一緒に出席した。もちろん優の両親も呼ばれている。葉月家のいつもの黒塗り車でホテルに行くと警察官とセキュリティの警備で物々しいすごさだった。
「優、すごいわね。さすがは、かおるの家の披露宴」
そう言ってまんざらでもなさそうな顔をしたが、優は“葉月コンツェルン”の跡取りとしての顔が要求された。
宴会場は“飛天の間”という“千人はいるであろう”という所で行われた。
カリンは、新婦を見つけると
「かおる、おめでとう」
そう言って笑顔を見せると
「ありがとうカリン」
と言って、その綺麗な顔を一段と際立たせる化粧をした顔で笑顔を見せた。
ただカリンの夫だけには、なぜか厳しい目だった。
「かおる、まだだめなの」
かおるの心の中が、少しだけ分るカリンは、優しそうにかおるの目を見つめると
「カリン、夫には厳しくしなさい」
それだけ言うとまるで玲子との事が分っているかのように厳しい目をした。
優は“もう参りました”という顔をすると、かおるは少しだけ切れ長の目を緩めて
「葉月さん、カリンを大切にしてください」
と言って頭を下げた。回り人が理解できないままにいると更に
「お願いします」
ともう一度言った。
ビジネスパートナーの頂点に立つ者の動きを見張る事はビジネス上のイロハだ。
優はかおるの夫を見ると“うだつの上がらない男”が着せ替え人形のように立っている。
“三井かおる程の女性が何故この男と結婚する気になったのか”理解できなかった。
帰りの車の中でカリンは彼に
「優、かおるはね、“自分の運命”というものを小さい頃から知っていたの。教えられたと言っていいのかな。だから自分の心の休みを拓に求めたのよ。かおるの目に留まるのは私の旦那様くらいよ。知らなかったの。ふふふっ」
何かを知っているような目をすると優は背筋に汗が流れる感触を覚えた。
“何なんだ、女というものの凄さは。カリンも僕の全てを知っているのか”そう思うと改めてカリンの芯の強さを思い出した。
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