第31話 セカンドバージン (5)


結婚して初めての正月を迎えた。カリンは、着付けの作法で覚えた着物をしっかりと着ると

「優、準備できたよ」

と言って、テーブルで待っている彼に声を掛けると、彼が少し目を丸くして自分を見つめている。どうしたのと言う顔をすると

「カリン」

と声を掛け、腕で包むようにしようとした彼に

「だめーっ」

と言って彼の顔を見ると

「えーっ」

「帰って来てから」

そう言って、バッグを持って玄関へ行った。


優は、“カリン、強くなったな。これもお母さんの影響かな”そう思うと“仕方ない”と思って自分も玄関に行った。


今日は彼も飲む為、タクシーで行く事にしている。葉月家に着くと優のお母さんが、玄関まで出てきて

「花梨さん、いらっしゃい」

たまらないくらい嬉しそうな顔をして迎えると、もう去年のように玄関を上がるまで見ていることはなかった。


「さっ、もう奥の間に用意してありますから」

そう言って、キッチンの方に行ってしまった。優とカリンはお互い顔を合せて、微笑むと優が先に上がり、続いてカリンが上がる。

着物が乱れないようにしながら、少し腰を落としての靴と自分の履物をきちっと揃えると、キッチンから見ていた優の母親は目元がほころんだ。

優はそんな母親の顔を見て

「お母さん」

と呼んで目線を自分の母親に合せると

「えっ、何かしら」

嬉しそうな“知らぬ顔“でそう言ってキッチンに消えて行った。


「優、どうしたの」

「うん、なんでもない。いつもの事」

カリンは、微笑むと“分ったわ”という目線を送った。もう十分に慣れていた。

“葉月家に来たら一つ一つの動作にも気を抜かない”ということを。

奥の間では、優の父が、今か今かという顔して待っていた。


「優、明日は、私の実家ね」

「うん」

と言うと

「ねえ、お願いがあるの」

「どうしたの」

と言うと少し間をあけたカリンは、

「かおる呼んでいい。かおる、たぶん寂しがっている」

彼は、一瞬、あの厳しい顔を思い出しながら、黙っていると

「ごめん、だめだよね」

そう言って諦めた顔をして、ベッドルームに行って着物を脱ぎ始めた。


彼は、カリンの寂しそうな後姿に“どうしてだろう”と思いながら見ているとカリンは、寂しそうな目をしたまま、着替えをしている。


「カリン、どうしたの。三井さんのことがそんなに心配」

「優」

そう言って、彼を見ると

「かおるの家は、正月と言っても優の家や我が家のようなわけには行かない。妹さんは、早く結婚してしまったから。たぶん今年もお手伝いさんと二人きりのはず」

そう言って、寂しそうに手を止めて下を向いていた。彼は、少し考えたが、

「カリンの家はいいの」

「大丈夫。毎年、かおるが来るのが当たり前になっていたから」

そう言うと

「分った、カリンとカリンの両親が良いと言っているのに僕が断る理由は全くない。みんなで楽しい正月にしよう」

そう言うと

「ありがとう優」

と言って、まだ思い切り口紅がついている唇を彼の頬に当てた。

そしてカリンは、しっかりと自分の唇の後が付いている彼の顔を見ながらスマホを手に取った。


翌日もカリンは着物を着た。そして彼もきちんとスーツを着ている。

彼女の実家に行くと玄関で“早く来ないかな”という顔をしてカリンの両親が待っていた。


「お父さん、お母さん、明けましておめでとうございます」

優はしっかりとした口調で言うとカリンの両親は嬉しそうな顔をして

「優さん、花梨。明けましておめでとう」

「お母さん、かおるは」

「さっき電話があって、今家を出ます」と連絡が有ったわよ。

「良かった。昨日電話したらすごく遠慮していた感じなので、来るかなと心配していたんだ」

「ところで花梨、その着物、自分で着たの」

不思議そうな顔をするカリンの母親に

「うん、自分で着たよ」

「えっ、どこで習ったの」

結婚直後の騒動とその後の事は、カリンの両親にはなにも話していなかった。もちろん知ればとんでもないことになる可能性もあるからだ。


「優のお母様の師匠から」

意味が分らないマークを頭に上に山のように出したお母さんに

「お母さん、ゆっくり話す。玄関上がらせて」

「あっ、ごめんなさい」

可愛い娘と彼をまだ玄関に立たせたままにしていた母親は、それに気付くと急いでキッチンに消えた。


「優さん、どうぞ、奥の間にもう用意してあります」

母親とカリンが、おせちを運んでいる間にかおるが着いた。

「カリンのお父様、お母様、明けましておめでとうございます。今日は、呼んで頂き大変ありがとうございます」

きれいな顔が、嬉しそうな子どもの様になって言った。


「かおるさん、おめでとうございます」

と言ってカリンの母親が微笑むと

「かおる、早く。丁度用意で来たところ」

そう言って、キッチンから、着物が汚れないようにカバーを着けながら歩いてきた大切な友達を見ると

「カリン、明けましておめでとう。嬉しかった電話もらって。もうカリンのお母さんのおせち食べられないのかなと去年から諦めていたから」

そう言って少し顔を赤くして言うと

「そんなことないよ、かおるとは毎年一緒におせち食べよ。去年がちょっとイレギュラーなだけ」

そう言って愛おしいほどの笑顔を見せると

「カリン」

と言って、少しだけ目元が潤んだ。


「三井さん、明けましておめでとうございます」

その声の方向に顔を向けるとカリンの彼が立っていた。かおるは、

「葉月さん、あけましておめでとうございます」

とさっきまでとは全く違った目線で言うと

「かおる、今日だけは、その切れ長の目をそれ以上に美しくするのはやめよ」

暗にカリンは、自分の夫へのかおるの態度を改めさせた。

「カリン」

と言うと“分ったわ”という目線を送った。


かおるはカリンが大切で仕方なかった。今日も自分では諦めていたカリンの母親のおせちを“一緒に食べよう”と誘ってくれた。

本当ならば、なにもしないまま誰もいない家でどうしていようかと考えていたところだった。


彼は、かおるを見ない振りをして見ていた。“綺麗という言葉がこれほど似合う女性もいない”そう思いながら三井の跡取りとしての彼女を意識しないわけには行かなかった。


「カリンのお母様、本当においしい」

そう言って、まるで子どものように手を付ける姿を見ていると、“こんな姿があったのか”と思うくらい無邪気に喜んでいた。

彼は、少し分ったような気がした“かおるのあそこまで出来る厳しい態度を”

「かおるさん、もっとありますからいくらでも食べてください。花梨から昨日、かおるさんが来ると言うので、追加で作っておきましたか」

「すみません」

恥ずかしそうな顔をしながらおせちを食べる無邪気な姿に優は、今までのかおるへの印象がどこかに行きそうだった。


「ふふっ、かおる、おしいでしょう。お母さんのおせち

「そういえば、カリン、料理の方は」

と聞くと

「かおる、聞かないで」

と言って顔を赤くして下を向いてしまった。彼が、

「カリンの手料理美味しいですよ。結婚した時はどうなるかと思いましたが」

急に顔を上げたカリンは、

「最後だけ余分」

そう言って彼の腿をつねった。

「いてっ」

と言うと

「これ、花梨」

と言って嬉しそうな顔をして父親がたしなめた。


「どうして、こんなに“甘えっ子”になってしまったんでしょう。厳しく育てたはずなのに」

母親はそう言って、苦笑いとも取れる顔をすると

「お母さん、それ全然違います。僕これ以上カリン強くなったら、もう大変です」

カリンの両親は何も知らない。不思議そう顔をしている二人についカリンは赤くなるとかおるが、少しお酒の入った顔をして“ふふっ”と笑うと

「お母様、カリンはしっかりしています。私以上に」

と言ってもう一度彼の方を向いて“ふふっ”と笑った。


優は、背筋に汗をかいた。“この人は、全て知っているのか”そう思うとさっきまで和らいでいた、かおるへの考えがまた元に戻ったことを感じた。

カリンの両親は、三人の態度が分らないまま、

「そうですか」

と言って、また不思議そうな顔をした。


「優、ありがとう」

「うんっ、なにが」

「今日、“きちっ”と私の両親に挨拶してくれたし、何よりもかおるに“きちん”としてくれた」

「なにもしてないよ。僕はカリンしか見ていない」

「ありがとう」

彼の腕の中で、彼の愛撫を受け体に感じる感情に浸りながらいると彼が、ベッドレストから“ごそごそ“音を出した。


「優、今日はいいの。このままで」

「えっ、でも」

「いいの、もう決めたから」

そう言ってとても優しい目、何かを宿すような優しい目をすると彼の背中に手を回した。彼は、感情が頂点に達すると、カリンも同じ顔をした。何か、カリンの中でぶつかるものがある。いつもと違う。

カリンは、彼がいる中で何か自分の中で彼とぶつかるものを感じた。彼は、

「がまんできない」

と言うと思いっきり“自分の思い”が、カリンの中にほとばしった。

カリンは、体の中に初めて何かが入るのを感じた。声が止まらなかった。最後に

「優」

とだけ言うと彼の体にしがみついた。


もう砧公園はさくらが、“つぼみ”を大きくしていた。最近、体調もよくなったカリンと一緒に久々に公演の中を歩いる。


「今年は咲くの遅いね」

「でもないよ、よく見ると、ほら、あそこでもそこでも開いている」

「ふふっ」

とカリンは笑うと少しだけお腹に手を当てた。まだ“ペッタンコ”だ。でも

お腹の中では、新しい“いのち”が宿っていた。


今年の三月の初めにカリンは体調を崩した。はじめは二人とも理由が分らなかったが、カリンが、自分の会社の一般用に売られているテスタを使ったところ“+”の文字が現れた。カリンは直ぐに、両方の両親に報告したが、後が大変だった。


カリンの母親は喜ぶばかりだったが、優の母親はもう同居の仕度といい始めて、夫を困らせた。かおるにいたっては、“幼児服は全部自分が送る”言い出し始める始末。

結局、それぞれにまだ八ヶ月あると言って“なだめた”が、優の母親だけは納まらなかった。結局、ただでさえ大きい優の家にドア無しの家を接続する形で作ろうと言い出す始末。

さすがに彼は、“とにかくちょっと待って。同居は良いけどカリンと一緒に話そう”と言ってなだめた。

カリンの名前を出されると、可愛くてたまらない、まるで自分の娘を溺愛するような思いの優の母親は

「少し我慢する」

と言って矛先を収めた。


「うーん」

ジャックダニエルを飲みながら優は、もう三日も本とシャープペンを持って考えていた。ここのところ毎日寝るのは夜中の三時すぎだ。会社では居眠りまでして同僚に小突かれる始末。

「えーい。もう良いや」

彼は、考えをまとめるとベッドの中に入った。


この前の土曜の夜中、正しくは、日曜日の朝早く、“優一”は生まれた。カリンを駒沢の国立病院に送った後、まだ時間があると言われ、カリンの両親と優の両親に連絡だけすると、自分は家に帰り寝てしまった。

夜中に電話がなって病院名だけ名乗る女性に名前を聞かれたので

「葉月です」

と答えると

「おめでとうございます。元気な男の子が生まれました」

優は、眠い頭で“ぼーっ”としていると電話の向こうで

「嬉しくないのですか」

といきなり強い口調で言われて、初めて頭が“はっきり”すると

「あっ、とても嬉しいです。何時から会えますか」

と聞いた。その言葉に安心したように

「出産の場合は、八時から面会できます。完全看護なので安心してください」

そう言って電話が切れた。

優は、今一つはっきりしない頭でそのままベッドに潜り込んだ。

朝陽で目を覚ますと昨日のことが遠くにあるような気がした。ベッドレストにある時計を見ると

「やばっ」

もう一〇時を過ぎている。急いで着替えて朝食も取らずに車に乗ると駒沢にある国立病院に向った。


国立病院の駐車場に入れるのも、もどかしく急いで病院に入ると、ナースセンターにも寄らず急いで病室に向った。

カリンが入る病室はこの病院では一つしかない。急いで行くと誰もいない。

“えっ”と思って廊下に出ると近くを歩いている看護婦に事情を質した。みんな新生児ルームにいるという。場所を聞いて行くと

優にとっては最悪な事に両方の両親とかおるまでいた。


カリンが

「優」

と言うと、かおるはたまらないほど美しい目で鋭く彼を見て

「葉月さん、早いですね」

といつもの厳しい口調で言った。優は言い訳が出来ず、かおるの顔を見ていると

「かおる、今日は許して。ところでなぜ、こんなに遅かったの。もっと早く来てくれると思った」

両方の両親の前で言葉につまりながら

「今日の朝早く看護婦さんから、生まれたことを聞いた後、そのまま眠り込んでしまった。ごめん」

カリンは“仕方ないな”という顔をすると

「優見て。私たちの子どもよ」

そう言って右足に“葉月ベビー”と書かれているテープを巻かれた赤ちゃんを見た。


優は、その時の心の高ぶりを今でも覚えている。たまらなかった。“世界で一番可愛い赤ちゃん”に見えた。まだ、少しお腹が戻っていないカリンが

「優、目を開いているけどまだ、視力はほとんどない。私たちの視力になるには一ヶ月くらい掛かる。でも大きな目。あなたそっくりよ」

カリンは初めて彼を見た時の目を思い出していた。


「あなた、これで葉月家も安泰です。花梨さんのあの“さわやかな可愛さ、優しさ、そして芯の強さ。それに男の赤ちゃん”。葉月家にとって何一つ無い物はありません。さすがは、私が見初めた花梨さんです」

「全く、お前は花梨さんのことになると、我が家以上に大切な顔をするな」

「当たり前です。花梨さんは、私の大切な娘です」

“好きにしろ”という目をしながら優の父親も目元が緩みっぱなしだった。


「母さん。これで安心だな。男の子は我が家にとっても次を担う。私もこれでやっとのんびりできる。葉月家は厳しいそうだからな」

「あなた、花梨は、葉月家に嫁いだのです。我が家を担うのは、弟の方です」

そう言いながら二人は、目元を緩ましていた。


カリンは、病院を出ると二週間ほど実家に戻った。その間優は毎日、家に戻った後、車でカリンの実家に行き妻と子どもの顔を見た。

バスタブでお風呂にも入れた。自分の太腿くらいしかない“新しい命”、優はたまらなかった。


やがて、用賀のマンションに戻ると優の母親とカリンの母親が代わる代わるやって来た。

カリンは、たいそう喜んだが、優にはたまらなかった。毎日が気を使う。さすがに

「カリン、頼む。もう両方の母親に少し間を置いてくれと言って。僕疲れた」

そう言ってカリンより先に寝てしまった。


最初は直ぐに同居と言っていた優の母親も赤ちゃんの顔を見ると同居には準備がいると始めて分り、結局カリンと優が葉月家に入ったのは、それから半年たった四月の初めだった。


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