第29話 セカンドバージン (3)


「優、起きて。いつまで寝ているの、もう九時だよ」

あの葉月家にとって激しい日が過ぎて、もう三ヶ月が過ぎようとしていた。元花は結局、カリンの言う事を聞き入れ、もう二度と彼と会わないこと約束する代わりに“生活の安定”を手に入れた。


そして三軒茶屋を引っ越し、母と共に裕一を育てる事にした。そして葉月家の中のカリンの立場は、大きく変わった。


彼の母から次の立場を認められたのだ。それは、それで良かったのだが、彼の母からの“習い”が多くなった。彼の母親は、最初子供ができてカリンが、家に入ってからゆっくりと教えれば良いと考えていたが、カリンの“内に秘めた強さ”を知って以来、待つ必要もないと考えたのだ。


「カリン、まだ九時だよ。もう少し寝かせて」

彼は、少し飲み過ぎて頭が痛かった。

「だめー、今日は優と一緒に多摩川にお弁当持って遊びに行く約束でしょ」

「じゃあ、お目覚めのキス」


彼の甘えた声に“もう仕方ないな”と思って彼の側に行くと、彼はカリンの体を引き付けた。カリンは、そのまま彼の体に自分の体を重ねて唇を合わせた。彼の手が自分のお尻を撫でると段々上に上がってきた。ブラのホックを外そうとしたので

「だめ」

と言うと

「多摩川は逃げないから」

そう言ってホックを外した。


「もう、十時半だよ。早く起きてお弁当作ろう」

そう言って自分の腕の中で甘えているカリンに“どこからあんな強い女性の一面があるのだろう”と思った。結局“葉月の女は強し”か、そう思うと少し複雑な気持ちだった。


「優、さっきから何考えているの」

「えっ」

と言うと

「優は、直ぐに顔に出るよ」

そう言って笑顔を見せた。

多摩川の近くの駐車場に黄色いカリーナを停めるとカリンと彼は、多摩川大橋の横にある河川敷へと歩いた。

昔“兵庫島”と呼ばれたところがある。別に島ではない。カリンも彼も言葉の歴史は分らないが、そのまま、右手の河川敷の広い方へ歩いていった。

「カリン、この辺にしようか」

カリンが

「うん」

と言うと手に持っている紙袋からシートを取り出してしいた。少し小さいが、二人分のお弁当を広げて二人で座るには、十分な広さだ。


 紙袋から、カリンが作った料理のタッパを取り出した。そして白ワインを取り出すと、ソムリエナイフで綺麗にコルクを抜いた。

まだ、河川敷で焼肉とかお弁当と言うとほとんどがビールと日本酒だったが、彼は、二十歳を過ぎた頃からワインに興味を持っていた。

カリンは、そんな彼の横顔見ながら“やっぱり優だな”と思った。


水面に映る景色が綺麗だった。反対の河川敷で遊ぶ家族が素敵だった。そして何よりも優とそばにいることが素敵だった。

「優」

と言うと少しだけ西に傾いた太陽の光がカリンの顔に当り、愛おしいまでにピンク色に染まった。


「どうしたの、カリン、何か難しそうな顔をしている」

「えっ、そんなことない」

と言うと笑顔を作ったが、少しだけ引っ掛かった。“何故こんな時に”そう思いながら彼の顔を見るとまだ心配そうな顔をしていた。


「カリン、僕らはもう二人で一人だよ。いつも一緒だよ。カリンの心配事は僕の心配事」

そう言って笑顔を見せると

「優」

彼を“じっ”と見つめると

「今なんでこんなことが頭に浮かんで来るなんて分からない。秋山さんの事」

彼は、一瞬顔が凍った。

「優を責めてはないの。優と初めて会った時、名前も知らないで誘いに乗ったでしょ。多分いわゆる“感”が合ったのだと思う。根拠も何もない。“あの人もそうだったのかな”と思うと、そして“もし立場が違っていたら”と思うと、そんなことが急に頭に浮かんでごめんなさい。こんな楽しいときに」

そう言って彼の顔を見た。

「カリン、ごめん」

下を向きながら言う彼に

「優、なに食べる」

そう言ってお弁当のタッパの蓋を開いた。


彼と一緒にいると楽しかった。ただ彼がそばにいるだけで嬉しかった。

「カリン、線香花火しよう」

「うん」

「あっ、また落ちた。再チャレンジ」

「ふふっ、私の方が上手ね」

「負けないよ」

“暗くなったらしよう”と思っていた線香花火だが、さすがに陽が落ちると人影も少なく、“帰ったほうがいいな”と思い、多摩川から用賀のマンションに帰ってきた。


ただ、残った線香花火が残念で、駐車場の前にある道路に面した庭で線香花火を二人でしていた。

「綺麗ですね」

その声に顔を上げると一瞬”はっ”とした。

透き通るような白い肌に美人という形容詞がぴったりの女性が立っていた。

「葉月さんですよね」

そう言ってカリン方を向いて”にこっ”とすると「あそこに住んでいる和田です」と挨拶した。カリンと彼は立ち上がって挨拶すると

「宜しく」

と言って直ぐ前にあるアパートに歩いていった。


カリンは“誰だろう”と思って彼の顔を見ても“誰だろう”という顔をしていた。

「カリン家に入ろうか」

「うん」

そう言うと、持ってきたバケツの水の中に燃えカスを入れて庭に広がらないよう”側溝”に流した。


「さっきの人、綺麗な人だったね」

多摩川で残ったワインをグラスに注ぎながら彼に話しかけた。彼も

「うん」

と言いながら本当に知らない顔をしていた。テーブルに向かい合いながら二人でワインを飲んでいるとカリンは、なのとなく体が温かくなってきた。

「優、私酔ったみたい。ごめん早く寝る」

彼は、時計を見るとまだ十時半だった。いつもならこれからは盛り上がるのにと思うと「体調でも悪いのかな。今日は朝から忙しかったし」

優は、何かの声で目が覚めた。


「うーっ、うっ」

声の方向に振向くと彼女が、大汗をかいて苦しんでいた。“えっ”と思うと彼女の汗で濡れているおでこに手をやると

「うそだっ」

すごい熱であった。

「カリン、ちょっと待って、直ぐにタオルを出すから」

小さな声で箪笥からタオルを出すと、取りあえず彼女の顔と喉の周りを拭いてあげた。

「カリン、大丈夫」

優しく声を掛けると自分を上から心配そうな顔をして覗き込んでくれる彼の顔が“ぼやーっ”と目の中に入った。

「優」

それだけ言うとまた、苦しそうに目を閉じた。

彼は、とにかく頭を冷やした方が良いと思い、冷蔵庫からアイスノンを持ってくると少し薄いタオルで巻いて、カリンの頭を少し上げて枕との隙間に置いた。

「優、ありがとう」

そう言うと少し気持ちいいのか、先程より苦しくなさそうに目を閉じた。


カリンは、重い頭を感じながらベッドの横を見ると彼の顔が有った。

「目が覚めた。カリン」

「うん、ありがとう優、ずっと起きていたの」

「うん、少しだけ横になったけど心配で眠れなくて。カリンの顔をずっと見ていた。夜中より少し楽になった」

「うん」

本当は、全く変わらない頭の痛みや体の重さを感じながら言うと

「優、ごめん。今日は寝ていた方がいいみたい」

「うん、そうした方がいいよ。まだ、だいぶ熱があるみたいだし。僕も休む」

「えっ、仕事大丈夫なの」

「比較にならないよ。カリンが心配で仕事なんて手につかない」

彼の優しそうに自分を心配してくれる彼にカリンは少し目が潤んだ。


「優、もう少し眠る。少しは楽になったから優も横なっていいよ」

「ありがとう、じゃあ、横になってカリンを見ている」

そう言って、カリンの横になると少し“うとうと“した。

どの位眠ったのだろう。横を見ると彼女が汗を一杯かきながらまだ、目をつむっていた。 彼は急いで起きると、タオルで彼女の顔や喉の周り、そして少しだけ胸元を開けて拭いてあげた。ちょっと引き込まれそうだった。

“ぐっ”と我慢すると枕と頭の間にあるアイスノンが完全に柔らかくなっていた。アイスノンを外し、押さえていた頭をゆっくり枕におくと彼女が

「優、ありがとう」

そう言って薄く目を開けた。


「風邪を引いたみたい」

彼は、“仕方ないか、結婚してからカリン、走りっぱなしだったからな。僕のせいで”そう思うと申し訳ない気持ちで心が一杯になった。


「アイスノン洗ってから冷凍庫に入れてくる。氷を水に入れて、タオル冷やすからちょっと待っていて」

そう言って、ベッドから離れるとキッチンの方へ行った。

アイスノンを洗って、タオルで拭くと冷凍庫に保存しながら、そのまま隣にある、ビニール袋に入った、氷を洗面所にある顔洗いようのボールに入れると水を汲んだ。


冷たいそう思いながら、棚からタオルを出してしばらく浸した後、きつく絞ってベッドルームに戻ると彼女が目をつむっていた。

冷たいタオルを小さく折って、彼女のおでこに乗せると

「優、気持ちいい、ありがとう」

目をつむったまま、そう言った。

夕方になっても熱が下がらないので彼は、独身時代に家でしていた簡単な料理を作った。

「カリンできたよ。起きれる」

「うん」

カリンは、ベッドから起き上がるとカーディガンを羽織ってテーブルまで来た。

「何か飲む」

彼の言葉に

「うん、冷たい水でいい」

冷蔵庫から水とビール缶を取りだすとコップに水を入れてあげた。


「カリン、うまく出来たか分からないけど、これが野菜サラダ。食べやすいように少し細かく切ってある。それとお肉少な目の野菜炒め。それに箸置き。お味噌汁は出来ないから、インスタントのスープ。ごめんこれが限界」


「優」

それだけ言うとカリンは、涙が出てきた。“自分がなにも出来ないのに彼はこんなにしてくれている”心が嬉しさで一杯だった。

「ありがとう優、どれも美味しそう」

そう言って目元に涙を溜めながら箸を持った。


次の朝には、三七度近くまで下がっていたが、お風呂に入っていないことや“ぶり返す”と面倒なのでカリンは今日も会社を休む事にした。明日は土曜だから洗濯は明日すれば良いと思うと

「優、今日は会社に行って。私もう大丈夫」

「本当、心配だけど」

「熱も三七度台だから、大丈夫だよ。それより二人で休んでいると・・」

「そうだね。分った会社に行く。仕事終わったら急いで帰ってくる。あっ、帰りに駅前のスーパーで食料買うからメールする」

「うん、ありがとう」

そう言うといつもの可愛い笑顔を見せた。彼は“この笑顔が見れれば大丈夫”そう思って会社に出ることにした。

彼が会社に行った後、食器を洗い、もう少しベッドで横になる事にした。


ベッドの側にある時計を見るともう午後一時を過ぎていた。側にある体温計を脇に入れ少し横になっていると“ピピッ”となったので見てみるともう三六度近くまで下がっていた。

“少し起きているか”そう思って、カーテンを閉めて着替えを済ませると窓を少し開けて外の空気を入れた。結構秋の空が晴れ渡っていた。

「優と結婚してもう四ヶ月だ。早いな、ふふっ」

何となく嬉しくなった。

「せっかくだから、洗濯しよう」


洗濯機に汚れ物を入れて回しながら部屋に掃除機をかけていると、窓から反対側のアパートが見えた。窓には、テニスのスコートをはいている女性と男の人がいた。

“あの人たち、テニスするんだ”そう思って何とはなしに見ていると、この前あった綺麗な女性の人と違う。

“あれっ”と思いながらそのまま見ているとやがてカーテンを締めた。

カリンは少し考え込んだが、“まっ、私には関係ないこと”そう思って掃除機をかけた。


夕方、五時になると彼からメールがあった。

“今から帰ります”その後ろに万歳している絵のマークがあった。

カリンは“ふふっ”と笑うと

“お疲れ様、風邪もう大丈夫、早く帰って来て”と返信した。

会社から四〇分、買い物入れても一時間以内に帰ってくると思うと心が弾んだ。


「ただ今」

そう言ってドアを開けると彼女が普段着姿で起きていた。

「えっ、寝てなくて大丈夫」

「大丈夫、洗濯も掃除も出来た。お部屋綺麗でしょ」

嬉しそうに言う彼女に

「うん、確かに。よし着替えたら今日は二人で夕飯作ろう」

「うん」

カリンは、心が和んだ。


彼はビールを飲んだが、カリンは止めて冷たいお茶にした。

「ねえ、優」

ご飯も食べ終わり、彼が好きなジャックを飲んでいると彼女が声を掛けてきた。

「カリン、なあに」

「実はね」

言い回しに不安を感じたが、

「この前あった綺麗な人、“和田さん”とか言っていたでしょ。向かいのアパートのたぶんその人の部屋で」

カリンは、今日の昼間の出来事を話した。それを聞いていた彼は、

「うーん、安い推測はするのものでもないし、人のことだし、でもカーテンを閉めたのは気になるね」

そう言うと彼は、何となく意味ありげな目になった。


「やっぱりそう思う」

「うん」

「ねえ、カリン、お風呂入ろ」

「うーん、風邪まだ完全じゃないから優に移すと困る。明日ね」

そう言って、カリンはテーブルを片付け始めた。


「優、移るよ」

そう言って“ふふっ、優のわがまま”という顔をすると

「大丈夫だよ」

と言って少し微笑んだ。胸から腰にそして自分の一番大事なところに唇が当ると声が漏れた。

“いつのまに体がこんなに覚えたのだろう。彼を受け入れることに体が喜びを感じている”

そう思いながらカリンは彼の腕の中で心地よさに浸っていた。

彼は、今日は少し激しかった。

「優どうしたの」

めくるめく感情の中でカリンは、いつもより彼が何か違う感じがした。なにも言わないで激しく自分の中に突き上げると彼は、自分の感情をカリンの中にほとばしらせた。


「優、今日すごかったよ。どうしたの」

「うーん、何となく。さっきの食事の時の事が頭に残っていたのかな」

「えっ」

自分はとうに忘れていたのにと思うと

「男の人ってエッチね」

そう言って、彼に胸の中に顔を埋めた。

季節がもう秋の訪れを告げていた。


「もう秋だね」

歩いて直ぐのところにある砧公園の中のファミリパークを散歩しながらカリンは言うと

「うん、もう秋だ」

同じ言葉が返ってきた。木々がめっきり色づき始めている。二人の住むマンションから真直ぐ一〇分ほど歩くと砧公園の入口がある。運動場側の入口だ。

そのまま歩いていくと春先に紅梅白梅が咲く広場がある。そこを右に曲がって真直ぐ歩くと、正面入口の通りになる。それを左に曲がると正面に世田谷美術館、通称“世田美“がある。左に曲がると直ぐにファミリパークだ。


春になると信じられない範囲で桜が咲く。たぶん、東京では一番の広さだろう。そしてファミリパークを取巻くようにサイクリング道路があり、ほんの少し内側にジョギングコースがある。二人は、ファミリパークを真直ぐ突き抜けるように歩いている。

「優、明日は、お母様からの“習い”がある」

「カリン、ごめんね。お母さん、自分の子どもよりカリンの方が大事なくらいカリンに夢中だよ」

「仕方ないよ。今から思い出しても恥ずかしい。あんな事して」


顔を少し赤くしながら言う彼女に、彼はなにも言えなかった。“あんな事”をさせた原因が自分なのだから。

「でも、優、なぜ結婚前に言ってくれなかったの、優の家のこと。私、優は“普通の家の子”だと、ばかり思っていた。確かに“優の家は大きいな”とは思っていたけど」

「家より自分を見てほしかったから。それに嫌になるかも知れないと思ったし」

「それ失礼よ、私に。私は家より優よ。分らなかったの」

寂しそうに下を向くカリンに

「ごめん、でもお母さんの目に狂いは無かった。僕は狂ったけど」

「どういう意味」

「カリンが、あんな強い一面を持っているなんて」

少し遠くを見るように言うと

「私は優を守りたくて必死だったの、あの時は。それだけ」

「それなんだよ。お母さんがカリンの目にそれを見つけたから。初めて会った時の事、覚えているカリン。お母さんに“私ではいけないんですか”って言ったよね。それがお母さんにあの事を言わせるきっかけだったんだ」

「今思うとやっぱり恥ずかしいな」

そう思って顔を少し赤くしながら彼の顔を見ると

「カリン」

とだけ言って、妻の顔を見た。

「優のことを知っている会社の人、どの位いるの」

「社長と人事部長、ぼくの部署の部長と仲のいい同僚数人」

「同僚からは漏れないの」

「そんなやつ、僕の仲間にはいないよ。あいつらは、僕の中身と付き合ってくれているから」

「羨ましいな」

「カリンもいるじゃないか。かおるが」

「かおるとも会っていないな。優は、かおるとも仕事で関係していくの」

「いずれは。でもはるか先だよ。お父さんが元気なうちは、僕は表にはでない。今のところは。今の会社もいずれ辞めなくてはいけないけどそれも先の話だ」


カリンは、“葉月家の女”として認められて以来、優の母は、カリンに葉月家のことを教え始めた。そして女主人としてのたしなみも。いわゆる“お茶、お花、踊り、着付け、パーティの時の作法、葉月家の家系のこと、葉月家の親戚筋のこと”更にもっとある。会社筋はまだ後だ。


覚えなくてはいけない事が山のようにあるのだ。まずは作法からということで優の母親が、家に師匠を呼んで作法を教えてもらうのだが、優の母親は、まるで娘が出来たかのような可愛がりようだった。

カリンは、母親から、たしなみとしてお茶とお花は習っていた。更にバレエをやっていたおかげで、踊りにいたっては、師匠を驚かしていた。

「花梨さん、踊り私よりもう上手よね」

「お母様、許してください。そのような言いようは。私は、お師匠様に習い始めて、まだ五回目です」

すると師匠が

「花梨さん、始めての手ほどきの時、初めてとおっしゃられていたのにいきなり踊られて直ぐに覚えられて、失礼ですが“始めてなんてうそでしょう”と思いましたもの。お母様と同じように踊られるのもそれほど遠くありません」

自分可愛さとほかならぬ葉月家の次期女主人として見ている言葉だった。


優の母親は、はじめ全て始めてと思っていただけに、“作法の習い”がいつの間にか“大切な友達との交流の場”なりつつある事に満足感を覚えていた。

自分の息子の妻が、こんなに早く作法を覚えてもらうとは予想もしていなかった。それだけにカリンへの思いは人一倍だった。

「花梨さん、もう直ぐお茶とお花は、私の友達を呼んで茶会を開きましょう」

カリンは心の中で“えーっ、勘弁”と心の中で思いながら“にこっ”と笑顔で答えると

「たまらないわ。花梨さんのその笑顔。みんなに自慢したいわ。早く」


カリンはまたまた“えーっ”と思うと嬉しいのやら、恥ずかしいのやらたまらなかった。唯一つの事を除けば。料理だけはだめだった。しかし、なぜか優の母親は、料理に対しては寛大だった。

作法の習いの時の着物は全て優の母親が用意した。それも生地から選ぶ思い入れようだ。おかげでカリンは自分一人でずいぶん着れるようになった。

優は、妻のカリンが、母親に捕まっている間は、実家で暇を潰すしかなかった。日曜日だけの習いだが、午後は、全て使われる。一日3つは行われるのだ。

カリンに取っては大変だった。優の母親は、いきなり出来た愛おしいほどに可愛い娘にべったりだったが。


「優、もう私だめーっ」

家に帰るなり“ばてばて”になっているカリンに優は、

「ごめん、お母さん、週に一回カリンが来る事を楽しみにしているみたいで、“休ませてあげて”って言えない」


彼の顔を“じーっ“と見ると

「優は、私が大変な時でもお母様を選ぶの」

「いや、そんなわけじゃ」

「じゃあ、どっちよ」

「もちろん、カリンだよ。決まっている」

また、カリンは、“じーっ”と見ると

「じゃあ、証明して」

「えっ」

と言うとカリンは、顔を彼に近づけて目を閉じた。

彼が唇を合わせると彼の背中に手を回した。彼の腕の中にいると心が落ち着くようになっていた。

少しの間そうしていると

「優、ありがとう」

そう言って笑顔を見せると

「さあ、がんばって夕飯作ろう」

「僕も手伝う」

「うん」

と言うと、彼の唇に自分の唇をもう一度当てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る