第22話 二人の時 (1)
「りょうこ、久しぶり。どうしたの。電話してくるなんて」
「うん、カリンの噂ちょっと聞いて」
「えっ、噂って」
「カリン、婚約したんだって」
「えっ、誰から聞いたの」
カリンは、自分の学生時代の友人や趣味でやっているバレエ関係者には、まだ伝えていなかった。“テンポが速すぎて伝えられなかった“と言うのが正しいだろう。かおるを除いては。
「女子ネットワークよ。ふふっ」
そう言って電話の向こうで笑う友人にカリンはちょっと驚いた。
「ところで電話したのはね。カリン、スキー行かない」
「うーん、スキーか。行きたいけど。雪焼けまずいし。結構忙しくなってきた」
お正月の挨拶に行った時の彼のお母さんの厳しい目にもクリアし、晴れて結婚への準備を進めていたカリンは、いよいよ招待状や新居をどうするか、持っていく着物の仕上がり具合の確認や指輪の件、双方の家のことで結構大変だった。ほとんどの休みはそれでつぶれていた。唯一のデートをいえば毎週金曜日の夜の渋谷ぐらいで有った。
「そうか、残念だな。スキーに行ってカリンに色々教えてもらわなきゃと思っていたのだけど」
「教えてもらう。なにを」
「もちろん、“会社入ったばかりのお嬢さんがどうやったらこんなに早く素敵な旦那様を射止めるられるか“と言うところ」
「射止めたなんて」
カリンは、実際、流れの中で今があるし“最初に約束したのは彼のお母さんだし”と思うと結構自分でも“うーん”と言う所はあった。
ただ、彼がお正月に自分の家に来て父親に正式に結婚を申し込んだのはとてもうれしいと思っていた。
「まあ、仕方ないか。ところで四月のバレエの発表会も出れないんでしょう。メイコ先生残念がってたわよ。“事情が事情だから仕方ないけど”とか言って」
「そうか、悪いことしたなメイコ先生には」
そう言って久々のバレエ友達の電話に懐かしく思うと
「ねえ、カリン、発表会手伝いに来れない。一人でも多いと助かるし、カリンだと安心して任せられるから」
カリンは、あの辺りは、確か、招待状も出し終わった辺りだから大丈夫のはずと思い
「うん、いいよ。ねえ、ところでチケット一枚多くある」
「えっ、まあ大丈夫だよ。それにカリンのお母さんには少し多めに送るから」
「ありがとう。そう言えば、りょうこの方は彼とはどうなの」
「まあまあかな、カリンみたいの急展開する要素ないし」
「そうか」
「カリン、長くなると悪いからこれで切るね。発表会のお手伝い宜しく」
「わかった、じゃあまた」
そう言ってカリンはスマホの通信ボタンをオフにした。
「りょうこかあ。久しぶりだな」
りょうこは、バレエで知った友達だ。バレエ教室の中では一番仲が良い。りょうこは、大学に行かない分、社会人の経験が長く既に彼もいたが、そんなに進展は無い様だった。
もう、三月に入り、六月始めの結婚式まで三ヶ月を切っていた。
「優、四月の終わりにバレエ教室の発表会がある。その時、手伝いに行ってもいい」
少し考えると彼は、
「良いけど、いつ」
「確か連休に入る前の日曜日かな。朝からほぼ一日中。優も見に来る」
「えっ」
彼は、バレエと聞くと舞台の華やかなイメージは沸くが、自分がそれを見るとイメージは沸かなかった。でも彼女が行くならと思い、
「分かった、どこでするの」
「五反田に有る簡易保険ホール」
「えーっ、あんなに大きなところでやるの」
彼は、驚いた顔をして彼女の顔を見た。“五反田の簡易保険ホール”と言えば一階だけで確か三〇〇人以上が入れる大きな会場だ。発表会と言われたので、どこか小さなところでかりて“こじんまり”と行うのかと思っていた。
それを察したのか、
「来場者が多いの。一人の女の子にその子の両親やお友達が来るから、一〇〇名以上いるバレエ教室だから、来る人も四〇〇人以上なる」
またまた、彼は
「えーっ」
と驚くと
「カリン、解った。朝も送って行ってあげる。夜は一緒に帰れるんだろう。その帰りにおいしいものでも食べに行こう」
「ほんと、ありがとう。うれしいな」
「ところで何時から始まるの」
「開場が四時三〇分、開演が五時、休憩入れて終わる予定が八時位」
「ふーん、結構長いんだ」
興味半分で聞いていた優は、“自分の知らない世界”にちょっと興味を持った。
いつもの“トマトの花”でいつの間にか指定席となった大きな白いテーブルの中程の席でパンケーキを食べながら、カリンは彼と話をしながら窓の外をちょっと見ると、桜の木には、十分に膨らんだ蕾がいっぱい付いていた。なんとなく気持ちがほころんだカリンは、“ふふっ”と笑った。何とも言えない可愛さになる。優は、カリンのほんの少し微笑んだ顔が好きだった。
「カリン、何一人で微笑んでいるの」
「うん、あの桜の木に付いている大きく膨らんだ桜の蕾がもうすぐ咲くのかなと思うとなんとなく嬉しくなって」
彼女の視線の向こうに窓の外に見える桜の木を見つけると優もなんとなく心がほころんだ。
“トマトの花”は、ドアを開けるとすぐに白い大きなテーブルと窓際に四人掛けのテーブルが二つ、壁側に三つのテーブルがある。ドアの左には、ちょっと奥まって四人掛けテーブルが四つあったが、カリン達はそこに行くことは無かった。
土曜の朝、二人でここトマトの花に来るとなぜかいつも同じところの席が二つ開いている。今日もカリンが入ると、なぜかお店の中が“ふわっ”と明るくなったような、なんとも言えない雰囲気になる。
そしていつもの席に着くとドアの左正面にあるカウンターからオーナーの“ちょっとおばさん”が微笑みながら
「いらっしゃい」
と言って、氷と水の入ったグラスとおしぼり、そしてメニューを持って二人のそばにやって来る。本当に嬉しそうな顔をして。
優は最近なんとなく解った事が有る。“カリンの醸し出す何とも柔らかい雰囲気”が理由ではないかなと。
もちろん、可愛いという面では抜きんでている。でも顔だけではない、体全体から心を安らいでくれるようなものがある。
淡いピンクのワンピースに白い靴。ふちの広い帽子をかぶっている姿を見ると、それだけで自分が草原に居るのかと思うような気分になるのだ。
カリンと歩いていると必ず反対側から歩いている人がカリンを見る。男だけではなく、女の子やおばあちゃんも、そしてなぜか心が休んだように微笑むのだ。
たぶん全てのバランスが、人を“春風が吹いたような気にさせるのだ”と思った。
優は、そんな彼女が自分の“お嫁さん、自分だけのもの”になることが心の底から嬉しかった。
「どうしたの優、さっきから、一人でニタニタしている。少しエッチな感じ」
「えっ」
一瞬、自分の心の中を見透かされた様な気がして“どきっ”したが、”ちょっとおばさん“が
「コーヒーのお代わりは」
と言って二人のそばに来たので優は“ほっ”とした。
「ありがとうございます。カリンは」
「じゃあ、私も半分位」
コーヒーサーバーから流れるコーヒーが良いにおいと暖かそうな湯気を立ててコーヒーカップの中に入っていった。
窓から見ると彼の家の方向に自由通りを見ると黄色いカリーナが、ガードレールに隙間がない位くっついて、“ここは自分のポジション”という顔をしていた。
もうそこまで“はる”がやって来ていた。
「カリン、そろそろ行こうか」
「うん」
居心地のいいトマトの花を後にすると、二人で渋谷に向かった。結婚後の新居を探す為、昨日彼が電話した不動産屋に行く為だ。
彼のお母さんは、始め二人が一緒に暮らしてくれるものと思い楽しみにしていたが、彼が“結婚したら少しの間、二人で住みたい”と言いだした。
彼のお母さんは、まるで大事な娘を取られるかのように・・本当はおかしい話だが・・反対した。
男しかいない葉月家に“自分の可愛い娘”が出来たような気持でいたから大変な抵抗だった。しまいにはカリンまで味方につけようとしたが、彼のお父さんが
「始めのうちは、いや“あかちゃん”が出来るまで」
と言って彼のお母さんを説得した。自分自身、夫と結婚した時、同じだったことを考えると“しぶしぶ”と引き下がった。
優は、渋谷駅のそばの駐車場に車を入れるとキーを手前に回してエンジンを切った。
「カリンちょっと待って」
運転席のドアを開け降りると、助手席側に回りドアを開けた。
「優、ありがとう」
そう言って微笑みながら車を降りると、髪の毛が振られないように右手で持って助手席から降りた。
車から降りて立ち上がり右手でまとめていた髪の毛を手から離すと“ふわっ”と髪の毛が後ろに回った。
髪の毛が光に輝いて宝石のようにカリンの頭の後ろに回る。まるで何か素敵な絵を見ているようだった。
優は、一瞬時間がとまったような気がした。いや止まったかもしれない。流れる髪の毛に微笑む彼女が、言葉では現せない雰囲気を出していた。優の心臓を貫くほどに“ドキッ”とさせた。エンジンキーを受け取る為、優のそばに近づいてきた係員が完全に足を止めている。
「優、どうしたの、優」
一瞬かも知れない長い時間の中で優は遠くにその声を聞いた。
「えっ」
一瞬焦点が定まらないまま声を出すと
「優、どうしたの。目が点よ」
「あっ、いや、その、うん、なんでもない」
彼が何を言っているのか理解できないまま彼を見ていると、やっとエンジンキーを渡し、代わりに受け取り票をもらった。
駅の近くのビルの三階にある不動産屋に入って、彼は名前を言うと、簡単なパーティションで区切られたテーブルボックスに案内された。
カリンは、初めて来る場所の雰囲気に興味いっぱいで、きょろきょろしていると、プレートにお茶を入れた器を女性の人が持ってきた。
なにも言わずお茶を置いていった女性は、パーティションを外れるちょっとのところで、二人を見て、嬉しそうに微笑んだ。
やがて、小脇に書類のフォルダを抱えた女性がやって来て、
「ようこそいらっしゃいました」
と言って脇に抱えている書類のフォルダをテーブルに置くと
「昨日、葉月様よりご依頼頂いた物件を検索しました。この三つの案件が出てきました。いかがでしょうか」
そう言って、その女性は、優の方を見た。
「優、私あの人嫌い、優の方ばかり見ていた」
心の中で“えっ”と一瞬思いながら
“彼女、結構やきもち焼きなのかな。だとすると、お母さんと一緒だ。まいったなあ、カリンもお母さんみたいになるのか。想像つかないな”
彼は、自分のお母さんを思い出しながら彼女の言葉を感じていた。そして彼女の顔を見ながら
「取りあえず、今日紹介して貰った二つの物件を見に行こう」
そう言うと
「うん」
と言って嬉しそうな顔をした。
二人が候補に上げたのは、世田谷の用賀というところにある、2LDKのマンションと
桜新町にあるマンションだった。
「優、後一ヶ月と二〇日だね」
いつものバーでジャックを呑みながら、と言ってもほとんど水のような状態になっているグラスに入った液体をマドラーでくるくると回しながら、嬉しそうに言う彼女の横顔を見ながら優は、親戚のおじさんの事を思い出していた。
「優、九九好きなところがあっても一つでも嫌いなところがあったら結婚は、止めた方がいい。必ずやがてその一つが鼻につき始め、やがて嫌いになってくる」
彼のことを真剣に考えていることがわかる目で言うおじさんに
「僕は、九九嫌いなところがあっても一つ好きなところがあればその一つが必ず九九の嫌いなところを凌駕する。僕はだから彼女と一緒になります」
そう言って自分の考えを通した。
葉月の家は、やがて優が守って行く。それだけに親戚は、色々心配、いや口を出すのだった。
「優、確かに可愛いお嬢さんだけど大丈夫なの」
「おばさんだって、始めから立派に何でも出来たんですか。カリンと僕は二人で一人と思っています。夫って、そうなんじゃないんですか」
彼の強い思いを言いながら“カリンはなにが何でも自分が守る”という思いを強く感じていた。
彼のお母さんとお父さんは、何も言わずそのやり取りを見ているだけであった。
「優、なに考えているの。何か目が遠くを見ている」
少し心に不安を感じながら言う彼女に
「カリン、大好きだよ」
小さな声で彼女の耳元で囁く声に耳元まで赤くして小さな声で
「うれしい」
とだけ言った。
カリンはゆっくりと顔を上げると嬉しそうな目で“コクン”と頭を軽く下げた。
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