第10話 寄り道 (2)
結局、優と秋山が、“伊豆”を出たのは、八時半を過ぎていた。二時間近く飲んでいた事になる。
「秋山さん、どうします。ちょっと中途半端な時間ですね」
優もお酒が少し回りちょっと自制心が切れ掛かっていた。
「私の知っているバーが有るからそこで少し飲んで帰りましょう。ちょうどいい時間になります」
そう言って、少し潤み始めた瞳で優を見ると秋山は、優の手を引いてセンター街の方へ歩いていった。
「あっ、有ったここ、ここ」
そう言って秋山は、センター街の途中のビルの四階にある“キャトル”というお店に入った。
くの字に曲がったカウンターとテーブルが三つしかない小さなお店だが、混んでいた。
「店長」
そう言って秋山がカウンターの中の顎にひげを生やした男に声を掛けると
「元花ちゃん、いらっしゃい」
そう言って、カウンターの隅の二席を指差した。やがて、店員がお絞りとメニューを持ってくると
「葉月さん、どうします」
と言って優の顔を見た。ちょっと酔って、綺麗な顔立ちがピンク色になっていっそう男の目を引いている。
事実、秋山が入ってくると入口が開いた音で、顔を振返った男やその男に肩を突かれて振向いた男などが、一斉にこちらを向いている。優は、“何かやばいな”と思っていると先程の店長が寄って来て
「珍しいね。元花ちゃんが友達を一緒に連れてくるなんて」
と言って声を掛けると
「今日は、ちょっとね」
と言って、秋山は店長に笑顔を見せた。
優は、友達って言ったって事は、秋山さん普段一人でここへ来るんだ。そう思いながら、メニューを見ていると
「これにしようかな。ジャックダニエル。葉月さんいい」
優は、“まあいいか。早々こんな店来ないし”と思っていると
「店長、ジャック、ボトルで」
“えーっ、ボトル。この人まだ飲むの。ほんの少しって言ったのに”メニューを見ながら気が付かれない様にそう思っていると先程の店長が
「はい、ジャック」
と言ってボトルとコースター二枚を置いていった。直ぐ後にロックグラスと氷の入ったサーバを持ってくると
「元花ちゃん、ごゆっくり」
と言って二人の側から離れた。
「葉月さんはどうする。私はロック。チェイサーで水」
「じゃあ、同じでいい」
「葉月さん、お酒の弱そうなこと言っていたのに飲めるじゃないですか。よかった。これからも一緒に飲めますね」
そう言って二つのグラスに氷を入れながらうれしそうな顔をする秋山に
“えーっ、これからも一緒ってどういうこと”半分酔いに支配されている頭の中でますます混乱し始めた自分に“秋山さん、どうしたんだろう。何か寂しそう”優は、段々秋山の気持ちに沿っていくようになった。
秋山は、ロックグラスに入った琥珀色の液体をマドラーでゆっくり回しながら
「葉月さん聞いて。私、こんな顔立ちでしょ。中学、高校の頃とてももてた。大学に入っても言い寄ってくる人が多かったの。でも私のほうでブレーキを掛けているうちに声を掛けられなくなった。同じゼミの女の子に聞いたらひどいうわさを立てられていたの。それを聞いて驚いたわ。そんな人間じゃないのに」
悲しそうな顔をしながら、ロックグラスを口に運ぶ秋山に
「もし、良かったら教えて」
秋山は、“じっ”と葉月の顔を見ると、真剣な顔つきで口を優の耳元に持ってきた。たぶん、回りの人にも言えない内容なのかと思い優も耳を秋山の側に近づけると
「“コールガール”ってあだ名。ようは金持ち以外の人間とは口も聞けない“高ピーな女”といううわさ。ひどいでしょ」
そう言って、空いたグラスにジャックをもう一杯注ぐと、またマドラーで琥珀色の液体と氷を混ぜ合わせた。
「それ以来、男性恐怖症。今の会社だって人事のあいつが“うちの会社、綺麗で頭のいい人が多いし、君のような人が入って来てくれれば、人事部としてもうれしい”とか言っていたけど、“本当の目的はなんのか”ってとこです。そこに葉月さんが現れたって訳」
意味が分からず聞いていると
「なんか、さわやかそうで、女性をそんな目で見る顔しないし、事実葉月さんが私を始めて見たとき、他の男の人と私を見る目が、全然違っていた。いままで“そういう目”で見られていたから良く分かった」
一息置くと
「だから、一度でいいから、お話したかったんです。でも天宮さんとのうわさが流れてどうしようかなと思ったけど、しないで後悔するより、して後悔した方がいいと思って、それで今日、声を掛けたんです。そしたら直ぐOKしてくれて元花とてもうれしかったんです」
そう言ってまたグラスを空けた。優は、“強いな”と思いながら、自分もグラスを空けると秋山は優の顔を“じっ”と見つめた。
何だろうと思って優も酔いに任せて見ているといきなり、「うん」と言った後
「葉月さん、出ましょう」
そう言っていきなり
「店長、“おあいそ”して」
と声を掛けた。店長は
「ありがとうございます」
と秋山に声を掛けると何とはなしに優をにらんでいるように見えた。
優は、駅に向っていくのかと思ったら
「葉月さん、このままでは電車乗れない。少し歩きましょう」
確かに秋山は、飲みすぎている感じだった。事実あんなに飲むとは、優自身も思わなかった。
自分もちょっとこのまま電車に乗るのはと思っていたので、“ちょうどいいか”と思って付き合った。
東急本店通りに出るとそのまま渡り、更に道玄坂方面に行く横道に入った。優は“えっ”と思ったが、秋山が、手首を持って引っ張るので仕方なく付いて行くと、優の顔をいきなり、また見始めた。
ちょっと歩きづらいなと思いながら歩いていると、今度は急に下を向いて、右側に上がる階段方向に歩みを変えた。優は“えっ、こっちは”と思っていると
「葉月さん、これ以上、私を先に歩かせさせないで」
そう言って優の顔を見た。
秋山のさっきの“うん”の意味が分かった気がした。この時ばかりは、優は彼女の事が頭から離れていた。
秋山の手を引いて階段を上がり始めると明らかに他の人たちの視線が自分たちの背中に刺さっているのを感じた。
上まで行くとゆっくりと右に曲がっていた。両側には、色取り取りのネオンが高い塀の更に上で輝いていた。
「どこにする」
と聞くと
「葉月さん決めてください」
そう言って下を向いたままにしている秋山に優は右側の二番目の入口に入った。ドアを開けて二人で入ると
「葉月さん」
と言って、顔を近づけ目をつむった。綺麗な顔だった。
優は、ゆっくりと唇を付けると秋山は、倒れるように優の体に自分の体をつけてきた。優はほんの少し唇を吸うようにすると同じように吸い付いてきた。優は手を秋山の腰に回して少し引き付けると柔らかい胸が優の体に当たった。
「秋山さん。いいの」
「いいんです。今日たぶんそうなるかなと思っていました。さっき、葉月さんの顔を見て“うん”と言ったのは、そう言うつもりだったんです。やさしくして」
・・・・・・・・・・・・
「葉月さん、誘っちゃったね」
そう言って、笑顔を見せる秋山に
「秋山さん、少し驚きました。お酒も強かったけど」
その後を言わない優に
「葉月さん、二人だけの時は元花“もとか”って呼んで下さい」
少し黙った後、
「葉月さん」
と声を掛けると
「優でいいです」
と声を掛けた。
「じゃあ、優、私を誤解しないで下さい。ふしだらな女と思ったでしょうけど、違います。本当に始めての人はあなたです」
少し目を寂しそうにしながら
「初めての人は、大学の時、まだ入ったばかりで何も分からなかった私に優しくしてくれた先輩がいたのだけど、調子に乗って先輩のアパートに行ったとき奪われちゃった。それからはその先輩とも口も聞かなくなりました。自分でも馬鹿だと思いました。だから男性恐怖症になりました。そしたら“あんなうわさ”が立てられて。それだけに自分であの時の嫌な事を体から忘れたかったんです」
涙を零すもとかに優は、なんともいえない感情を抱いた。
「男の人は本当に葉月さんで二人目です。もちろん抱かれたのも。でも今回は、自分から優に抱かれたかったんです。あの時を遠くにする為にも自分の意思で自分が好きな人に抱かれたかった。それでいいですよね」
救いを求めるような瞳に優は、優しく
「うん」
と言うともとかは、優の唇に自分の唇を付けた。
優は頭が整理仕切れなかった。今になって蘇って来たカリンのこと、純粋に自分を“好き”だと言って優に体を預けたもとか。整理しきれないまま、もとかの胸に唇を付けた。
次の朝、会社に出ると、受付の女性は座っていた。優を見ても普通に何も反応しない。ただ、優が言うより早く
「おはようございます」
と言っただけだった。そして他の人にも同じ顔を見せている。
優は、今日、会社に出たとき、どういう顔をすればいいのか分からないまま、エレベータを上がり会社の入口から入った。
目の前にいるもとかは昨日のその人に違いない。でも、まるで昨日のことが何も無かったかのように普通に出社してくる人に挨拶をしている。自分も全くその中の一人と言う感じだった。
ちょっと寂しげに入口から自分の部署に曲がる時、優の横顔を見て、もとかがほんの少し微笑んだ事を優は知らなかった。
同僚と昼食に虎ノ門方面に歩いていると、
「どうした、葉月、最近元気ないぞ。肉体的か、精神的か、まあお前の場合は肉体的は愚問だから、精神的なことだろうけど。どうだ、高級ウィスキー一杯で相談時間一〇分てのはどうだ」
細身の体に腹だけ出た“通称先輩”は、訳の分からない事言いながら店に入った。
「葉月、最近お前どうした。会社の仲間集めてテニスやスキーをしていた時と全然違うぞ。うわさでは、我社の美女二人を相手にして悩んでいるといううわさだぞ」
優は、心に“どきっ”として、
「先輩、羨ましいですね。そんなうわさ。早く僕にもいい人紹介してくださいよ。先輩がそんなつまらないことに耳傾けているひまがあったら」
「そうだよな。どう見てもお前“もて顔”じゃないし」
好きなことを言う自称先輩に“あんたに言われたくはない”と思いながら分厚いとんかつを食べていた。
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