第9話 寄り道 (1)


「かおる、今日はありがとう」

「カリン、あの後どうしたの」

「うーん、彼と少し話して帰った」

「でっ、これからは、どうするの」

「うーん、明日会うことにしたから」

「分かった。でもカリン、私はまだ彼を信用していない。カリンもしっかりと見なければダメよ」

「分かっている。本当に今日はありがとう」

「カリン、じゃあね」

カリンは、二人きりになった後、彼の家に少しいて自宅に戻った。もっと会っていたかったが、彼の家でもあり、長居は出来ず帰ってきた。途中で帰った、かおるの事が気になって電話したのだ。


“カリン、だいじょうぶかな”大切な友達に付き合ってカリンの彼の家まで行き、途中までは、本当に締め上げてやるつもりだったかおるは、二人の態度を見て取りあえず矛先を納めた。

自分の部屋でベッドに横になりながら、午前中の出来事を思い出していた。

“本当にあの二人上手くやっていけるのかな”

横になっていた体を起こして、ベッドの側にある大きな鏡を見た。

光る程に手入れされた黒い髪の毛が、耳の後ろから綺麗に流れ肩から胸の辺りまで伸びている。大きくて見事に綺麗な切れ長の目、高くてすっと通った鼻筋 、大きくもなく小さくもない口に、人を引き付ける程の唇、それらのバランスを際立たせる顔の輪郭、全てが調和されているといっていい。母方の系統を見事に受け継いでいる。そして細い首から胸にかけて見せる、透き通る様な白い肌。細身の体に決して小さくない形の良い胸。

かおるは、鏡に映し出される自分の体を見ながら両方の腕で自分の体を抱くように掴みながら、悲しそうな顔をした。

「私だって、私だってこの家に生まれて来なければ、カリンの様な恋が出来たかもしれないのに」

目にほんの少し涙を浮かべながら、かおるは、独り言を言った。

かおるは、自分の生まれを恨んではいない。ただほんの少し他の家庭と違うのだ。もしお兄さんがいたらこんな風にはならなかっただろう。

兄がいない故に三井の将来を生まれる前から定められた、三井の“曾孫”だ。故にかおるの周りの人間、特に家族、縁者は、将来、三井の家を守って行く人間として見てきた。生まれた時から守られ、好きなままに好きなことが出来た。

ただ自分の将来だけは、“決められている”という自分自身の運命に耐えられなかった。

「カリン」

自分の思いを大切な友達に写しながら、かおるはカリンのことを思った。


「お嬢様、長崎様からお電話です」

「浅井、私は体調が悪い。“出れない”と言え」

「はい、分かりました」

かおるは、生まれる前から仕えている、お手伝いと言っても先代からずっといるのだが、浅井に声を掛けると、またベッドに横になった。

かおるの父が“三井の家を守る為”と言って、かおるに相応しい人と言って紹介した男の一人だ。

かおるの母はいわゆる旧華族の出身。父の家系は江戸幕府前からの店。かおるの妹は、政財界の頂点に立つ父を持つ息子に嫁ぐと言う。結婚式は旧大谷家の旧家で式を挙げるという名門中の名門だ。

かおるは、自分に決められない“それに”反発していた。自分がこの世に生を授けてくれた父と母には感謝しかない。

でもなぜ自分が、“三井の家に生まれたこと”だけが、かおるにとって消化しきれない事であった。

「浅井、私は出かける。お母さんには遅くなると言っておいてくれ」

「えっ、お嬢様、今体調が悪いと」

かおるは、生まれる前から側にいた女性に

「いつも御免なさい。志津にしか、わがままいえないの」

少しだけ目に涙を浮かべながら言う、かおるに

「お嬢様、おしめの取れる前からお嬢様の側に仕えさせ頂いております。大丈夫です。お母様もご理解なさっております」

「そっ、そう」

志津は、かおるが生まれた時、大きな目を開けて自分の顔を見た“初めての時”から大切にしたお嬢様だ。自分の命よりはるかに重いと思っている志津には、かおるの言葉が全てだった。

かおるは、自分の心にしこりを残したまま家を出た。


青山の地下鉄駅を出て右に行き少し行ったところに地下に入るフランス料理屋がある。

「かおる、どうしたの」

何も言わない彼女に回りがどう見てもアンバランスな彼が

「どうしたの、かおる」

と言うと下を向いたままかおるは、

「ねえ、どうして私を抱いたの」

“うだつの上がらない男”浅野は、いつもは圧倒的に話す彼女にちょっと戸惑った。少しだけ沈黙が流れた後

「かおるが好き。それじゃあ、だめ」

すこし考えながらかおるは

「そうね。そうかもね。私も好きよ。あなたの事」

自分自身、分かっていながら消化しきれない心に“もっと、ほんの少しでいいから、ほんのちょっとでいいから、もっと”涙が止まらなかった。

何故とかいう言葉ではない、生まれた時から定まった運命に涙が止まらなかった。

「かおる」

と声を掛けると

「拓、抱いて」

と言って下を向いた。

自分自身の“ほんの少しの心の安定”をどうすればいいか分からないことを口にしたかおるは、一人で席を立った。


「葉月さん」

優は、受付から自分の部署に行く廊下で通称ミルキー、ダイナース・オリンピアの数ある美女の中でも飛びぬけた美人だ。その女性から声を掛けられた。

同じフロアのコロンビア石油開発の会社の人間は、エレベータを挟んで反対側にある会社をいわゆるモデル会社と間違えたくらいだ。

これは、人事部の加藤が、女性は美人がいいと訳の分からない事を言いながら、採用は、最低ドクターと理解できない事を言い出したことが原因だ。

しかし、ダイナース・オリンピアは、日本の女性社員の給料トップと言われ、事実、カリンは新人にも関わらず夏のボーナスは、一五〇万という会社だ。優は八〇万だったが。その会社の美人ナンバーワンと言われる秋山元花が声を掛けてきた。

「えっ」

後ろを振向くと秋山が立っていた。

「葉月さん、今日の夜空いていますか。一緒に食事できれば」

少し恥ずかしそうになりながら、腰まで伸びた黒髪を、決して前に垂れない様にしながら、ほんの少し葉月の顔に近づいた。

「えっ」

同じ返答をしながら戸惑っていると

「天宮さんのことですか」

優は、なぜ知っているのと思いながら秋山のことを見ていると

「だめですか」

と潤んだ目で問いかけてきた。

優は、いわゆる女子ネットワークのすごさと怖さを知らない。優とカリンがデートを重ねている事くらい、会社内の女子にとっては公然の秘密だ。

「だめではないですが」

優は、言った後に一瞬の後悔をしたが、秋山が

「良かった。では、六時に虎ノ門駅の入り口で」

それだけ言うと、クルッと体をターンさせて受付に戻って行った。

虎ノ門駅は、いつも帰る方向と反対だ。うまく出れば見つからないだろうと思いながら、自分の部署に戻って行った。夕方五時位にカリンと廊下で偶然会うと彼女は、少し周りを気にしながら

「御免なさい。今日は駒沢に有る研究施設に用事があって、もう直ぐ小池さんと行かなければならないの。時間的にそのまま直帰することになるから、今日は一緒に帰れない」

寂しそうに言う彼女に優は、

「仕事だもの、仕方ないよ。でも小池さんでよかったね」

意味を理解した彼女は、にこっと笑うと頭をぺこんと下げて自分の部署の隣にある統合オペレーションセンターに行った。

優は、心の中で安心感と彼女を裏切るような気持ちが入り混じった気持ちになり、少し顔が暗くなった。


五時四五分になると、自分のデスクを片付けて席を立とうとした。

「葉月、今日も彼女と一緒か」

はっきり言って干渉されたくない言葉を言われた優は、

「ちょっと」

と言って席を立った。

優は、いわゆる“出来すぎ”を自分で隠せない人間だ。もう少し“ばか”が出来ればいいのに、素直に、自分を出してしまう。故に葉月を快く思わない人間がいる。優は、いつもの言葉を定期便と思いながら、席を離れた。

彼女と一緒に帰れないことが、心に引っ掛っていた。

神谷町から虎ノ門方面に歩いて行くには、表通りと裏通りがある。優は、表通りを歩く自分に後ろめたさを感じて、裏通りを選んだ。

裏通りに通じる通路はカリンと歩くところだ。少し心に重さを感じながら優は歩いた。

裏通りに通じる通路を出て左に曲がり、少し行って信号を右斜め前に歩くと

「葉月さん」

と声が掛かった。秋山が信号の側にいたのだ。

優は、秋山を見とめると少し、にこっとして近づいた。

「虎ノ門の駅で、待ち合わせでは」

「そうしようと思ったのだけど、あそこ人通り多いから、裏から新橋まで行けば地下鉄乗るとき人に見られないから」

優は、どういう意味で言っているのか分からなく、少し首を横にして不思議そうな顔をすると

「葉月さんのことを思って言っているんです。だって天宮さんと付き合っているんでしょう」

「付き合っているなんて」

「そうなの、葉月さんと天宮さん、付き合っているという、うわさよ」

優は、頭の中で“えーっ、どういうこと。彼女と二人きりのとこなんて会社の人には、見られていないのに”

優は、彼女の事は、なるべく内緒にしておきたかった。付き合っているのがばれると困るというより、今を大事にしたかったからだ。

「そうなんですか。知らなかった」

「あら、まるで人ごとね。じゃあ、私が葉月さんとお友達になってもいいのね」

会社の裏のいつも彼女と待ち合わせる信号とは反対の通りにある信号から新橋の方へ歩きながら話していると、反対側から来る人たちが、通称ミルキー事、秋山元花を“じーっ“見ながらすれ違う。

秋山元花は、身長一六七センチ、腰まで伸びる黒髪にすっきりとした顔立ちのいわゆる美人である。人事部の加藤が受付嬢として頭の中身より綺麗さだけで選んだ女性だ。もちろん国立大学出身である。それがダイナース・オリンピアという会社のすごいところでもある。普通に歩いていれば、男なら必ず視線を流すレベルの女性だ。そんな秋山元花と一緒に歩きながら優は、ほんの少しいい気分になっていた。


新橋駅から地下鉄に乗ると二人は申し合わせたように渋谷方面に乗った。

「葉月さん、どこかいいお店知っている」

「いいお店って。秋山さん、何が好みなんですか。和洋中華の中では」

「和がいいな。お酒のおいしい店がいい」

優は、“秋山さん、綺麗な顔して飲めるんだ。それに日本酒がいいなんてすごいな”

優は、うれしそうに自分を見る秋山にちょっと“どきっ”としていた。

よく澄んだ大きな目、鼻筋がすっとしていて唇が引き寄せられるほどに可愛い。顔から肩に掛けて少し空いた洋服が透き通るような白い肌を際立たせていた。胸は、大きくも無く小さくも無くバランスがいい。

彼女とつい比較してしまう自分に違和感を感じながら、秋山を見ていると赤坂見附の駅についた。目の前の人が降りて二人分の席が空くと

「葉月さん座りましょう」

と言って秋山は自分から座った。優も仕方なく座ると秋山のお尻の部分に嫌でも接触した。

少しずらそうと思ったが、自分の隣に座る男の体が大きくてずらしようが無く、優は仕方なくそのままにしているとなんとなく、秋元がお尻を自分に押してくる気がした。“チラッ”と見るとそれに気がついたのか、こちらを一度見た後、優とは反対側に視線を流してまた優を見た。

秋山の隣に座る男がどうも秋山に寄ってくるようだった。優は

「やっぱり立っています。男なので」

そう言って優は“すっ”席を立つと秋山はうれしそうな顔をして、優が座っていた方へ座り位置をずらした。さすがにそこまでは、動かす事が出来ず、男は一度優の顔を見ると“ふんっ”と言う顔をして本を読む振りに戻った。


渋谷駅のホームについて、真ん中にある改札から降りると秋山は、改札を出たところで

「葉月さん、さっきはありがとう。優しいのね」

「いえ、でもあいついやらしかったですね」

本当は、秋山のお尻がくっ付いているのに抵抗して席をたったのも半分あったが、秋山がそう思ってくれたようだ。

「秋山さんちょっと待って」

そう言って優はスマホを取り出すと、電話番号リストから“伊豆”と書かれた番号にタッチした。

「今日空いていますか。ええ二人です。はい、今から行きます。葉月です」

そこまで言うと通話をオフにした。

「すごい、葉月さん、渋谷のお店、電話一本で予約する位知っているんだ」

「いえ、そんな事は」

優は以前父に一緒に連れて行ってもらったお店に電話しただけだった。事実、優も渋谷で和食の店はここ以外知らなかった。

センター街を抜けて三本目の交差点を右に行くとハンズに行く道に出た。ちょうど突き当たりのパルコ通りに行く角の二階にその店はあった。入口に、今日来る客の名前が並んでいる。

階段を上がって、ちょっと洒落た引き戸の入口を開けるとガラガラという音と共に旅館にいる仲居のような和服姿の女性が出て来て、

「葉月様お待ちしておりました」

何故知っているんだろうと思ったが、

「こちらへ」

と言って中に入っていった。ちょっと後ろを見て少し驚いている秋山に

「こっちだって」

と言って促すと秋山も少し真剣な顔で突いてきた。

上がりがあり、更に障子を開けると個室があった。優は“えっ”と驚いたが

「こちらのお部屋でございます。今、お絞りとお品書きをお持ちします」

と言って仲居姿の女性が障子の向こうに消えると

「葉月さん、すごい。いつもこんなとここに来ているのですか」

畳にしっかりしたテーブルが置いてある。座布団も安物ではない。

「私のために、こんな素敵な店用意してくれるなんて、元花うれしです」

うれしそうな瞳で優を見つめる秋山に

「あっ、喜んで頂いてうれしいです」

心の中で“まいったな。こんなつもりじゃなかったのに”。

優は、ここがだめなら好きな焼き鳥屋にでも行って今日は流そうと思っていただけに、自分でもちょっと予定外の流れに戸惑っていた。


やがて、お品書きとお絞りが運ばれてくると

「決まりましたら、お呼び下さい」

そう言って、仲居さんがいなくなると

「わっ、葉月さん、良いんですか。結構高いですね」

「いいです。好きなものを選んでください」

「うれしい」

そう言ってお品書きを手にしている秋山に優は“もういいや、どうにかなるだろう”そう思って、お絞りで手を拭きながらお品書きを見た。


ビールが終わると秋山は、

「葉月さん、日本酒飲めますか」

「うん、少しなら」

優は、家系でアルコールが強い。日本酒ならば、家で父親と一緒に調子に乗って一升瓶を二本空け、お母さんに呆れられたこともあったが、口が裂けてもそんな事は言えず、控えめに言った。

「ここ素敵なお酒多いですね。私最初、男山から行く。葉月さんは」

最初、男山から行くって。“えーっ”この人どれだけ飲むんだろう”

そんな事を思いながら

「じゃあ、同じものを」

そう言って、仲居に声を掛けて注文すると入れ違いに刺身の船盛が出てきた。

船盛と言っても二人前なのでそんなに多くは無いが、他にもサラダや、焼き魚を頼んでいるので、結構な量である。

「うーん、おいしい」

男山のひやを洒落た一合枡で飲みながら言う秋山に優は、

「秋山さんお酒好きなんだ」

と言うと

「あら、葉月さん、私の日本酒好き、知らなかったの。そうか、葉月さん、天宮さんのことで頭一杯だから、私の事なんか気にもしてくれないんだ」

少しお酒が入った勢いで何を言い出すかと思うと

「葉月さん、天宮さんとどういう関係なんですか」

「どういう関係って」

「だから、どう関係まで行ったのか聞いているんです。女性にそんなことはっきり言わせるんですか」

半分酔いながら言う秋山に“お酒強いといっているのに二杯目でもうこれ”と優は思ったが、“まずい展開だな。話し変えないと”そう思っているところに

「葉月さん、電車の中で私の体、ちらちら見ていたでしょう。エッチ」

半分、うれしそうな顔をして言う秋山に

「えっ、知ってたんですか。ごめんなさい。でも秋山さんと電車乗るなって初めてだし、あんなに近くにいるのもはじめてなんで。すみません」

優は、ますます形成不利になってくる自分に戸惑いながら

「あはは、葉月さん、可愛い。正直ですね。私、男の人から見られるの、もう慣れました。でも、意識している人から見られるとちょっと違います」

そう言って、下を向いた秋山に

“えーっ、意識しているって。僕の事”

お酒の酔い以上に混乱状態になり始めた優に秋山がいきなり

「葉月さん、もっと飲みましょう。それ空けてください」

と言って自分の一合枡を開けた。優は、“しかたないな”と思いながら“くいっ”と一飲みすると

「なあんだ、葉月さん飲めないと言っていたけど飲めるじゃないですか。次は一の蔵にしましょう。これ頼んでください」

さすがに自分では、頼めないのか優に頼んだ。

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