第8話 黄色いカリーナ (4)
優は、彼女の言葉にちょっと困っていた。
そんなに深いつもりで誘った訳ではないし、実際電話番号わすれたのは事実だし。彼女を抱いたのも成り行きだし。でもまさか初めてだったなんて、それに彼女のこと好きだし。
そんなことを考えながらドライブしていると彼女が自分の顔を“じっ”と見ているのを感じた。優は、前を見ながら
「天宮さん、正直に言います。僕、今、天宮さん以外とお付き合いしている人いません。本当です。そして天宮さんのこと大切にします。付き合っているとかじゃなくて、僕のステディな人になってください」
ここまで言って優は、言葉を切った。また少しの静かな時間が流れる。ストレートシックスのエンジンサウンドとタイヤからの設置音だけが、聞こえる。
「葉月さん、ステディってどういう意味ですか」
下を向きながら言う彼女に優は、
「うーん、日本語で言うとちょっと恥ずかしいけど、恋人ってとこです。駄目ですか」
そう言って運転に気をつけながら下を向いている彼女の横顔をみた。彼女はゆっくりと顔を起こすと少しの真面目にそして“にこっ”と笑って
「今の言葉、信じていいんですよね」
少し時間が流れた後、
「じゃ許してあげる。大切にしないとこうだから」
といっても優の頬を軽くつついた。
“許すと言われても”と思ったが、取りあえず空気が和らいだことに少し"ほっ"とした。
「天宮さん、サービスエリアに入ります」
と言ってスピードを緩めると
「カリンって呼んでいいです」
そう言って少し恥ずかしそうな顔をしたが、優が
「じゃあ、カリン、サービスエリアに入るね」
と言うと
「うん」
と明るい返事をした。優は、少しほっとして誘導路に車を進めた。
東京インターを降りると午後三時を少し回っていた。優は、
「カリン、これからどうする 」
と聞くと
「今日は、帰ります。家まで送って下さい。あっ、家の近くまで」
そう言って優の顔を見た。
家の近くまで来ると車を止めた。優は、彼女とキスをしたかったが、通りに人が多く、残念だなと思って諦めた。
彼女は特にそんなそぶりもなく、少し難しい顔をすると
「さよなら」
と言って自分で助手席のドアを開けて降りた。彼女は何も言わず、ぺこんと頭を下げると自分の家の方へ歩いて行った。
優は、何か心の中に風が少し吹いているような気がした。
「ただいま」
そう言ってカリンは、自分の部屋のある二階に上がろうとした時、お母さんが
「お帰りなさい」
と言ってリビングの入り口でカリンを見ていた。カリンは、動けなかった。お母さんの目がカリンを“じっ”と見て何も言わなかったからだ。
少ししていつもの優しいお母さんの顔に戻ると
「少し休みなさい。疲れた顔をしているわよ」
と言ってダイニングに戻って行った。
“分かったのかな”そう感じながらカリンは、下着を取り替えるとパンティだけ、紙袋に小さくまとめて入れた。
優は、彼女を送った後、久々に早い時間に家に戻った。
「ただいま」
そう言って玄関を上がると優の母親が、
「優、昨日はどうしたの。連絡もしないで。子供じゃないから外泊は構わないけど連絡くらい入れなさい。お父さんも心配していましたよ」
そう言う母親に
「お父さんは」
と聞くと
「ゴルフ」
と返事が帰ってきた。
優は、まさか、ばれてないよな。一瞬だけ気にかけたが、あり得ないと思い自分の部屋に戻った。
優は、昨日の出来事を思い出していた。
“やっぱり、彼女の体が目的だったのかな”自分の考えを否定仕切れない自分と彼女の別れ際の顔を思い出すと“終わっちゃったかな”と思うようになった。
次の日、優は会社に行ったが、彼女と会うことは無かった。次の日も会えなかった。優は、だんだん自分のしたことが原因で会えないのかなと半分自虐的になった。明らかに自分の心が彼女と会いたがっていることを強く感じた。
カリンは、彼との初めての外泊のあと、体調を崩した。自分でも理由が分からないが、何故か体が重くて家を出る気になれなかった。
二日目の夜、カリンは、かおるに電話した。
「かおる」
自分の名前を呼んだ後、しゃべらなくなった友達にかおるは、
「カリン、どうしたの」
声をかけても返事が返ってこない電話の向こうの相手にもう一度
「カリン」
と声をかけると、少し経って
「かおる、私」
かおるは、土曜日の夕方のカリンからの連絡と今の声で何となく理解した。
「カリン、しちゃたの」
「うん」
「そうか」
そっちの事は、アンドロメダ星雲よりも遠い位置にあったはずの事が、突然目の前に突き付けられ、自分では消化しきれない状況になった親友の心の中が何となく分かった。
かおる自身、いくら自分の育った環境に対する反発とは言え"うだつの上がらない"彼と関係を持つまで一年はかかった。それを自分の大切な友達は、数回のデートしかしていない男に関係を持たされのだ。
明らかに何も知らない天然無垢の大切な友達を、世間知らずを良いことに“あの男が騙したのだ”とかおるは思った。
「それで、あの男はどうしているの」
強い口調になったかおるに
「ここ二日会っていない」
「どうして」
「会社行っていないし」
「電話くらい有ったでしょう」
「ない」
「それ本当、あの男、最初からこれ目的だったのね。許さない。私の大切なカリンの大切なものを奪っておいて、二日間も電話しないなんて。カリン任せて、私許さないあの男」
「待ってかおる」
カリンは、かおるが本当に怒っているのだと分かった。かおるの父は、政財界で名を馳せた人物だ。まともに怒ったら大変なことになる。
「カリン、何を待つの。カリンだって許さないでしょ」
「かおる、彼は、私のこと、大切にすると言った。恋人になるって」
「カリン」
電話の向こうであまりにも純真な女の子が泣いている。言った事が事実なら二日も"した"後に電話一つよこさないなんて考えられない。
そう思いながら、純粋に彼のことを信じようとするカリンにかおるは、
「カリン、分かった。もう少し様子を見ましょう。でも本当にカリンをこのままにするとか、もっと酷いことしようとしたら、私は彼を許さない」
「ありがとう。かおる」
カリンは、かおるの気持ちが嬉しかった。
「林野、ちょっと相談があるんだ。今日の夜、付き合ってくれ」
「いいよ。何のようだ。葉月が電話してくるなんて」
優は、消化しきれない自分の気持ちを吐き出したかった。
「ああ、ちょっとな。電話では、何だから会って話す」
「分かった。いつものところでいいな。二〇時でいいか」
「ああ、頼む」
そう言って優は、スマホの通話をオフにした。
林野は葉月が以前勤めていた会社の同僚だ。毎回皆で酒を飲むといつも二人だけ残るようになり、いつの間にか仲良くなった。それ以来、葉月が会社を変わっても付き合っている。
「えーっ、お前、それ絶対責任問題だよ。そりゃする前に、あなた処女ですかなんて口が裂けても言えないけど、お前の口から聞く限り、“見間違えることのない子”だろう。お前だって分かったんじゃないか」
責めるように言う、親友と呼べる友人から言われると優も
「分かっていたんだけど何となく成り行きで」
「何が成り行きだ。最初から彼女の体が目的だったんだろう。東名に乗るなんて」
「正直少しあった」
「やっぱり。で、どうするんだ。“恋人になって下さい”なんて言ったんだろう葉月」
「しかし」
「まあいい。だがな、なんとなく思うだが、大切にした方が良いと思うよ。俺の感だけど。葉月、俺には良く分からないが、お前たちの出会いは、運命ってやつじゃないか。ちょっと洒落たことばで言うと、奔放で移り気な恋の女神アフロディーテに微笑まれたんじゃないか、二人とも。だってどうやっても普通考えれば、お前の言うストーリー無理がある。そんな素敵なお嬢様と“廊下で三回有っただけで、デート五回目で処女奪う”無理有り過ぎだよ。俺でなければ“すけべえ”と言われて終わるよ。この話題」
確かに林野の言うとおりだった。二人のどちらが、仕掛けたわけでもない。時の流れの中で、ただ行先を自然に任せただけだ。
優は、なんとなく林野の言う“アフロディーテに翻弄される二人なのかな”とちょっと考えた。
「まあいい、葉月の新しい恋人に乾杯」
そうやってジャックダニエルの入ったロックグラスを葉月の目線に上げると優もグラスを合わせた。ほんの少し心に残るあることを押さえながら。
「葉月、どうした。最近顔が暗いぞ。冗談にも仕事で、悩んでないだろうな」
上司の食えない冗談に付き合う気にもなれず、昨日結局、自由が丘の駅前にある店で朝四時まで飲んでいたのが、頭に回っていた。
優は、トレースしているプログラムのコードにチェックを入れると席を立った。
少し気分が優れないまま、自分の部署から統合オペレーションセンターの脇を抜け廊下に差し掛かると彼女がディスクを持ってこちらに来ようとしていた。回りには偶然もだれもいない。この時間ではありえない。
彼女は歩みを止め、下を向いていた。優はゆっくりと近づくと
「天宮さん、お休みされていたと聞きました。心配していました。大丈夫ですか」
優は心の底から言葉を言った。
彼女はゆっくりと顔を上げて、少し優の顔を見ると
「失礼します。さようなら」
と言って、優の脇を通り抜けた。そしてほんの数秒の間に廊下は人で一杯になった。
優は、自分が夢を見ているような気がした。振返っても彼女はいない。そんなに短い廊下でもないのに。いつの間にか体が廊下の上に浮き上がり、やがて意識を失った。
「優、起きなさい。いつまで寝ているの。もう九時ですよ」
起き上がろうとして、自分の体が鉛をつけて縛り付けられたように動かなかった。
「優、何しているの。今日は金曜日よ」
そう言って二階に上がってきた母親が、
「優、どうしたの、汗びっしょりじゃない。それに顔が真っ赤」
いきなり優は、母におでこを“ごちん”とされると
「まあ、八度以上はあるわね。お医者さんを呼びます。“今日は休みます”と会社に連絡しておきますから寝ていなさい」
「自分でする」
と言って起きようとすると
「何を言っているんですか。そんな熱で」
と言って強引にベッドに倒された。
“まいったなあ”と思いながら優はまた眠りに着いた。
「優、熱はどう」
「もう六度台まで下がっている」
「優、お客様、どうするの」
「えっ、何の事、お母さん今何時」
「さっきから声を掛けていますよ。もう一一時です」
「えーっ、会社行かなきゃ」
「今日は土曜日です。昨日寝ていたので曜日が飛んだのね」
「どうするの。お客様」
「お客様って誰だよ」
「天宮さんと言う方と、三井さんと言う方」
「えーっ、うそだろう。ねえ、ちょっとお母さん来て」
「だめです。自分で対応しなさい」
カリンとかおるは、応接室で待ちながら少し聞こえる親子の会話に少し笑っていた。
「カリン、彼、お坊ちゃまってやつ」
笑いを堪える顔で言うかおるに
「うーん、知らないけど。こんなことしていいのかな」
自分でかおるを誘いながら、訳の分からないことを言うカリンにかおるは、ただ笑顔を見せるだけであった。
カリンは、金曜日、統合オペレーションセンターに行く途中、彼と同じ部署の人が廊下で
「葉月のやつ、熱出したんだって。月曜日会社来てから、最初明るかったけど段々暗くなってきたよな。何か悪い病気にでも掛かってないだろうな」
「分からん。あの頑丈な体では、病気が遠慮するだろう」
「じゃあ、どうしてだ。分からん。恋わずらいかもよ」
「まさか、少し“男っけ”あるが、あいつ“女っけ“まるで無いぜ。と言うか女性に興味ないんじゃないの」
「なんで」
「だって、うちの受付嬢、下手なモデルより遥かに上のミルキーをあいつ振ったってうわさだぜ」
「うそだろう。俺だったら文句無くOKするのに」
「だからさ、恋の女神とやらが“ふざけるな。身の程知らず”とかいって熱でも出させたんじゃないか」
「お前の言っている事は、ちっとも分からん」
カリンは、たまたますれ違った彼と同じ部署の人の会話に心が弾んだ。
ディスクを届けると、その足でレクルームに行ってかおるに、事のいきさつを電話したのであった。
ようは“見舞いに行きたいが、一人ではとても行けない。かといってこれ以上彼の顔を見れないのは苦しい。だから一緒に彼の家にいってほしい”と。
純真もここまで来ると、空に向いて声を出したくなるほどの感じだったが、かおるは少し電話の向こうで無口になった後
「まったく」
と言って一緒に来る羽目になった。
優は、下で待っている二人、特に友達三井嬢”が来るとは思いもかけなかった。もっともカリンが来る事も夢にも思わなかったが。
「頭、ぼさぼさ、汗臭い。どうしよう」
「優、これ使いなさい」
と言っていつの間にか二階に上がってきていた母が、絞った冷たいタオルを二つ持ってきた。
「優、彼女はどっち。お二人とも魅力的ね。三井って名乗った子、この前テレビにも出ていたお嬢様でしょう」
母親は、まだ息子がビジネスの世界を知らないが故の流しに
「えっ、やっぱり。どこかで見たことあるなと思っていたが」
優の母親は、頭にある事を考えながら
「でも、お母さんは、隣に座る天宮さんって子いいな。なんとも“春風”を感じさせる、そう、純真無垢を絵に描いたような。でもお二人ともとても惹かれる方よね。うちの優はいつからこんなにもてるようになったの。“女っけ“まるで無しと思っていましたけど、お母さん安心しました。ところでお熱はどう」
優は、純真無垢と言う言葉に心に槍が刺さる感覚を覚えた。
「お母さん、熱を引いている場合では無くなりました。タオルありがとうございます」
と言うと、なんと母親の前で素っ裸になって新しい服に着替えると下に降りて行った。
階段を降りた後、今度はゆっくりと歩くと応接間室のドアを開けた。
「すみません。こんな格好で。昨日から熱を出してしまって」
「風邪ですか」
少しきつい顔で聞くかおるに
「掛かり付けが原因が分からない。疲れだろう”と言っていました。もう熱は下がったのですが、何も予定入っていないので今日は寝ていようと思いました」
「何も予定が無い」
かおるは言葉がきつくなっていた。
「葉月さん」
きつい言葉で言い出しそうになるかおるをカリンは、自分の手で彼女の手を持った。
「かおる」
カリンは、友達の顔を見て諭すように目を流した。優は、何故彼女の友達が彼女と一緒に来たかを知った。
“責められているんだ。先週の土曜日の事”心に思い当たる事のある優は、少し悲しそうな目で下を向いた。
いつの間に着たのか、ドアをノックするように優の母親が、紅茶を持ってきた。テーブルにゆっくりと置くと、かおるとカリンの顔を見て、そして優の顔を見るとゆっくり頷いて応接室を出てドアを閉めた。
優は、ドアを開けっぱなしにしていたことを思いだした。“聞かれたかな”と思いながら
テーブルに置かれた紅茶を見ていると
「葉月さん、お体の調子が悪いようなので私たち帰ります」
そう言って、立ち上がろうとしたカリンに
「待って下さい」
それ以上、何もいえないまま優はカリンの瞳を見た。カリンは、彼の瞳を見返した。
「カリン、私、彼と会う約束していた事、忘れてた。先に帰るね」
そう言うと返事をするまもなく応接室を出た。応接室のドアが開いたのが分かったのか、すぐに母親の足の音が聞こえたが、玄関で少し話をしているような感じであった。
「天宮さん、ごめんなさい。とても会いたかったです。でもあの日以来、あなたが、会社に来なくなって、自分に責任を感じて、電話できなくて、それで気がついたら熱が出て、
すみません。声聞きたかったんです。本当に」
彼の目が、明らかに自分の気持ちを言っている事を証明していた。カリンは“コクン”と頷くと顔を寄せて目を閉じた。
「お風呂入っていないですけど」
「いいんです」
彼は、ゆっくりとそしてとても優しくカリンの唇にキスをした。唇にだけのキッス。カリンは、今まで有った“しこり”と固くなった心がゆっくりと解けていく気がした。
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