第6話 黄色いカリーナ (2)


彼の家の駐車場を出ると駅の方に歩いた。この町は、駅の両側でずいぶん町並みが違う。今二人が歩いている側の反対側は、駅から放射状に道路が走り高級住宅街として知られている。

彼の家がある方は、駅から道路が真っ直ぐ坂になって普通の町並みが続いている。彼の家は、駅から一〇分ほど離れたら住宅街の中だ。

近くに昔は、湘南の小説を書いて、今は有名な政治家になっている人が住んでいて警察官 が立っていた。

カリンは、歩きながら彼の方を“チラッ”と見るとがっちりした胸に二の腕が相当に太い。“何かやっていたのかな”と思いながら見ていると彼が

「天宮さん、何食べようか」

と言ってきた。

「葉月さんが選んでください」

と言うカリンに

「じゃあ、渋谷行きません。特に決めてないけど、また隣町ではちょっと」

と言う彼に

「賛成、私もそう考えていました」

そう言って彼の顔を見た。

本当は何も考えていなかった。もう少し彼の側に居たかったのだ。

“私どうしたんだろう”そう思いながら彼の側を歩きながら道なりに左に曲がると駅前の坂道になった。

「この辺ずいぶん変わったんだ。前は“貸しレコード屋“とか”パン屋“、”コーヒーショップ“があって、駅の近くの焼き鳥屋さんは、有名なプロ野球チームの人がいっぱい来るところだったんだけど、この雰囲気では想像もつかいないでしょう」

彼の言葉にカリンも“へーっ、そんな時もあったんだ”と思いながら一緒に駅の方へ歩いた。


夕方の渋谷は人でいっぱいだった。彼は何も言わずに東急本店通りを上がって行くと

「天宮さん、スパゲティでいいですか。もちろん他にも色々あるんだけど」

「うん、いいです」

カリンは、特に好きでもないが、嫌いでもないので“彼が選んでくれた店”ならと思って返事をした。

「あった、あった。混んでるかな。天宮さんここでいい」

カリンは、ちょっと門構えを見ると“壁の穴”と書いてある看板と地下に続く階段があった。一瞬不安を感じたが、覚悟を決めて

「いいです」

と笑顔で言うと

「じゃあ、入ろう」

そう言って彼が先に階段を降りて行った。


店の中は、思ったより広かった。テーブルの半分くらいが埋まっている。結構明るい店にカリンは、ほっとしていると、店員が寄って来た。

「何人様ですか」

と聞く店員に、彼は指を二本立てると

「かしこまりました。少しお待ちください。テーブルをセットします」

そう言って。立ち去ると

「そんなに悪い雰囲気じゃないでしょ」

そう言って、自分の顔を見る彼にカリンは“ぺこん”と頭を下げた。


やがて、先程の店員が、

「テーブルのご用意が出来ました。こちらへどうぞ」

と言って先に歩き出した。

カリンは、“へーっ、結構すごいな”と思っていると奥まったところに二人座りの少し大きめのテーブルと椅子が用意されていた。

店員が彼とカリンにメニューを渡すと、彼は

「ドリンクメニューもお願いします」

と言って店員の顔を見た。

「今ご用意します」

そう言って笑顔を見せながらテーブルを離れる店員の後姿を見ながら

「ちょっと素敵でしょ。この店」

そう言う彼にカリンは“素敵だけど、葉月さん、誰と来るのかな。ちょっと高そうだし。あれっ、何故私いつも彼の事考えているのだろう。葉月さんが誰と来ようが関係ないのに”自分の心の中で理解できない事が起こっているのをカリンは、まだ理解できないでいた。


カリンはメニューを見ながら、“分からない”という顔をして彼の方を向くと

「天宮さん、どうします。もしよかったら、サラダ一つとスパゲティ二種類取って、二人で分けませんか。二倍楽しめるし」

彼の提案にカリンは、初めての衝撃であった。“男の人と同じお皿を突くの”と思っていると

「取り皿で分ければいいですし」

と言葉を後につなげた彼に“良かった”と思っていると

「天宮さん、何飲みます。僕はこのフランスの赤ワイン」

カリンは、“えーっ、お酒。知らない。ここフローズン・スカッシュなさそうだし”カリンは、甘くてさっぱりしたスカッシュが好きだった。お酒なんかとんでもないと思っていただけに困った顔をしていると

「天宮さんも飲んで見ます」

少し微笑みながら進める彼に

「うーん」

と言う声を出すと

「じゃあ“ビール“のもうか」

カリンの困った顔に同調するように優しく言う彼に

「うん、そうします」

と言って笑顔を見せた。“やっぱり飲んだ事のあるものが一番安全”だから。何を心配しているのか理解できない自分に不思議に思いながらいると彼は店員を呼んでオーダーをした。


やがて 、店員がビールビンと二つのグラスを持ってきた。カリンは、店員がテーブルに置いたビールを手に持つと彼のグラスに注いだ 。グラスの中が泡だらけになった。

“うーん”と考えていると彼は、ビールビンを右手に持って

「天宮さん 、ほんの少しグラスを傾けてごらん」

 そう言われてカリンは、空いているグラスを手に持って、ほんの少しグラスを傾けると彼は、カリンのグラスにビール注ぎ始めた。三分の一位注がれた後、彼は

「グラスを立ててごらん」

と言うのでカリンは、言われるままにグラスを立てると、今度は“すっ”とビールを一挙に注いで、七分目当たりでビールビンを縦に戻すと、カリンのグラスのなかに綺麗に泡とビールの液体がバランス良く入っていた。

“にこっ”と笑って、

「ドライブ楽しかったね。また天宮さんとドライブできます様に」

といってもカリンの持つグラスに軽く"かちん"と合わせた。

“葉月さん、優しいな”ドライブで少し硬くなっていた心が少しずつ弛んで来た。カリンも“にこっ”として

「わたしも」

と言うとグラスに唇を着けた。苦い顔に出たのか、彼は、笑顔を見せると

「天宮さん、お酒苦手なんだ」

そう言ってグラスに注がれたビールを半分ほど飲むとテーブルにグラス置いた。

カリンは、“そんなこと無いけど”と言うと自分も少し飲んだ。カリンは、まだ酔いすぎた時の自分を知らないので酔うことが怖かった。

やがてサラダが運ばれてきた。大皿にサラダが盛られ、取り皿が二つ置かれた。カリンは、サラダを取り皿に分けて一つを彼の家の前に置いた 。

 彼は、美味しそうにフォークで食べると、またビールを飲んだ。ビールビンが空になると

「天宮さん、どうします」

と言ってメニューを見た。

「私、これがあるから」

と言ってグラスに軽く触ると

「直ぐに無くなるよ。次の選んで」

と言っていたずらっぽい顔をした。

カリンは、“私を酔わす気なのかな。でもそんな雰囲気じゃないし”と思って考えていると

「天宮さん、僕は 赤ワインをグラスで頼むけど天宮さんは、白ワインを頼んだら 」

彼にそこまで言われると断れなくなり“少しくらい大丈夫かな”と思って、彼の言う白ワインをグラスで頼んだ。

やがてスパゲティも運ばれて来た。白ワインは事の他おいしく飲みやすかった。いつの間にか、カリンは白ワインを二杯も飲んでいた。

そしてドライブの疲れが何処かに飛んでいた。彼が、

「天宮さん、そろそろ出ましょう」

そう言って店員に例の両腕の“ばってん“を小さくやると店員が請求書を持ってきた。


“少し、お酒入ったな”と感じながら彼と東急本店通りの右側を駅のほうに向って歩いていくと、途中右に曲がる通りがあり、ずいぶん人通りが多かった。

「ちょっとこっちに行こう」

そう言ってカリンの手を掴むと、ドキッとした感覚が体に走ったが、彼は、それが分らなかったかのように手を引いたので、カリンは付いて行った。少し行くと中華店が有った。

「ここの“しじみのスープ”とても肝臓に効くんだ。夜中に仲間と飲んだ後、ここでそれを食べると次の日全然残らない」

彼の言っているお店に目をやると“ちょっと自分では入れないな。でも葉月さん誰と来るんだろう”そんなことを考えながら手を引かれたまま歩くと更に右に上がる階段があった。階段の左斜め前を指差して

「あそこ、昔ジーンズやウエスタンブーツを売っていたんだ。今は変わってしまったようだけど」

と言って後、彼の視線が階段の右方向に流れた。

 カリンは、彼の見ている方向に目を向けると、原色に近いピンクや赤のネオンに背の高い壁が並んでいる建物が多く並んでいた。“何だろう。あまり気持ちよくないな”と思いながら見ていると

「天宮さん、こっちの方知っています」

彼の言葉の意味が捉えられないまま

「知りません」

と言うと

「そうですか。そうですよね」

と言って彼はそこを通り過ぎた。


やがて開けた道が道玄坂だと分るとカリンは少し“ほっ”とした。左には渋谷の駅が見える。

「天宮さん、少し遅くなりました。帰りましょう」

もう少し彼と居たかったが、既に九時半を過ぎていた。そろそろ家に帰らないと思っていただけに

「そうですね。早いですね時間経つの」

そう言って残念そうな顔を見せるカリンに彼は、

「仕方ないです」

その言葉にたぶん彼は、私の母のことを考えてのことなのだろうと思った。


今日も彼が駅まで送ってきてくれた。既に道は、分っているので駅の改札を出て左に歩き始めると少し行ったところで、彼がカリンの手を引いて路地に入った。  

カリンは、たぶん彼が望んでいる事が分っていたので、少しならと思って素直に彼に付き添った。

彼は、左右を見て誰もいないことを確認するとカリンの顔に顔を寄せてきた。カリンは、今度は素直に目を閉じると彼は最初、少し唇を合わせた後、肩を抱いてカリンを引き寄せた。少し唇を付けた後、ゆっくりと下唇を吸うように体をあわせるとやがて彼が、カリンの左胸に手を下ろしてきた。

何も考えずカリンはそれを受け入れた。胸の下のラインを一度確かめるとゆっくりとまるで小鳥を包むように下から横にそして上に触ってくる。彼の指と手の感触に、ほんの少し心地よさを感じながら彼の手の動きを意識していた。

やがて、彼の指が胸のトップの位置まで伸びて来た時、カリンは自分の左手で彼の手を掴んだが、

「少しだけ」

という言葉に掴んでいた手を離した。

彼は指でカリンの今まで自分でも知らなかった胸の部分をゆっくりと揉むように触られると今までに経験した事のない感覚が全身を貫いた。力が抜けていくような言葉では言い表せない感覚にカリンは、段々彼にもたれかかっていくのが分かった。

心臓が激しく動悸している。明らかにブラの下にある自分の胸に変化があるのを感じていた。彼はそれが分かったのか、更にそこを意識的に触るとカリンの体に何か分からない刺激が走り、声が漏れそうになった。

「もうだめ、お願い」

カリンの言葉に彼は、今まで触っていた右手をカリンの背中に回し、少し強く抱きしめると、唇を強く吸い寄せた。歯に彼の舌が当たっている。仕方なく、ほんの少し口をあけると彼の舌が自分の口の中に入ってきた。頭の中が真っ白だった。

“なぜ、私分からない、どうしたのカリン”自分自身で消化し切れない感情に、ただ彼の舌にあわせて自分の舌が勝手な生き物のように彼に合わせて動いている。

やがて、彼は、ゆっくりと舌を抜くともう一度カリンの唇を吸った。そして、ゆっくりとカリンの肩を柔らかく抱きながら離していくと

「ありがとう、今日はとても楽しかった。また会いたい」

カリンは、体に残っている余韻を感じながら

「うん」

と言って彼の瞳を見つめた。


「お帰り、花梨。遅かったわね」

「うん、少し話し込んじゃって。お風呂開いている」

「みんな入ったから開いてるわよ」

二階の自分の部屋に上がりながら母と会話をしている自分に少し後ろめたさを感じた。


湯船につかりながら少しだけ浮いている自分の胸を見ていた。胸の膨らみの中程に湯面が揺れていた。右手で、左の胸を少しだけ触って見た。何も感じない。“なんだったんだろう。あの感覚は”カリンは、さっき起こった出来事が夢の中のことのように思えた。


次の日、カリン は、会社に行った。彼と会えるかなと思い、あまり行きたくないオペレーションセンターへ書類を届けに行ったが会うことは無かった。次も日もその次の日も会えなかった。カリンは、胸が締め付けられる様な気持ちになっていった。


「かおる。なんなのこれ。最近あの人のことばかりが頭の中にある。ベッドに入っても何か分からないものが心のなかに有って良く眠れない。かおる、私おかしくなったのかな」

カリンは、一人では支えきれなくなり、渋谷のアンデルセンにかおるを誘った。そして最近起こった彼との事や自分の心の揺らぎを素直にかおるに話していた。

かおるは、それを聞きながら吹き出しそうになるのを堪えて

「大学創立以来の秀才と言われたお嬢様もついにその時がきたか。柴三郎先生もさぞあの世でお喜びになるであろう」

芝居がかった言い方をする、かおるに

「かおる、その時ってなんのこと」

真面目な顔を して言うカリンにかおるは、

「病だよ、カリン」

「えーっ?かおる、私病気になったの」

真顔で答える大切な友達に

「カリンは、病にかかったの。それも世界のどんな名医も直せない。病に」

かおるは、少し言葉を切った後、カリンの大きな胸をつついて

「恋の病」

カリンは、不思議そうな顔を して

「恋」

本では 読んだことのある世界だった 。何も言えないまま救いを求める様な潤んだ瞳をかおるに投げるカリンにかおるは、

「相当重症だな、これは」

と言うと今度は不思議そうな顔をして

「カリン、彼に電話したの」

下を向いて首をふり

「だって私からなんて」

そう言って黙るカリンに

「じゃあ、私が彼に電話してあげようか」

半分からかうように言うかおるに、顔を起こして本気で怒るような顔をして

「だめ、絶対だめ」

と言うカリンにかおるは、

「じゃ、どうするの」

と半分遊び気分で言うと

「だから、かおるに相談しているの」


裕福な名門の家庭の生まれ、何不自由なく育ったかおるは、恋も自由だった。ただほとんどの男は、かおるの美貌に惹かれながらも"三井"という名前を意識している人がほとんどだった。だから恋人関係になる事はなく、お付き合い程度で終わった。いや終わらせた。

それだけに、かおるが、あまりにも不釣合いな彼を好きになったのは、愛の神様のいたずらかも知れない。そんなかおるだから純粋無垢を絵に描いたようなカリンが大切でたまらなかった。


かおるは、少しの沈黙の後、

「カリン、そんなに彼のことが気になるのなら、ずっと我慢しなさい。彼から電話が掛かってくるまで。もし掛かってこないなら諦めなさい。彼がもし本当にカリンのことを思っているのなら必ず掛けて来ます」

しっかりした口調で言うかおるにカリンは頷いた。

かおると別れたカリンは、次の日、会社を休んだ。とても平気で仕事をしている気分になれなかった。

一九時頃、カリンのスマホが鳴った。彼からだった。

「天宮さん、会社休んだんだって。同僚から聞いて心配になって掛けたんだ。病気なの大丈夫」

心配そうな声をスマホの向こうで出す彼に

「葉月さん、最近会社いたの。私会えなく」

「ごめん、天宮さんと別れた夜、少し熱いなと思って窓開けて寝たら風邪引いてしまって、家で寝ていた。今日出社したんだ。ごめん」

「えっ、風邪、大丈夫なの今は」

「うん、もうバッチリ直った。天宮さんと会えなくてちょっと寂しかったです」

「私も」

カリンは、会えなかった理由と自分を思っていてくれた彼に心がとても温かくなってきた。会いたい気持ちを堪えながら

「明日は、土曜ですよね。何か予定でもあります」

「ううん、もし、天宮さんが元気ならまた、“トマトの花”で朝食をとって駒沢公園でも一緒に行こうかなと思っていたのだけど、病気では仕方ないですね」

カリンは、彼の言葉に

「そんな事ない、そんな事ない。ちょっと体調が悪かっただけ。もう直りました。明日絶対行きます」

カリンの驚くほどの声に彼は、

「うん、じゃあ、また九時でいい」

「八時半でもいいよ」

「じゃあ、八時半。迎えに行くね」

カリンは、スマホの通話をオフにすると我慢が出来ないほどにうれしくなった。カリンは二階から下に降りて行きながら階段で声を母親に掛けた。

「お母さん、お風呂は入れる」

「えっ、カリン、体調が悪いんじゃないの。大丈夫」

「うん、もう直った。ほら元気いっぱい」

娘の元気そうな顔に安堵しながら不思議そうな顔をする母に

「それに夕飯も。まだ食べていないし」

体調が悪いといって家族との夕飯も食べなかった娘の元気な顔を見て微笑みながら

「はい、はい。直ぐ用意してあげる」

母が一瞬含み笑いするのをカリンは、二階行こうとして気がつかなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る