4 芽吹きと不良




 方司かたつかさ勝飛まさと朝見あさみしぐれと連れ立って、天知あまち学園高等部の校舎を出た。


 頭上は晴天とは言い難い曇り空、目の前の問題にもいまだ解決の兆しは見えない。


 しかし、勝飛の心は晴れ晴れとしていた。

 不謹慎だという自覚はあるものの、こればっかりは興奮を禁じえない。


(あの、朝見先生と……!)


 なにせこれは彼女との初の共同作業、見回りという名のデー――


「お前、ちょっと体育館見てこい」


「あ、はい」


 言われ、勝飛はしぐれと別れ、大人しく体育館へと足を向けた。

 しぐれはこちらなど気にも留めず、てくてくと校門へと歩を進めていく。その歩幅は狭く、歩調もゆったりとしている。さくっと覗いてすぐに戻れば追いつけるだろう。


(体育館か……。そういえば四月に新入生歓迎会があったっけ……)


 行方の知れない生徒は20名前後。ほとんど1クラスぶんの人数だ。彼らが体育館に集まって、どんちゃん騒ぎ――勝飛の知る生徒たちはとてもそんなことをするようには思えないが――


(朝見先生は、天路あまじさんのことを気にしていた――パーティーでなくても、生徒会長主導で集まっている可能性もあるのか。それこそボイコットやストライキみたいに、何かの決起集会をしているってことも……?)


 何かしらの抗議運動のために欠席している――トラブルに発展しそうではあるが、それならまだ勝飛も納得できる。どんな主張かは想像もつかないものの、彼らが自らの意思で何かを成し遂げようと行動しているのだから、一教師としてそれは認めてあげるべきだと思う。


 しかし――しかし、これがもし、なんらかの非行のはじまりだったとしたら?


 非行でなくても、自主的に欠席しているなら、何か理由があるはずだ。

 その時――彼らを見つけた時、自分はいったいどう接すればいいのだろう。


「…………」


 体育館に辿り着く。換気のためか、扉は開け放たれている。わざわざ確認しなくても人の気配は感じないが、勝飛は一応、中の様子も調べておくことにした。


 だだっ広い空間――薄暗く、そこはとても静かだ。やっぱり誰もいない。早くあとにしようと思うのだが、その暗闇には多少の落ち着きと、そしてかすかな不安を覚えて立ち止まる。


 よく議論になる問題に、生徒が非行に走るのはその親や家庭に原因があるのではないか、あるいは教師の監督不行き届きにあるのではないか――というものがある。

 親か教師か、それはケースによってまちまちだろうが、一日の大半を過ごす学校の存在は少なからず影響しているだろう。


 教師とは、あくまで職業だ。語弊を恐れずに言えば、生活費を稼ぐための手段の一つでしかない。小中学校ならまだしも、高校の教師の役割は各々の担当教科を生徒に教えること、それだけこなせれば十分に役割を果たしたといえる。生徒の進路指導であったり部活の顧問であったりは、言うなればボランティアにも等しい。そのプライベートに踏み込むなんてもってのほか。一定の責任はあるかもしれないが……。


 だから必ずしも、全ての教師が生徒の「異変」に気付くとは限らない。

 その変化に気付けず――生徒が非行に走り、落ちぶれて行って、果てには他者に迷惑をかけるようになっても、それを教師に責任を問うのはお門違いだろう。


 しかし――


(重い……。重すぎる……)


 自分のせいで、生徒が非行に走り――もっと大勢の人々に迷惑をかけるようになってしまったら? ……そうなったらきっと、後悔どころでは済まない自責の念に襲われるだろう。それが、方司勝飛という人間だ。

 いつもの「考えすぎ」かもしれないが、この職業にはそうした責任があることを常に意識しなければならない。


(「人」という字は……)


 ……「先生」という言葉は、「先に生まれた人」と読める。

 なら、後輩となる生徒たちを教え導く……とまでは言わないが、何かアドバイスくらいは出来るような教師でありたい。


「よし――」


 吹っ切れたとは思えないが、少し、向き合う覚悟は固めることが出来た。


 捜索を再開しよう。




                   ■




 天知学園高等部の校舎正面――道路を挟んだ向かいには、全国チェーンのコンビニが建っている。生徒たちが登下校の際に立ち寄ったりするため、聞き込みをするにはちょうどいいのかもしれない。


 体育館を出た勝飛はしぐれの後を追いかけようとして、そのコンビニへと向かう彼女の小柄なシルエットを捉えた。


 そして――コンビニ前のベンチに腰を下ろす、ジャージ姿の人影も。

 その人物は、目深に被った帽子にサングラス、口元を覆い隠すマスクと、まさに「不審者」としか形容できない容貌をしていた。


 あろうことか、しぐれはその人物の方へと歩を進めていて、その不審者もしぐれの存在に気付いたのか腰を上げるところで――


(あ、朝見先生が――)


 危ない……!


 直感に導かれ、勝飛はこれまでにないほどの全速力を出して校門までへの道を駆け抜けた。

 交通がなかったとはいえ仮にも教師としてはあるまじき信号無視で横断歩道を渡り切ると、飛び込むようにすぐさましぐれと不審者とのあいだに割って入った。


 両手を広げ、しぐれを庇う――


「ぜえ、ぜえは……はあ……っ」


「なんだコイツ――」


「ぐぼっ……!?」


 突然、お腹に鈍痛が走った。膝を叩きこまれ、身体がくの字に折れる――間髪入れず振り上げられた不審者の肘が、勝飛の背中に刺さった。


「ぐ、うぅ……」


 ばたり。コンビニ前の駐車場で、方司勝飛は斃れた。


「先手必勝、油断大敵……まあ、お前の反応は正しいな。やられる前にやれ、何かされる前に制圧できるならそれに越したことはない。ただ、過剰防衛ヤリスギだな」


「この不審者が悪いんすよ。……突然走ってきたと思ったら、息荒くしてあたしに覆いかぶさろうとしてきて」


「まあ、不審者はどう見てもお前の方だが。……ところで、こんな学校の近くでお前は何をしてるんだ、虹上こうがみ?」


 頭上で繰り広げられるやりとりに意識を取り戻した勝飛は、ばくばくと脈打つ胸を押さえながら、その場で仰向けになる。


「別に……」


「こんなところでたむろってるくらいなら登校しろ」


「……風邪、引いてるんすよ。ほら、マスクしてる」


「サボりは慢性病なのか」


 見上げれば、マスクをしたその人物はジャージの上着だけを着ていて、下は制服のスカート――サングラスの下から覗く鋭い三白眼と、目が合った。


「この――変態がッ」


「うおっ……!?」


 顔面目掛けて振り下ろされた靴をぎりぎりで回避する。駐車場を転がって薄汚れながら、勝飛はなんとか起き上がった。


「い、いきなり何するんだ……!?」


「自分の心に聞いてみろ」


 しぐれに言われたのでたずねてみるが、別にやましいことはない。


「そんなことよりも、だ。虹上、お前がいつも通りのサボりなのは、分かった。これで成績が悪かったら説教の一つでもしてやれる訳だが――」


 虹上――虹上ひじりか。勝飛は思い出す。いまや行方不明者リストと化している成績表に名前が載っている生徒の一人。勝飛が名前を憶えているくらいには、彼女はその常連である。

 そうした成績上位者という一方で、朝の点呼にだけ出席すると、以降の授業には顔を出さない不良生徒でもある。


「別に無理に登校しろとは言わないが――今日は事情があるからな。見つけたからにはとりあえず、連行する」


「…………」


 抵抗しようと思えばできるだろうし勝飛は当然そうするだろうと思ったのだが、虹上は不服そうな態度を示しながらも、反論はしなかった。


「まずは一人、か。仮に一人ひとり別行動しているとしたら、先は長いな。まあ、居所の見当はついているんだが――」


「見当って……、え? もしかして、居場所が分かったんですか?」


 何気ないしぐれの言葉に思わずそちらを見ると、彼女は軽く肩を竦めて、


「見当がついているだけだ。確信はない。ただ――……そうだ、虹上お前、何か心当たりはないか?」


「心当たりって、なんの」


「今日、お前を含めた約20名もの生徒が欠席している。サボリの常習犯としての意見を求める」


「…………、」


 たずねられ、虹上は一瞬何か思いついたかのように顔を上げ、視線を宙にさまわよせながら、ジャージの上着のポケットに片手を突っ込み――


「そういえば捨てたな……」


「なんだ」


「心当たりっていうか、思い当たることがある」


「それを心当たりっていうんだ。……で?」


 思わぬ展開に、勝飛は期待を覚える。


「朝、靴箱に手紙が入ってたんだよ。もう、捨てたけど。……内容は、確か――」




                   ■




「……とんだ、骨折り損のくたびれ儲けだ」


 勝飛としぐれは不良生徒を連行がてら、一度校舎に引き返すことになった。


「私としたことが、だな。てっきり校外にいるものと思っていたが――過小評価していたらしい。私が思っていたよりもずいぶんマトモだったようだ」


 よく意味の呑み込めない独り言を呟きながら、しぐれが足早に校舎へと踏み込む。


 適当な靴箱を確認し、ため息。勝飛もその後を追って、自分の生徒の名前を探した。


「……あった……」


 靴箱には運動靴が――外履きのシューズが収まっていて、上履きはない。

 それはつまり、欠席していた生徒たちはみんな、この校舎内のどこかにいるということだ。


「お前、もっと早くこれに気付けなかったのか」


「そんなこと言われても……」


 しぐれ同様、というか職員室にいた全員が、「生徒たちは登校していない」と思っていたのだ。まさか、既に登校していたなんて――靴を履き替えて校舎内に入っているなんて、誰も思うまい。


 なんにしても、とりあえずこれで一安心――安堵のせいもあるが、ずっと緊張していたのもあって自然と身体から力が抜けてしまう。


 骨折り損とまでは言わないが、これには確かに「がっくり」くるものがある。こんな分かりやすいヒントを見逃していたなんて。


 勝飛がしばらく立ち上がれそうにないなと思っていると、リノリウムの廊下を歩く足音が聞こえてきた。


「……ん? 先生たち――」


 声のした方を振り向くと、教室へと続く階段の方から一人の男子生徒が姿を現すところだった。


「なんだお前、今は自習中のはずだが? また覗きにでも行くのか?」


「ちがっ、違いますよ……!? 人聞きの悪い……。ただ、ちょっとその、小晴こはるの靴を……」


「とんだ特殊性癖だな、この変態め」


「何を言ってるんだこの人は……。おれはただ、靴を確認しようと思っただけですよ。校内にいるのか、校舎裏とかにいるのか……見ればそれくらい分か――、」


「…………」


 しぐれが無言のまま少年に近づく。そして無表情のまま、そのわき腹を肘で小突いた。


「いったぁ……っ、――はあ? え? 何この突然の暴力? 体罰反対……ていうか地味に痛いっ、じわじわ痛い……!」


 さらにぐりぐり小突く。抉るように刺す。

 八つ当たりなのかもしれない。そんな彼女の可愛らしい仕草に勝飛はほっこりするのだが、同時にこの少年への嫉妬心も芽生えた。


 この少年のことは知っている。陽木ようぎ蒼詩そうた。2年A組の生徒の一人で――いろいろと、しぐれとのあいだに噂が絶えない。


「陽木、お前には授業を抜け出した罰として、」


「いや、今のは?」


「ご褒美だろう? で、罰としてお前にはそこの不良を教室に連行する任を課す」


「えぇ……」


 明らかに不満そうな顔をする蒼詩に、虹上は「あ?」と睨みをきかす。


「いや、おれもちょっと……」


「どうせ、あの馬鹿を捜しに行くつもりだったんだろう。それならもう居場所に見当はついてる。だからお前は黙ってそいつを連れていけ。そして自習でも――目を離した隙にいなくなったと思ったら、女子を連れて戻ってきたことで再び男子どもになじられろ」


「そんな理不尽な。というか、見当って……」


 しぐれは既に歩き始めていた。蒼詩と虹上をその場に残し、勝飛も彼女の後を追う。小さな背中は去り際にこう言い残した。



「――連中はこの上、会議室だ」



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