3 伏線は張られた




 学校内には静寂が満ちている。


 周辺の教室からは教師の声に混じって、黒板でチョークに何か書いているのだろうある種独特の聞き慣れた音が聞こえてくるくらいで、これといって変わった様子はない。


 現在は授業中、学校なのだからごく自然な光景だ。


 一方で、2年A組の教室はというと――


「そういえば今週末じゃない? あの映画。えっと、あれ、ゾンビのやつ。憂君ゆきみちゃん、一緒に行かない?」


「あー……」


「興味ない?」


「そうじゃないんだけど……。うちね、今、お兄ちゃんが子ども連れて帰ってきててさ。離婚調停中、みたいな? それで今度の土日は子守りしなきゃいけなくて。来週なら親がいるんだけど――あぁでも、そっかぁ、映画かぁ……」


 授業時間にもかかわらず、あのクラス委員が雑談に興じている。よくあるやりとりかと思わせておいて突然シリアスな話題になるあたり、授業中であることを意識しているのかもしれないなと、陽木ようぎ蒼詩そうたは漠然と思う。


(平和だ……)


 先日のいざこざがまるで嘘のようだ。


 ただ、平和なのだが、現在は授業中。それなのにあちこちでお喋りに花を咲かせているグループがいたり、スマホをいじったりしているのはなぜかと言えば、その答えは黒板に大きく書かれている。


『自習』


 そう、教師が不在なのだ。


 それ自体は、別にいい。蒼詩も特になんとも思わない。珍しくはあるしその理由も気にはなるが、たまにあることだからだ。

 しかし――


(……あいつはどこに行ったんだ……)


 教室に、幼馴染みの姿がないのである。


(ただのトイレとかなら……)


 突然の自習と、幼馴染みの不在。

 二つ重なると、何やら不穏な気配を感じる。


(何かあったんじゃ……)


 たとえば、なんらかのトラブルが起きて、先生たちはその対応のため授業に出られない――そしてそのトラブルに、明咲あきさき小晴こはるが関わっているのではないか。


 考えすぎかもしれないが……真っ先にそういう考えが閃いてしまうくらいには、蒼詩は小晴のことを信用していない。あるいは逆に、信用しているというべきか。


(まあ……それぞれを個別に考えることも出来る。自習なのは先生たち側で何かあったのだとして――)


 思い出すのは、今朝のことだ。


 蒼詩は小晴と一緒に登校し、靴箱の前で上履きに履き替えていた。

 その時である。


『そうたん見てこれ見て』


 と、小晴が何か騒いでるかと思えば、その手には薄い茶封筒。聞けば、靴箱に入っていたという。


『これはきっとあれだね、私への挑戦状……謎を解いてほしいという依頼だよっ』


『……靴箱に入ってたんだろ?』


 ラブレターという発想はないのだろうか、と呆れはしたのだが、小晴の手にあるのは味気ない茶封筒。確かに恋文というよりは挑戦状といった印象を受ける。


『ちょっと見せてみ――』


 トラブルの予感がして取り上げようとしたのだが、小晴はそれを華麗に回避し、逃げ去っていったのだ。


(まあ自演の可能性もあるから気にしてなかったし、その後も普通に教室にいたから忘れかけてたんだけど……)


 気付けば、小晴の姿がない。

 ついでに言うと、教室には他にも空席が二つある。


(一つは虹上こうがみの……。点呼の時はいるくせに、出席だけとったらいなくなるサボリ魔……。もう一つは――遊浮ゆうきくんか?)


 虹上ひじりがいないのはいつものことだ。彼女がこの時間にも席についているのはテストの時くらいだろう。

 しかし、遊浮がいないのは気になる――


(とてもラブレターには思えなかったけど……真面目な遊浮くんなら、あるいは?)


 ラブレターの差出人が遊浮だとしたら。

 教室を抜け出し、今ごろどころかで密会しているのではないか――いやまさか、そんなことは。浮かんだ想像を振り払う。小晴はそういうものに無頓着だし――いやだからこそ、のこのこと呼び出しに応じるのではないか……。


(うーむ……)


 ひとの恋路に首を突っ込むべきではないと思う。……思うのだが。


(めちゃくちゃもやもやする……)


 仮に……仮にだが、遊浮が小晴に告白したとしよう。小晴の反応は……なんとなく想像がつく。恐らく数分ともたずに終了する。


(それならすぐに戻ってくるはず……)


 遊浮は真面目な少年だが、先日の「計画」に参加するような、ムッツリな一面もある。

 友人(クラスメイト)のことを疑いたくはないのだが――「計画」は失敗した。その反動で、欲求不満な思春期真っ盛りの男子が何を仕出かすか――


(この時間に不在なのは、「偶然」……自習になって時間が出来たから、いま告白しようと考えてなのか。本当は昼休みなり放課後の呼び出しなのを、小晴の方から……とか?)


 しかし、これがもしも「偶然」でなく――そう、たとえば先日の「計画」の時のように、事前に今日のこの時間が「自習」になると知って、手紙で呼び出していたとしたら。

 そうやって生まれた、授業中という誰の手も及ばない時間に――何か、良からぬことを企んでいたとしたら。


「そういえばさぁ、オレ今日とうとう見たんだよ」


「メイドさんか? 実はおれも探してるんだよ。最近よく陽木ん家の辺りを意味もなくうろうろしてる」


「は? 違う違う、そんないいもんじゃない――『手帳狩り』だよ」


 悶々としていると、何やら不穏な会話が耳に飛び込んできた。


「急にさ、後ろから肩を叩かれて……振り返ったら、いたんだよ。マスクに、サングラスかけたデケぇヤツ……」


「……お前が背ェ低いだけなんじゃ?」


「そいつには顔がなくて――オレはすぐに噂の『手帳狩り』だって分かって、手帳押し付けて、慌てて逃げ出したんだよ……マジでビビったぜ……」


「なんだそれ……? 口裂け女みたいなもん? というかこんな朝っぱらにする話か?」


「そういうもん……。知らないのかよ? 最近のトレンド」


「トレンド」


「入学した時に学校から渡される手帳あるだろ? あれを渡せば助かるんだ……」


 手帳――といえば、先の説明通り、全生徒が入学時に渡されるものである。この学校がスマホ禁止をしているのもその使用を推奨するためと言われているくらい、やたらと凝った仕様の手帳だ。入学から卒業までの三年間のカレンダー付き。君だけの想い出をそこに記そう。


(他人の想い出を食べる妖怪なんだろうか……)


 ちなみに蒼詩は持っていないのだが――


「渡さなかったら?」


「殺される……」


「やべえ、おれ持ってないわ手帳」


「お前死んだな」


 下らないやりとりで、どこまで本当のことなのやらといった感じだが――当人たちも冗談めかして話してはいるのだが、


(理由もなしにそんな冗談を言うとは思えない……。口裂け女はともかく、マスクにサングラスかけた不審者に出くわしたって話自体は、本当のことかも……)


 その二人は別の話題で盛り上がってしまったから、そこに割って入ってまで追及することは躊躇われた。


(仮に、そういう不審者がいるとして――それを小晴が知ったら? あいつは謎や事件だったらなんでもいいんだ。絶対に首を突っ込もうとするはず――)


 そわそわと、落ち着かない。


 先日の失敗……群雲むらくも千月ちづきに手柄をとられたことで珍しく落ち込んでいた小晴のことだ。挽回しようと何かよけいなことを仕出かす可能性もある。欲求不満な探偵志願者は、推理欲を満たすためならなんでもするだろう。

 なんなら最悪、自ら火をつける恐れもある。マッチポンプだ。トラブルを引き起こし、それを解決してみせて探偵面するのだ。


(火のない所に煙は立たない……。噂になってるってことは、何かしらの理由があるはず。それを聞きつけたあいつが何か――)


 そうでなくても、それこそ先日のことがある。

 小晴の不在が「アリバイのない状況」を生み出すかもしれない。これからもし、教室でなんらかの騒ぎが起こったら? 必ずしもそれは突飛な考えではない。自習中というこの自由な時間、先日の遺恨から何かしらのトラブルに発展する可能性は十分に有り得るだろう。今はみんなお喋りなどに興じながらもそれぞれ自分の席についているが、この平穏がいつ破れても不思議ではないのだ。

 そうなれば、その時に不在だった小晴に疑惑の目が向くこともあるかもしれない。当人は歓喜するだろうが、蒼詩としては堪ったものじゃない。


(一方で、それを捜しにいったおれのアリバイがなくなることも……この前の二の舞は避けたいが――)


 捜しに行くべきか、行かざるべきか。

 それが問題だ。


「……よし」


 どちらにしても後悔するかもしれないが――それならば、陽木蒼詩はまだ自分を許せる方の選択肢に賭ける。

 少なくとも、何もしないよりはずっとマシだと思うから。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る