第3章 彼女はどこへ消えたのか? -提示未来-
1 来たる不幸、生徒は来ない。
その活動内容を鑑みれば、部活動というよりも生徒会や委員会といったものが近しいのだが、書類上は部活動……人数が満たないため、「同好会」という扱いになっている。
現在の互助会が発足したのは昨年のことで、今の会長(部長)が二年生の時のことだ。前身となる部活動があったそうだが、有名になったのはその会長の功績であるらしい。
互助会には「生徒間の助け合いを促す」というスローガンのようなものがあるのだが、その実際の活動はかなり多岐に渡っていて――たとえば運動部の顧問教師が用事で部活動の監督が出来ない際、代わりに監督したり、それが出来る手の空いた教師を探したり、人手や応援を必要とする部活のために助っ人を見繕ったり、時には互助会自体が出張ったりする。
天知学園は部活動が盛んだ。大会などで上位に進出する運動部も多く、活動に対する熱量も高い。そうなると、より練習時間を確保しようと体育館の使用を巡ったトラブルも絶えない。
そうした抗議の声はこれまで生徒会や職員室へ向かっていて、悩みの種となっていたのだが、互助会が出来てからというものそういった生徒間のトラブルはめっきり聞かなくなった。互助会が仲介、調停しているのである。
教師のあいだでも互助会の評価は高く、個人的に「相談」することもあるという。
だから――その日の放課後、2年B組担任、
事件が起こったのである。あるいは、事件があったというべきか。
それは自分の手には負えない――というより、自分が動くよりも互助会を頼る方がよっぽど早く解決するのではないか。
そんな考えから互助会の部室前までやってきたのだが――果たして、一教師が利用しても……生徒を頼って問題を丸投げしてもいいのだろうか。自分が相談しても問題はない、大丈夫なはずだとは思うものの、教師としての責任感というか矜持のようなものがあと一歩を躊躇わせる。
「あれ……? 先生?」
不意に、声をかけられた。
振り返りその姿を認めると、思わず「げ」と声が出た。
勝飛に声をかけたその少年――2年A組の
「…………」
「…………」
気まずい沈黙があった。
教師としてちょっとどうかと思われる反応をしてしまった。
「あの……何か?」
そう、何かあったのである――それは、今朝のことだ。
……ちょっと記憶をさかのぼるため、現状の対応は後回しとする。
■
「?」
その日の朝、方司勝飛はとある教室の前で立ち尽くしていた。
そこは、2年B組の教室――勝飛が担任を務めるクラスだ。
当初は副担任になる予定だったのだが、本来の担任となる女性教師が産休に入ったために勝飛が担当することになった。
教師生活二年目にして、初めてクラスを受け持つことにはじめはプレッシャーを感じていたものの、この六月まで特にトラブルもなく平穏無事に過ごしてきた。
思えばこれまでの人生、概ね順調だった。
それなりに裕福な家庭に生まれ、健康に育った。大病を患ったこともなく、特筆するほどの大怪我も負っていない。
成績は上の下、運動面は平均よりやや高いといった程度だが学業に支障はなく、小学校、中学校、高校、大学と大過なく進み、教員免許を取得して現在に至る。
まるで定められたレールの上を走るような、ごく平凡で順調な人生。
自分は恵まれているのだろうと、これまでの人生に不満はない。
強いて挙げるなら、一般的な成人男性としては恋愛経験に乏しいことくらいか。
恋した経験は数知れず、その想い出は一夜では語り明かせないほどだが、こと「恋愛」となると話が変わってくる。
初恋の相手は近所に住む年上のお姉さんで、彼女は勝飛の通う小学校の教師だった。もしかすると自分が教師を志したきっかけは幼い頃に覚えたこの淡い恋心に由来しているのではないかと度々思う。
あえて語るまでもないが当然その初恋が実ることはなく――次に恋をしたのは、思春期になって恋愛というものを意識するようになった中学二年の春。
結果を先に語るなら、その恋も報われることはなかった。告白こそしたが、相手にとって勝飛は恋愛対象というよりも「良き友人」に過ぎなかったのである。
ちなみにそんなことが現在に至るまで何度かあった。恋多き人生である。
そういう訳で友人関係には恵まれている方であるが、恋人はなし。生徒が恋人さと言うと語弊を招くので仕事とお付き合いしていますな二十代半ば。
これまで、順風満帆な人生を送ってきた。
絵に描いたような、ありふれた――というとおこがましいかもしれない。やはり、この人生は恵まれていると思う。
記憶に残るほどの失敗はない。挫折も、心が折れるような経験もない。非行に走ったことも、悪さをしたこともない。謙虚に日々を送ってきた。忘れてしまっただけかもしれないが悲しい想い出もまるでなく、全て順調、幸せな人生、優良な人間のテンプレートと言っても過言でない――それが、今日この日までの方司勝飛の人生だ。
しかし、彼は常々思っていた。
世のなか、幸不幸は平等に訪れるものである、と。
幸せは長くは続かない。現在幸せなぶんだけ、いずれ相応の不幸がやってくるのではないか――いつか、この先、自分の身に何か、想像も出来ないような不運が訪れるのではないか。
彼の人生に「問題」があるとすれば、その「不幸」がいつやってくるかとびくびく怯えて過ごしていたという点に集約される。
だから――
「えーっと……」
教卓に立って教室を見回し、その異変をはっきりと受け止めた時――正直なところ、むしろちょっと嬉しいまであった。
トラブルである。
ついに不幸がやってきたのだ。
当然だが喜んではいられない。というか、喜ぶなんてどうかしている。混乱しているのかもしれない。まずは落ち着こう。普段通りの、ルーティンをこなしていこう。そうすれば問題はおのずと明らかになるはずだ。
「点呼をします。
…………。
「
…………。
「
「はい」
「
…………。
その後も点呼は続くが――返事をしたのは、クラスの三分の二程度。
教室には空席が目立っている。
見ての通り、1クラス30人中、9名もの生徒が欠席しているのだ。
「…………」
方司勝飛は考える。
(あ、そうだ、部活だ。きっと大会とかの遠征で――)
全員の所属を把握している訳ではないが、たぶんそれはない。少なくともこの時期にそうした大会の予定はなかったはずだし、欠席している生徒の一人、相仲
(電車とかバス通学の子もいるだろうし……事故で電車やバスが止まっているとか?)
順当に考えるなら、遅刻したのかもしれない。
しかし、勝飛自身は自転車通勤なので分からないが、少なくとも今朝、出勤した時点でそういう話は聞いていない。事故などがあれば職員室でも話題に上っているだろう。
そうなると次に考えられるのは、病欠の可能性だ。
しかし、昨日は全員出席していた。点呼を始めるとまず最初に元気な返事が聞こえてにっこりしたものだ。
昨日までの様子に、特にこれといって、気になるような点はなかったように思う。確信は持てないが、流行り病だとかの噂は聞いていないし、そもそも保護者からも欠席する旨の連絡はもらっていない。
(今は六月……温暖化の影響で少し遅れた五月病がやってきたとか……?)
遅刻でも病気でもないのなら――脳裏をよぎるのは、隣のA組で無断欠席を続けているという不良生徒の話だ。
生徒たちはもしかすると、自らの意思で欠席しているのではないか。
何かトラブルでもあったのかもしれない。しかし病欠のこともそうだが、少なくとも勝飛の知る限り、生徒たちの様子におかしなところはなかったし、クラスで何か問題があったようには思えない。
(しかし……いじめとかって水面下で、教師が把握していないところで行われるもの……)
可能性は否定できないが、それでも一度に9人が欠席するものだろうか。
一人二人ならともかく――それはそれで気になるが、いきなり9名もの生徒が欠席するなんて。
彼らはどこへ消えたのか?
9人がもし、示し合わせて欠席したのなら――これが大人なら、会社などへの抗議という可能性も考えられる。
(ボイコット……ストライキ――まさか、僕に不満が……?)
ありえる。ありえるかもしれない。平凡で無個性な、面白みの欠片もない男性教師の存在に痺れを切らしてしまったのかも。
だってお隣にはとてもじゃないが成人しているようには見えない女性教師がいるのである。勝飛だって、仮に自分が学生で、担任教師をどちらか選べるというなら、冴えない中年男性よりも個性的で謎と魅力に満ち溢れた女性教師を選ぶ。
(クラス替えを訴えるため……。でもそれならクラスの過半数は欠席していても不思議じゃない。じゃあどうしてこの9人だけ……みんな、非の打ち所がないくらい、僕の生徒だっていうのが信じられないくらいの優等生なのに……)
現在出席している生徒たちが優れていないという訳ではないが、いま欠席している9人は特に優秀な印象があった。そんな彼らが、なんの断りもなく席を空けているという異常事態。これはもしや――
(ま、まさか……ゆ、誘拐……? ここは私立だし、生徒はみんなそれなりに裕福な家庭の出……中にはどこかの大企業の御曹司もいるとかいないとか。少なくとも生徒会長の
天路
誘拐――事件性の浮上に、勝飛は浮足立つ。
(と、とりあえず――)
一応まだ、遅れてやってくる可能性も否めない。すみません遅刻しましたー、と次の瞬間、駆け込んできたりするかもしれない。そう、いつだって不吉な予感は杞憂で終わってきたのだから――
…………。
(職員室、行こう)
病欠の連絡が来ていたりとか――それもそれで問題だが、杞憂であればいいと――そう願いながら、方司勝飛は今朝のホームルームを早めに切り上げた。
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