10 反省回 その1 例のあれを巡るそれぞれの葛藤
――カギ、かけなくていいの?
しばらく待ってみるも部長たちはやってこず、特にこれといった会話もないまま気まずい時間を過ごすことに堪えかねた
部室の戸締りをしてさあ帰ろうというところになって、
「まあ、盗まれて困るものもないだろうし……そもそもおれ、ここの鍵持ってないし。それ以前にいつも開いてるからなぁ……。朝開いてないと持ってきたケーキとか冷蔵庫に入れられない」
思考の段階として最初は義務的に「不用心」だとは思うものの、結局いつもこの結論に至っている。
ただ、改めて指摘されると――特に今日のことを思い返すと、「大丈夫かな」程度の不安は抱く。
別に盗難事件は起きていないのだが……「そういうことも起こり得る」という可能性を示された訳で。盗まれるものがなくても、トラブルに発展するリスクも否めない。
「……一応、職員室いっときますかな……」
鍵を借りるため、職員室へ向かう。
一階に下りて、そこで千月と別れることにする。
「じゃあ……えっと、また明日」
「…………」
「いや、職員室に行って戻るだけだし、わざわざ付き合わなくても」
「……しっぱいした……」
「?」
千月がぼそりと何かつぶやいたが、今度はその意味を汲み取れなかった。
しっぱいした……しっぱいした……しっぱいした……。
(なんだ……? ちょっと恐いな……)
こころなしか肩を落としながら昇降口の方へ向かう千月を見送って、蒼詩は職員室へと足を向ける。
職員室で鍵を借りて部室へと引き返し――そのまま鍵をもって帰る訳にもいかないので、再び職員室へ。手間だが、ぼんやりと特に何も考えず過ごす時間も悪くない。
鍵を返却して、いよいよ帰路につこうというところで、
「あ」
靴箱のところで、二人のクラスメイトと出くわした。
(
あの後、二人でちゃんと話せるのは放課後くらいだろう。こうして二人一緒に現れたということは、まあ――推して知るべしといったところか。
「げ」
「……げって、なんですかね、過本さん」
こちらに気付くとあからさまに顔をしかめるクラス委員である。こういう顔も珍しい。からかってやろうか、という強気な悪戯心が顔を覗かせるも、
「……先、行ってるね」
綿雨ちゃんにそう言い残すと、
「…………」
あとには、蒼詩と綿雨ちゃんと気まずい沈黙が残される。
この時間ともなると校内に残っている生徒はほとんどいないのだろう、広い空間を満たす静寂。部室内で千月と二人きりになった時とはまた違う、特殊な緊張を伴う気まずさがあった。
(まともに顔を見れない……)
別に後ろめたいことは何もないのだが、ただただ「気まずい」としか言い様がない感情に支配される。
しかし避けては通れない。家に帰るにはここを通らなければならないからだ。
「えぇっと……」
無言のまま避けるのは躊躇われ、うめくように適当なことを口にしながら、自分の靴のある靴箱へと向かう。
ぱたっ、と音がした。綿雨ちゃんが靴を履き替えているのだろう。先に行ってくれないものかと思っていると、不意に足音が近づいてきた。
「ぁ、の……」
蚊の鳴くような声に顔を上げると、昇降口の扉を背に、今にも消え入りそうなほどに肩を縮こまらせ小さくなっている綿雨ちゃんの姿があった。
「これ……」
そう言って、こちらに差し伸べる手には小さな紙袋。
「えっと……?」
会話するには適度な距離かもしれないが、物の受け渡しをするにはやや遠い。現に綿雨ちゃんは出来る限り精いっぱいといったように手を伸ばしているものの……身体がそこに追いついていない。なるべくなら近づきたくないというかのように、片手だけをこちらに伸ばしている。
(……もしかしなくてもおれは、気持ち悪がられているのではなかろうか……)
綿雨ちゃんの態度はまさしくそれである。その手に何もなかったら、力の限り汚物を遠ざけようとしている風に見えなくもない。あるいはその手の中にあるものこそがそれなのかもしれない。中身の窺えない紙袋。動物の死体とか入っていても不思議ではないビジュアルだ。
ちょっと部屋の隅で膝を抱えたい衝動に襲われながら、蒼詩も綿雨ちゃんの意を汲んで距離を詰めることはせず、手だけを伸ばす。バランスを崩しそうになって靴箱に捕まり、何をやっているんだろうと思いつつ紙袋を掴んだ。
わずかな抵抗を感じるも、すぐに綿雨ちゃんは手を離す。その反動で彼女はよろめきかけ、さらに後ろに下がり距離が開く。
「…………」
紙袋を確認する。中身は軽いもののようだ。危惧していたような異物が入っている重さではない。まあそんなものを渡されるいわれはないし、彼女がそんなことをする必要性も感じない。
中を覗こうとして――
「あの……っ」
さっきまでよりやや力強い声。顔を上げると、逆に彼女の方はうつむいた。
「その……今日は……いろいろと……」
声が震えている。今にも泣き出しそうな気配を感じて、蒼詩はこれまでにない後ろめたさに襲われた。いじめているような気分になって、慌てて口を開く。
「いや……いやほんと、大丈夫だから」
何が大丈夫なんだ自分。助けを求め手探りするように視線を周囲にさまわよせ、
「おれが勝手にしたことだし……そのせいでよけい話がこじれたっていうか……。意味なかったっていうか」
「っ」
綿雨ちゃんの身体がびくりと震えた。
今のは失言だったかもしれない。意味なかったということはつまり、昼休みの工作を、蒼詩の意図を彼女たちが汲みとってくれなかったということ――
「いや……あの……いや――大丈夫なんで、ほんと。うん。無事、ほら、一件落着した訳で。何も気にしないでいいよ」
「……あの、ごめんなさい、ほんとに……」
「うぐ……」
本日二度目だ。人付き合いの難しさを思い知る。
(……
気まずさから胃の痛みを覚えていると、
「その、ありがとう――」
きっと頑張って重力に抗っているのだろう、うつむきそうになる顔を必死に少しだけ上げ、目線を隠す前髪の隙間から、上目遣いにこちらを見つめ、彼女は言った。
「……
「あ、うん……どうも……」
少しだけ、ほんの少しだけ、張り詰めた空気が弛んだ気がした。
風船から空気が抜けるように、良い意味で綿雨ちゃんの肩から力が抜けるのを感じる。
「それ、返すね……」
「……?」
それ、とはなんだろう。一瞬理解が追い付かなかった。それもそのはず、蒼詩自身、指示はしても実物にはまったく触れていない。見てもいなかった。だからその紙袋は初めて見たし、中身にも想像がつかなかった。
(まさかこれ――)
あれか?
「わ、わたしにはその……ちょっと、キツかったから――」
「???」
「えと、あの、憂君ちゃんも、悪気はなかったっていうか、気にしてたから……悪く思わないでください。……それじゃ――」
と、言うだけ言って綿雨ちゃんは即座に背を向け、さっきまでのぎこちなさが嘘のように脱兎のごとくその場から立ち去った。
「…………」
一人残された蒼詩は紙袋を手に固まる。
……キツかった?
それはどういう意味だろう。いろいろ、物理的・精神的、さまざまな解釈の余地がある。
自分のしたことに対してなのか――まあそれは、世間一般から見てもだいぶキツい行為のような気もする。他意はなくてもかなり、その、あれだ。
――あるんじゃないか、少なくとも犯人とっては。着用済みか、否か。
(なぜここで……)
今自分が手にしているものがなんだかとてもマズいもののような気がしてくる。
誰もいないことは分かっているのだが思わず周囲を確認してしまう。
(こ、こういうのが弱味になるんだ……)
挙動不審気味に何度も周囲を窺いながら、鞄に紙袋を収める。中身はもう、確認しなくても分かった。だからこそ、確認することがより罪深いことのような気がして堪らない。
(……は、早く帰ろう――)
警察にでも見つかったら――今、過去一番どきどきしている。靴を履き替える手が震え、嫌な汗でぐっしょりと濡れる。
まさかこんなことになるなんて――そこまで深くは考えていなかった。それもそうだ、男子に渡された……いくら本人の手を経由していないからって、そんなものをもらっても困るだけだ。プレゼントは実用的なものが欲しいという話はよく聞くが、それにも例外がある。
……「その先」に想像が及ばなかった自分の不甲斐なさに辟易する。そうやってごまかすことにする。
鞄を抱えて昇降口を出て、自然と早足になりながら蒼詩は校門を目指した。
「もう、そうたん遅い……!」
っ――と、横合いから突然かかった声に、蒼詩は呼吸が止まった。心臓が止まるか飛び出すかしたような錯覚に陥る。目の前が真っ白になりかけた。
「? どったの、そうたん……?」
「な、なななんでもねえよ……! というかなんでお前まだいるんだよ!」
つい声が大きくなってしまう。
「いちゃ悪いの……?」
見るからに不機嫌になる
「い、いや……ふつうもう帰ってる時間だろ……。常識的に考えて」
部活にも入っていない小晴がこの時間――ほとんどの生徒が下校している放課後に、こんなところにいるのは不自然だ。何かこう、怪しい。待ち伏せされていたのではないか、もしやこの鞄の中身に勘付いているのではないか……そんな不安に襲われる。
「そうたん、万引きでもしたの? そんな顔してる」
「どんな顔だよ……」
しかしお陰で多少、落ち着いた。遠回しに尋問されている可能性も否めないため、警戒は弛めないが。
(こいつはおれの弱味を探ろうとしているのでは……。この鞄の中身を知っていて、待ち伏せしていたのでは……)
疑心暗鬼が過ぎる自覚もあるが、相手が相手なので仕方ない。鞄を抱え込むほどに疑惑の目を向けられるのは承知の上だが、
「そういえばさっき、わたあめちゃんが走っていったけど……」
「…………」
「その前は過本さん、群雲さん、
じわじわと追いつめて行くような口調に比例して、蒼詩は鞄を庇うように抱え込む。
「まあいいや」
……いいのか。こちらもそれでいいのだが、白状するまで問い詰められる覚悟を決めていたので多少拍子抜けした。
じゃあどうしてこんな時間まで校門前なんかで待っていたのだろう。別に、ふだんから一緒に帰るような習慣がある訳でもない。
「いろいろと、思うところがあったのです」
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