9 ストレートな胸のうち




 学級裁判ともいうべき五時間目を経て――気まずかったり気恥ずかしかったりした一日が終わろうとしている。


 放課後、陽木ようぎ蒼詩そうたは教室を出た。


「あばよ、陽木」


「達者でな」


「なんだそれ……」


 蒼詩を売った男子たちとはまだ目を合わせることが出来なかったが――蒼詩自身もそうだし、彼らもそうだ――それでも、普段通りの関係を修復しようと、お互いに歩み寄る努力は欠かさない。


 女子たちはどうか。表面上は分からない。その内面も、男子である蒼詩からは窺えないが――謝る憂君ゆきみと、綿雨わたあめちゃん。それを受け入れ、温かく励ます女子たちのやりとりは確認できた。そちらも時間が解決してくれるだろう。

 ちなみに女子からの男子こちらへの詫びはなかったのだが、それはまあ、こちらにも非があるのだから仕方ない。何もまだ、決定的な亀裂が走った訳ではない。


 蒼詩自身の努力はともかく――今回の騒動は、穏便に片がつきそうだ。


 心底から、安堵する。

 一時は本当に、どうなることかと肝を冷やした。


 それもこれも――


「…………」


 偶然なのかなんなのか、蒼詩が教室を出るとその後を追いかけるようについてきた群雲むらくも千月ちづきに歩調を合わせ、横に並んで廊下を歩く。


 言いたいことがあった。


「いやぁ……なんていうか」


 誰とでもそれなりに口がきける蒼詩だが、いざこうしてみると、なかなか言葉が浮かばない。何を話せばいいのか――それはハッキリしているのだが、ではそれをどう切り出そう。


 他の生徒が廊下に溢れているのもあって、それを言葉にするのはなかなか難しく――結局、通常教室のある一帯を離れた頃になって、こちらの意図を察したのか彼女もそこまでついてきてくれて、そうして二人きりになってようやく、


「ありがとう、いろいろ」


 素直な本心が口をついた。


「――――」


 ぴた、と。一瞬千月の足が止まるが、すぐに歩みを再開し、蒼詩の後を追いかける。


(ところで、どうしてついてくるんだろ……? ここまでくるともはや進行方向が同じという訳ではないだろうし……。まあ――ちゃんと、お礼は言っておきたいし)


 ……何か、彼女の方からも話があるのだろうか。見当もつかないが、ともあれそちらへ会話が繋がるよう、なるべくシンプルに感情を整理して、打ち明けた。


「マジで、本当……助かった。群雲さんが解決してくれなかったら、ほんと今ごろ、あるいはこれから先、どうなっていたことか」


 彼女のお陰で平穏は保たれた。蒼詩の心の平穏はもちろん、クラスの雰囲気もそうだ。

 今回の一件で猜疑の種は蒔かれてしまったかもしれないが……これまでも、そして現状も、2年A組は平和だ。少なくとも蒼詩の知る限りにおいて、昨今世間を騒がせるようないじめ等といった問題は見当たらない。


 しかしその平穏は、ほんの些細な行き違いから簡単に崩れ去る。お互いを好きになって結ばれたはずの男女が、小さなすれ違いをきっかけに別れてしまうように、それは誰にでも起こり得る、どこにでも訪れ得る――災難。

 単なる「不幸」と違ってそこには原因があって、起きる時は突然でも、それに至る過程を確実に経ている。今回の一件はその原因、あるいは過程の一つとなりえたかもしれない。


 たとえばそれこそいじめであったり、不登校であったりといった事態に発展する恐れもあった――自分のことでなくても、クラスの誰かがそうなれば良い想いはしない。


 自分自身はもちろん、誰も嫌な想いをせずに過ごせるのが一番だと陽木蒼詩は考える。


「……考えすぎ」


 だと思う。ぽつりと、素っ気なく彼女は呟いた。


 そうかもしれない。なんでも悪い方向に考えてしまうのは、自分の悪い癖だという自覚はある。

 だけども――だからこそ、言いたい。


「それでもさ、少なくともおれの不安は解消できた」


 蒼詩のためでなくとも、クラスの状況をなんとかしようと考え、動いてくれたこと。それだけでも、本当にありがたい。そういう風に行動してくれる誰かがいることが分かって、本当に良かったと思う。

 今後何か起きた時、たとえ自分の力が及ばなくても、彼女がいてくれるなら――平穏を保ちたいと思っている人間が自分以外にもいるのなら、このクラスは安泰だと――大げさかもしれないが、それくらい安心できたのだ。


「だから、ありがとう」


 照れくさい気持ちよりも、それをちゃんと伝えたいという衝動が勝った。


「…………」


 千月は何も言わず、わずかに歩調を速めた。追い抜かれたとき、垣間見えたその横顔はこころなしか頬が膨らんでいるように見えた。


(え? 何? 怒ってる? なんか食べてる……訳はないか。よく分かんねえ……)


 表情からまるで考えが読めない。というか、感情が全然おもてに出ないから、彼女のことがよく分からない。

 今も、彼女がどこへ向かおうとしているのか見当もつかない。この辺りには文科系の同好会の部室があるくらいなのだが――


「……別に」


 独り言のような声が、静かな廊下にこぼれた。


「……ただ、分かっただけ」


 ことの真相が分かったから、それを言っただけ――だとしても、だ。

 それを言えたことが、それを言おうと行動したことが――直接口に出来ず、真相をあやふやに濁そうとした蒼詩からすると、素直に尊敬できる。


「…………」


「…………」


 ……それはそれとして、だ。


「あのぉ……ところで群雲さんは、その……もしかして、うちに何か用事でも?」


 沈黙を引き連れて辿り着いたのは、蒼詩の所属する部活(同好会扱い)――生徒相互補助会、通称『互助会』の部室だ。


 とうとうここまで来てしまった。というか彼女がついてきた。

 蒼詩はもともと放課後は部室に立ち寄るつもりだったのだが、果たして千月はなんのためにここまで来たのだろう。


「……入りたい」


「?」


 部室に? ……部活に?


 振り返ると、彼女はやはり感情の読めない真顔で。


「私は今回、それに見合う成果を示した」


「……お、おぉう……」


 確かに彼女の推理力は、互助会に相応しいものだとは思う。


「紹介してほしい」


「……いやー……まあ……」


 誰に紹介すればいいのだろう。やはり部長か。こういうのは初めてで、対応がよく分からない。


(一応うちは部活動って体だし、入りたいって言うなら、「お好きにどうぞ」っていうのが正しいのか?)


 ともあれ、部室は目の前だ。廊下からは人の気配は感じないものの、誰かしらいるだろうし、いなくても後からやってくるだろう。


「じゃあ、まあ、とりあえず……どうぞ」


 部室の扉を開く。中には……会議用のテーブルに鞄が置かれている。先に千月を入れ、後から部室に足を踏み入れると、壁際の席に腰掛ける人物と目が合った。眠たげな印象を受ける垂れ目がこちらを見つめ返す。


倉里くらりさん……だけ? 先輩たちは?」


「…………」


 ふるふると首を振る。揺れる赤みがかったボブカット。


 倉里昼音ひるね――この互助会に所属する一年生。どちらかというと千月と似たタイプの寡黙な女の子。寡黙女子ふたりを前にした蒼詩は何を話すべきか一瞬躊躇う。


「えっと……こちら、同じクラスの群雲さん。こっちは一年の倉里さん。どうぞよろしく」


 小さく頭を下げるふたり。これで自分の役割は果たしたと蒼詩は満足する。


 …………。


 会話がない。どうしよう、めちゃくちゃ気まずい。


「まあ、先輩たち来るまで……。適当なとこ座って――」


 千月にそう促した直後、昼音が席を立った。お茶でも淹れてくれるのだろうかと思い、そういえば冷蔵庫にケーキがあったはずと蒼詩の視線が泳ぐ。


「そうた先輩」


「ケーキってもう食べちゃった……?」


 言葉がかぶって無言の押し問答。


「…………」


 何か言いたげだが感情の読めない表情で昼音がこちらを睨む。睨んでいるように見える。くわっ、といつになく瞼が開いていた。その視線に気圧された蒼詩が戸惑っていると、


「……かすみ先輩が全部食べた」


「あ、そう……。あの人マジか……」


 だからこころなしか不機嫌そうなのかな、と昼音の顔色を窺う。蒼詩不在で余ったケーキを食べられたのかもしれない。一年生なので立場が弱い昼音は凶悪な三年生に太刀打ちできないのだ。

 それはそれとして、


「どうかした……?」


「……お昼の」


「あぁ……」


 そういえば確認していなかったが、昼に送ったメッセージに気付き何か返信してくれたのかもしれない。


「ケータイ……見てなかった。ごめんなさい」


「え、あ、いや……何も謝ることじゃないって。おれがいきなり言い出したんだから。気にしなくていいよ。それにもう解決したから大丈夫」


 そもそも校内では一応スマホ禁止なのだ。見ていなかったことを責めるのはお門違いだし、彼女がその点、律儀な性格をしていることを考慮しなかった蒼詩が悪い。


「……ごめんなさい」


 もう一度そう口にしてから、昼音は鞄を手に取ってうつむき加減になりながら足早に部室を出て行った。


(……めちゃくちゃ気に病んでるな……)


 スマホを見てみると、案の定、昼音からの返信があった。時間は放課後になって少しして……ほぼついさっきだ。部室に来るまでスマホを見ていなかったのだろう。これでこちらが既読しないまま時間が経過していたら、今よりもっと落ち込んでいたかもしれない。文面からも「申し訳ない」感がひしひしと伝わってくる。


 追いかけて直接声をかけようかとも思ったが、部室に千月一人を残していくことも躊躇われた。それに、どんな言葉をかければいいのか思いつかない。本当にこちらは気にしていないし、昼音が気にしなくてもいいことなのだが、それを直接言うほどに気に病みそうな気もする。


「どうしたものか……」


 閉じられた扉を見つめ、遠くなっていく足音に耳を澄ませてしばし考える。

 とりあえず、スマホで改めて「気にしなくていい」という旨のメッセージを送る。


(今度何か奢ってあげよう……)


 スマホを収めて、千月の方を振り返る。


「……いいの?」


 たずねられ、不意打ちを受けたような気分に陥る。


「いや、よくはないんだけど……うーん――どうしたらいいでしょうか」


「そっとしておく」


「…………」


 やっぱりそれに尽きる。


「おあ」


「……オア?」


「役に立ってもらう」


「……なるほど。先輩としてどうかとは思うけど。うん、及第点」


 かといって直近で、今回のように「役に立ってもらう」ようなことは思い当たらないが。なるべくならそんな緊急事態にはなりたくないのだが。


(まあ第二案として考えておこう……。それで倉里さんの気が晴れるなら……)


 ふと思いつき、追伸する。


 ――いつもありがとう。今度何かあったら、またお願いするかも。


 たぶん直接面と向かっては言えなかったから、これで良かったのだろう。

 そう思うことにした。



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