7 弾・劾・裁・判 その3 ロウと刑死者




 男子全員でなく、そのうちの八名だけが授業を欠席していた理由――覗きがバレて、罰を喰らっていたのではないか。


「更衣室前の植木がなくなったことで、屋上から更衣室の窓が確認できるよね。男子一同はそこから更衣室を覗こうとしていたんじゃないか――そう考えると、昼に高葦たかあしくんが更衣室の位置を把握していたことも、植木の移動について口にしたのも、いろいろと腑に落ちる」


 よ・け・い・な・こ・と・を。


 思わず叫びそうになったのは蒼詩そうただけではないだろう。しかしその感情が放たれるより先に、女子たちの怒号や悲鳴が教室を席巻した。


「待て待て待て覗いてない覗いてない……!」


「覗く前に捕まったんだって……!」


「最ッ低ッ、マジありえないんですけど!」


「だからやたらと陽木ようぎくんのせいにしようとしてたんだ……! 自分たちにもやましいことがあったから……!」


 一部冷静な声もあり安堵する。それに、攻撃的だった男子陣にひと泡ふかせることも出来たのでまあ一応良しとしよう。


(……おれも加担していた訳で、落ち着いたら追及がよりいっそう苛烈になりそうではあるが)


 女子たちの心証は大きく変わったことだろう。蒼詩一人に向けられていた嫌悪が、いまや男子全員(無関係のその他大勢も含む)に分散した。


 しかし――素直には喜べない。暴露されたことはもちろん、そうすることで蒼詩にも悪影響が出ることは想像できるだろうに、それでも小晴こはるが「推理」を披露したこと――それが、問題だ。


(分かってたさ。こいつはこういうヤツだって……。謎があればそれを解き明かそうとする。その結果については考えちゃいない。……おれの味方はしてくれない。言うなれば、正義の味方だ。おれは正義か? 少なくとも覗きに関しては、そうじゃない……)


 だから、容赦もない。というより、意識すらしていないのだろう。


(まあ元より、助けてもらおうとは思ってないさ。おれの味方なんかしたら、今度は女子を敵に回すことになる。これでいい――困った時に助けてくれる正義の味方、名探偵なんていないんだ)


 濡れ衣を着せられたのなら、自力でそれを振り払うしかないのだ。




                   ■




 喧噪がやや収まってきたのを見計らって、蒼詩は声を発した。


「――という訳で! 必ずしもおれがやったとは限らないだろ。授業の時その場にいなかったヤツ全員が疑わしいんだ」


 男子たちが蒼詩を人柱にしようとしていたことは女子サイドにもなんとなく伝わったことだろう。他に目を向けさせるなら、今しかない。


 が――具体的にどうすればこの問題が収拾に向かうのか、未だ解決策は思い浮かんではいない。


(もうかき回せるだけかき回して、時間切れを――放課後になるのを狙うしかない)


 蒼詩はさっと教室に視線を走らせ――ひとつだけ空席となっている机に目を留める。


「たとえば……虹上こうがみとかどうだ?」


「……何言ってんの?」


 憂君ゆきみが呆れ顔で言う。


変態だんしならともかく、虹上さんは女子なんですけど」


「それにな、あいつは今日もサボリだぞ。朝は居たがな」


 しぐれが口を挟む。


「というか陽木、あんたもしかして虹上さんのこと男だと思ってたの? それは、まあ確かに……ちょっと男っぽいところもあるけど」


 お前も思ってたんじゃないか、とは突っ込めない。


「さすがに失礼じゃないの、あんた」


 別の問題が巻き起こりそうな予感に冷や汗が浮かぶが、すぐに畳みかける。


「だから、たとえばの話だよ。この場にいない人物……授業中にもいなかった人物。女子なら、正面きって女子更衣室に入れるだろ?」


「だから、なんで女子が同じ女子の下着を盗むわけ?」


「それは……高い下着だったらどうだ?」


 分かっている。昼に綿雨わたあめちゃんから聞き、その下着を調べた結果、それがその辺でも売っているような比較的安価なものだということは。

 それに、仮に同じ女子の犯行だとしても、盗むタイミングというものがある。授業中に抜け出したとしても、更衣室はカギがかかっていて、その鍵は綿雨ちゃんが持っているのだ。憂君もそれを主張した。女子には盗む理由がないし、やはり男子同様、鍵がなければ不可能だと。


(こっそり持ち出したって線もある――とにかく、犯人は男子だけに限らない。そうやってこの場をかき乱す――)


 我ながら悪あがきのような気もしているが、少し、時間が欲しい。放課後までもつれこんでくれれば、希望はある。


(さっきまでの最悪な状況から、少しは抜け出してる。みんないったん冷静になって、過本だって密室であることを呑み込んだ。このペースを維持できれば……)


 謎があるのだ。

 こうしていろいろと思考を巡らせているなかで、今回の騒動、一つだけどうしても解せない謎が見つかったのだ。


(綿雨ちゃんだ――)


 さっきからうつむいて何も言わない彼女――今回の事件の、中心人物。


(更衣室のカギを開けたのは彼女だ。鍵を持っていたのは、綿雨ちゃんが日直だからだろうけど……小晴が言うにはすぐには着替えずに、みんなが着替え終わるまでずっと窓際に立っていたらしい。最後に更衣室を出たのも綿雨ちゃん。……小晴のことだから、適当なことは言ってないはずだ。それは客観的に見ても事実なんだろう)


 雲居くもい綿雨――彼女は何か、怪しいのだ。


 そのことを考える時間、あるいは問い詰める時間をつくりたい――最悪、プランBも脳裏をちらついている。


 まだ、望みはある。

 その希望へ、なんとか繋げたい――そのために、存在しない「誰か」をでっちあげるとしたら――




                   ■




「そもそも、だ。おれたち男子がなぜ『覗き』なんて破廉恥な真似をしようとしたか分かるか?」


 何を偉そうに――おっしゃる通り。だけどこれも注意を引くため。


「それは度胸がなかったからだ。覗きならバレないと思ったからだ。……そんなおれたちが、だ。下着泥棒なんて大それたこと出来ると思うか?」


 むしろ覗きに失敗したからそんなことしたんじゃない――それも一理ある。


「覗きと違って、盗めば気付かれる。現にこんな大騒ぎになってるんだ。いくら馬鹿でもそれくらい想像がつく――」


 想像つかないほど馬鹿なヤツがいたんでしょ――そうかもしれない。そんなヤツがいるのなら、犯人そいつに向かって訴えよう。


「仮に盗もうとしたとして、鍵がなければ更衣室には入れない。これはいいな? それで、スペアを入手できるおれが疑われた訳だが――オリジナルの鍵を持ってる綿雨ちゃんから、鍵を奪ったって可能性は? 授業は体育だ。どこかに鍵を置いてたってことは?」


 綿雨ちゃんは反応するか。その態度次第で状況は変わってくる。


「もっと言えば――綿雨ちゃんに、鍵を持ってこさせた、あるいはカギをかけたフリをさせたヤツがいたとしたら?」


 密室は崩れる。その可能性に教室は。


「それなら、盗めるな? 他の女子だとそうはいかなくても……たとえば、それこそ綿雨ちゃんの下着を盗めば、自己主張の少ない綿雨ちゃんは何も言わない。騒動には発展しない――なんなら、綿雨ちゃん自身に盗むよう強要したのかもしれない。綿雨ちゃんは騒ぎにならないよう、自分のものを犯人に渡した――」


 どくどくと心音が加速する。手のひらに汗が滲む。周りの声が遠くなる。今、これまでとはまた違う危ない橋を渡ろうとしている。

 だけどもう、引き返すことは出来ない。


「いやそもそも、これは本当に男子の犯行なのか? 『盗み』なのか? 下着がなくなっていた――普通は盗まれたって考えるけど、」


 事実、盗まれたのだろうが――その意図は、これまでのそれとは異なってはいないか。


「綿雨ちゃんが、いじめられていたって可能性は?」




                   ■




 …………。



(――



 


 今の『想定』をそのまま話せば、自分の濡れ衣は晴らせるかもしれない。少なくとも密室を破ることは出来る。実際のところ、可能性としてはなくもないのだ。


 しかし、これだとクラスによけいな疑心暗鬼を生む。いらぬ摩擦を引き起こす。場合によっては綿雨ちゃんを追い詰めることになるかもしれない。


 そして、犯人が見つかったとしたら――先の自分のような目に遭うだろう。盗みにしてもいじめにしても、犯人が相応の罰を負うのは仕方ない。だけども。


(……今ここで犯人をあぶり出して、みんなに裁かせたら……それこそ、いじめになる――悪いのは全部犯人だ。犯人のせいだ。いたとしたら、だけど。――それでも、いい気分は、しない)


 真実を突き止めることが必ずしも、正しいこととは限らない。


 事件が解決して、めでたしめでたし――とは、ならないのだ。


 犯人そいつが逮捕されることはなく、この教室に居続ける。しかし盗みであってもいじめであっても、もうその人物に居場所はない。

 たとえ自業自得だとしても――その結果へと導いたのは他でもない、陽木蒼詩自身だ。


 その責は、荷が重すぎる。


(……いや、なんでも悪い方向に考えすぎだ)


 顔を伏せ、密かに苦笑する。


 ――こればっかりはもう、不幸だったとしか言えない。


 静かに息を吐き出して、両手を上げた。



「お手上げだ」



 口々に意見を出し合ってざわめいていた教室が、ふと静まり返る。

 心臓に悪い沈黙。顔を上げることが出来なかった。



「おれがやった」



 この教室のどこかにいる、誰かに向かって。



「おれが盗んで、おれが戻した。そうだよ、昼に教室を出て、おれが更衣室に戻したんだ」



 きっと、高葦たかあしはこうなることを見越していたのだろう。いや、蒼詩自身、最初から分かっていたことだ。誰かを犯人にしなければ、この騒動は収まらない。それなら早い方がいい。事態がより悪化する前に、なるべく傷の浅いうちに。


 だけどもう、手遅れだ。


(でも……なあ、分かってくれるよな。いくらおれを売った薄情なお前らでも、おれがやってないって――おれの覚悟を、分かってくれるよな?)


 男子たちの反応は窺えなかった。蒼詩は顔を上げられない。


 嫌な静けさだ。さっきまでみたいに女子たちが騒ぎ出すこともなかった。まるで事の成り行きを見守ろうというように――さながら、罪を告白する犯人になった気分だ。


(これからめちゃくちゃ批難されるだろう。でも、それはいっときだ。――いや、もしかするとほとぼりが冷めるまで、最悪ずっと――いや、信じよう。おれのプランBを――おれが何もやってないってことは、おれ自身が一番知ってるんだ)


 放課後、部室に行って相談するのだ――我らが部長に。

 あの人なら解決してくれる、そう信じて――



「認めるよ、おれが――」



「違う」



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