4 開廷前、イケナイこと進行中。
「……くそう、弁当忘れた上に購買に行っている余裕がない……」
きびきびと廊下を足早に進みながら、
校内は原則スマホ禁止だが、人目もはばからずにメッセージを送る。
「職員室前でスマホを触っているとはいい度胸だな」
「おぉ、ちょうどいいところに……!」
職員室に辿り着くと、蒼詩を見つけて出て来たのか、担任の
「なんだ、自分から叱られにきたのか? とんだマッチポンプだな。それともなんだ、例の遺失物か。それならお前の幼馴染みのお陰でだいぶ減ったから今日はいいぞ」
「例の遺失物……あぁ、あれか。話が早いと思ったけどさすがにまだ耳に入ってないよな。ところで先生、今お時間いいですか? なくても来てもらいたいんですけど。ちょっと内密なご相談がありまして……」
■
2年A組教室――男子生徒たちは村八分にされていた。
「……陽木のヤツ逃げちゃったけど……まさか、あいつ……?」
「今のうちにオレたちも逃げるか……?」
「逃げてどうなるんだ……。このまま登校拒否にでもなるか……?」
「……しぐ
「いやぁ、ないわー。あの先生は来てくれないわー」
女子たちから白い目を向けられながらも、彼らは陽木蒼詩のつくったモラトリアムを謳歌していた。最後の晩餐を共にしながら。
そんな折、
「――失礼。陽木蒼詩はここにいらっしゃいますでしょうか?」
…………。
「「「 !? 」」」
みなが一度振り向いて――それから、二度見した。そして我が目を疑った。
驚くなかれ――メイドである。メイドとしか形容できない格好をした人物が教室の入り口に立っていたのである。
教師か、上級生か……そう思わせる大人びた女性だ。黒髪のポニーテールに、その髪型が良く似合うすらりとした長身。そしてその身にまとうメイド服。
「!? ……!?」
こういうとき真っ先に対応するのがクラス委員の
誰もがその人物に面食らっていた、その時である。
「あれ?
教室の外から、彼女に声をかける恐れ知らずが現れたのだ。
「いえ……、ちょっと近くまで来たので、蒼詩さまを驚かせようと。言うなれば、サプライズです」
「サプライズぅ……?」
さすがに苦しい言い訳だ、と言わんばかりの表情になる小晴。
「忘れ物を届けに来たのです。……お昼――の、デザートを」
何やら小晴の顔色を窺うように言葉を選びながら、メイドは言う。
「ぶし……つけな話なのですが、」
「部室?」
「……はい、部室で食べるやーつです。ええ。本当なら校門前で
「メイド服で?」
「いえ、まあ……そこはそれ、中に入ってから着替えました」
「わざわざ?」
「サプライズなので」
「ほう……」
まるで尋問だ。謎のメイドを圧倒している小晴の姿に教室で見守るクラスメイトたちは戸惑いを禁じえない。
「……恥ずかしくない?」
「まあ、失敗したな、とは……」
「だよねー。……うん、まあ、事情は分かったよ。私からそうたんに――」
「いえ……、もうすぐ昼休みも終わるのでは? これは私が持っていきますので。それでは――」
目礼し、メイドはそそくさとその場を去っていった。
小晴はその背を見送ってから、何気ない様子で教室に戻ってくる。
今のはいったいなんだったのか――それをたずねようとクラスメイトたちが口を開こうとした時だ。
「お、おぉう……」
ずい、と。教室に足を踏み入れた小晴の前に、一人の少女が立ち塞がった。
緑がかった長い黒髪を揺らし、何を考えているのか読めない表情のない表情ですっと小晴の前に現れる。そしてずいっと一歩距離を詰めたのだ。
見知ったメイド相手には強気に出ていたさすがの小晴も、ほとんど口をきいたことのない転入生――
「……今のは?」
「え? 今のって――あぁ、そうたん家のメイドさんだよ? なんかね、忘れ物届けにきたらしいけど……そうたんいなかったから自分だけ恥ずかしい想いをして帰っていきました」
「……そう」
「?」
ありがと、と小さく呟くと、群雲千月はするりと小晴の横を抜け、早足に教室を出て行った。
「……な、何事?」
小晴が誰ともなしにたずねるが、クラスメイト一同は度重なる珍事に言葉を失っていた。聞きたいのはこっちだ、と誰しもが心のなかで呟いた。
■
「――で? 内密な相談というのは? 誰かに私たちの関係でも勘付かれたか」
「勘付かれて困る関係ではありませんが。……ちょぉっと、クラスで今トラブってまして……」
「覗きでもバレたか?」
生徒指導室に移動し二人きりになると、蒼詩はつい十数分前に起こった教室での騒動を簡単に説明する。
「それでですね、先生にはおれたちのアリバイをこう、いい感じに説明して欲しいんですよ。そのために口裏を合わせたいというか……おれたちは先生に屋上に呼びだされて、中庭を見下ろしていた。それはこれから行う肉体労働を説明するためで、その後おれたちは中庭のプランターを運ばされた……」
「まあ、多少の脚色はあるが概ね事実だからな、証言してやってもいい。が――」
「……が?」
「そうすることで私になんの得がある? 協力を申し込むなら相応の対価を用意するんだな」
「とてもじゃないが教師の言葉とは思えない……」
「教師である前に一人の女だからな」
「そこは一人の人間、では?」
予想は出来た事態だが、さて、今の自分に出せる対価はあるだろうか。
視線が泳ぐ。生徒指導室の片隅には段ボール箱が置かれている。あの中には職員室に届けられた大量の『落とし物』が入っているのだが、その「処理」は対価にならないのだろうか。
(互助会であるのを理由にほとんどボランティアで働かされてるんだが……)
ボランティア……奉仕活動……等々、思考が進んで、
「……肩たたきしますよ!」
「私はおばあちゃんか。そんな歳に見えるのか。失礼だな。傷ついた。泣きそうだ。これは慰めてもらわないといけないな」
とてもじゃないがそんな歳には見えない。むしろ自分よりも年下に見える。言動とかまさにそうだ。よくて中学生、見ようによっては小学校高学年……朝見しぐれはとても若く見える童顔で、背丈も蒼詩より頭一つぶんくらい低い。
実は娘がいて、その娘と心と身体が入れ替わっちゃった系お母さんなのではないか……と蒼詩は疑っているのだが、真偽のほどは不明だ。
(この美魔女め……)
「何か言ったか?」
「何が聞こえたんだ……」
さて、困ったぞ。
「な、なんでも言うこと聞きますよ」
「なんでも?」
しぐれの黒い瞳がきらりと光る。
「……いえ、常識的な範囲で、教師と生徒という関係の範疇でなら……」
「体罰……肉体関係……援助交際……」
「不穏が過ぎる! というかあんたは生徒に何を求めるんだ!?」
どこまでが冗談なのか、表情から読み取れないからとても落ち着かない。
「常識的に考えられる範囲内で、教師と生徒という関係の範疇、なんだろう?」
「いやいやいや、その関係で考えられるスキャンダルを挙げろとは言ってない。というか、あんたこの前のこともう忘れたんですか? 壁に耳ありっていうか、今もどこかで……」
窓辺に移動し、カーテンを閉めながら蒼詩は外の様子を窺う。中庭が見えるが、ほとんどの生徒が昼休みの終わりが近づき引き上げて行くところで、これといって気になるシルエットは見当たらない。
(しかしあの女のことだ、どこかでスキャンダルを狙ってるはず――あぁもう、危ない橋だよなぁこれ……!)
今更後悔しても遅いのだが――いろいろと、失敗したなと思う。
「はぁあ……」
でも、誰が予想できただろう。まさか、こんな事態になるなんて。
「……というか、そもそも先生たちが邪魔しなければ……」
「バレずに覗けて、多少遅刻はしても授業中には戻れたと? それもこれも、覗きなどという不埒な行為に走ったお前たちが悪いだろうが」
「……まったくもってその通り。返す言葉もございません」
「ところで聞きたいんだが――お前はそんなに欲求不満だったのか?」
「はい?」
突然何を言い出すんだこの人はと蒼詩は身構える。
「覗きに加担した理由だ。他の連中に誘われて、流されて参加したのか?」
なぜ参加したのかと問われれば――最初は、屋上のカギを開けるために必要な人員として誘われたことがきっかけだ。
しかし、鍵の入手であれば生徒会所属の他中にも出来た。蒼詩はいわゆるプランBとして声をかけられたのだ。
「それとも、そんなに女子の着替えが見たかったのか? 下着か? なら見せてやろう」
「ふぇ?」
まさか脱ぐ気かと蒼詩は反射的に顔を両手で覆うのだが、衣擦れの音は一瞬、ちらりと指のあいだから覗けばしぐれはスマホを手にしていた。
「ほら」
「……まさか自撮り――」
スマホの画面を向けられ、思わず喉が鳴る。
「……て」
「下着どころか、女の裸なんて今時ネットでいくらでも見られるだろう」
画面に映っていたのは、通販サイトの商品ページ。女性用下着である。
「いやぁ……それとこれとはまた、話が違うわけですよ……。というか、そうじゃなくてですね、おれたちは下心とかではなく――こう、日常にちょっとしたスリルを求めていて……」
何を期待していたんだ、とでも言いたげな目から顔を背け、蒼詩はごにょごにょと言い訳する。
「まあ、不満も溜まるだろうなぁ、家に両親はほとんどおらず、代わりに年上のメイドと、異性の同級生と一つ屋根の下。お前も年ごろの男子だ。素直に、女性の裸に興味がありました――と認めれば、アリバイ証言をしてやらないこともないが?」
「……く……」
きっとこの人は自分の背丈にコンプレックスがあるのだ。自分より背の高い年下の人間を屈服させることに悦びを見出しているのだ。そういう人なのだ。はは、実に器が小さい。そんな相手に見下されてもなんてことはない――その欲望を満たすことで同志たちの、ひいては自分の心の平穏に繋がるのであれば――
プライドなんて、捨ててやる。
「どうか……どうか、アリバイ証言をお願いします――あ、それと、この時間のおれのアリバイ証言も」
「それとこれとは話が別だな」
「鬼だ……」
床に膝をつく蒼詩は、知らず握り締めていたスマホの振動を感じ取る。
(
見れば、画面には新着メッセージ――
『ミッションコンプリート』
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