3 死人に口無し、黙して語らず。その2 魔女は生贄を求める




「私は不審に思ってたんだ――」


 小晴こはるは何かを思い出すようにどこか遠くを見つめ、語り出す。


「男子は知る由もないけど、みんなは分かるよね? わたあめちゃんは授業前、自分から更衣室の鍵を取りにいったにもかかわらず、一番乗りしたのにすぐには着替えないで、ずっと窓際に立っていた……。着替えたのは一番最後。わたあめちゃんは『下から着てきた』などと証言していたようだけど……実際は! そもそもブラをつけてなかったんだよ! 彼女には、自分に合うサイズのブラがないのです!」


 男子一同の視線が、どんどん赤く、そして小さくなっていく綿雨わたあめちゃんに集まる。


(まあ、一理ある……。パンツはともかく、サイズの合う「上」はない可能性も……でもスポーツブラとかあるか?)


 そして小晴は、クラスメイト全員が夏服――ブレザーを脱いでシャツやブラウスになっているにもかかわらず、綿雨ちゃんがいまだにブレザーを着込んでいることを指摘する。小晴はそれを、下着をつけていないことを隠すためだと断言した。


(確かに多少不自然ではある、あるけれども……)


 というか――と、蒼詩そうたの他にも何人か、同じ発想に至ったものがいたらしい。申し訳なさそうに綿雨ちゃんから目を逸らすも、どうしても気になってちらちらと視線が泳ぐ。


(……下着が盗まれたってことは、もしかして今ノー――、)



「わたしだってちゃんとつけてるよ!」



 悲鳴にも近い突然の大声に、その場の全員が虚を突かれた。一瞬誰の声だか分からなかったくらいだ。


 シーン――と、そんな擬音が聞こえてきそうなくらい、教室内だけでなく、たまたま廊下を通りかかった他のクラスの生徒でさえも静まり返っていた。遠く、購買あたりからから微かに喧噪の気配が伝わってくる――綿雨ちゃんが耳まで真っ赤になってうなだれる。


「そ、そうよ――」


 はたと我に返った様子の憂君ゆきみが口を開き、何か反論しようとすると、それを制するように、あるいは諭そうとするかのように小晴は落ち着いた調子で、


「でもそう考えるのが妥当なんだよ。確かに……下着がなくなっている、盗まれた、男子の仕業だ……それも筋が通っている。だけど、冷静になってよく考えてみて。男子にそれは不可能なんだよ」


「不可能って……」


「だって、更衣室は授業中、カギがかかってたんだから」


「それは……!」


「少なくとも正面突破は不可能だよ」


 つい先ほど小晴が述べていた――綿雨ちゃんが鍵を持っていて、最後に着替えて更衣室を出たのなら、もちろんカギをかけたはずだ。

 仮にかけ忘れていたとしたら、それは綿雨ちゃんの責任問題になる。ある意味、自業自得だ。そうなる展開を憂君は避けようとするだろう。


「そ、そうだ、更衣室の前って……中庭に木があるじゃない! 木を登って侵入することだって」


「いや、それは無理だ」


 と、そう否定したのは高葦たかあしである。


「先週、中庭の植木が一部移植されたんだ。気付かなかったのか? まあカーテンが閉まっていたから仕方ないか。更衣室前の大木も移動してるんだよ。なぜそれを俺が知ってるかって? それは俺たちがその関係で作業させられていたからだよ!」


 さすがに見落とさない。そもそもその移植があったからこそ、蒼詩たちは計画を決行したのである。ついでにアリバイ工作することも忘れない高葦の機転に男子たちは素直に感嘆する。


「つまり、女子更衣室は授業中、密室だった――密室! ……――つまり、外部からの侵入は不可能! となれば、最初から『なかった』……そう考えるべきでしょ?」


 小晴の推理は正しい――恐らく完璧だろうと蒼詩も考える。実際に現場にいた小晴が言うのだから、「密室説」は確かのはずだ。ただ、とても自慢げに胸を張っているところ悪いが、多少冷静であれば誰でも気付けただろう事実であるし――


(……密室だった――じゃあ肝心の下着はどこにいったのか? 問題は何も解決していない)


 となれば――ある意味、この騒動を引き起こした張本人が黙っているはずがなく、


「――高葦、さっきさ、更衣室のカーテンが閉まっていた……そう言ってたよね?」


 憂君が低い声でたずねると、その物々しい雰囲気に気圧されたのか、高葦は素直に頷いてしまう。


「そ、それが……どうした?」


「それって、おかしいよね?」


「は……? どこが――」


「普通、気付く? 中庭から更衣室がどこにあるかなんて、分かるもの? それってさぁ、更衣室の場所を意識してたってことじゃない?」


 教室に残っていた何名かの女子たちがざわつき始める。確かに意識していたことは事実だし、どこがどこの部屋かなんて、中庭からではぱっと見だと分かるものではない――が、蒼詩は反論する。


「揚げ足とりだぞ! そんなの……たまたま目に入ったっていうか――!」


 憂君のそれは印象操作だ。論理もへったくれもない――もはや、暴論。犯人を突き止めるまで、生贄を求めて止まない暴動だ。誰かを吊るし上げなければ気が済まないのだろう。


「そもそもさぁ、さっきからあんたたち怪しいのよ。絶対何かやましいことがある、隠しごとしてる……」


 マズい――これは空気が悪すぎる。男子陣も後ろめたい事情があるため、あまり強くは出られない。このままだと押し切られてしまう――


「そうだ――さっき綿雨ちゃんが窓際に居たって言ってたよな? それならワンチャン――綿雨ちゃんはおれたちを見てるんじゃないか?」


「……どういうこと?」


 憂君がこちらを睨む。蒼詩はそちらは無視して、綿雨ちゃんに声をかける。


「おれたちが、屋上にいたことを――」


「え? え?」


 顔を上げた綿雨ちゃんは戸惑い気味。顔を赤くして、今にも目を回しそう。周囲の男子たちも緊張がピークに達したのか、今にも叫びだしそうな形相で蒼詩に視線で訴える。

 蒼詩自身、それが一か八かの分の悪い賭けだという自覚がある。ついさっき渡りかけた橋よりも、これはもっと危ない。藪蛇だ。地雷原だ。振り向いたら、立ち止まったら、少しでも躊躇ったらおしまいだ。

 だから真っ直ぐ、綿雨ちゃんを見つめる――視線が熱を持っているのか、綿雨ちゃんの顔がどんどん赤くなる。


(深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている――着替えを覗こうとしていたおれたちを、綿雨ちゃんが見ていた可能性――見ていなくてもいい、とにかく今は時間が欲しい。頼むから、頷いてくれ――)


 憂君が論理性を捨て、空気を操作し状況を優位に進めるなら、蒼詩は圧しに弱そうな綿雨ちゃんを頷かせて、この状況を終わらせる――彼女に無理強いすることはとてつもない罪悪感を伴うが、もはやそれしか生き延びる手段はないのだ。


「…………」


 こくん――と。赤くなりすぎて気を失ってしまったのように力なく、綿雨ちゃんは頷いた。


 よしっ……! 蒼詩は密かに拳を握り、


「そういうことなんだ。なぜ屋上にいたのか? それはしぐれ先生が証言してくれる――だから、今はこれまでにしよう」


 ちょうど購買に行っていたのであろう女子たちが帰ってきた。というより、話が落ち着いた頃合いを見計らって戻ってきたのか。


「……過本すぎもとさんもそれでいいよな? お互い、冷静じゃない。ちゃんと情報を整理して、ご飯食べて、それから落ち着いて、話そう」


「…………」


 憂君は不満げだが、渋々といったように顔を背けた。


 きっと、振り上げた拳をただでは下ろせなかったのだろう。ムキになっていた節もある。


「……ところで、綿雨ちゃんに一つ質問があるんだが……」


「……?」


 声を潜めてたずねると、綿雨ちゃんは恐る恐るといったようにこちらを振り返った。疲れ切ったような顔をしている。攻めるなら、今だ。


「盗まれたっていう……なくなった例のアレだけど、どこのブランドのどういう製品なのかな? 色とか、サイズとか――」


「えっと――」


 思考停止しているのだろう、頭に浮かんだものをすんなりと口にしてくれた。


「……陽木ようぎ


「……げ」


「あんたそれ聞いてどうするつもり? ……というか綿雨ちゃんも何教えてるのよっ」


 遅れて気付き、顔を赤くする綿雨ちゃんである。そろそろ本当に貧血か何かで倒れないかと不安になってくる。


「いやぁ……その、あれですよ。小晴が下着は最初からなかったなんて言うから、実在した証拠を得ようとですね。そこをハッキリさせておこうと――」


 視線が泳ぐ。せっかく一応の収拾を見ようとしていたのに、また火に油を注ぐようなことをしてしまった。


 何か言われる前に逃げよう――と、廊下に目を向ければ、ちょうど群雲千月が戻ってきたところだった。手には購買の袋を持っている。


(変なところを見られてしまった……)


 ともあれ――これで、遺失物についてはスマホで調べれば画像なりなんなり出てくるだろう。探すヒントになるのは間違いなく――


「陽木……グッジョブ!」


 早速検索したらしい男子が笑顔で親指を立てる。やめろお前は放火魔か。


「陽木……っ! この変態――!」


 憂君の怒りが再燃する。わたあめちゃんは火が付いたように赤くなる。


 陽木蒼詩は逃げ出した。



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