2 死人に口無し、黙して語らず。その1 魔女裁判
「これに懲りたら不届きな真似は控えるんだな」
「……届け出たら許されるんでしょうか」
「多少不健全なくらいがむしろ健全だろうが、度を越すと痛い目を見る――いい教訓になったな」
四時間目が終わるチャイムの音がどこか遠く聞こえた。
ざわざわと隣のクラスが騒がしくなる中――さながら死体置き場の様相を呈している2年A組の教室には、真っ白になった数人の男子生徒の姿があった。
「……くそう……」
何度目とも知れない怨嗟の声が上がる。
「そもそも、なんで生徒会長にバレたんだ……?」
「おい
「なっ……、そんなこと……!」
疑われた他中が勢いよく立ち上がった。彼の座っていた椅子が倒れ、音を立てる。それで少しだけ冷静になった一同が静まり返った時である。
「男子……!」
授業に出ていた女子たちと真面目な数人の男子たちが教室に戻ってきた。
(なんだ……? なんで後ろの連中、捕虜みたいな扱い受けてるんだ?)
と、
「この中に不埒な窃盗犯がいます!」
何事だと死にかけていた男子たちも顔を上げる。蒼詩は身に覚えがないので、「なんだかデスゲームでも始まりそうなノリだな」などと下らないことを考えていた。それくらい疲れ切っていて、半ば思考停止状態だったのだ。
「ウェイウェイウェイ……おいちょと待てよ。なんの話だよ?」
お、早速つかってる……。それにしてもお腹空いたな、そういえばもうお昼か。弁当食べてから――何事だか知らないが自分には関係ない、話は聞きつつもまずはお昼をとろうと蒼詩が弁当箱を取り出そうとしていると、
「更衣室から
何気なく聞いていたら、とんでもない話になってきたが――まだ、他人事である。
(まぁた小晴が喜びそうな
しかし――
「言いがかりは止してくれないかな。その時間、ボクたちは――、」
「ウェイウェイウェイ! ユウキくんちょぉっと待ったー! それはあれだぜ!」
「はっ……」
――そうだ、どう言い訳しよう。
(覗きをしようとして、それが見つかって罰を受けていた――とは言えないし、言ったら火に油を注ぐようなもの)
いくら失敗したとはいえ、この秘密は墓場まで持っていかねばならないものだ。覗きをしようとしたことはもちろん、それがバレてしまったことがもう既に恥なのだ。これ以上の恥の上塗りは避けたい――
「……何? 何か、わたしたちに言えないことでもあるわけ?」
クラス委員の過本憂君の目が鋭くなる。
「い、いえ……特に何もありません」
不用意なことを口走った遊浮たちに集まる疑惑の視線――このままだと二人が濡れ衣を着せられてしまう。
(おれたちは既に一心同体、同じ苦行を共にした
男子たちの顔色が青ざめる――そんな中、
「俺たちは
それ言って大丈夫か……、という懸念から視線を交わす蒼詩たちだが、
「そ、そうだぜ……! 見ろよ、オレたち見るからにくたくただろ? 体育以上に運動してたんだぜ……!」
「脇汗ヤバい」
「しぐ先にたっぷりしごかれてたんだ……」
「それヤバいな、なんか」
男子特有の空気をつくりだすことで女子を引かせ、いっときの蔑みを受ける代わりに話題を変えようという作戦だ。
(だけど――過本の目はマジだ。こいつは引かないぞ――さすがに演技的過ぎたか)
ここは素直に肉体労働をしていたことにしておけば――
「なんで、あんたたちだけ? 他の連中は? それに体育の先生は何も聞いてなかったみたいだけど? サボりだって認識してたみたいだし」
憂君の視線がジロリと男子たちの顔を巡る。みんなレーザーでも喰らったかのように硬直した。確かに男子全員でなく、自分たち八人だけが呼ばれるのは不自然だ。
その破壊光線は最後に蒼詩を捉える。
「陽木、あんた、さっきから変な顔して黙りこくってるけど――どうしたの?」
「へ……?」
別に心配してくれた訳ではないだろう。だとしたらこんな冷め切った視線は向けない。
「い、いや……。ただ、その……疲れてて。おれたちマジでクタクタなんだよ――」
ため息混じりに呟いて、本当に疲れている風を装う――実際に疲れてはいるものの、それよりも緊張が勝っていた。憂君の顔を直接は見れないまま、
「ほんと……しぐ
陽木……、と同志たちから不安げな声が上がる。これは危ない橋だ。分かっている。
「午後ってしぐ先の授業だろ? その時にでも……」
少し、冷静になれる時間が欲しい――時間があれば対策を立てられる。女子の疑惑の包囲網に抜け穴を見つけることが出来る。
そんな意図が見透かされたのか、
「怪しい……」
憂君だけでない、他の女子たちも露骨に不審げな顔されてしまった。
(墓穴を掘ったか。でもおれはこの穴を掘り進める……!)
脱出するためのプランはあるのだ。今は昼休み――
「ほら、話し合うのはあとにしようぜ? おれは弁当持ってるからいいけど――購買組は早く行った方がいいんじゃないか?」
「わたしは弁当持ってるから。――あんたも持ってるんだよね? じゃあちょっと話し合おうか。それと、残りの男子も居残るように。警察じゃないんだから取り調べに食べ物なんて必要ないわよ」
「えー……」
他の女子たちは購買に行くことにしたようだが、肝心のリーダー格がなかなか引き下がってくれないどころか、完全に容疑者扱いされてしまっている。
なんとかしなければ――こういう時こそ名探偵が現れて、さくっと事件を解決してくれないものか。
そんな想いが通じたのかのように、
「ちょっと待ってよ、過本さん」
(こいつを調子に乗らせるのは癪だが――仕方ない、解決出来るんなら――)
何? と振り返る憂君。小晴はさながら男子たちを庇うかのように憂君とのあいだに移動する。
「今日授業にいなかった男子八名の犯行だとしたら……綿雨ちゃんの下着だけなくなってたのはおかしくない? もっといっぱい盗られてもおかしくないよ」
「それは……そうだけど」
「だから、犯人は単独犯――それも、綿雨ちゃんに好意を持つ人物」
その言葉に、教室が一瞬沈黙のとばりが下りる――当の綿雨ちゃんがそわそわと落ち着かなげに容疑者たちに目を向けていた。
「単独犯っていうなら――お、おれたちはみんな一緒にいたぞ! ずっとだ! トイレだって一緒だった! まるでお互いを見張りあうかのように!」
この機を逃さず、蒼詩はすかさず全員の無実をアピールし、仲間たちも「そうだそうだようぎそうた」と同調してくれるが――自分でも分かっている。身内の証言ほど疑わしいものはないということを。
でも実際、やってないのだ。
「そもそもの話――」
いぶかしげな顔をする憂君と違って表情一つ変えず、小晴は何事もなかったかのように話を続ける。
「あの、わたあめちゃんだよ? この、わたあめちゃん」
どの綿雨ちゃんかはすぐ近く、憂君の影に隠れるようにして立っているので分かるのだが、何が「あの」なのかはみんなすぐにはピンときていないようだった。
「我がクラスの備品系女子。愛されマスコットのあのわたあめちゃん。そんなわたあめちゃんの下着を盗むなんて真似……出来る?」
あぁ、と容疑者だけでなく、その場に残っていた数名の女子も納得する。男子たちにいたっては「そんな罪深いことは出来ない」と声を大にしていた。
そう、雲居綿雨という少女は学校の備品のように慎重に扱わなければならない少女だ。決して共用だからとぞんざいにしてはいけない。ちょっとしたことですぐ緊張し涙目になるし、普段からおどおどしていて頼りない。彼女を泣かせば罪悪感に襲われるし、落ち込んでいる姿を見れば誰もが構わずにはいられないのである。
「そんなわたあめちゃんのを……だよ? いくらおのれを見失い、欲望に身を任せていたとしても――更衣室に侵入したりロッカーを調べたりしている途中でふと理性が目を覚ますはずだよ! 女子とか男子とか関係ない、私たちは同じ人間だもの!」
だもの! 男子たちの声援が上がる。無関係な他の男子たちもいつしか仲間に加わっていた。
「どうせ盗むなら、私ならまだ転入生さんの下着だと思う!」
思う! ――それはそれでどうなんだ。
「…………」
ガタ、と音がした。その転入生が立ち上がったのだ。教室が再び静かになる。
「…………」
転入生――
不快に感じたのかもしれない。実際小晴のコールのあと、何人かがそちらに目を向けた。蒼詩も思わずそうした。確かに、もし盗むなら小柄な綿雨ちゃんよりも、スタイルの好い群雲千月の方だと――それはともかく、この状況で我関せずといったように教室を出て行く彼女は、なかなか大胆である。
(小晴も空気が読めないが――この状況で女子側に同調もしないのは、さすがにちょっと反感を買いそうだな……)
四月の終わりごろに転入してきて、早一か月。しかし彼女はまだ、教室に馴染んだとは言い難い。誰かと特別親しくしている様子もない。そんな彼女が、だ。こっそり出て行くならともかく、そんな堂々と「無関心」を示すのは――状況が状況だけに、この件が無事に収拾した後に、女子たちから批難されなければいいのだが。
(まあ、他人の心配してる場合ではないのだが――)
ともあれ、今の出来事で熱狂は落ち着き――糾弾されていた男子たちはみな、小晴の与えてくれた希望に胸を高鳴らせているようだった。これでお昼が食べられる。そんな、安堵しきった表情も見られた。
(現代に舞い降りたジャンヌ・ダルクかこいつは……)
一瞬どうなることかと思ったが――名探偵ぶって調子になることもそうだが、こんな大っぴらに男子の味方をして、それこそ今後女子のグループから除け者にされることがあったらどうしようか、と。
ただえさえ明咲小晴は変わり者だと思われている――少なくとも蒼詩はそう思われていると考えているのに――まさか、ギスギスしかけていた空気を、こんなお祭りムードに変えるなんて。
蒼詩が素直に感心するなか、小晴はこう続けた。
「だから私は思うの――そもそも、わたあめちゃんの下着はなかったんじゃないか、て」
…………。
「盗まれたんじゃない、最初からなかったの――そう、わたあめちゃんはブラもパンツもしていなかったのではないか!」
穴があったら入りたい。陽木蒼詩はそんな想いに駆られた。
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