1-2 ウィレム -旅立ちは血の涙と共に-
「に、に、、兄さんっ!!!ねぇ起きてよ、兄さん!」
ウィレムがどんなに泣き叫んでも兄はもう返事をしない。
握りしめた手もどんどん冷たくなっていく。
兄は本当に死んだのだ。
もうウィレムに優しく語りかけることもなければ、稽古をつけてもらうこともできない。
あの優しく大きな手で尻もちをついたウィレムを立ち上がらせることも、もはやないのだ。
ウィレムに胸の奥から何かが突き刺さったような痛みが走るが、やがてその痛みもすぐに混乱と怒りで消えていった。
「さて、、お涙頂戴の場面は終わったか。次は、、、お前の番だ」
いつの間にか起き上がったオリアクスがウィレムに向かってくるが、アーサーに刺された腹の傷は重傷で動きは遅く、呼吸は荒い。
(この男は今重傷だ。この状態なら自分でも殺せる。こいつを殺して兄さんの敵を討つ!)
ウィレムの中にどす黒い感情が渦巻く。傍に落ちていたアーサーの剣を拾い、これまでの稽古では出すことのなかった大声を上げながらオリアクスに剣を振るう。
しかし、オリアクスはウィレムの剣を一刀のもとにふるい落とし、ウィレムはその勢いで尻もちをついてしまった。
「そんな、ここまで差が…」
ウィレムが自分の力不足を嘆き、オリアクスは荒い呼吸のまま、
「小僧が、、、なめるなよ。今度こそ死ね!」
と、剣を振り下ろしたその瞬間。
「坊ちゃま!」
アルフレッドが割って入り、ウィレムを抱きかかえ、オリアクスの剣を間一髪のところで避けた。
オリアクスが驚き立ちすくむ間に、アルフレッドは窓を破り外へと飛び出す。二人はそのまま、ウィレムが「爺!」と叫んでいるわずかな時間の間に堀へと真っすぐに落下した。
オリアクスは二人が落下したあたりを眺めていたが、「ぐふっ」と吐血した。「ちっ。流石に限界か。。。今は傷を癒さねば」と呟き、王宮から姿を消した。
堀に落ちたアルフレッドはウィレムを抱きかかえたまま泳ぎ、岸へと這い上がる。
しかし、岸に立った二人は既に30人ほどの王宮兵士に囲まれていた。
「ウィレム様。申し訳ございませんが、捕らえよとの命令が出ております」
「く、、、これまでか」
アルフレッドが悔しそうにし、ウィレムは絶望で声が出なかった。
オリアクスという男が自分を殺そうとし、それをかばった兄が殺されてしまった。そこから逃げると、今度は王宮の兵士たちに囲まれ絶体絶命の状況にある。
一体何が起きているんだ?ついさっきまではいつもと変わらない日常だったというのに。。。
「僕は、、、僕のせいでアーサー兄さんを死なせてしまった上、訳も分からずこのまま死ぬのか…!」
「坊ちゃま、申し訳ございません。私の力不足で…」
ウィレムが気づくと、そう呟くアルフレッドも既に満身創痍の状態だった。何があったんだろう。。。?と一瞬思ったが、今の混乱した頭の状態ではもはやそこまで考えることはできない。
ウィレムとアルフレッドが覚悟したその時だった。
兵士たちが急にウィレムたちの背後を見て怯えた様子を見せる。
その異変に気付いたウィレムが後ろを振り向くと、何と堀の水の一部が宙に上昇し、みるみるうちに体長1.5ヤーン(≒3m)程の蛇のような形に形成されていく。
「な、、、なんだこの化け物は!?」
兵士の一人が叫ぶと、その水でできた蛇は口を大きく開き、兵士に襲い掛かる。
水蛇の攻撃は単純に体当たりするだけだったが、その凄まじい水圧により、兵士達を次々と吹っ飛ばしていく。
吹き飛ばされたある兵士は、周辺の木にぶつかり気を失った。またある兵士は堀に落とされ、重い甲冑を付けているがゆえに、全く岸に上がることができずにいた。またある兵士は吹き飛ばされた先に運悪く鋭い枝があり、それに胸を貫かれて絶命した。
こうして瞬く間に、その場にいた兵士全員が戦闘不能となった。
水蛇は自身の戦果に満足したのか、再び堀へと帰っていき、そのまま元の堀の水へと戻ってしまった。
ともあれ、この場は切り抜けたが、周囲からは未だに足音と怒鳴り声が響き渡っている。
まだ数十人はいそうで、ウィレムたちを見つけるのは時間の問題だろう。
「坊ちゃま。どうやらまだ追手がいるようです。早く逃げましょう。うっ…」
アルフレッドはウィレムに声をかけるが、傷に苦しみ動けそうにない。
「せめて馬でもあれば…」
そう考えていたところへ、馬に乗った一人の女性がウィレムたちの元に颯爽と現れた。
彼女もまたフードをかぶっていたため、最初誰だかウィレムには分からなかったが、女性が話し始めるとその特徴的な口調と声ですぐにわかった。
「さ、ウィレムと爺さん。敵が迫ってるよ」
「ヘレン先生/殿!?一体何でこんなところに!?」
ウィレムとアルフレッドは驚いて二人して声をあげる。
「話は後だ。今は逃げることに集中しな」
ウィレムもアルフレッドも驚きで興奮状態にあったが、極めて冷静なヘレンに感化され、とりあえず今はヘレンの後ろに乗り早くこの場を立ち去ることにした。
「今夜、星を見ていたら不吉な予兆があってね。どうも嫌な予感がして、夜中起きて城の周りを散歩していたんだ。そしたらこの騒ぎだ。兵士どもから馬を奪って騒ぎの中心に来てみたらお前たちがやられそうになってたんでね。こうして助けたってわけさ」
ヘレンは二人の方は向かず、一目散に馬を走らせながら自分がこの場に現れた説明をする。
「ヘレン殿、危ないところを助けていただき、なんと感謝していいやら…。ちなみに先ほどの水蛇はあなたがやったのですか?」
ウィレムを背に乗せたアルフレッドが礼を言いながら尋ねる。
「ご明察。私の扱う召喚魔法は周りの物質を元に想像で創りあげた動物等に変化させることができる。昼間見せたのは風を元に創り上げた精霊だったが、今回は水を元に創り上げた蛇というわけだ。でもな、この魔法には欠点があってだな。そもそも周りに核となる物質がないと何も、、、」
ヘレンが自身の魔法について解説を始めるが、ウィレムは今宵の怒涛の展開のため心ここにあらずの状態で、放心状態であった。
その様子を見たヘレンはやむを得ないという表情で講義をやめた。しばらく3人は無言で馬を走らせ、首都オルカから遠ざかることに集中した。
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一心不乱に馬を走らせ、周りに人の気配もなくなったところで、ウィレムは聞きたかった質問をようやく尋ねることができた。
「爺。一体何が起こってるんだ?二人の知っていることを教えてほしい」
アルフレッドが
「私も状況を把握できていないという点では坊ちゃまと同じです。私は深夜寝ているところに、何人もの兵士に突然襲われました。何とか撃退したものの、まさか王宮内で寝込みを襲われるとは思わず、手傷を受けてこのような状態になってしまいました。不覚でした」
と、自分の傷を指差しながら答えると、謎の一つが解けたウィレムは少し合点が行ったという表情になる。
「そうか。。だから爺はこんな傷だらけだったのか」
「そして、王宮の兵士が自分を襲うなど異常だと思い、坊ちゃまとアーサー様の身が危ないのではと、二人を探しました。そのような中、稽古場の方で戦いが行われている音がしたので、あの場に駆け付けたのです。私が一歩遅かったせいで、アーサー様が…」
そこまで話したところで、アルフレッドは言葉に詰まらせ手で顔を覆った。
「爺。そんなことはないよ。僕を助けてくれたじゃないか。それで十分だよ」
ウィレムがアルフレッドの肩に手をかけながら、優しいまなざしで彼を見つめる。
「坊ちゃま。。。坊ちゃまが一番お辛いでしょうに、何と優しいお言葉…」
アルフレッドが感激しているところに、ヘレンが話を始める。
「ふむ。王宮の兵士を寝返らせることができるのは相当な権力者だけだ。恐らく五大諸侯の誰かだろう。ウィレム。すまないが、お前の身にあったことも話してくれるか?」
ウィレムが一部始終を二人に伝えると、ヘレンがさらに推理を続ける。
「なるほど。。。今回のことは五大諸侯の誰かとニルヴァーナが仕組んだ反乱ということか。まさかここまでの事態だとはな」
ヘレンはため息をしながら続ける。
「私が知っている範囲では、他の4人の諸侯も暗殺されたという話は聞いていない。今回はアーサー王、そしてウィレムを狙っていた。爺さんも二人の執事として、ついでに狙われたのだろう。寝込みを何人かの兵士で襲えば何とかなるだろうと思ったところを見ると、爺さんの力を見誤っていたようだがな」
「まぁギリギリのところでしたが」
アルフレッドが乾いた反応で答える。
「黒幕が誰なのかはわからないが、恐らくアーサー王とウィレムを殺害し、自身が筆頭諸侯となるのが目的だろう。そして、アーサー王は大陸一、二を争うほどの剣の使い手だから、ニルヴァーナに暗殺を依頼した。さらに、ニルヴァーナの刺客が簡単に王宮に侵入できるよう、行商人の情報を与え、襲わせたというところだろう」
ヘレンが立て板に水のように一連の流れを推理した。
「先生、、ニルヴァーナというのは…?」
「最近になった頭角を現してきた正体不明の地下組織だ。モンスターを操り行商人を襲ったり、アヘンの密売にも関わったりしているという噂だ。そしてついに要人の暗殺にも手を出した。許すことは到底できない。いつか正体を掴み、叩き潰す必要がある。ウィレム、お前の兄さんのためにも」
そう話すヘレンは拳を強く握りしめながら、ウィレム達の方ではなく首都オルカの方を強い眼差しで見つめていた。ウィレムはそんなヘレンの様子を見て頼もしさを感じた。
「ヘレン。僕はまず何をすればいい?」
ウィレムが尋ねるとヘレンはこちらに関しても流暢に答える。
「まず情報が必要だ。誰が主犯なのかというな。そして、そいつはウィレムが死んでいないことをすぐに知るだろう。いくら堀を調べたところで、お前の死体は見つからないからな。すると、そいつはお前を見つけて殺そうとするだろう。そうなる前になるべく早く、セレスフィアの街に行くべきだ。そこなら安全だし、情報も集めやすい」
セレスフィアの街とは、アーサー・ウィレムらセレスフィア家が治める領土の中心の街だ。
「確かにそうですな。セレスフィアの街であれば、他の五大諸侯も簡単に手出しはできないでしょう」
アルフレッドが同意すると、ウィレムもぎゅっと表情を引き締めて決意する。
「わかったよ。爺、ヘレン先生。まずはセレスフィアの街へ向かう」
こうして3人は再び馬を走らせセレスフィアの街へ向かうことになり、ウィレムの15歳の誕生日は終わりを迎えた。3人が再度出発した時にはもう日が昇ろうとしており、天は赤みを帯び始めていた。ウィレムには天が血の涙を流しているように見えた。
シャングラ連合国に一体何が起こっているのか?
アーサー兄さんを殺したニルヴァーナの一員、オリアクスとは何者なのか?
そもそもニルヴァーナの目的は何なのか?
ウィレムの中に様々な疑問が水泡のように浮かんでは消えていく。
そして何よりも兄を失った悲しみがウィレムを雪崩のように襲ってきた。
(アーサー兄さん…!!)
ウィレムはしばらくアルフレッドの背中で泣き続けた後、ドッと疲れが出て寝てしまった。
アルフレッドとヘレンは、朝日に照らされながら寝息を立てるウィレムの様子を温かい目で見ているしかなかった。
この時のウィレムはまだ知らなかった。
自分がこの後大陸全土を巻き込む戦乱の渦中に身を置くことを。
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