2-1 エルゼ -氷と炎の競演-

ー戦争の時は近い!エルドライド帝国正規兵募集中!入隊の際には試験を行うゆえ、入隊希望者は本日10時に広場に集合することー


 とある女の子がエルドライド帝国の北部に位置するラークスの町の掲示板に貼られた新規帝国兵募集のポスターを眺めていた。

 その子の髪は黒く、丁度肩にかかる程度の長さだが、動きやすいよう後ろでまとめている。腰には片手で扱える長剣をかけ、左腕には鉄の小手をつけており、いかにも戦いに行きそうな恰好をしているが、それ以外はいたって平凡な18歳の女の子だ。透き通ったエメラルドグリーン色の瞳と筋の通った鼻筋が凛とした芯の強さを感じさせる。

 名をエルゼという。


 一通り帝国兵募集のポスターを眺めた後、腰にぶら下げた巾着袋から懐中時計を大事そうに取り出し時間を確認する。

「まだ試験開始まで30分はあるわね。。。お父さん、お母さん、エルゼの行く末をどうか見守っていてください」

 と改めて今日の帝国兵入隊試験が上手くいくように誓う。


ー戦争の時は近いー

 エルゼはこの文言の意味するところについて考えてみた。

 国際情勢に詳しいわけではなかったが、シャングラ連合国のアーサーが暗殺されたという号外はここ数日で大陸中を駆け回っていた。

 確か、アーサーという人物はシャングラ連合国の獅子王と呼ばれるほどの中心的な人物だったはず。その人物が暗殺されたということは政治的な空白が発生し、シャングラ連合国は混乱する。

 そしてその混乱に乗じて、エルドライド帝国はシャングラ連合国に侵攻するのであろう。


 他人の不幸に乗じる帝国のやり方がエルゼとしては気に入らなかったし、本来であれば全く見向きもしなかっただろうが、ポスターの最後に書かれていたこの文言を読んで入隊することを決めた。


ー此度の戦争で大きな手柄を挙げた者には皇帝陛下から直々に勲章が授与されるー

 

 皇帝から直々に勲章をもらえるなんて、人生で1回あるかないかの大イベントだ。 エルゼは改めて入隊試験の会場である町の広場へ向かう。


 町にはレンガ造りの家屋、穀物庫、露天などが並んでいる。ラークスの町は帝国内では比較的小さな町で、適度な賑わいと穏やかさを兼ね備えており、エルゼはこの町のそんな雰囲気が好きだった。とはいえ、無事帝国兵に入隊することができれば、この町から去り、帝都ドレイドラータに行かねばならない。エルゼは帝国兵には心からなりたいと思うが、それだけは心残りだった。

 

 建物の間には並木が植えられており、今日みたいな陽が照りつける日にはよい木陰を提供してくれている。広場に向かうには大通りから行くのが早いが、エルゼはなんとなく脇の小道から向かうことにした。ここなら建物同士の影になってて陽に当たることはない。

 大人二人だと片方は横向きにならないと通れないくらいには狭いスペースで、夜歩くのはちょっと怖いが、まぁ今は朝だ。人通りも少ないため、考え事をし、精神を落ちつけながら広場に向かうには丁度いい。


 それにしても入隊試験は一体何をやるのだろうか?晴れて合格したら実際に戦争に行くのだろうから、筆記試験だけやるというわけでもあるまい。やはり近隣の街道に出没するモンスター退治が妥当なところだろうか。

 と、エルゼがそんなことを考えながら歩いていると、

「おっと悪い!!」

 後ろから猛スピードで走ってきた男がエルゼとぶつかり、急いでいる様子でそのまま走り去ってしまった。

(この狭い小道をあんな速さで走るなんて非常識な…)

 そう心の中でつぶやきながら、はっと気づいた。


(懐中時計がない!)


 しまった、油断していた。入隊試験のことで頭がいっぱいだった。

 あれは父母の唯一の形見。このまま盗られるわけにはいかない。

「待ちなさい!」

 叫ぶのと同時に体が動き始めていた。


 くねくねした細道を走り、盗人を追いかける。途中道行く人とぶつかったり出店を思いっきり壊したりしてしまったが、盗人の走るスピードが速すぎて詫びる暇もなかった。

 追跡劇の途中で、入隊試験が行われる広場も横切った。

 既に人が集まり始めていてそろそろ試験が開始される雰囲気だったが、今はそれどころではない。とにかくあの盗人を捕まえて懐中時計を取り返すことだけを考えないと。

---

 盗人を追跡し始めてから30分ほどは経っただろうか。

 ここまで全速力で走ってきて流石にエルゼも疲れてきたが、それは相手も同じで少しスピードが落ちてきたようだ。

 そして、何年もこの町で暮らすエルゼが上手く逃走ルートを誘導できたおかげで、ついに町はずれにある穀物庫に追い詰めることができた。今は無人で、ここなら手荒な真似をしても問題なさそうだ。


「追い詰めたわよ。さぁその懐中時計を返してもらいましょうか」

 エルゼは、穀物庫の奥でこちらに背を向けながら立っている盗人に対して冷徹な視線を浴びせる。

「へへっ。お嬢ちゃん、この俺をここまで追いかけて来るなんてなかなかやるじゃないか。でもな、追い詰めたと思ってるつもりならそれは大きな誤解ミステイクだぜ」

 エルゼが思っていたよりずっと明るい声のトーンの声を上げながら、これまでずっとこちらに背を向けていた男が振り向く。

 まだ20代半ばだろうか。思っていたよりも全然若そうだ。金の短髪に青い瞳。世に言うイケメンの部類に入るだろう。薄い生地でできた黒のローブを着ており、手足の袖口が広く開いている。エルゼの懐中時計は袖口のポケットに入れているようだ。腰には短剣を差しており、どうやらこれが彼の武器らしい。細身で身のこなしが軽そうな彼にはピッタリの武器だとエルゼは直感した。

「さて、どうしてもこのミスリルの懐中時計を取り返してほしいっていうなら、力ずくで来な」

 男はそう言いながら短剣を抜き構える。エルゼも緊張で喉をごくりとしながら長剣を構える。


 …やいなや、お互い全力で相手の方に駆け出し、剣戟を交わす。

 エルゼも男も剣捌きは見事なもので、お互いが利き腕ではない方に小手を装備していたため、危ない攻撃はその小手でしのぎつつ基本的に軽い得物を活かしたスピード勝負となっていた。

 エルゼとしても決定打に欠ける中どう攻めるか考えながら、20撃ほど打ち合ったところ、男は右手に持っていた短剣をいつの間にか、気づいた時には左手に持ち替えていて、その空いた右手で掌打を放ってくる。

「しまった!」

 小手の防御が一瞬遅れてしまい肩にもろに食らい、2ヤーン(≒4メートル)ほど後ずさりしてしまった。


「お嬢ちゃん、なかなかやるね。でもまだまだだよ。もう少し俺を楽しませてくれよ」

 男が余裕の笑みを浮かべたため、エルゼは胸の奥に熱いものが込み上げて来るのを感じた。

「くっ…仕方ないわね。こんなところで使いたくなかったけど」

 そう言いながら再び剣を構えて突進した。

「ん、また普通に打ち合うだけかい?」

 男がつまらなそうな表情をしたところに、エルゼは剣を振るうと同時に呪文を唱えた。

「氷結魔法:氷の刃アイシクル!」


 と、その瞬間エルゼの掌から6本の氷柱のような氷の刃が現れ、男に襲い掛かる。

「マジかよ!?」

 剣戟だと思っていたところに、この近距離で魔法を打たれたため、男も避けることができず、自ら後ろに吹っ飛びながら直撃の威力を弱めるしかなかった。

 エルゼは完全に捉えたと思っていたが、吹っ飛んだ男の様子を見て驚いて思わず声を上げてしまった。特にケガをしている様子はない。


「いくら威力を弱めたとはいえ、あそこまで無傷なんて…」

 エルゼの目に奇妙な光が浮かび、男の目にも似たような好奇心という名の光が浮かんでいた。

「へへっ。今の攻撃は良かったぜ。ところでお嬢ちゃん、あんた名前は?」

「エルゼよ。お嬢ちゃんはやめて。そういうあなたは?」

 エルゼは男の舐めきった態度が気に食わなかった。

「俺はダンテだ。訳あってこの町に来ていたが、たまたまエルゼちゃんのミスリル製の懐中時計を見かけてな。ミスリルなんて希少な金属でできた懐中時計は相当な高値で売れる。なのでちょいと盗ませてもらった」

 ダンテと名乗った男は袖口から懐中時計を取り出し、エルゼに見せつける。

「その懐中時計は私の父母の形見なの。ケガしたくなかったらさっさと返しなさいよ。次は本気で撃つわよ」

 エルゼの目つきが真剣さを伴ったものに変わったが、ダンテは肩をすくめるに留まった。

「おー、怖い怖い。戦ってる時の凛々しい顔もよかったが、怒ってる顔もまたいいね。そんなに大切な形見なら次からはちゃんと用心しておくことだな。それに、俺にはちゃちな魔法は通用しないぜ。この黒のローブは魔法を軽減する効果があるんだ」

「ふーん、なるほどね。どおりで当たったと思った魔法が通用してないわけか。じゃあますますこちらは本気で行くわよ。氷結魔法:氷の弾丸アイスバレット!」

 エルゼは今度は先ほどよりも大きな氷の弾丸をダンテにめがけて放つ。

「おおっと。流石にこのサイズは黒のローブでも軽減しきれないな。炎熱魔法:火球ファイアーボール!!」

 ダンテもそう魔法を唱えると炎の球が飛び出し、エルゼの氷結魔法を全て溶かしてしまった。


「なっ!?」

「悪いな。魔法はあんただけの専売特許じゃないんだ。ところでエルゼちゃん。あんた所属はどこだ?それだけの魔法と剣術。帝国軍のどこかしらに所属してるだろ?」

 驚いて目を見開いたエルゼに対して、ダンテの彼女に対する好奇心はさらに膨らみ、彼の声には笑い声が含まれていた。

「いいえ、どこにも所属してないわ。本当はこれから入隊試験を受けるところだったのよ。それをあんたに邪魔されたから急いでるんじゃないのよ!」

「そうだったのか。そいつは悪かったな。じゃあなおさら俺からこの懐中時計をさっさと取り返さないとな!」

「言われなくても!!」


 勢いよく言ったものの、エルゼは困っていた。彼女の氷結魔法ではダンテの炎熱魔法を破ることはできない。炎と氷なんて相性は最悪だ。

 剣術は互角…と思いたいところだが、ダンテの実力は底が知れない。

 (さて、どうすればダンテに勝てるか…。ん、そうか。別に勝つ必要はないわ!)

 何か閃いたエルゼは穀物庫の中を縦横無尽に駆け巡りながら氷の弾丸を連射する。

「はっ!そんな小型の氷じゃ俺にかすり傷もつけられないぜ!」

 ダンテは軽口を叩きながら氷の弾丸を一つ一つ火球で潰していく。

 高火力の炎により一瞬で蒸発した氷の弾丸は蒸気となり、2人の周りを覆い始める。エルゼはさらに氷の弾丸を撃ち続ける。

「まだまだ!」

「ふっ!蒸気に紛れて撃てば当たると思ったのか?甘いぜ!」


 ダンテはまるで射的ゲームで一発も外さずに命中させるかのように、氷の弾丸に火球をぶつけて的確に対応する。そして彼の炎熱魔法が氷の弾丸を溶かす度に蒸気は穀物庫の中をさらに厚く覆っていく。

「いよいよ、彼女の姿が見えなくなってきたな…」

 ダンテが警戒を強める中、後ろからエルゼの叫ぶ声が聞こえる。

「これで最後よダンテ!氷結魔法:氷の弾丸アイスバレット!!」

 ばっと身構えたが、氷など飛んでこない。ダンテが騙されたと気づいた時には既に遅かった。エルゼはダンテの袖口から懐中時計を華麗な身のこなしで奪い返していた。

「これは返してもらうわ!じゃあね!」

「しまった!蒸気は俺を倒すためじゃなく、あくまでこれを奪うスキを作るためのものか!やるじゃないか、エルゼちゃん!」


 エルゼにその賛辞は聞こえていなかった。既に穀物庫の扉を開け、外に飛び出しており、その場で立ち尽くすダンテの方を振り返らずに一目散に広場へと向かっていたからだ。

「だいぶ時間を食っちゃった。…急がないと!」

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