9 ウィレム -バルクス修道院-

 バルクス修道院は修道院といえども広大な土地を有しており、その敷地内に入るには壁に囲まれた堅牢な門を開けてもらう必要があった。

 ウィレム達が門のそばまで来ると、物見塔の衛兵から止められる。

「ここはヘイムダール枢機卿の治めるバルクス修道院である。許可のない者は入れない。その方は何者か?」


「僕は五大諸侯の一人、セレスフィア家のウィレムです。ヘイムダール枢機卿とお話があります」

 衛兵は物見塔から降りてきて、訝しげな表情でウィレムたちを見つめていたが、特に害はないようだと判断したようで

「案内しよう」

 と言って門を開け、自ら案内を買って出てくれた。


 門を抜け、敷地内に入ると、左右をイチョウの木が立ち並ぶ大通りの真正面に修道院が建っている。今は丁度肌寒くなってきた季節で、大通りは落葉したイチョウで黄色のカーペットが敷かれたようになっている。そして、赤みを帯びた西日が反射することで、イチョウの美しさがより際立っていた。


 右側には兵舎や厩舎が並んでおり、訓練場では若い兵士達が訓練に励んでいる。左側には民家や商店が所狭しと建っており、さらに外側には農作物を倉庫や畑がある。

 まるで修道院を中心に一つの街が形成されているようだった。

 民家はスレート屋根とレンガで建てられたものも多く、首都オルカの家々と比べても遜色ない。


「すごい栄えているね、先生。これもアルティマ教への信仰心の力かな?」

「ふん。信仰心だけで街ができたら世話ないね。金の力に決まってる」

 ヘレンは相変わらず毒舌で悪口を言っているが、その言葉の真偽は後々わかることになる。


 大通りの突き当たりにあるバルクス修道院はまさに金の力で建てられたような修道院だった。

 壁は、この辺りでは採れずおそらくどこかから運んできたであろう石が幾重にも重なってできており、門を挟むようにして建つ尖塔は20ヤーン(≒40m)程の高さがある。

 その尖塔に見下ろされながら修道院の内部に入ると、色鮮やかな草花で覆われた中庭が目立つ。それを囲むようにして回廊があり、ウィレムたちはその回廊をぐるりと回りながらさらに奥に建つ一層豪華な塔に向かう。

 衛兵が塔の門を守護する別の衛兵たちに挨拶をし、ウィレムもなんとなく門の衛兵たちに頭を下げながら中に入る。


 塔の頂上に着き、衛兵が

「ここが枢機卿のお部屋だ。くれぐれも失礼の内容にな」

 と言って塔を降りて行った。恐らく自分の持ち場に戻ったのだろう。


「失礼します。セレスフィア家のウィレムです」

「お入りください」

 穏やかな声に誘われるがままに部屋に入ると、まず目に飛び込んだのは部屋の中央にぶら下がった大きなシャンデリアだ。ロウソクが何本も立てられており、部屋を煌々と照らしている。

 カーペットはシルキー山脈に出没するモンスターである赤猫レッドキャットの毛でできており、そんな灯りなど必要なさそうなほど赤々と輝いている。

 ウィレムは教会の重職が使う部屋というより、まるで王様の部屋という印象を受けた。


 そんな部屋の主であるヘイムダール枢機卿は、絹でできたビロードと豪華なダマスク織の立派な祭服を着ており、金縁の眼鏡をかけている。

 頭にはそれらと比べるとシンプルな素材で作られた小形円形の赤い帽子をちょこんとかぶっている。

 ウィレムは衣服に圧倒されてしまい、パッと見ではこの枢機卿が何歳くらいなのかイマイチ判断できなかった。


「ウィレム様、遠路はるばるご苦労様でした。12年ぶりでしょうか?道中ドレースの兵士達には見つかりませんでしたか?」

 枢機卿が金縁眼鏡に手をかけながら挨拶する。

「枢機卿猊下、お久しぶりです。と言っても当時僕は3歳でしたので、鮮明に覚えているわけではないのですが。。。ヘレンのおかげで、道中は問題ありませんでした」

「そうですか、それは何よりです。まずは皆さんお疲れでしょうから、お座りくださいませ」

 ヘイムダールはさすがは教会の重職だけあり、優しい笑みでにっこりとしながら、応接用の机と椅子を案内する。

 それらの机と椅子はマホガニー材でできており、その美しい縞模様は、この部屋の雰囲気とはあまり調和していなかった。カーペットと机を発注した人は別の人だったのだろうか。

 とはいえ、ウィレムはオルカでもほとんど見たことのないこの洗練された椅子に座るのが少し気恥ずかしいような気もした。

「ワインは?」

「いえ、僕はまだ15歳ですので、お茶で結構です」

「お、じゃあいただこうかね」


 ヘレンは受け取ったワインをグラスに注ぐことなく、そのままがぶ飲みする。枢機卿もウィレムもその様子をしばらく口を開けて唖然として見ていたが、我に返ったウィレムは座るや否や話を切り出す。

「枢機卿猊下。早速ですが本題に入らせていただきます。そのご様子ですと、首都オルカで私の兄アーサーに起きた悲劇を既にご存知の様子。シャングラ連合国の現状をどうお考えですか?」


「そうですね。私も長年このバルクス修道院を任されてきましたが、シャングラ連合国の現状はかつてないほどよろしくない状態と言えるでしょう」

 ヘイムダールはゆったりとした様子で椅子に座りながら話す。

「おっしゃる通りです、猊下。僕はまさにその状況を改善したいのです。ドレース公と戦う兵力を僕にお貸しいただけないでしょうか?」


 ウィレムの率直な願いにヘイムダールは少し眉をピクッとさせたが、しばし考え込んだ後、やはりゆったりとした口調で話し始める。

「私は生前のアーサー様には世話になりましたからの。あの方の弟であるウィレム様に精一杯恩返しさせていただきましょうぞ、、、と言いたいところですが」

「と言いたいところですが?」

「ベイロックスというエルドライド帝国の街をご存知でしょうか?最近、あの辺りに布教活動に向かった我々の修道士が何人も行方不明になっているのです。いなくなった修道士を見つけ出して、連れ戻していただきたいというのが私からの依頼です。無事連れ戻していただければ、このヘイムダール。ウィレム様への協力を惜しみませんぞ」

「交換条件というわけですね」

 枢機卿はゆっくりと頷く。


「修道士たちは逃げ出しただけっていう可能性はないのかい?あ、このワインとても美味しかったよ、ありがとな」

 ワインの瓶を空にしたヘレンが尋ねる。

「なるほど、確かにその可能性もあるでしょう。しかし、見くびらないでいただきたいものですな、ヘレン殿。私の修道士がそんなヤワなことをするはずがありません。きっと何か事件に巻き込まれたに違いありません」

 ヘレンの失礼な問いに対しても、枢機卿は変わらずゆったりとした口調で答える。


「なるほど、分かりました。ベイロックスの街であればここからそう遠くはありません。すぐお調べします」

「さすがはウィレム様。積極的に人助けをしてくださるところはアーサー様そっくりだ」

 ヘイムダール枢機卿はウィレムの人間性にニッコリとほほ笑む。その後、ウィレム達が部屋を出ようとすると、後ろから声を掛けてきた。


「最後に一ついいでしょうか。時にウィレム様は、魔法を扱うことができますか?」

「いえ、僕は使うことができませんが、それがどうかしましたか…?」

「そうですか。この大陸で魔法を扱えるものは2割程度と言われております。大半の人は使えず、それも遺伝や偶然によって使えるかどうかが決まります。魔法を扱えるものは得てして将軍や宮廷魔術師として、重用される者も多いと聞きます。そちらにいらっしゃるヘレン殿のように」

「はぁ、おっしゃる通りですね」

 ウィレムが枢機卿の意図するところが分からないでいると、

「私はね。魔法だけでなく、富もまた生まれた家柄や偶然によって、それを手にする者と手にできない者がいることに不満を感じているのですよ。言うなれば、魔法を使えるのか、使えないのか?富を持っているのか、持っていないか?そういったことで住む世界すらが区分されているような…」

 とヘイムダールが話したため、やっとその意図を掴めたような気がした。

「なるほど。確かにそのような不平等は是正しなければならないものの一つだと思います。しかし、僕はまだ15歳。是非今後もそういったことを勉強させてください」

 と言うと枢機卿は「もちろんですとも」と再びニッコリして、二人を見送った。


 ---


 修道院を出て、十分に離れたことを確認してからウィレムは今見て、聞いてきたもの一つ一つを丹念に思い出しながら独り言のようにつぶやいた。

「ヘイムダール枢機卿の僕たちに対する態度や話し方はとても丁寧でした。だけど、彼の身につけている衣服は高級なものばかりで、あの修道院はすごく綺麗な装飾がなされていて、彼の部屋も豪華なソファや机で埋め尽くされていました。そして僕たちがいただいたワインやお茶もやはり高級なものでした。アルティマ教会というのはそんなにお金が手に入るものなのでしょうか?」

「たまに熱心な支持者がいるからな。あとは、貴族の大事な一人娘が重病にかかったりすると、アルティマ教会に依頼して、神頼みして病気を治そうとするんだ。んで、そのお礼に莫大な謝礼を要求する。あの枢機卿もきっとそういうことをして金を集めたのだろう」

 ワインの瓶を一本空けたにも関わらず、いつもと全く変わらない様子でヘレンが答えると、

「なるほど。だとすると、ヘイムダール枢機卿はそこまでして一体何のためにお金を集めているのでしょうか。それに最後に話した富の不平等の話は一体何だったんだろう…」

 ウィレムの脳裏に浮かんできた疑問を口にした。

「さぁな。まぁ金そのものが目的って奴もいる。あいつが富の不平等にどこまで関心があるかはいまいち分からなかったが…」

 ヘレンもまた同じような疑問を抱いていたが、それ以上にウィレムがそういうところまでちゃんと見ているということに驚いた。

「そうだ、先生。先生の風の精霊シルフで、今の状況を爺達に伝えられないかな?帰りが少し遅れそうだって」

 ウィレムは思いつきで言ったにすぎなかったが、ヘレンはその提案にさらに驚いた。

「なるほど。私の召喚魔法にそんな使い方があったとはな。いいアイデアだ」

 ヘレンは早速風の精霊シルフを呼び出し、帰りが遅れる旨と自身が微かに抱く懸念をセレスフィアの街にいるアルフレッドに伝えるよう指示し、二人はベイロックスの街へと向かうのだった。

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