10 皇帝アーティス -処刑-

 エルドライド帝国の帝都ドレイドラータ。

 帝都を見下ろす位置に立った赤き宮殿レッド・パレスの中で最も高い場所に位置するのがこの皇帝の間だ。

 皇帝アーティスはエルドライド帝国における絶対的な君主として今日も皇帝の間に座している。扉から皇帝の座する玉座までは50ヤーン(100m)ほど距離があり、一人の男が座する部屋としてはいささか巨大にすぎる。

 また、壁には帝国の象徴シンボルでもあるドラゴンが象られた旗が所狭しと掛けられている。そのドラゴンは今にも飛び出してきそうな勢いで絶対的な君主の前に跪く男、六誓将軍ゼクス・エイドの一人であるインハルトを睨みつけていた。

 彼は両手を後ろで縛られながら、左右を巨大な斧を持つ処刑人に挟まれており、運命が宣告される時を待っていた。

 皇帝が一言「死刑」と命じれば、彼は左右の男から鈍い銀色に輝く斧を振り下ろされ彼の命は尽きるだろう。


 インハルトがこのような事態に陥った理由は3日ほど前に遡る。


 エルドライド帝国はシャングラ連合国ではなく、マグメール王国に対して宣戦布告した。

 アーサーのいないシャングラなど恐るるに足らず。先にマグメール王国を併呑した後、内戦で弱体化したシャングラをゆっくりと料理すればよい。

 皇帝アーティスはそう考えた。


 そしてアーティスはインハルトにマグメールに対する速攻を命じた。

 インハルトにその白羽の矢が立ったのは、彼がまさにマグメール王国との国境沿いの警備に当たっており、最も進軍しやすい位置にいたからだ。

 エルドライド帝国の南東は険しい山々が連なるバスター山脈が位置しており、マグメール王国に攻め入るにはそのバスター山脈を越えるか、大陸の丁度中心に位置するセプテリオン宮殿周辺の方まで迂回し、その先にあるマキシマ平原を通り抜ける必要がある。


 いずれのルートを選択した場合でも、マグメール北方の要所であるモントロワの街を抑えることが肝要となる。モントロワの街は王都アンドラまで国道でつながっており、エルドライド帝国にとってはこの地を拠点にすることでアンドラ攻略がぐっと容易になる他、資源も豊富であるため、戦術的価値も高い。


 バスター山脈越えを選択した場合、この険しい山道を馬で越えるのは至難の業だ。

 しかし、モントロワの街に向けて最短ルートで攻め入ることができるため、マグメール王国の防衛準備が整わないうちに急襲することが可能だ。

 一方、セプテリオン宮殿からマキシマ平原まで行軍するルートは安全だが、遠回りになり、その分マグメール王国にも迎撃準備の時間を与えてしまう。

 どちらも一長一短だが、インハルトは時は金なりとバスター山脈越えを選択した。


 インハルトは自分の判断に間違いはなかったと今でも思っている。

 自分が騎馬隊の隊長として、六誓将軍ゼクス・エイドの称号を賜っている。そのため、率いるのは帝国、ひいては大陸の中でも屈指の騎馬隊であり、険しい山道すらものともしない部隊だ。


 しかし、彼のバスター山脈越えは失敗に終わった。

 彼が誤算だったのはマグメール王国にはアルシドという軍事の天才がいたことだ。


 アルシドが想定したシャングラのアーサー王が亡くなった場合に起こりうるシナリオの中に、エルドライド帝国のバスター山脈越えが含まれていた。

 そのため、彼は以前からバスター山脈を徹底的に調べており、エルドライド帝国が攻めてくる場合、山脈内のどのルートを取ってくるかを予測していた。

 中でも可能性が高いルートが今回インハルトが採用した隘路を行軍するルートだった。通路としては狭いが、起伏が小さく馬で行軍する場合に最も早く山脈を越えられるからだ。


 一方、このルートは左右を崖に挟まれており、崖上からの落石と伏兵にはうってつけであった。アルシドにとっては、敵がそのリスクを冒してまでこのルートを選択するかは一種の賭けであったが、この戦の端緒において、伏兵と落石の計が成功すればエルドライド帝国の士気を大いに下げることができるため、その賭けにベットすることにしたのだ。


 そして、アルシドはその賭けに勝った。


 彼の予想通り、インハルト率いる騎馬隊は隘路を選択した。

 エルドライドの選りすぐりの騎馬隊が山道を駆け抜けるさまはまさに壮観であったが、半分くらいの騎馬隊が通り過ぎた頃合いを見計らい、彼の軍を分断する形で岩を落とし、混乱して立ち往生する騎馬隊にマグメールの弓兵部隊が一斉に弓を射た。

 落石により進路を塞がれた後ろ半分の軍は退却の途中で伏していた弓兵に好きなだけ矢を射られ壊滅。前半分の軍はさらに悲惨で、引き返そうにも落とされた岩が邪魔で思うように引き返せず、その間にやはり矢を雨のように射られ、その場は地獄絵図のようになった。


 インハルトは軍の先頭にいたが、周りの親衛隊が「インハルト将軍!あなただけでもお逃げください!」と血路を開いてくれたおかげで、彼とごくわずかな手勢のみドレイドラータに逃げ帰ることができた。自分のために非業の戦死を遂げた者たちのためにも今死ぬわけにはいかない。


 インハルトはそう改めて決意し皇帝アーティスの顔色を伺うが、跪いているため、イマイチよく表情が分からない。怒っているのか悲しんでいるのか呆れているのか。。。


 その皇帝アーティスは齢60を超える。国を治める者としてはシャングラ連合国、マグメール王国合わせても最年長だ。

 にも関わらず決断力や判断力、記憶力は衰えることを知らず、今なお血気盛んだ。

 戦闘能力も現役の六誓将軍ゼクス・エイドには流石に及ばないが、並の将兵では手も足でも出ない程強い。


 中でも彼の特徴をよく表す言葉は"非情さ"にあると言っていい。

 10年前メンフィス村を滅ぼした際、その部隊と部隊を率いていた六誓将軍ゼクス・エイドには女子供も含めて徹底的に殺せと指示した。

 それは、たとえ女子供であろうとも一人でも生き残りがいればその者は必ず復讐しに来るからだ。それを防ぐには徹底的に殲滅し、復讐の種を残さないようにすること。

 人からは非情だと思われるだろう。だがこれでよいのだとアーティスは考えている。

 復讐などという愚かな行為のターゲットに自分がなるなどあってはならない。この世で絶対の存在である自分を脅かす者などあってはならない。


 彼の"非情さ"は帝国内の人間にも向けられる。

 アーティスは徹底した実力主義者で、出身が貴族であろうが平民であろうが、実力があれば重く用いる。皇帝の右腕である六誓将軍ゼクス・エイドにも平民出身者が複数存在している。

 実力主義であるがゆえに、失敗にも厳しい。この前も帝国の新たな法改正の草案作成に誤字という些細なミスを犯した官吏を辺境の地へ左遷にした。

 アーティスに「統治能力なし」と判断されれば、名門と言われた貴族も簡単に没落する。

 皇帝の前では小さな失敗も許されないのだ。


 そして、インハルトの犯した失敗は草案の誤字などという些細なものではなかった。5,000人の将兵の損失とエルドライド帝国の大敗北という悪評だ。


 些細なミスで左遷なのだ。このような大きすぎるミスでは死刑に間違いない。

 それでもわずかな希望は自分が六誓将軍ゼクス・エイドの一人であるということ。

 自分はこれまで数々の戦場で武功を上げ、エルドライド帝国の繁栄に十分に貢献してきたからこそ、今の地位にたどり着いた。それを今さら一度大敗北を喫したからといって死刑になるというのか。


 もし、死刑を言い渡されたら、全力で抗議しよう。今以上に忠義を尽くすと誓おう。

 いくら皇帝陛下が失敗に厳しいとはいえ、そこまで血も涙もない鬼ではないだろう。


 長い沈黙を破り、ついに皇帝が口を開ける。

 彼が一言言葉を発するだけで、皇帝の間の重々しい空気がより一層重くなる。

「インハルトよ。余はそなたが長年帝国に尽くしてきたことを知っておる。その働き、実に大儀であった」

 言葉の内容自体は温かいが、皇帝がインハルトに向ける目は冷酷そのものだった。

 その冷酷な目線を感じたインハルトは恩赦を懇願する。

「皇帝陛下!私は愚かにも敵を侮り、数多の貴重な将兵を失い、エルドライド帝国の栄誉を地に堕としました。しかし!私インハルトは今後より精進し、皇帝陛下のため、身を粉にして働く所存!どうか、どうかこの私に今一度チャンスを!」


 インハルトの懇願が終わると、皇帝は先ほどの冷酷な目線を一切変えることなく、言を発した。

「インハルトよ。今この時をもって、そなたの六誓将軍ゼクス・エイドの任を解く」


「任を解く。。。?ということは降格処分になるだけで死刑ではないということか!」とインハルトが希望を抱いた瞬間。


 彼の首は既に床に落ちていた。


「処刑人達よ、ご苦労であった。死体はそのままでよい。退室したまえ」

「御意」

 皇帝が命じるがまま、処刑人たちは退室する。

 その入れ替わりに入ってきたのはドクター・シンだった。

 彼は跪き、挨拶をする。

「皇帝陛下。本日は私に新しい研究素体をプレゼントしてくださるとか」

 皇帝は温かい目線と口調でドクター・シンに答える。インハルトに向けていた態度と同じ人物とは思えない程の変貌だった。

「その通りだ。日頃から帝国のため研究に励むそなたへの褒美だ。こやつの体を使えば、そなたの研究も捗るであろう」

「全くその通りでございます。腐っても六誓将軍ゼクス・エイドの体。有難く頂戴致します」

 ドクター・シンは引き続き跪いたまま礼を言う。


「礼には及ばぬ。さて、ドクター・シンよ、表を上げよ。もう一つ重要な話がある」

「はっ」

 顔を上げたドクター・シンに対して、皇帝が質問する。

「アーサー暗殺の件。。。あれはそなたの仕業か?」


 ドクター・シンは相変わらず自分のことを僕と呼ぶが、皇帝に対してはかなり丁寧な言葉で話す。

「いえ。あれは僕ではありません。むしろ僕はニルヴァーナの者をけしかけたのは皇帝陛下だとばかり思っておりました」

「残念ながら余でもない。まだが見つかっていないにも関わらず、行動を起こすほど余は性急な人間ではない」


 皇帝は椅子に深く腰を据えてしばし考えた後、低い声で呟いた。

「五大諸侯の一人、ドレースだな」

「同意見です、皇帝陛下。ニルヴァーナに莫大な金を支払ったのでしょう。奴如きのちっぽけな個人的野心のために陛下の計画が狂うとは心外です」

 ドクター・シンがきゅっと口を歪めて言うと、皇帝が苦々しげに顔を歪める。


「ふん。。狂ってなどはいない。多少の変更を余儀なくされただけだ。いずれにせよ、シャングラとマグメールを滅ぼす良い機会が訪れたことに変わりはない。探しは引き続き頼むぞ。真理への覇道を共に歩もうではないか」

「インハルト将軍では、覇道を共に歩む資格はなかったということですか」


 ドクター・シンが足元に転がる死体を見下ろしながら尋ねると、皇帝は

「そういうことだ」

 とだけ静かに言った。

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