5-1 ウィレム -懐かしき故郷-
首都オルカを脱出したウィレム達3人はシャングラ連合国を斜めに横断するように連なるシルキー山脈の山道を何日も進み、シャングラ連合国北東に位置するセレスフィアの街に辿り着いた。
思えば、自分の故郷に帰るだけだと言うのに、道中シルキー山脈を住みかとする
これも兄アーサーが亡くなり、シャングラが戦乱に巻き込まれつつあることの影響だろうかと思うと、この後どうなってしまうのかウィレムにはまだ想像がつかなかった。
そして、この後シャングラがどうなるかについての想像を補完してくれるのが懐かしき故郷の雰囲気だった。セレスフィアの街はウィレムが知る雰囲気とは少し様相が異なっていた。
エルドライド帝国・マグメール王国双方と近いこともあり、かつて行商人の往来でにぎわっていた大通りが、今日は甲冑を着た兵士で一杯になっているのだ。
ウィレムたちは兵士だらけの大通りを通り抜け、政庁に向かう。政庁にはこの地の政治を司るフォーゲル伯爵がいる。
フォーゲル伯爵は兄アーサーとは気が置けない仲で、ウィレムにとっても国内で最も信頼のおける人物の一人と言っていい。
道中、道にあふれている兵士たちから「おぉ、ウィレム様だ」、「生きておられたか」などと言われ、道を空けてもらえる。ウィレムとしてはこうして王のように扱われる経験がこれまでなかったため、こそばゆい感じがしたが、意外と悪い気はしない。
そして、こうして兵士たちにしっかりと自分のことを認識され、道を空けてもらえるということはフォーゲル伯爵は自分をリーダーとして兵士を集めたということだ。
ウィレムはアーサーの訃報がこの街に届いてから、まだ日が浅いにも関わらず、これだけの兵士を集めた彼の手腕に驚いた。
「ふん。こうしてたくさんの人が自ら道を空けてくれるのは気分がいいな」
ヘレンは得意そうに馬上から兵士たちを見下ろしている。
「爺。フォーゲル伯爵のところに行くってことはきっとあの子もいるよね」
「そうですね、いらっしゃると思いますよ。坊ちゃまがお着きになるのを首を長くしてお待ちになっているでしょう」
アルフレッドはニコニコして答える。後ろでヘレンが「ん、あの子って誰だ?」という顔をしているが、ウィレムはそれを見なかったフリをして道を進み、セレスフィアの政庁に着いた。
厩舎に馬を預け、政庁の扉を開くと甲高い声がウィレムを迎える。
「ウィレム!!!アーサーさんが亡くなって、あなたも殺されそうになったところを何とか振り切ってその後ずっと隠れるように旅をしてきたって聞いたわよ!大丈夫だった?ケガはない?」
そうまくし立てながらウィレムの体をペタペタ触る彼女の名はフィーナ。
彼女はフォーゲル伯爵の娘で、ウィレムの幼馴染。ウィレムとは小さい頃からの付き合いで、ウィレム達が4才だか5才だかの時に冗談で交わした「私ウィレムのお嫁さんになるー」「うん、僕はフィーナをずっと守るよ!」という約束を守っている律儀な女の子だ。
収穫を待つ小麦のように輝く金のショートカットと大きな琥珀色の瞳が特徴で、吊り上がった眉が引っ張ってくれるタイプの子だと思わせる。少し引っ込み思案のところがあるウィレムとは正反対の性格だ。
「だ、大丈夫だよ。フィーナ。心配してくれてありがとう。でも、僕は長旅で汚いからあまりベタベタ触らない方がいいよ」
「何言ってるのよ!私がどれだけ心配したことか。。。あ!肩に切り傷があるじゃないの!大丈夫なの!?」
「
「若いってのはいいねえ。爺さんにもあんな時代があったのかい?」
ウィレムの後ろでヘレンがニヤニヤしながらアルフレッドに話しかける。
「ほっほっほ。私が若い頃はもっとすごかったですぞ。坊ちゃまは積極性に欠けますから、もう少し頑張っていただきたいものです」
アルフレッドが目を細めてウィレムとフィーナを微笑ましく見つめていると、さすがにフィーナも恥ずかしくなったのかウィレムから離れてヘレンの方を向く。
「初めまして。ヘレンさんですよね?ここまでウィレムを守ってくれて、本当にありがとうございました」
「はは、気にするな。あんたの未来の夫はご覧の通り無事に送り届けたよ」
ヘレンは仰々しくお辞儀をする。
「もう、ヘレンも勘弁してよ!あ、そうだ。フォーゲル伯爵のところに案内してくれるかい。フィーナ?」
ウィレムは恥ずかしくて話を先に進める。
「もちろんよ。ウィレム。パパもあなたの到着を首を長くして待ってたんだから。さぁ皆さんも一緒に行きましょう」
そう言って、フィーナは政庁の大きなホールから階段を上り、フォーゲル伯爵のいる執務室に案内する。
執務室ではフォーゲル伯爵が精力的に執務をこなしていた。
40歳を超えた彼は今が最も仕事の脂の乗る時期だとでも言うような徹底した仕事ぶりだったが、ウィレムたちが部屋に入ると、即座に仕掛り中の執務を中断し、きびきびとした動きで彼らを応接用のソファへと案内した。
「ウィレム様。アーサー様の件は本当に残念でした。しかしながら、歩みを止める時間はありません」
「おっしゃるとおりです、フォーゲル伯爵。まずはあなたがこれまで掴んだことを教えていただきたい」
ウィレムの問いに対して、
「もちろんです、ウィレム様。まず地下組織ニルヴァーナと組んで、アーサー様を殺害したのはドレース公で間違いありません。奴の治める街サザーランドでは正体不明の輩が出入りしているという報告がありました。ニルヴァーナに間違いないでしょう」
伯爵がウィレムの知りたいことを端的に伝えると、
「くっ!ドレースめ。。。!奴は常日頃からアーサー様のことを気に入っていない様子だった。私が先に奴を粛清するべきだった…」
アルフレッドが歯ぎしりをし、さらに拳を握りしめて全身で悔しがる。
「そういえば、あの時王宮の衛兵が全く稽古場に来なかったのは、ドレースが手引きしていたからか。それに爺が襲われたっていうのも。くそぅ、あの日ドレースが王宮の警護について話していたのはそれが目的だったんだ…」
「今さら悔やんでも仕方がないさ。あの時にまさか奴がそんな暴挙に出るとは想像できなかったんだからな。侯爵、それ以外には?」
アルフレッド以上に悔しがるウィレムをなだめながら、ヘレンが先を促す。
「はい。ウィレム様が見つからないことに業を煮やして、ドレースは現在戦争の準備を進めております。近いうちに我々の領土内に侵攻してくるでしょう。私もそれに備えてこうして兵士を集めているというわけです」
「ふん、アーサーさえいなければ勝てるってか?ナメやがって。他3人はどうだ?」
「他3人の諸侯も同様に戦争の準備を進めておりますが、まずは様子見というところでしょうか?今のところ大きな動きは見られません」
「エルドライド帝国は?」
「かの国はマグメール王国を急襲したとの報告を受けております。その後の戦況はまだ分かりませんが、いま今の脅威ではないかと」
「なるほどな。じゃあ差し当たっての脅威はドレースの野郎ってことか。兵士はどれくらい集まってる?」
「4,000ほど。しかし、ドレース軍は10,000はいるという報告を受けております。また、急遽集めた兵士ですので、練度が足りておりません」
ヘレンとフォーゲル伯爵のやり取りは、あまりに滑らかでウィレムはついて行くのが精一杯だった。
「ふむ。数も質もこちらの分が悪いということでしょうか」
アルフレッドが立ち上がり、自慢の口ひげをつかみながら提案する。
「坊ちゃま、伯爵。その4,000の兵士、私が預かりましょう。徹底的に訓練致します」
「爺、いい考えだね!爺の訓練なら、僕だって受けたいくらいだ」
「そうですね。かつて燕剣のアルフレッドと言われたあなたほどの使い手であれば、間違いないでしょう」
二人とも諸手を上げて賛成する。
「質の方はいいとして、数はどうすんだ?」
ヘレンの質問に対して、フォーゲル伯爵は
「ヘイムダール枢機卿に助力を頼むのはいかがでしょうか?」
と答える。
ヘイムダール枢機卿とは、ドレースの領地とウィレムたちの領地の丁度境目辺りに位置するバルクス修道院を治めるアルティマ教会の幹部だ。修道院はセレスフィアの街からも近く、1日半もあれば着く距離だ。
彼はシャングラ連合国内のアルティマ教会勢力を一手に動かすことができるため、味方になってくれるならこれ以上心強いことはない。
「ヘイムダール枢機卿ですか。僕はあの方とは子供のころに会って以来、全く会っておりません。果たして僕に力を貸してくれるでしょうか?」
「教会勢力は基本的に国内の政治に関しては中立です。しかしながら今は非常事態ですし、ヘイムダール枢機卿はアーサー様とも親交がありました。ウィレム様ご本人が助力を願えば、あるいは、、、」
「えっ、パパ!ウィレム本人に行かせるつもりなの?」
フォーゲル伯爵の提案に対し、それまで黙って成り行きを見守っていたフィーナが慌てて口を挟む。
「大丈夫だ、フィーナちゃん。私も一緒に行く。あんたの未来の夫は私が守ってやるよ」
「ヘレン殿…。真剣にお願い致しますぞ…」
ニヤニヤしながら答えるヘレンに、アルフレッドが呆れる。
「心配しないで、フィーナ。修道院に行くだけだから」とウィレムが優しく諭すので、フィーナはしぶしぶという表情で引き下がった。
「あ、そうだ。ウィレム。道中誰かに見つかってもいいように設定と偽名を考えておくぞ」
「偽名と設定、、、ですか?」
「そうだ。私はともかく、お前が五大諸侯の一人ウィレムであることはバレると色々マズいだろう?だから、私たちは修道院に礼拝に行く旅人。私がカレンで、お前はアラム。そうだな、、、兄妹ということにしておこう」
「え、兄妹ですか?さすがにそれは無理があるのでは…?ぐへぇっ!」
ウィレムより先にフォーゲル伯爵が疑義を呈したが、ヘレンが彼のみぞおちに裏拳を食らわせたため、一同はヘレンの考えた設定を渋々受け入れることにした。
「で、、では決まりですな。ウィレム様も今日は着いたばかりでお、お疲れでしょうから、ごゆっくりとしてください。食事も風呂の準備も整っております」
まだみぞおちが痛むのか、フォーゲル伯爵は少し喋りづらそうにしている。
「フォーゲル伯爵、何から何までありがとうございます。何とお礼を言っていいことか」
「お気になさらず、ウィレム様。アーサー様を亡き者にしたドレースに裁きを与え、シャングラ連合国に平穏を取り戻したいのは私も同じですから」
唇を嚙みしめながらそう話すフォーゲル伯爵の目の下には大きなくまができていることに、ウィレムは気づいた。
きっと今まで睡眠時間を削って、情報収集や兵士集めを行ってくれたに違いない。
ウィレムは、自分がいない間にここまでよく働いてくれたフォーゲル伯爵に対する感謝の気持ちでいっぱいになった。
「あ、そうだ。フォーゲル伯爵。最後に一つだけ。オリアクスという名前に聞き覚えはあるでしょうか?顔に大きな火傷の痕がある男で、兄さんの知り合いのようでした」
「顔に火傷ですか?、、いや、まさか!そんな馬鹿な…」
フォーゲル伯爵には何か心当たりがあるようだ。
「ウィレム様。こちらについても少し調べる時間をください。ウィレム様がバルクス修道院から戻るまでには確証をつかみ、お話しできるようにしておきます」
「ありがとうございます。その時を楽しみにしてます」
ひととおり今後の方針が決まったところで会議はお開きとなり、ウィレムは束の間の平穏を享受するのであった。
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その夜、政庁の来客用の部屋で寝ていたウィレムはふと目が目覚め、テラスから夜空を眺めていた。煙のような薄い雲が穏やかに流れ、煌々と輝く満月がウィレムを照らしている。
「アーサー兄さんが亡くなった時は、こんな満月じゃなかったな…」
あれからまだ10日余りだが、もう何日もとても長い時間が流れたような気がする。
そうウィレムが一人物思いに耽っていると、ドアをノックする音が聞こえる。
「私よ、フィーナよ。ちょっと話さない?」
ウィレムはドアを開けてフィーナを招き入れ、一緒にテラスから月を眺めた。
「綺麗な月ね。今だけは嫌なことも全部忘れられそう」
「そうだね、今だけは…」
しばらくゆっくりと月を眺めた後、ウィレムがポツンと呟く。
「僕は兄さんが亡くなって急にセレスフィア家を継ぐことになってしまった。ついこの前までは、兄さんがこの国を導いてくれるものだとばかり思ってたから、政治の勉強なんてほとんどしてこなかった。今日だってフォーゲル伯爵とヘレン先生の会話について行くのでいっぱいいっぱいだった。僕は本当にこのシャングラの王になどなる資格があるのだろうか…?」
ウィレムの弱音に対して、フィーナは優しく答える。
「大丈夫、あなたは立派な王子様だし、アーサーさんにも負けないくらい立派な王様になれる資質を持っている。確かにあなたはアーサーさんのような豪快さや、強さは持ち合わせていない。けれど、あなたには民を思う優しさがある。それはあなただけの立派な強み、王様としての資質よ」
そして、最後に
「このフィーナ様が言うんだから間違いないわよ!」
と付け加える。
「優しさ…か。そういえば、兄さんも最期に同じことを言ってたな。やっぱりフィーナは流石だなぁ」
と勇気づけられた。
今度は、フィーナがウィレムに話し掛ける。
「ねぇ、ウィレム。私もあなたと一緒に行っていい?私はあなたの妻になるのよ。近くにいたいし、こうやってあなたが弱気な時は励ましてあげることだってできるし…」
「え!ダ、、ダメだよ。フィーナ。いくらヘイムダール枢機卿のところに行くだけとはいえ、道中には危険なモンスターや山賊だって出るかもしれないんだ。君を連れて行くわけにはいかないよ」
ウィレムは当然のように断るが、フィーナはなかなか譲らない。
「危険は百も承知よ。だけど、あなたが帰ってくるのを待ってるだけなんて嫌なのよ」
「うーん。。。でもフィーナ。僕はこれからアーサー兄さんの遺志を継いで、この国を取り戻さなければいけない。けれど、僕にとって一番大切なのはフィーナ。君だ。そして、大切な人ほど遠ざけておきたいんだ。少しの危険があってもならない。この街にいれば、安全だ。フォーゲル伯爵も爺もいる。一緒にいたいというのは僕も同じだけど、今は我慢しなくちゃいけないときだと僕は思う」
ウィレムはフィーナの目を見つめる。このまま見つめていると、彼女の澄んだ瞳に吸い込まれてしまいそうだ。しかし、これは譲れない。
「大切な人ほど遠ざけておきたい。。か」
見つめられて続けたフィーナは少し顔を赤くした。そして、そんな考え方もあるのかと納得したように、ウィレムには見えた。
「ふふ、ウィレム。ちょっと会わないうちに成長したんじゃない?背も高くなったし、あなたがそこまで強く言うなんて思わなかったわ。男の子ってすごいのね」
フィーナは感心したものの、少し物悲しそうにウィレムを見つめ返す。
「でもね。私の前では弱くていいのよ。これから王を目指すと言うのなら、人前では強くなくっちゃいけないけど、私の前だけは弱くてもいいの。それだけは忘れないで」
そのフィーナの優しい言葉に、ウィレムの中の溜め込んでいた感情が一気に溢れてきて、涙が止まらなくなった。まるで、お腹の底から涙が湧き出して来るかのようだった。
「うぅっ、、、うぅっ、、、」
フィーナは号泣するウィレムを母のように温かく包んだ。
「ありがとう、フィーナ」
フィーナの胸の中で、思う存分泣いたウィレム。その後、眠くなるまでフィーナと昔のことや将来のことを語り合った。
また明日からは旅に出てフィーナとは一緒にはいられない。ウィレムはこの大切な時間を胸に刻むのだった。
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