五羽 気持ちは電波に乗せて

――昨日はごめん

 何をどう送ろうか考えていた矢先に向こうからソレは飛んできて、何かが少し跳ねたような気がした。

 正直七瀬の方から言葉が飛んでくるとは思ってもいなかったから、心の準備もできていない私には衝撃が大きい。

 もう話しかけてこないんじゃないかって思った。そう書けはすれども送信ボタンはなかなか押せなくて、結局消して冗談を飛ばすことにしてみた。踏み出そうとした一歩先には、奈落が広がっているように思えてしまったから。

 ――どこまでパン買いに行ってたの?

 ――ほんと、ごめん

 答えにはなっていない。そもそも昼食なんてものすらとってもいなかったかもしれない。

 ――気にしてないし、いつも通りのひとりが帰ってきただけだから大丈夫

 気にもしていない、と言うと嘘になるし、寂しくもなかった、と言っても嘘になるし。

 これが文字だけのやり取りでよかった。声に出してしまうとより一層自分に、彼女に嘘をついていることをひしひしと感じてしまいそうだったから。

 けれど。


「困ったな」


 気にしていないと言っても、なんだかんだ言って七瀬のどこかには今回のことが根を張っていそうな気がする。彼女のことは知らないことのほうが多いけど、なんとなくそんな気がしていた。

 どんな顔して行けばいいんだろう。なんて声掛けたらいいんだろう。どこに行ったらまた、会えるんだろう。

 考えすぎ? いや、これが私の平常運転。

 今まで敷かれたレールの上をただ歩かされていたのだから、自分でいざ踏み出してみようとなると臆病にもなる。最善手を見つけたくなる。そんなものあるのかもわからないのに。

 ――私、マックに行ってみたい

 表情も声色も場所も気にしなくて良いここで踏み出すことにした。最善手ではないかもしれないけど、悪手でもないと思ったから。

 ――昼休みにぽんと歩いて行けるくらいの距離にはないよ

 ――じゃあ、放課後

 ――でも安希の家ってそういうの、厳しいんじゃないの?

 やりたいことがあったらこっちで用意するから。やるべきことも家でできるようにしているから。放課後はまっすぐ帰ってきなさい。確かにこの家庭からはそんなことを言われて自由に、いや、縛られて生きてきた。鳥籠の中の自由なんて、不自由となんらかわりはないでしょう。

 ――それは七瀬が気にすることじゃないの

 ――でも……

 首筋まで伸びた茶髪をいじりながら、頭をあっちにもこっちにもひねらせる彼女の姿は容易に想像できた。

 ――じゃあ、勝手に帰ったことは許さないから

 ――別に帰ってくるとかひとことも…… 言ってたわ

 ――じゃあ決まり。放課後中庭に居てね

 それでまた彼女を悩ませるのだったら、悩む暇もないくらいこちらで振り回してあげれば良い。

 七瀬に根付いたソレは、取り除かなければいけない。

 してあげればなんて、なんて勝手なとは思うけど。

 それからの返信を見ることなくそれを机の上に置いて、早いけれど布団に潜る。

 今夜は星の見えない曇天だったけれど、縋りたくなるほどの願いもちょうど持ち合わせていなかった。

 起きたら放課後になっていれば良いのに。

 どんどん自分がわがままになっているっているような気がする。

 それが変わっていってしまっている私なのか、メッキがはがれて中身の出てきた私なのかは、わからない。

 それにしても、


「明日、楽しみだなぁ」


 私は私の為にあんなことを書いたのかもしれないと思ったところで、夢に落ちた。



 

「安希」


 教室を出たところで、声を掛けられた。それが誰かなんてことは振り向かなくてもわかる。少し低くて、冷たくて、だけどそれの声が一番私に安らぎを与えてくれていた。


「ここまでも来なくても、中庭に居てくれれば行ったのに」

「今日は風が吹いていて寒かったから」


 相変わらず軽そうな鞄を引っ提げた七瀬と並んで学校を出る。いつもの帰り道とは逆の方向に行くのはこれが初めてだ。

 校門を出る時に踏み出した一歩は小さいけれど、どこか私のなかではこれまでにないくらい大きな一歩を踏み出したような気がする。


「初めてだね、学校の外で一緒に居るの」

「あそこの神社でも一緒だったじゃん。他にも……」

「あれはすれ違っただけだよ。他にもどこかで会ってた?」

「いや、勘違いかも」


 授業とは違って覚えようと思わないものは本当に覚えられない。興味がないんだと思う。視線は文庫本にしかいかないし、音は繋がってないイヤホンが遠ざけてくれていたし。

 十数分歩いたところでバスに乗ると、ひとつ空いていた席を七瀬が譲ってくれて、つり革に吊り下げられているみたいに身体を落とす彼女とは向かい合いながら、特に何も話すことなく時間が過ぎていった。

 座る代わりに預けられた鞄は予想通り軽くて羽根が生えているみたい。それを両腕で包み込むと微かにレモンの香りがした。一緒に居る時に少し感じる香りだ。それが今日はこんなに近くて、特別な匂いだった。

 降りた先の知らない街を少し歩いたところにそれはあった。

 白い文字に黄色のトレードマーク。うん、ここで間違いなさそう。

 平日でも人は結構入っていて、勉強している子も居ればコーヒーをすすりながらキーボードをカタカタと叩く大人も居て、想像していてものとは少し違っていたような気がする。


「安希、何食べたい?」

「七瀬のおススメで」

「結構困るんだけど。先席取っといて」


 混み合う店内の中、暖かい日差しの入る窓際は空いているはずもないわけで、扉が開く度寒い思いをするような場所に腰を下ろして待つことにした。

 こういう時はなにをして待っているべきなんだろう。入ったことのないお店だから物珍しくて、ついつい店内を見て回りたくもなるけれど私も子供じゃない。携帯をいじって待っているかと言われても、連絡用としか使っていないそれで潰せる暇はない。なにもしないことをすることにした。

 椅子は少し硬くてお尻が痛くて、店内は甘い香りとどことなく脂っぽいような香りが漂っていて、想像通りではあるけれどずっと居るのはなんとなく身体に悪そうな気がする。


「とりあえずセットで。炭酸とか飲まなそうな気がしたからコーヒーにしてもらったけど、大丈夫だった?」

「えぇ、炭酸系はあまり好みじゃないから助かるわ」


 包み紙に包まれたファストフード店と言えば出てくるものを丁寧に開き、ソレをひとくちつまんでみる。なるほど、こういう味なんだ。

 好きそうな人はとことん好きそうだと思う。ジャンキーという言葉もその意味も知っていたけれど、触れたのはこれが初めて。

 喉が渇くような味、味? というか食感が口内を砂地にしているみたいで。「普通」な味のするコーヒーがいつもよりおいしく感じるのは間違いなくそのおかげというかせいというか。

 ポテトはどうだろうか、1本引き抜いてみるとそれはなわとびみたいにしなりはじめていて、私の想像していたまっすぐなポテトではなくなってしまった。なにこれ、広告詐欺?

 味はそんなに……悪くない。小気味良い音が口内に響くわけでもなくしっとりとした感触だけれど、これはこれで有り、なのかもしれない。


「どう? 初めての味は」

「……けっこうぱさぱさする。あんまり好きでは…… ないかも」


 喧噪でどうせ聞こえないと思いつつも後半は少し声を落として、七瀬にしか聞こえないような声で伝えてみる。


「あ、でもピクルスのとこはおいしいかも」

「ピクルス好き?」

「好き」

「じゃあ今度はピクルス美味しいとこに行こう」

「そんなピンポイントなお店、あるの?」

「ありそうな……気がする」


 あるのかな。ピクルスを売りにしているお店なんて聞いたことはないけれど、私が聞いたことがないだけなのかもしれない。

 期待以上の味でも雰囲気でもなかったけれど、来てよかったと思う。次に会える口実ができたのだから。

 あれがしたいこれがしたい。家がどうのこうのと言ってはいるけれど多分、私が七瀬みたいに自由な身であっても行動には移していなかっただろう。所詮そんなものは口実で、私は七瀬と一緒に居られたらそれで良いのかもしれない。

 そんなこと本人に言えるわけがなくて。

 くたびれたポテトに私を、どうしても重ねてしまうのだった。


「また行きたいね」

「ホントに? 好きな味でもなかったんでしょ」

「えぇ、それでも……」


 たしかに好きな味でも、思っていた以上のおいしさもそこにはなかった。けど、けれど、


「嫌いでもなかったから」


 誰かと食べるとおいしいと広告には、書いていなかった。

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