四羽 水彩模様

教室が騒がしい。いや、それはいつものことだけれどなんというか、いつもとは違って少し緊張感があるというかなんというか。


「ん、んん?」


 たしかにこれは、そうなるのもわかる。

 いつもぽっかりと空いていた席には人が座っていて、それが七瀬だというのだから。

 あいもかわらず何もせずただ外を見ていて、視線の先は校門だろうか。誰かを待っているような。


「七瀬……」

「お、おはよ」


 私の知っている七瀬とは見た目だけしか同じでなくてどこか萎縮しているような、縮こまっている彼女は新鮮そのもの。

 いつか本で読んだ臆病なハリネズミとそうしても重ねて見えてしまう。

 どうしてまた。


「結構ギリギリに来るんだね」

「どれくらい前から来ていたの?」

「さあ、5分くらい前だったかも知れないし、20分くらい前だったかも知れない」


 時計なんて見ていないもの。そう言いたげに見えるけど…… まさか来てからずっと外を見ていたの?

 本でも読んだりしていればいいのに。そう思ったけれど七瀬はそういうことすらしない人だったことを思い出す。

 ずっとこんな感じだったらたしかに、時間の経過なんてわからなくなるのもうなずける。何もしていないのはいつものことだけど、少し息苦しそうだ。

 それはここが上を向けば青空の広がる場所ではないから。適当な距離を保ち続けていながらも時折こちらに向けられる視線の中では気も張りっぱなしになるのもうなずける。


「そういえば、この間はありがとう」


 ちょうど会えたのだからと思い、駅前の自販機で崩してきた10円玉と100円玉を重ねて置いてみる。なんだかその、お供え物みたいだ。


「こちらこそ、ありがとう」

「えっ」


 七瀬に感謝されるようなことはした覚えはないのだから当然の反応だとは思うけれど、それに彼女は戸惑っているようにも見えたし、恥ずかしがっているようにも見える。

 わからないけど、彼女の中で相反するもの同士がぶつかり合っているんだろう。声には出していないけど、仕草やぎこちなさがそれを表している。


「ほらもう始まるから。席行きなよ」

「う、うん。そうする」


 軽く手で払われながら自分の席についてからいつものように文庫本を開こうとは思わず、気になってしまってついつい後ろを向いてしまう。

 ほんのり赤みを帯びる頬には何が詰まっているんだろう。ああでもないこうでもないと執拗に髪をいじる彼女は見ていて楽しい。

 近くも遠くもない席で良かった。

 気づかれてしまったら多分、また彼女は教室を抜け出してどこかへ飛んでいってしまいそうだったから。

 

 

 

 パーカーを着ずに制服姿の七瀬を見るのはなんだか、新鮮だった。


「今日は置いてきたの? パーカー」


 中庭に行かなくても七瀬に会えるのはどこか新鮮だった。そして、自分の席以外で弁当を広げることも。


「もう寒くないし、小言言われそうだったし」

「小言とか気にするんだ」

「それは私にとってマイナスだから」


 疲れ切った表情を浮かべる彼女の声に元気はなくて、見慣れてきた茶髪も今日は少しくすんで見えた。パーカー云々よりもまず先になんとかするのはそっちの方だと思う。


「今日は最後まで受けるの?」

「わからない。数学以外なんの授業あるかわからなかったから、持ってきてない教科書とかあるかも」

「次日本史だけど」

「あ、ないわ」


 不良らしさは健在で、心のどこかで安心してしまっている私が居た。品行方正な七瀬、ううん、どうも想像できない。

 授業に出ることは普通のことで、「良い」なんて言われることではないから「不」良であるのは変わらないのか。マイナスがゼロに近くなっただけ。そこもなんだか七瀬らしい。

 私だけか、そんなこと考えるのは。

 逆に最近の私は、どうだろう。

 初めて授業をサボって、親に内緒で買い食いして、ひとりじゃなくなって。

 目指しているわけではないけれど、私は不良になれたのだろうか。

 マス目だけ用意された私の原稿用紙に、1文だけでも添えることはできているのだろうか。

 私は何を書きたいんだろう。隣に七瀬が居る少し先の未来? それとも駄文が連なってできた駄作? もしかしたらペンを握っただけで、未だなにも書くことができていないのかもしれない。


「パン買ってくる」

「あ、じゃあ私も」

「安希は弁当あるでしょ。ひとりでいいから」


 いいから。どこか制止されているような気がしてそれを押し切ることはできなかった。

 教室から出ていく彼女はどこからか逃げようとしているようにも見えて、私はただ見送ることしかできなくて、視線を落とせば無機質で半開きな弁当箱が何かささやきかけているよう。ただ、何も聞こえはしない。

 結局、その日七瀬が教室に戻ってくることはなかった。

 なんとなくはわかっていた。私が七瀬、ふたりで居られる場所はきっと、ここじゃない。

 冷めきった弁当はいつもよりおいしくなくて、結局日当たりの良い自分の席で十数分遅れでいつも通りの昼休みを過ごした。

 温もりが恋しくなったのは何ゆえだろう。

 いつも通りの授業はいつもより退屈で、いつも通りの帰り道、見上げた空はただ切って張り付けたみたいにお粗末で。

 同じ空を見ている彼女は今どこで、何をしているんだろう。

 七瀬に嘘をつかせた日の空の色を、私はきっと死ぬまで忘れないと思う。

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