三羽 あの星まであと何マイル?

「ライン教えて」

「ん、んん?」


 次の日も中庭に行ってみるとやはりそこには七瀬が居た。

 お弁当の包みを解きながら半ば強引に聞いてみると、七瀬は走る途中で躓きそうになったような感じで言葉も身体も雑に揺らしていた。

 蓋を開ける前にポケットから取り出したソレを名刺のように突き出していると、とりあえずといった風に紫色のソレを取り出してくれた。


「てか、やっぱり弁当だったんだ」

「割と大変だったんだから、帰る前に食べてくの」

「夕飯にすればいいのに」


 用意してくれたのにわざわざ別のものを食べましたなんて言ったら変に詮索されるだろうから、それだけはしなかった。私と七瀬との中にふたり以外の何も挟みたくないもの。

 開けるだけ開けたパンを横に置いてポチポチと携帯をいじる彼女の姿に珍しさを感じるものの、当初感じていた彼女らしさがそこにはあった。


「QRコードだしといて、読むから」

「これってそんなことできるの?」


 貸して、と言われて渡してみると手際よく操作してくれて、帰ってきたころに登録は終わっていた。

 アイコンは初期の殺風景なもので、「あの子たち」らしさはなくなんというか「私たち」らしさがあるような気がする。こういうものは凝れば凝るほど痛いような気がしてしまって、変えたいとも思わずにそのままにしていたのが私と七瀬なんだろう。

「それで、またどうして急に」

 やることを終えるとスグにポケットにしまって、また袋の空いたパンに手を伸ばしてほおばっていた。今日は焼きそばパンの気分らしい。

 交換してから聞くのか、と心のうちに思う。将来詐欺とかに遭わないかたいへん心配ではある。

 そんなことよりも、だ。

「友達」の横にあるいつもより1多い数字に不思議と口元が緩む。

 友達、友達、なるほど。

 私たちの関係を私たちは互いに言い合ったりしたことはない。確かめ合う必要もないし、言葉に出してしまうと多分、そこで固定化されてしまいそうだから。

 そう思っていたけれど、その2文字の中に七瀬が居るということに少し安堵を覚えたような気がする。

 互いに言ったわけではない。機械が勝手にそう記載しているのだから固定化されることも多分、ないだろう。

 とりあえず今はその位置で落ち着いておくことにしよう、と。もしかしたら自分が思っている以上にこの関係を進展させたいのかもしれない。これまたどうして、それは私にもわからなかった。


「何もしてないんだったらその、少しだけでもお話できたらいいなぁ…… なんて」

「けど安希はその時間授業受けてるでしょ。不良か?」

「なっ、七瀬にそう言われるのは心外じゃない」

「えぇ……? 私そんな悪い女みたいに見える?」

「悪くはないよ。ただ、よくないだけ」

「それって何か違うの?」

「違うよ。けっこう」


 お互い少し訳が分からなくなってきたのか、初めて会った時よりかは幾分か暖かくなってきた春風に吹かれながら笑んだ。


「じゃ、じゃあ早速今日の夜送るからね。ちゃんと返してね」

「22時すぎたら多分寝てるから、それより早めに送ってね」

「そこは優等生なんだ…… じゃあ、20時くらいに連絡する」


 他愛のない話をいつもより早く切り上げたのは、夜のお楽しみをとっておくためでもあった。

 美味しいものは最後にとっておく私らしい判断だと自分のことながら思い、中庭を後にした。

 七瀬はどっちなんだろう。いや、そもそも七瀬は何が好きなんだろう。

 授業中も帰りの電車の中でも考えていて、刻一刻と迫るたび私の心の中にあるなにかも膨らんで膨らんで。何かで突っついたら割れてしまいそうだった。

 

 


 ――七瀬って好きなものは先に食べる派? 最後まで取っておく派?

 ぼーん。その30文字にも満たない短文を送ると同時になにかが破裂して、じわじわと湧き上がるような感覚があった。


「お、送っちゃった……」


 湯船の暖かさがまだ残る私の身体はある意味また芯から、いや心から温められてこの時期には珍しく暑いという感情に包まれていた。ただそれは茹だるようで不快感があるわけでもなく、どちらかといえばサウナにいるような、気持ちの良い暑さであって嫌いじゃない。

 けれど長時間そこには居られないのも似ているような気がした。

 返信が返ってくるまであとどれくらい待っていれば良いんだろう。親に連絡くらいでしか使ったこともないし、業務的なソレと同年代の子と話すコレとは雲泥の違いがあるようで、慣れるのにはもう少し時間がかかりそうだ。

 ――先かな。おいしいうちに食べたいし


「そっか、そっか、そうなんだ……ふふっ」


 私のよりも短い文が来ただけですごくうれしくて、何回も何回も読み直して読み直して、心の額縁に入れてきれいに飾ることにした。

 部屋には私の声だけが跳ね返って耳に届く。聞こえてしまうとどこか恥ずかしくなって自然と足をバタバタさせていた。

 七瀬は今どこでどういう風にこれを打っているんだろう。枕に顔を埋めて想像したのはクッションに背中を預けて髪を乾かしながら打つ姿。

 ――おいしいうちにっていうことは、温かい食べ物が好きなの?

 おいしいうちにということは冷めると味が変わってしまうものなんだろうか。

 パンしか食べているところを見たことがないから、余計に想像が膨らむ。それこそパンみたいに。

 ラーメンを啜るような姿はあまり想像できなくて、ならばカレー? いや、それもなかなか想像できない…… そもそも私が勝手に思っているだけで、実は暖かい食べ物でもないのかもしれない。

 ――お寿司

 お寿司、お寿司、なるほど。

 鮮度とかそういうものを言っていたのね……渋いな。

 ただ、えんがわやハマチをいただく七瀬の姿は意外にも似合っていて、新しい可能性を見いだせたような気もする。

 あの子たちみたいに美味しいとか大好きとかは言わないで、ただひとりその味をかみしめながらお茶を啜っているような、そんな光景。

 いつかそんな姿も頭ではなく、この目で見てみたい。

 いつかこんな毎日がいつも通りになったときには、そんなこともできるようになるのだろうか。

 わからないけど、そうであってほしいとは思う。

 その後も他愛のない話は続いて、返信が返ってくるたびに心は躍って、一時間もしたら疲れさえ出てくるほどに私は、楽しんでいた。

 ――おやすみ

 ――うん、またね

 また明日、とは言わない。偶然出会えた日が続いているだけで、次に会えるのは明日かもしれないし、1週間後かもしれない。

 今年のクリスマスに私が願うのは多分、毎日会うことが普通になる日常。

 偶然でも偶然を装った何かでも良い。あと何回、何十回、何時間、何十時間一緒に居ればいつも通りと呼ぶことができるんだろう。

 まだ遠いクリスマスよりも先に、夜空に輝くオリオンに願いを乗せて目を閉じた。

 あの星に願いが届くまで、あとどれくらいかかるだろう。

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