二羽 跳ねて跳ねて、それは緩やかに

ポン、ポンと小気味良い音は嫌なくらい響いているようで、誰かに見つからないか心配だった。


「ねぇ、いっつもここに居るの?」

「いいや? 今日は何となく身体を動かしたかったから」


 少し張り付くような、畳ともマットとも言えるような感触が裸足となった私に届く。ペタペタと音を鳴らしながらも、羽根の付いたそれを落としまいと必死に追いかけて返してまた追いかけて、落ちた。


「ねぇ、本当にここって人来たりしないの?それこそ体育の授業とか、毎日どこかしらのクラスがやっているでしょう」

「体育は確かにある。けど柔道も剣道もこの時期にはやらなかったはず」


 はず、という事実に基づいた断定ではなくて彼女の経験をもとに語られるそれは少し、信用ならなかった。


「大丈夫大丈夫、ラケットも羽根も1セットなくなったくらいじゃ気づかれないって」


 落ちた羽根を拾い、指を離してちょうど良い高さでまた打ち上げる。その度風が吹いたように向かいの茶髪は揺れ、凪いだ後にまた小気味良い音とともに打ちやすい位置に返ってくる。


「七瀬…… さんのそれって、地毛なの?」

「七瀬でいい…… よっと。染めたかったから染めたの。最近ちょっと色戻ってきちゃったけど…… ねっ!」


 あっちにもこっちにも走りながら返す彼女は自然と返答にも力が入っていて、忙しそうに見えた。そうさせてしまっているのは私だけれど、運動は得意でもないしむしろ苦手な部類なので許してほしい。


「安希は染めたいとかないの?」

「染めたいと思ったこともないし多分、染めたら怒られ……るっ!」


 バレるかどうかはさておいて、七瀬さ…… 七瀬がバドミントンをしようと言ってくれたことには少なからず感謝している。会話の合間にできる短くも長い沈黙を埋めてくれているみたいで、不自然にならないから。察して誘ってくれたのかそれともただこれをしたかったのかどうかなんてことは、わからないけど。


「先生に?」

「その前に親、ね」

「厳しいの? そういうの」

「ほかの子の家よりは断然」


 力なく返してしまったソレは不規則的にふらふらと身体を揺らしながら目の前を落ちた。

 お互いからちょうど同じくらいの距離に落ちたソレをどちらも牽制しあうように見つめ合って、歩み寄る。手にしたのは七瀬だった。


「そういえば、何で今日神社に居たの?」


 何事もなかったかのようにまたラリーが始まる。惰性のように続けているが退屈もしないし、これ以外にすることもないのだからなんとなくで続けてみる。


「それはちょっと…… 神頼み?」

「ははっ、なにそれ」


 揺れる肩から帰ってきたソレを危なげにもぎりぎりのところで返してみせる。何それと言われても私にもわからないし、むしろ七瀬もそこに来たのだから気持ちくらい勝手にわかってほしいとわがままにもそう思う。


「そういう七瀬はどうして?」

「1限の数学嫌いだし。もっと言うと数学の斎藤がっ」


 ビシビシと当ててきて、前に立たされる光景が頭に思い浮かんだが多分、私と七瀬の想像している斎藤は同じ斎藤だと思う。別に嫌いだとは思ったことはないけれど、わからない問題に対して前に立たされて恥ずかしい思いをすれば私も、そう思うんだろう。

 それよりも


「え、1限が数学で斎藤先生ってもしかして…… 同じクラス?」

「そうだったら運命?」

「う、うんめー……?」


 私はクラスメイトの顔と名前全員分なんて覚えていないし、七瀬もその調子でそもそも教室自体に来ることが少なそうだから、お互いわからなくて当然かもしれない。

 いつから七瀬は「こう」なんだろう。知ったところで私の中の何かが変わるわけではない。知ることがなくても私が少し気になるだけでその先の人生が大きく左右されるわけでもない。むしろされてたまるか。

 知らずに彼女を不良というカテゴリーに分類してしまっている私が居るような気がする。

 髪を染めて、授業もサボって、人を巻き込んで。巻き込まれに行ったのは私だけど。確かに良くはない。ただ不良はその言葉通り、悪いわけでもない。良いの否定は悪いではないから。

 親に度々言われる言葉を思い出す。人付き合いは考えなさい。と。

 私は七瀬との付き合いを続けるべきなんだろうか、やめるべきなんだろうか。

 まただ、また選択肢が私の前に立ちふさがった。

 続けるべき理由はなんだろう。楽しい?それだけ?

 やめるべき理由はなんだろう。親に何か言われるから?それだけ?

 理由はあるけれど、それは決定的な理由ではない。

 羽根は左肩をかすめて落ち、同時に鐘の音が鳴った。拾いはすれども続けようとは思えなくて、告げる。


「じゃあそろそろ戻るね」

「そか。またどこかで会えたら何かしよう。どこかに行っても良い」


 後は片付けとくから。その言葉に甘えてラケットと羽根を渡して靴下を履いて支度を済ませる。


「さようなら」


 最初かもしれないし最後かもしれない彼女との時間は、扉の閉まる音とともに消え去った。

 短い時間の中で私は確実に何かが変わっていて、壊れていて、道を逸れて、突き進んでいた。

 またね、とは言わない。次また会える保証はどこにもないのだから。無責任なことはしたくない。

 けど、けれど。


「ななせ、ななせ…… ね」


 何日、何十日先で出会ったとしても呼べるよう。彼女の名前だけはしっかりと自分の胸に刻み込むことにした。

 

 

 

 運命。その言葉の意味することを私は曖昧でしかしらないから、文明の利器で調べてみることにした。

 人間の意志をこえて、人間に幸福や不幸を与える力のこと。あるいは、そうした力によってやってくる幸福や不幸、それの巡り合わせのこと。

 幸運や不幸を与える力。

 後日、教卓に置かれた座席表を確認してみるとそこにはたしかに「七瀬」の文字があった。苗字は聞いてないから本人ではないかもしれないけれど、新学期のころから変わらず、使った痕跡もほとんどないことから多分、あの七瀬でおおむね間違いではないだろう。

 この場合は幸福なんだろうか。それとも、不幸なんだろうか。

 席は近くも遠くもないけれど、自分よりも後ろの席なんて授業中は見ないから、初めてそこがいつもぽっかりと空いていることに気づいた。

 ――またどこかで会えたら

 少なくとも教室では会えないだろう。ならばどこで会えるのか。少し眠たくなる先生の声を聴きながら、そんなことばかり考えていた。

 昼休みには、用もないけれど購買へ行ってみた。

 男女問わずたくさんの人が詰めかけていて、高いのか安いのかわからない値段でたくさんのパンが売られている。もう値札だけが置かれている棚もあって、多分そこには人気のパンがあったのだろうと思う。

「これじゃあそこに居ても見つけられることなんてできないじゃない」

 人が多すぎる故に、そこに七瀬が居ても多分私は見つけられないだろう。

 財布も持たずに来てしまった私は浮いているようにも思える。けれど逆に人の多さが幸いして、その中に紛れ込んでいる私を見る人なんていなかったから、助かった。


「あれ、安希?」

「な、七瀬。久しぶり」

「と言っても二日ぶりだけど」


 人を見つける為に来たはずなのに、いつの間にか見つけられていた。

 この前と変わらない茶髪に制服の上から被ったフード、右目下の泣き黒子をしてそこに立っていた。


「購買とか来るんだ。てっきり弁当かと思ってた。もう買ったの?」

「来たのは初めて。何にしようか選んでいたところ」

「初めてか。メロンパンとかおいしいから、ついでに買ってこようか?お金は後でいいし」

「あ、いや、私財布持ってきてないから」

「財布も持たないで購買に来たの?」


 とっさに嘘をついてしまったことには目をつむっていてほしい。

 あなたを見つける為に来ましたなんてとても本人の前じゃ、言えるわけがない。

 至極まっとうなことに首をかしげている七瀬に対しての言い訳は思いつかなくて、適当に笑ってごまかしてみる。ここはひとつ、私が抜けている人だということで納得してはもらえないだろうか。


「まあ今日すぐに返せとは言わないし、とりあえず買ってくる」

「え、ちょっと私べんと……」


 私の制止の声はごった返す人にかき消されて多分、聞えていなかったんだと思う。お弁当、どうしよう。

 それにしても……

 七瀬は昼食に菓子パンを食べるタイプなんだろうか。私からしたらちょっと考えられないけど、実はそれが普通なの? 女の子は甘いものが好きとどこの本でもテレビでも言われていて、私も確かに好きだけど今食べたいかどうかといわれると……正直微妙なところだった。


「ほい」

「ありがとう?」

「どうして疑問形?」


 ありがたいという気持ちよりも申し訳ないという気持ちのほうが私の中では大きくて、ただここでごめんなさいと言うのもどこかおかしいような気がしてそんな言葉が出た次第。

 渡された袋の端を摘まんでどう処理するかを考えていると、七瀬は目的地が決まっているかのように購買を出ていった。教室とは真反対に歩く姿に遅れながらついて行ってみたものの、靴を履き替えるところで立ち止まって聞いてみる。


「教室で食べないの?」

「教室でひとりで食べるのってなんだか、居心地悪くない? だったらひとりでもおかしくないような中庭とかのほうがおいしく食べられるよ。あと個人的に好きじゃないし、あそこ」


 七瀬の中には七瀬の世界が広がっていて、それは私の見ている世界とは微妙に違うような感じがする。

 完全に違って見えるわけではないからこそその些細な違いが気になって、つい目で追って気づけばそちらに足を向けてしまう。そこに居る七瀬は翼を広げていて、青く青く澄み渡る空の中を自由に飛んでいるみたい。


「そんなものなのかな」

「私にとってはね。中庭、行ってみる?」

「まあ、一回くらいは」


 昼休みに靴を脱ぐのは初めてで、また言いようのない高揚感が私の中に湧き上がるのがわかる。守られていた足先に刺さる春先の風の冷たさとは対照的に熱くて、火照るよう。

 翼を手に入れられると思ったからなんだろうか、私は。

 飛び立てると思ったからなんだろうか、私は。

 触れることでその青さを手に入れられると思って着いていくけれど、手にした途端にそれは色をなくしたりはしないだろうか。

 隣の芝だから青く見えている、のかもしれない。

 青空が広がっていてもそれはただ広がっているだけで、余計に寂しくならないだろうか。

 その時は、飛び方を知らない私に教えてくれるのだろうか。七瀬は。

 わからない、わからない。けど、

 今はただそれだけを信じてついていこうと、気持ちに任せて羽根を広げてみることにした。

 



「それ、結構ポロポロ落ちるから開けるとき気をつけたほうが良いかも」

「…… もっと早く言ってほしかったかも」

「ごめん、かも」

「いやそこは自信持って謝ってよ」


 祝い事で弾けたクラッカーの後片付けをしているみたいで、どこか虚しい気持ちになりながらも一粒一粒丁寧に拾ってティッシュに包む。小さなひとくち分損した気分だ。

 まずはひとくち。うん。たしかにこれは…… オススメされるくらいの味ではある。ちりばめられた砂糖が食感に良いアクセントをつけてくれて、ほのかにくすぐるバターの香りが鼻腔と小さい胃を優しくなでてくれているよう。

 この時間に食べることとポロポロ溢れること以外を除けば確かに、月に一回くらいは食べたくなる。


「落ちたら払えばいいのに、そんなの」

「中庭が汚れちゃうじゃない」

「気にするの?」

「気になるの」


 そんなもんかね。さほど興味もなさそうなトーンでパンを頬張る彼女はどこか、隣に居るはずなのにひとりでいるような印象があった。寂しそうというわけではなく、なんとなく孤高というか、少し遠い距離を保ち続けているような、そんな印象があった。

 いつもこうなんだろうか。今も、授業に出ないときも。


「授業に出ないときってなにしてるの?」

「特に? なーんにもしないでだらだらしてる。この間はたまたま付き合ってくれる人がいたから、バドミントンに興じてみたけど」


 授業以上に没頭できるものがあるのかと思っていたけれどそれとは逆で、そこにはまだ理解できない彼女の顔があった。

 遠くを見ているようでどこも見ていないようで、私のほうがどこか寂しい気持ちになっているみたい。


「なにもしないの?」

「そんなに不思議?」

「時間があればなにかすれば良いのに。って」

「私にとって嫌いな授業に出るってことはマイナスなの。分からない問題当てられても嫌な気持ちになるし、眠くなるし。授業に出ないで何もしないのは、楽しいこともないけど楽しくないことも無い。プラスでもマイナスでもない。マイナスとゼロだったら私は、ゼロを選ぶ」


 刹那的な生き方をしているなと、なんとなく思った。

 風が吹いてしまえばそれに乗ってどこか飛んでいってしまいそうで、水が流れれば身を任せてどこまでも遠くに行ってしまいそうで、その先に何が待っていても怖くないといわんばかりの生き方をしているよう。


「不安にならないの? 将来とかそういうものに」


 私は怖くて怖くてたまらない。きれいな箱に入れられて温室で育てられたような私には、先立つものに導かれることでこれから先も生きていけるのだろうし、それが絶対の存在でもあると信じてやまないから。

 七瀬には何があったんだろう。いや、もしかしたら、何もなかったからこそそういう思考に至っているのかもしれない。むしろ私の方が何もかもしてもらったせいでこれほどまでに臆病になってしまっているのかも知れない。


「全然。ダメだったらダメだったでそのうちどこかで野垂れ死ぬよ。長生きしたいとも思わないし」


 返す言葉はパンのかけらみたいにポロポロと残骸のように転げ落ちているだけで、それは拾いたいと思うことはなかった。

 袋を握りつぶす音と遠くから聞こえてくる喧騒だけがふたりの間にあって、逆にそれ以外は何もなかった。


「ごめん、変な話しちゃったね。さ、そろそろ授業始まるだろうし、行きなよ」


 かすかに聞こえる鐘の音が聞こえると、七瀬は沈黙を咲くように息を吸って口を開く。

 どこか急かされている感じがして、ベンチを立つ。


「す、少なくとも私はまだ七瀬には生きていて欲しいって、そう、思う」


 私は一体なにを言っているんだろう。自分に問いかけても答えは出なくて、答えを持っているはずもないのに七瀬からなにかを求めるみたいに見つめ続けることしかできなかった。

 驚いた顔を見せるのも仕方がない。私だって驚いているのだから。時間は解決なんて全くしてくれなくて、静けさが深まる校舎にむしろこの状況をどうするのだと急かされているようだった。


「あ、いや、ほら……わ、私まだ七瀬にお金借りたまんまだし! そ、そうよ」


 握りしめてよれよれになった袋を大きく広げて見せてみる。相も変わらず驚いていて、なんだか申し訳なくなる。

 なにがそうよ、だ。

 視線がどことなく痛いような気がして、目は合わせられなかった。


「ぷふっ」


 中庭に響き渡った笑い声が七瀬のものだと気付くまでたっぷり6秒もかかった。

 風も吹いていないのに茶髪は揺れに揺れ、泣き黒子はまるで笑って出た涙のように光っている。ように見える。


「そんなに早く死なないし。そもそも120円の返済に何年かける気よ」

「そ、そんなに笑わなくたっていいじゃない。それじゃ、ホントに行くからね。さよなら」


 今度こそ背中を向けて歩き出したのは多分、恥ずかしさが手を引いたからなんだろう。


「安希」


 声が聞こえる。振り返ることはせず、ただ立ち止まって次の言葉を待ち続けた。


「ありがとね」


 振り向けなかったのは多分、どんな顔すれば良いのかわからなかったからだろう。

 緩んだ口元から香るほのかな甘みと今の私の気持ちはどうしようもなく、似ているような気がした。

 

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