第31話  衝突編

「ヒロ!ヒロ!返事をして、ヒロ!!」

何度呼びかけても返事がない。

呼吸は浅く、顔色は異常に白くなっていた。

「ヒロ!」

駆け付けたリョウがその体を横にした。

キリアは呼びかけることしかできない。

呼びかけに全く反応を見せないヒロに焦り、胸に耳を当てた。

トクン、、、トクン、、、

微かに動く心臓の音は人のものとは思えないほどに小さなものだ。

気道を確保しながら薬を取り出したが、呼吸もままならないヒロが飲み込めるとは思えない。

「リョウ君!」

ぬかるみを走るカイがリョウに呼びかける。

その手には大きなトランクが握られていた。

「カイさん、スノーの力が断たれた。応急処置をお願いします」

カイは1つ頷くとすぐにトランクの中身を開けた。

そこには簡易ではあるが医療機器がそろっている。

ヒロの腕に管が通される。

酸素マスクを手早く取り付け、カイはヒロの髪を撫でる。

「自分の命を考えないといけないよ。資格の力は、君の力だって、奪うんだからね」

「…ヒロは、何をしたの?」

呆然とするキリアはヒロの手を離せずにいた。

離してしまえば、二度と掴むことが出来ないような気がしたからだ。

リョウが歯を噛みしめて立ち尽くしていた。

「Dragon Killerは竜の力を断つものだ。ここにいる竜の全ての力を消すことで、屈服状態にしたんだ。

自分の命が竜の力で支えられていると知ったうえで、覚悟を決めたんだな」

リョウの言葉がすんなりとは入ってこなかった。

ただ、ヒロが自分のために自らを犠牲にしたということだけ、理解できた。

「ヒロは、なんの病気を、患っているの?」

キリアが知るヒロはいつでも明るく笑っている。

とても目の前にあるような弱々しい姿ではない。

活発で、優しく、それでいて、儚い。

その、儚さの理由が分からなかったのだが、キリアの目に映る呼吸が精いっぱいのヒロだ。

風と共に消えてしまいそうな錯覚は、この状態を意味していたのだろうか。

「…ヒロは…」

リョウがキリアに説明を試みようとした時だった。

後方で、何かが動く音がした。



振り向いた先には深海の色をした竜が頭を垂れている。

その足元で竜の足を支えにして肩で息をしていたのは霧川ソウだ。

普段の冷静さが微塵も見られない焦りの表情は、国家竜騎士だけでなく竜騎士団ですら異常なものだと感づいた。

何か恐ろしいものを見ているように見開かれた目は宙を彷徨い、何もとらえてはいない。

胸を押えている右手は小刻みに震えていた。

頭の中で処理のできない記憶が爆発していった。

幾重にも重なって様々な声が横切っていく。

「…ミ、クリ?」

焦点を遠くにずらすと、数人の人に囲まれた青年が横たわっている。

その白い姿はミクリの意志を受け継いだ子供だ。

力なく横たわる姿が、あの日のミクリと重なる。

銃を突き付けられても彼は笑っていた。

「僕がそれを裏切りと認めなければ、裏切りにならないんじゃないかな?ソウ」

引き金はいつまでたっても引くことが出来ず、長い間向かい合っていた。

「泣いてばかりの人生だったから、最期は笑って終わりたいんだ」

強がりを強いられて、嵌められたレールを歩くことしかできず。

それでも人が好きだと言い張った。

「君になら、殺されてもいいと思っているんだよ。僕は、君から全てを奪ってしまったから」

何を奪われたのか分からないのなら、奪われたことにはならない。

そもそも、それ以上のものを与えられてきたのだから問題はなかった。

銃声が響いたのは、銃をおろしてからだった。

髪をかすめてミクリを貫いた銃弾は確かに後方から放たれていた。

身体は何故が硬直して動くことが出来ない。

肩を抑えてカリナの盾になったミクリが叫んだ相手の名前が今でも信じられない。

心臓の音が大きく聞こえる。

苦しくて苦しくて仕方がない。

腹の奥から湧き出てくるどろどろとしたヘドロ状の感情が何を意味しているのか理解ができない。

ヒロがDragon Killerの力を使ってもっとも困惑していたのはソウだった。

「どうしたんだ?」

リョウが怪訝な表情でそちらを見ている。

キリアにも状況が分からない。

その時、国家竜騎士団の中から一頭の竜が飛び出してきた。



その顔にソウやキリアはもちろん、リョウもサンファニーも見覚えがあった。

「すごいな、資格の力を使うなんて、度胸があるね」

目を細めてくすくすと笑うその男はあの日サンファニーの牧場でとらえた兵士だ。

「結局、海谷ミクリはその力を使うことはなかったけど、これはすごい。

確かに、竜騎士から見たら、恐ろしい力だね」

銀褐色の竜の上に立つその男は未だ混乱しているソウを見下ろして鼻でわらう。

「おやおや、鎖が全部砕けてしまったのか、霧川ソウ」

ソウは血走った眼でその男を睨む。

その顔には明らかな憎悪が浮き出していた。

「オルドー・フィクス」

「恨むのは私ではないだろう?全ての元凶はスヴァン牧師のはずだ」

オルドーは口角をあげて視線をソウから外す。

先には横たわるDragon Killerの姿があった。

「どうやら、現在のDragon Killerも長くなさそうだな」

オルドーが手を振りかざすと同時にリョウがヒロとカイの盾になる様に構えた。

ブラッドレーンがそれに応え、素早くその身をリョウの手に収める。

「シレイトの竜騎士に告ぐ。直ちにこの場から立ち去れ。その男の身柄は我ら国家竜騎士が預かる」

降ろした腕と共に熱風が駆け抜けた。

オルドーの後ろで待機をしていた銀褐色の竜は金色の眼を細めてグルグルと喉を鳴らしている。

剣を構えるリョウの汗は止まることを知らない。

以前あった彼には気迫のきの字も見当たらないなよなよした男だった。

それが、今目の前にすると恐ろしいほどの重圧を放っているのだ。

「無能な部下を演じるのは一苦労なんだよ。ま、おかげで身を隠す口実ができたし、グランドマウンテンを歩くのも新鮮で楽しかったさ」

その言葉にサンファニーの体に力が入る。

ちらりとリョウの方を見ると、彼は驚く余裕もないらしく、オルドーから目を離さない。

「さぁ、Dragon Killerを渡してもらおうか。どうせ、長くはもたないのだろう」

ゆっくり手を差し出すオルドーに、立ちはだかりNoを示す。

ギュッと、キリアがヒロを抱き、そこにいる誰もが拒否を示した。

分かりきっていたかのように鼻で笑うオルドーが腰に下げていたサーベルに手を伸ばした。

リョウが剣を握る手に力を込める。

長い時間に感じた。

じりじりと焦らす様にゆっくりした動作に見えた。

それは、思わぬ展開で急激に動き出したのだ。



細い刀身が宙を斬る。

サーベルがキンと高い音を立てて刃を受け止めた。

誰よりも先に牙をオルドーに向けたのは漆黒の長髪を靡かせたソウだった。

その表情は苦虫を噛み潰したような歪んだものだ。

「今更僕を殺して何になる?スヴァンの入れ物に過ぎないお前にできることなど何もないだろぉ!霧川!」

「黙れ!私は、貴様を許さない!全てを奪ったのは貴様だ!オルドー・フィクス!」

キリアもラウも、ソウがこんなにも大きな声を出すことを知らない。

こんなにも感情を爆発させることをしらない。

彼はいつでも無表情で石のようだった。

表情の薄さに違和感はあったものの、それが当たり前になっていた。

その、冷徹な男が冷静さを欠いて怒鳴り散らしている。

「ミクリから先生を奪い、私たちからミクリを奪った!何故だ!?ミクリは約束を違えなかった。責務は果たしたはずだ」

「そうだな。確かに奴が来てから竜による被害は激減した。

だが、目的はそこではない。資格を得ること、その力を手中に収めることこそが重要だ。辞めてもらっては困るんだよ」

弾いた剣を滑るようにサーベルが振り下ろされる。

とっさに後ろに下がったソウが腕を振り、手を掴む仕草をする。

ひんやりとした空気が広がり、宙に無数の水滴を生み出した。

それらはツララのような形状をとり、真っ直ぐオルドーに向かって突き刺さる。

コートを脱ぎ棄てて飛び上がったオルドーはサーベルに手を這わせる。

その刃に渦を巻いた炎が巻き付いた。

上空からの衝突に水を纏った剣がぶつかる。

急激に冷やされた熱が爆発を起こし、突風が吹き荒れる。

あまりに激しい激突にリョウすらも手を出すことが出来なかった。

「カイさん、ヒロを連れて避難しよう。

キリア、だったか?手伝ってくれ」

呆然としていたキリアがハッとしてカイと共にヒロの体を支える。

その軽すぎる体に不安を覚えながら震える足に力を込める。

「ヒロ?」

ピクリと、細い指が動いた。

顔を覗き込むと、わずかにその目が開かれていた。

引きずるようにカイが輪の中心から避難する。

それを拒むように、ヒロの目は戦いの中心を見ていた。



バチンと、後方から嫌な音がした。

同時に、何度も空気を震わせていた爆音が鳴り止んだ。

カイが、リョウが、サンファニーが目を見開いてそれを見ていた。

ヒロの目も、おそらくそれを捕えていた。

頑なに拒む体に鞭を打って、ゆっくり、首をひねった。

見なければよかったという後悔に心臓が張り裂けそうだ。

頭のない身体が爆発したように真っ赤な体液を爆発させていた。

吹き上がった血液を頭からかぶり、滴る液体をそのままに吠えるその姿は獣のようだ。

ビリビリと肌を痺れさせるその叫びは泣いているようだった。

「ああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

何度も何度も天に向かって吠え続けるその姿に、一歩も動くことが出来ない。

その青い瞳がギョロリとこちらに向いたとき、息が詰まった。

ゆらりと向き直ったソウは力なく歩き出す。

剣はまだその手の中にある。

「…い…ない」

何かを唱えるように口にして、亡霊のようにふらふらと歩く。

ジリッと後ずさるが、ソウは歩みを止めない。

リョウとキリアが立ちはだかろうと踏む出した時、ゆっくり、ヒロが手を伸ばした。

真っ直ぐ、ソウに向かって震える腕をのばした。

「すまない。私は、お前と歩けなかった」

血液を滴らせてソウは泣いていた。

「世界が必要としたのは私じゃない。お前だ、ミクリ」

彼が今何を見て、誰に問いかけているのか。

それは、ヒロの中に見えるミクリだった。

「守れなかった。私は、お前を、裏切ってしまった」

ぬるりとべたつく手がヒロの手を掴んだ。

すがるように掴む手は小刻みに震えていた。

その姿は心が壊れてしまったように周りの竜騎士には見えた。

何かネジが外れ、歯車がバラバラになってしまったようだ。

けれど、キリアには真逆に感じた。

ようやく、彼は感情を取り戻したようだ。

「すまない。すまない」

繰り返すソウにヒロは笑う。

荒い呼吸の中歪な笑みを作って、ヒロの口がゆっくりと言葉を紡ぐ。

「裏切られたなんて、思ってへんから、誰も裏切ってへんよ」

その言葉はソウだけでなく、カイにも、フジにも、リョウやサンファニーでさえもミクリの姿がダブって見えた。

人懐っこい柔らかな笑みで何の迷いもなく言ってのけるミクリの姿が、確かにそこにあった。

誰一人嫌うことなく消えたその人は変わらない優しい表情でそこにいた。

静かになった輪の中心で、雫は赤い大地を濡らしていく。

赤い土に染み込んでいく水滴は数を増やし、途切れることはない。

ソウはヒロの方に向いているのに、その目はヒロを見てはいない。

震える声で、かつての友に言葉を残す。

「お前と同じ、道を、歩みたかった」



竜が飛び立つ。

深海と同じ色の雄大な竜が大空へ羽ばたいた。

一頭、また一頭とその輪の中から飛び立っていく。

急に音が溢れだして、頭が追い付かない。

キリアの見つめる先、既に遠くに行ってしまった深海の竜のその背に乗る漆黒は今もまだ泣いているのだろうか。

何も言わずに立ち去る総隊長を見て、それぞれの竜騎士団は拍子抜けた。

今まで大事にしてきた敵対心や憎悪もいつの間にかどこかへ行ってしまったのだ。

その場にいる意味を失くした者から順に、それぞれがいた場所へと戻っていく。

「サンファニー、お前には、後日話をしなければならないな」

煙草に火をつけたリョウがサンファニーに声をかける。

ステファンの翼の下で腰を抜かしていたサンファニーは俯いたまま首を縦に動かした。

「間違いでした。人が死ぬところ、初めて見たんです。あんなに、血が、出てるのを見て、恐くなりました」

小さな体は震えていた。

今まで人の死の瞬間をいたことのない彼には衝撃的な映像だったのだろう。

「たとえ、憎い相手でも、人の死というのは重たいものだ。俺は、お前にその枷をはめさせたくはない」

「父の死は、手紙で知らされて、現実味がなかったんです。僕は、命をわかっていなかった」

煙はゆっくりと立ち上り、空へ上がりきる前に広がり消えていく。

ステファンが宝物のようにサンファニーに寄り添う。

「まだ、俺もお前も、学んでいけばいいんだよ」

血の臭いを煙が書き換えていく。

少し甘みのある煙草は少しだけ、心を穏やかにした。

泣きじゃくるサンファニーは、その見た目に相当する姿だった。



「ヒロ君、病院まで我慢してくれよ」

応急処置の管に繋がれたヒロを抱えてカイが竜を呼ぶ。

ヒロの手はカイではなく、ずっと側でヒロに触れていたキリアの頬に伸びていた。

「ヒロ?」

「一緒に、きて、くれるよな?」

細く冷たい指先が心地いい。

その手に触れて、優しさに触れて、心に触れた。

「「キリア、選んでいいんだよ」」

少し意地悪な口調でリベルターが笑った。

首の痛みはない。

選択の自由を噛みしめるキリアは潤んだ瞳を閉じて心から笑顔になれた。

「一緒に、いかせて」

一筋の雫が頬を伝い、ヒロの指を濡らした。

カイが温かく見守る中、手を伸ばしたヒロをキリアが優しく抱いた。

ふわりと潮の香りがする。

柔らかな髪が肌をくすぐり、確かな体温が伝わってきた。

「キリア」

「何?」

「俺も、愛しとるよ」

目を見開いたキリアの体温が上昇する。

真っ赤になった彼女を見てヒロは恥ずかしそうに笑った。


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