第30話  衝突編

ラウ・フォード

彼はイヤードレイク中央の町で生まれた。

ごみ溜めのようなその場所で彼が殺戮を覚えるのにさほど時間はかからない。

竜との出会いも同じころだった。

腸を弄る彼がその竜の目にどう映ったのかは分からない。

薄気味悪い笑みを浮かべて臓器を掲げる異様な光景を前にして、何を思ったのだろうか。

ラウの瞳は周囲にあふれかえる血液で染め上げたような真紅だった。

竜の力を使いながら数えきれないほどの命を奪っていくラウが中央の軍に引き抜かれたのは10年ほど前の話である。

竜騎士狩りに精を出していた軍部は即戦力となるラウに目をつけた。

竜騎士の殺戮を義務とされるのは彼にとって好都合で、二つ返事で国家竜騎士となる。

彼の行動は至って単純だ。

獲物を目の前にすれば獣と同じであった。

頸動脈を切り裂き、臓物をまき散らす。

その手慣れた動きは中央の軍人ですら吐き気を覚えたという。

ラウが唯一屈服した相手というのが霧川ソウだ。

ラウが国家竜騎士となったすぐ、機嫌の悪かったのを理由にソウに切りかかった。

いつも通り、首を狙った動きに無駄はなかったはずだ。

しかし、ラウの刃がソウを餌食にすることはなく、気付いた時には床にねじ伏せられていた。

見下ろす青はラウが見たことのない恐怖を植え付け、息が詰まった。

以来、ラウがソウに歯を向けることはない。

苛立ちをあらわにすることはしても、命令に背くことはなかった。

そうして、与えられた戦場で殺戮を繰り返す。

ラウの目が活き活きとするのは戦場だけだ。

それが生まれ持った役目と言わんばかりに、彼の人生は殺戮に埋め尽くされていた。



「知っているか。人間の体内の熱。吹き上がる血の臭い。死に際の悲鳴が作る振動。

俺が生きる意味はそこにある。

わかんねぇだろうな、俺だってテメェが守る意味をしらねぇからなぁ」

前回戦った時も、ラウは剣を握る間、実に楽しげな表情を見せる。

ココが楽園であるかのように高揚する感情を抑えきれないようだ。

「なんだ、案外まともな考えができるんだな」

「当たり前だ。考えなしに突っ込む戦い方は死ぬだけだ。死んだらその先楽しめねぇだろ?」

ラウの攻撃は単調に見えてそうではない。

繰り返される斬撃はリズムを作っているように見せかけて、そのリズムをつかむ頃に急にテンポが変わる。

その一瞬、確実に首を狙って剣が放たれる。

力任せに押し合いをしながら、間近に迫ったラウの目は目いっぱいに見開かれ幸福を噛みしめ恍惚を浮かべていた。

「強い奴を刻む時は特に気分が良いんだよなぁ」

「簡単に刻まれてたまるかよ」

フッと、短くなった煙草を吹きだす。

一瞬目をしかめたラウを蹴り飛ばし、リョウの剣が唸る。

ラウの剣はブラッドレーンの雷を通さない。

一度の交戦で学んだ彼は始めからその剣に電流が通らないように細工をしていたらしい。

それは、剣を交えればリョウも気づくことが出来る。

つまり、直接感電させて動きを止めることはできないと考えるべきだ。

ならば、狙うべきものはラウ本人ではない。

僅かな隙を狙って放った斬撃は、ヒロが作り出した氷の柱だ。

陽の熱で溶けだしていたそれは、一撃でいとも簡単に砕けた。

大きな氷の塊が頭上から降り注ぎ、振動で近くの柱が次々と倒れていく。

グランドマウンテンの赤い大地に水晶のような氷が突き刺さる。

間を縫うように走るラウはまだリョウを追っている。

不安定な足場を頼りに、二つの姿が氷に反射する。

崩れていく鈍い音の中に高い金属音が混じる。

そのたびに、氷が赤く輝いた。



戦場に駆け付けたフジはその光景に息をのんだ。

心臓が異常なほどに音を立てているのに金属音にかき消されていくようだ。

リョウが戦っているということが恐ろしいのではない。

竜騎士団をかき分けて最前列に出ると、その姿を目に焼き付けるように追いかけた。

「びっくりした?」

その声に振り向けば静かな表情をしながらも冷や汗をかいているカイの姿がある。

「カイ、誰がリョウに戦い方を教えた?あれは、まるで…」

「レンのようだ」

フジの背筋を冷やりとしたものが走る。

カイも同じことを思ってその姿から目を離さないのだろう。

フジが話す間もカイの視線はリョウを追っていた。

「僕らは、子供たちに戦い方を教えなかった。でも、リョウ君もヒロ君も戦い方を知っている」

リョウの向こう、無数の氷の先でヒロが動いている。

遠すぎるためにどちらが優勢なのかは分からない。

フジは震える手で胸を押えた。

「あいつら、いつから戦ってたんだ?なんで、俺たちはそれに気づいてやれなかった?」

目の前が滲んでいった。

目の奥の方が熱くて、胸が苦しくなる。

練習を重ねたとしても実践はまるで違う。

経験のないものが戦地で剣を振るうことは難しい。

守ることを選んだのならば、なおさら敵に剣を向けるには覚悟が必要だ。

守ることと傷つけることのギリギリを見極めて剣を握らなければならない。

それは、一朝一夕でなせるものではないはずだ。

「僕らが思う以上に、二人は耐えてきたんだろうね。

誰にも言わず、誰にも悟られず。

僕らは子供たちに守られてばかりだ」

カイは自分の子供を見るように優しく寂しげな顔をしていた。

「レンは、リョウに教えていたのか?」

「それはないと思うよ。レンが亡くなった時のリョウ君は幼すぎるし、ブラッドレーンと契約もしていなかった」

「だったら、どうやって…」

「血は、ちゃんと受け継がれていくんだね」

氷の上を滑り、剣を振るうリョウの地を這うような、冷静で確実に隙を突く攻撃はかつての仲間であるレンの姿と重なった。

体格に恵まれようと妥協を許さず、おごりのない戦術は誰もが認めるところだ。

練習にと竹刀を交えたことはあったが、これほどまで真剣に取り組んだことがあっただろうか。

「あいつ、どこまで計算してたんだ?ヒロも、俺たちの前じゃ全部我慢してきたってのか?」

不甲斐なさが攻め立てる。

親代わりをしてきたつもりだった。

自分たちの前では素直でいてくれるものだと疑わなかった。

もはや零れる涙を止める術がない。

「彼らは賢いよ。賢すぎたんだ。僕らにできるのは、全員が命を落とさずに帰ることじゃないかな?」

それが、二人が戦う理由なのだ。

シレイトの人間だけじゃなく、中央の人間までも守る為に戦うことを選んだ。

それは、どれほど辛い選択なのだろか。

「竜騎士よ、孤独であれ」

カイの言葉にフジだけでなく周囲の竜騎士がハッとした。

「彼らは孤独を選んだ。僕らにはその覚悟がなかった。

これ以上、彼らの戦いに口を出すのは無粋じゃないかな?」



リョウが全てを守ると誓いを立てることが出来たのはミサがいたからだ。

父の訃報を聞いて泣き出したミサはそれ以来、死に敏感になっていた。

誰も死なない世界などないとはわかっていても、身内がいつかいなくなってしまう恐怖がミサを何度でも泣かせていた。

リョウがいないことに気付くとパニックを起こして探しに行く。

過呼吸を繰り返して手を握る妹をみて、リョウは責任を感じるようになった。

ブラッドレーンとの出会いは覚悟を決めさせるのに十分だった。

闇を背負ったような漆黒の竜はルビーのような目を向けて、リョウに問う。

その答えこそが、リョウの全てであり、決意だ。

「目に見える、全てを守りたい」

自分は恨まれても、憎まれてもかまわない。

妹が泣かずにすむ世界はきっとそこにある。

ミサが笑って、自由に歩き回れるようになれば、それだけで十分だ。

父の敵討ちなど彼女は望まないだろう。

人一倍死に繊細な少女は兄が殺しを行なうことに耐えきれないだろう。

ミサにとって誇りになれる兄でありたい。

誰も傷つけることなく、自分の意志を貫ける騎士でありたい。

リョウが守ることを選ぶには十分すぎる理由だ。

家族を守る。

それは、人を守ることだ。

たとえ、それが困難な道だとしても、そこを歩いたという事実が自分を強くする。

非難を浴びようとかまわない。

信じた道を踏み外さなければ、誇りでいられるのだ。

「兄さん」

胸にミサの声が残る。

ラウの剣を弾いてリョウが笑う。

孤独を受け入れたつもりだった時期もあった。

しかし、結局は誰かのためでないと自分は動けない。

「なんだ?まだまだこれからだろ、竜騎士」

「いや、もう終わりだ」

ラウが目を見開いたのと同時に赤い閃光が飛び交う。

それらが無数の岩を持ち上げていた。

その先端は鋭利になっている。

ラウが動き出すよりも先、その岩は四肢を貫き岩壁にラウを縫い付けたのだ。

「がぁぁぁぁ!」

獣のような呻きをあげて剣を落としたラウはギリギリと歯を鳴らしてリョウを睨む。

納得がいかないというような視線を受けながらも、先に立つリョウは涼しげな顔で二本目の煙草を銜えた。

「殺しはしないと言ったが、傷つけないとは言っていない」

見ればリョウにも無数の傷がついていた。

剣を交えるうちにできた傷は致命傷にこそならなかったが血をしたたらせている。

「これ以上は俺の身体が持たないからな。死ぬことだけは、避けなくてはならん」

「くそがぁ!」

「なんとでも言え。俺は俺の戦い方を貫いただけだ」

剣を握り直してリョウはヒロがいるであろう氷の先を見た。

そこには二つの影が動いていた。

リョウの目に飛び込んできたのは、白い影が弾き飛ばされる瞬間だった。



左胸を掴みながら苦しそうな息をするヒロの手は震えていた。

始めこそキリアを挑発する動きができていたが、次第に受け止めることで精いっぱいになる。

そもそも、足がふらつき立っていることもやっとな状態だ。

「どうしたの?もう終わりかしら?」

「なんや、思ってたより動くんやな」

笑ってみせるが強がりでしかない。

何とかスノーライトの力を借りながら刃を防ぐが、キリアも軍で鍛えられた技術がある。

簡単にはひいてはくれないだろう。

「キリア、早く殺せ」

抑揚のない声が響いた。

びくりと体を震わせたキリアは苦痛の表情を滲ませてヒロの体を思いっきり弾き飛ばした。

意外にも軽々と弾かれたヒロが岩を背にして強がりを見せる。

握られた氷の剣は青白く光を反射させる。

その剣には一滴の血も付着していない。

登ってきた太陽の光を懸命に受け止めて輝いている。

「何を守って、戦うん?」

両手でようやく剣を握るヒロの問いにキリアは言葉を探した。

「あなたには、関係がないでしょう?」

あくまで冷静を装って答えるが、少しだけ、声が上ずった。

二人の距離は一定を保っている。

キリアの剣がヒロを掠めるが、ヒロの剣がキリアに届くことはない。

何度か刀が音を立ててぶつかる。

ヒロは武器の破壊を狙っていたようだがヒビが入るのは氷の方だ。

交えていた剣を手放す様に弾かれたヒロは頬に血をしたたらせながら地に膝をつく。

大きく肩で息をしながら押えていたのは心臓だ。

呼吸が思うようにできない。

スノーライトの力にも限界がある。

生命を維持しながら海から遠いグランドマウンテンで氷を生み出すことは多大なエネルギーを消費する。

サンファニーを止めるために出した氷も大きな負担となっている。

なかなかヒロは立ち上がることが出来なかった。

その様子をみて冷徹になりきるキリアが戸惑う。

剣を交えたヒロはあまりに弱い。

経験とか、才能とかそんなレベルではない。

戦う前から満身創痍という状態だ。

それでも、ヒロは戦うことを止めない。

戦闘だけなら輪の中心で竜に隠れている少年の方が上だろう。

何故、自分自身が戦う必要があるのか、不思議に感じられた。

「キリア、俺を殺したら、お前の守りたいもんは、守れるんか?」

ピクリと肩が震える。

僅かにキリアの視線が後方のリベルターに向けられた。

その美しい竜は置物のように動くことなく、エメラルドのような光る瞳をキリアに向けていた。

「私は…」

ぐっと想いをかみ殺して刀を握る手に力を込める。

「私は天秤が掲げたものを捨てた。あなたを、選ばなかった。ただ、それだけ」

「そっか…」

その時の顔はシレイトでいつも見ていたヒロではない。

笑ってはいるが、寂しさがちゃんと表情に現れていた。

「俺は、今でも、キリアを守るつもりや」



「キリア、殺せ」

チリチリと痛んだ首筋に顔をしかめ、剣を握り直す。

これですべてが終わるのだと走り出す。

その細い身体を蹴りあげて、岩へと叩き付ける。

逃げ場をなくし、ずるずると座り込んだヒロに向かって刀を向けた。

最後は彼の血で穢れようと決めていた。

そうして、全てを終わらせようと思っていた。

しかし、刃が皮膚に刺さる直前でピタリと手が、足が、身体が固まった。

音が、聞こえなくなった。

周りの竜騎士たちが口を開いているような気がする。

ラウを止めて駆け付けたリョウが何かを叫んでいるような気がする。

後ろでソウが命令をしているような気がする。

何も、聞こえなかった。

そっと、ヒロの手が自分に向けられた刃に手を添えた。

その顔は、確かに笑っていた。

額に汗をいっぱいに浮かべて弱弱しいけれど、いつもシレイトで見せてくれた優しい笑みだった。

「ごめんな」

その言葉がやけにはっきりキリアの耳に届く。

頬を涙が伝っていく。

次から次へ零れる涙が赤い土に染みていった。

知らぬ間に、刀に力が入っている。

その力を抜いてはならないと思った。

抜けばヒロが死んでしまう。

彼はその刃を掴んで自分に向けている。

「なんで?なんで…」

その先がどうしても出てこない。

ヒロが苦しそうにまた笑う。

「キリアになら、ええかな、なんてな。なんか、守って、やろ?」

困ったように笑うヒロに胸が痛くなる。

涙の数は増していくばかりで、噛みしめた唇から血が溢れた。

全身から力が抜ける。

ヒロがそれを見抜いたように刀から手を離した。

刀は音を立てて地面に落ち、それと一緒にキリアが崩れるようにうずくまる。



殺せるはずがなかった。

最期の瞬間まで優しい彼を冷徹になりきって殺すなどできなかった。

困惑する周りの目を気にすることなく彼女は喚いた。

「できない、私にはあなたを殺せない。殺したくない」

何かたくさんの声がした。

その中にはソウの声もあるはずだ。

首の紋が酷く痛んでいる。

それでも、立つことはできない。

「リブの事も大切だけど、同じくらい、あなたの事が大切なの、死んでもいいなんて、言わないで。

私、あなたの事、愛してるのに」

先ほどまで命を狙っていた人間のセリフではなかった。

しんと、辺りが静まる。

よろよろと立ちあがったヒロを見て、キリアもふらりと立ち上がった。

踏み出してよろめくヒロをキリアが支える。

柔らかい髪が頬をかすめ、潮の匂いがした。

「キリア」

ヒロの細い手が首の紋に触れる。

ビクッと肩を震わせるキリアはそこが熱を持っていると気付く。

ヒリヒリとしてとても痛かった。

「これが、キリアを、縛って…」

心の痛みが混じって、何が痛いのか分からない。

リベルターとヒロとどちらも大切なキリアには選択ができない。

小さく頷いたキリアの頭を撫でて、ヒロはやはり笑った。

「キリア、俺の、身体、支えてな」

ヒロの左手が胸に添えられた。

それを見たリョウが慌てて叫ぶ。

「ヒロ、止めろ、使うな!」

リョウの制止を無視して、ヒロはそこに力を込める。

胸にしまっていた資格が真っ白な光を放ってあふれかえった。

「ヒロ!?」

パチンと何かが弾けていくようだった。

ガクリと力を失ったヒロの体を支えながら、キリアは不思議な光景を目にしていた。

ヒロが作った氷の柱が次々に弾けて溶けていく。

リョウの手にあった漆黒の剣は竜の姿に戻り、ラウの剣もまた土にかえっていった。

自分たちを囲んでいた竜は力なく頭を垂れ、ひれ伏す様に地に降りた。

ざわめくのは人の声ばかりで、竜は呻き1つあげない。

神を目の前にしたかのようなその光景は不気味なほどだ。

「「キリア」」

ふと、耳に届いた声に振り向く。

他の竜と同じように地にひれ伏すリベルターが潤んだ瞳でキリアを見ていた。

「リブ?」

気付けば首の痛みが消えている。

「「Dragon Killerが鎖を断ってくれたよ」」

その言葉に視線を移すがヒロはぐったりとしたまま動かない。

「ヒロ?ヒロ!?」

何をしたのかキリアには分からない。

けれど、ヒロは自分を犠牲にしてソウにかけられた呪いを解いてくれたというのは理解した。

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