第26話  衝突編

明るい商店街をサラはゆっくりと歩く。

隣には真っ白な髪をなびかせるヒロがいる。

今さらだったが、2人は手を繋いで歩いた。

サラには兄に手を引かれた記憶がない。

ずっと前、まだ歩けるようになったばかりの頃に手を引かれた気もするが、あの事件の後、お互いに触れる事を拒んでいた。

親が殺されたと知ったのは1年以上経ってからだった。

失った悲しみと犯人への憎しみ、それよりサラを苛立たせたのは平気な顔をするヒロだった。

笑うヒロが腹立たしくて、狂ったように喚くサラをフジが抑え、顔を上げた先にはやはり笑みを浮かべたヒロがいるのだ。

今なら、その意味がわかる。

「ヒロ兄、ごめんな。いっぱい、傷つけた」

ヒロは、ミクリの息子で、dragon killerの資格を受け継いだ。

言葉で上手く誤魔化せないから笑うしかなかった。

「サラは何も傷つけてへんよ?」

「でも…」

繋いだ手を握り直して、ヒロは笑う。

「傷つけられたって俺が思ってないんやから、サラは何も傷つけてへん」

哀しいくらいに優しいヒロの手は恐ろしく冷たい。

けれど、確かにそこには体温がある。

「ありがとう。ヒロ兄、生きてな。少しでも、長く、一緒に生きよ?」

それが償いだった。

ヒロはサラを見捨てなかった。

どんなに冷たくあたっても、叱る事はなかった。

「ん。そやな」

サラより細い指が確かに優しく握りしめた。

街はいつも通り賑やかだ。

拉致騒動は広まらずにすんだ。

カイの件も何とか誤魔化せていた。

ゆっくりではあるが、確実に、いつか時間が傷を癒していく。




海に行こうと足を進める。

次第に潮の匂いが強くなった。

蒼い眼は海のようだと言われる。

それは広大で穏やかな優しい反面、何が起こるかわからない不思議な力を秘めている。

シレイト南部はそれこそ人が立ち入る場所ではない。

そこで暮らすのは遥か昔から竜と共に歩んだ原住民のみだ。

その血は、2人にも流れている。

「dragon killerは、どうして人が持ってるのかな?」

今はヒロが、その前はミクリが、そしてそれ以前も資格は人が持っていた。

その資格のおかげでヒロが生きているのは確かだが、資格があった為に険しい道を進まなくてはならないのも事実だ。

水平線が見える。

ヒロの表情は靡く髪に隠されてよく見えなかった。

「ずっと考えてたんよ。ミクリが何で俺に資格を託したんか」

「生きて欲しいからじゃないの?」

真っ直ぐに海を見つめるヒロの眼は温かそうだがとても寂しい色にみえた。

風が吹く。

海の音が岩に響き渡り飛沫が粒を舞い上がらせる。

「ただ生きて欲しいだけで、資格を渡すとは思えんよ。

使い方間違えたら、たくさんの命奪うかもしれへんのに」

資格による力は竜を支配する。

ヒロは護る側を選んだために戦争を避けてきた。

もし、壊す側を選んでいたら、イヤードレイク全土で混乱が起きていた。

ヒロの言う通り、ミクリがまだ幼くどちらに進むかわからない子供に資格を託すのは不可解だ。

「だったら、どうして?」

サラとヒロが向き合う。

彼女の目はミクリにとてもよく似ている。

それが、ヒロにとっては思い出したくないあの日を蘇らせる。

ただ、今は違う。

お互いに今を生きると決めたのだから、過去を悔やむ必要はない。

「竜騎士の魂は何処にいく?」

「…竜の魂の傍」

「なら、dragon killerは?」

「?」

力強い風が吹き抜けた。

ざわつく木々に音はなく、サラの目に焼き付いたのは、そっと胸を差した細い指だった。



真っ白な病室で管に繋がれた身体を起こしてカルテを読む。

意識が戻ったカイは看護婦の注意も聞かずに患者の事ばかりを考えていた。

「そんなんじゃ、またぶっ倒れるぞ」

呆れた顔をして入ってきたフジにカイは申し訳なさそうに目を臥せた。

「僕に出来ることをすると約束したんだ。

それに、なにかしていないと気が狂いそうだし」

「腹に穴開けた医者じゃ示しがつかねぇよ」

見舞いに持ってきた果物を机に置いてフジも腰を降ろした。

外は良い天気らしく陽射しが暖かい。

カルテを読むのを止めて外をみる。

遠くに鳥が飛んでいくのがわかった。

「フジ、ミクリの腕を見たことはあるかい?」

「腕?あの細い腕なら何回か引っ張ってるが?」

「今なら言えるよ。あの腕は傷だらけだった」

不思議そうな顔をするフジに笑い、ペン先を手首に添えた。

「彼はどれ程の苦しみを抑えて生きたんだろう。

それに、何人の人が気づいてあげられたのかな?」

ゆっくりとペンを引けば、そこには赤い線がくっきりと残る。

まるで血が滲んでいるようだった。

「ミクリは辛い選択をしたよ。同じ苦しみを、我が子に託したんだから。

その気になれば、資格を霧川に渡すことだってできた。

そうすれば、たぶん、中央がdragon killerを探し回る事もなかったんだろう。

でも、ミクリは霧川には渡さなかった」

「それはアイツにその素質がないからだ」

苛立ったフジが口を挟んだ。

目を合わせないのは自らの勝手を理解しているからだろう。

「本当に、そうなのかな?

確かに、僕らは彼が憎くてたまらない。カルテを持ち出された時も、腸が煮えくり返っていたよ。

でも、そんな人の事をミクリが親友と言うだろうか?」

鳥がなく。

海鳥だろうか、クークーと悲しげに鳴いている。

誰かを探しているようだ。

「自分に重傷を負わせた奴を庇うのか?」

カイの言動は矛盾しているように思えた。

何日か意識のない状態が続く程の傷を作った相手に対し、やけに冷静で本質を探ろうとしているようだ。

口を尖らせるフジに対しカイの表情は穏やかだった。

「僕は結局、竜騎士なんだ。そして、僕は護る側を選んだ。

それに、少しだけでも、ミクリの苦しみを知らなければならないと思ったんだ」

カイが見たソウの姿は過去の記憶とはずいぶん印象が違っていた。

ミクリの死後一度も会っていないのだから、変わっても不思議はないのだが、ピクリとも動かない表情は何かを塗り固めているようで。

竜の風に反応を見せたのはミクリを思い出したようにも見えた。

「本当の竜騎士になるという事、dragon killerになるという事は

僕らが考えている以上に苦しみを伴うものかも知れないね」

外はいつの間にか雲1つない快晴になっていた。



日が傾き始めた頃、釣具を提げてサラとヒロは帰路についた。

昼から釣りをしていたが、一匹も釣れなかった。

それでも楽しそうに釣糸を垂らすヒロの隣にいるのは心地が良かった。

兄妹に戻れた実感がじわじわと湧いてくる。

今度は仕事場に誘ってみようかとか、フジやサナエと食事をしようとか、やりたい事は山ほどある。

それは結局いつもやっていることと変わらない他愛もないことだ。

日常というものがこんなにも大切に思えるとは知らなかった。

心臓の奥の方からポカポカと何かが湧き上がってくるようで、今まで穴が開いていた何かがゆっくりとふさがっていくようで、自然と口が軽くなる。

たくさんの話をして、意外と知識が豊富なヒロに驚かされた。

機械ばかりを弄ってきたサラには知らないことばかりを教えてくれる。

海の事、竜の事、シレイトのこと、ヒロは全てが好きだと言った。

人も、竜も、自然も全てが好きだというのだ。

それが、とても悲しく聞こえたことは口に出さず、サラは微笑んだ。

夕日にほんのりと赤くなった髪が揺れるたびに、なんだか遠くに行ってしまいそうな気がした。

ようやく、向き合えたのに、それは手が震えるほどに恐ろしく思えた。

「ヒロ兄…」

サラがヒロを呼び止めると同時にヒロの足が止まる。

しかし、視線は前を向いたままだった。

不思議に思い、その眼が見つめる先に目をやる。

青い瞳にその姿が映ったとき心臓が止まるかと思った。

夕暮れのグランドマウンテンを背に、伸びていく影が怪しく揺れる。

「キリア」

顔を伏せたまま、夕日の中に立ち尽くす彼女にヒロが声をかけた。

キリアはピクリとも動かない。

「ヒロ、だめだよ、この人は…」

慌ててヒロの腕を掴んだが、ヒロは優しく笑うだけだった。

そして、ゆっくりとサラの手を外して、キリアに向かい合うのだ。

「今日は、どこに行こうか?星見るんやったら、もう少し歩いたほうがええな」

キリアは黙ったままだ。

よく見ると、両手をギュッと握りしめている。

「冬鳥はまだ来てへんけど、クジラが見えるとこなら知ってるんよ」

ヒロはいつもの調子で語りかける。

いつの間にか、キリアの足元には雫が落ちるようになった。

小刻みに身体を震わせて、必死で声を抑えている。

サラは何も言えなくなっていた。

ただ、二人から目を離すことが出来ないでいる。

「少し、歩かへん?」

差し出された手にようやく顔をあげた彼女は涙でくしゃくしゃになっていた。

目もとが赤くなっている。

大粒の雫が止めどなくその目からあふれ出ていた。



「さよならを、言いに来たの」

かき消えそうな震えた声は、驚くほど鮮明に聞こえた。

「花宮キリアとして、あなたに会えるのはこれが、最後だから」

グランドマウンテンから伸びる光が静かに消えていく。

辺りは一気に暗くなり、山脈の輪郭だけが燃え残ったように光を灯している。

吹き抜ける風がやけに冷たく感じる。

「次に、会う時は、国家竜騎士として、あなたを、殺さなくちゃならない」

空高くそびえるグランドマウンテンが底深い闇のように見える。

それはまるで、国家竜騎士が身に着ける漆黒のコートのようだ。

キリアが見つめる先でヒロはその言葉を聞いていた。

驚いた表情は1つもしないで、ニコリと笑うのだ。

「そっか」

承諾の声が空気を静かにする。

音が、何も入ってこないように、木々も波も息を潜めている。

「キリアが、決めたことなんやな?」

少しの動作も見逃さないように、サラはその姿をしっかりと焼き付けていた。

漆黒に紛れるキリアとは対照的に、ぼんやりと浮かび上がる白はこのまま溶けていきそうだ。

夕闇にのまれてもはやキリアの表情を見ることはできない。

けれど、その頭が縦に一回だけ揺れたのは確かだった。

思わずヒロの方に目をやったサラが見たのは、今にも泣きそうな目をしているのに口だけはしっかりと笑みを作った顔だった。

きっと、キリアにはこの顔が見えていないだろう。

それを知って、ヒロは黙っているのだろう。

つくづく、優しさというか、ずるさを思い知った。

「さよなら、ヒロ」

「ん、」

何か大きな鳥のようなものが舞い降りる。

闇の中でもその暖かい色は滲んで見えたけれど、翼の音は泣いているようだ。

しばらくして、それはキリアと共にグランドマウンテンへ消えて行った。

ただ、立ち尽くしていたヒロはキリアが去って行った方角をじっと見つめて黙っている。

時間にしたら、ホンのわずかな時だった。

それでも、随分長い間そこに立っていたような気がする。

空気が冷たくなっていく。

「ヒロ兄、帰ろう」

取った手は氷のように冷たい。

「そうやね」

優しく声をかけてくれたヒロだったが、その表情にサラは胸が締め付けられるようだった。

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