第25話 過去編


1ヶ月程、何事もない生活が続いた。

淡々と書類を捌き、訓練の視察にいく。

そんな日常だ。

「ミクリさん、今日の報告書です」

最近ではフラッドが率先して配達係りを努めている。

彼曰く、ミクリは憧れの存在らしい。

「僕みたいのがdragon killerでがっかりしたんじゃないの?」

大抵の人はミクリをみてdragon killerだとは思わない。

あまりにも華奢だからだ。

その問いにフラッドは大きく首を横に振った。

「僕はミクリさんの性格に惹かれたんです。ミクリさんは誰にでも平等です。

僕みたいな半人前にも、みんなと同じように接してくれるから。

だから、僕はミクリさんのようになりたいと思ったんです」

素直で純粋な答えに思わず笑ってしまった。

不思議そうな顔をするフラッドに謝りながらミクリは嬉しくてたまらなかった。

「僕だって人間だよ

嫌いな人もいるし、好きな人もいる。

でも、そうだな。どんな人でも、みんな幸せなら、それでいいんだよね」

フラッドはきっとすごく愛されて育ったのだろうと羨ましく思った。

こんな考えができるのは、いっぱいの愛情を貰ってきたからだと感じた。

ふと重なった視線にフラッドは首を傾げる。

優しいいつもの目だというのに、なんだかとてもさみしそうだ。

「ミクリさん?」

「フラッド君、僕は…」

ミクリが自分を語ろうとした時だった。

廊下の向かい側から慌てて走る人がいる。

それは軍の伝令係りだ。

汗をいっぱいにかいて、ミクリの元に駆け寄ると、必死の形相で伝言を伝える。

「シレイトの奥さんからお電話です。お子さんが病院に運ばれたそうです」

身体中から血の気が失せていくのを感じた。

それなのに心臓だけが異常な音を立てている。

電話を受けて直ぐにパトリオートに飛び乗った。

ソウは直ぐに行けと背中を押してくれた。

上層部の視線が痛かったが、不安でいても立ってもいられなかった。


暗闇を休まずに飛ぶ。

dragon killerの道を作るかのように竜が頭を垂れる。

全速力でシレイトの病院にたどり着いたのは次の日の昼近くだった。

天気は最悪で雷が鳴っている。

海は荒れて波が海岸に打ち寄せる。


病院内を走り、ようやくたどり着いた手術室前には、サラを抱いたカリナがじっと祈りを捧げていた。

「カリナ、ヒロは?」

ミクリにようやく気づいたカリナは扉の上で赤く光るランプを見詰めた。

「海で遊んどったら、急に倒れたんよ。息ができんみたいで、苦しそうにしとって、

カイに聞いたら、肺の一部が動いとらんって…」

カリナは泣きたいのを我慢して事情を話してくれた。

医療の事はよくわからないが、肺の一部を摘出する手術らしい。

幼いヒロが耐えられるか心配だった。

外の嵐は激しさを増すばかりで落ち着けない。

手術室の扉に手をついて、何度も何度も繰り返す。

「ヒロ、どうか生きててくれ」

神に願わずにはいられなかった。

自分はどうなってもいい。

この先短い命で構わない。

だから、どうしても、子供の命だけは救って欲しかった。

長い手術は夕方まで続いた。

ふっと消えたランプに思わず立ち上がる。

扉から出てきたのは、血をべったりつけたカイだった。

「カイ、ヒロは?」

「ミクリ、来てたのか」

カイは中央にいるはずのミクリに驚きながらも冷静だった。

ミクリとカリナを落ち着かせてゆっくりと話をする。

「手術は無事に終わったよ。ヒロ君は生きてる。

ただ、手術の後遺症がどう残るか不安が残る」

「後遺症?」

「子供には大きすぎる手術なんだ。薬の副作用がどこに出るかわからない。

命に関わる事はないと思うけど、一生付きまとう事になるかもしれない」

運ばれていくヒロはたくさんの管に繋がれていた。

麻酔で眠っているが表情は穏やかだ。

「カイ、もしかして、発症したの?」

ミクリの言葉にカリナも体を強張らせた。

カイは目を伏せて静かに答える。

「わからない。けど、君の病気で内臓から症状が出ることはほとんどない」

「ほとんど…」

雷が鳴る。

ミクリは崩れるようにその場に倒れた。

彼の体もまた、限界に近づいていたのだ。



翌日、フジが見舞いに訪れると、車イスに座ってロビーで電話をかけているミクリがいた。

悪いとは思いつつ、その会話を耳にする。

「うん。ごめんね。君しか頼れる人がいなくて

……ん。暫くしたら、そっちに行く。話は、自分でつけるよ

ありがとう。ソウ」

その目には涙が滲んでいた。

「ミクリ」

「フジ…」

見舞いの果物を差し出すとぱぁっと明るい顔をする。

甘いものが好きなミクリは果物が大好きだ。

「お前まで倒れたって聞いて驚いたぞ」

「ごめん、急に力が抜けちゃって」

困ったように笑うミクリの足に目をやると、ブランケットが被せられていてよくは見えなかった。

車イスに座っているくらいだから、歩けないのだろう。

身体は細いが、今まで大事になったことがなかったため、フジは少し心配をしていた。

「あぁ、大丈夫だよ。徹夜でグランドマウンテンを飛んだから疲れちゃっただけ」

歳のせいかと笑うミクリのその柔らかい雰囲気にいつのまにかのまれてしまう。

「ったく、気を付けろよ、dragon killer」

笑うばかりのミクリにそれ以上を問うことはできなかった。

その笑みは不思議と不安をかき消してしまう。

根拠など何もないというのにだ。

「誰と話してたんだ?」

「あぁ、聞いてたの?ソウだよ。僕の親友」

迷いのない答えに少しばかりの嫉妬を覚える。

過した時間の違いからもソウには敵わないとわかっている。

カリナを含めた3人には断ち切れない絆を感じているのも事実だ。

そしてそれがミクリになくてはならないモノだということも、頭では理解しているのだ。

「そっか」

それでも、冷たい目をしたソウがミクリの親友であることに納得ができなかった。


一命をとりとめたヒロだったが、薬の副作用のために色素を奪われた。

両親に似た黒髪と青い瞳、つまりは、シレイト南部の特徴がヒロから失われたのだ。

漆黒の髪は雪のように白くなり、わずかに色の残った瞳は血液の色が透けて夕焼けのような紫に染まった。

ミクリもカリナも生活に関わる事がないと安心したが、本人はそうではなかった。

幼いヒロにとっては憧れの両親との繋がりを斬られたような気分だった。

泣き続けるヒロのそばで優しく声をかけ続けたミクリは確かに父親の顔をしていた。

それから頻繁にシレイトに帰るようになったミクリを誰も咎めなかった。

むしろ、早く軍を辞めて戻ってこいと急かす者が多いくらいだ。

フジがその話を持ち出す度に、彼は笑って

「もう少しだけ」

と答えるのだ。

あの日がくるわずか半年前まで、ミクリは中央の軍に勤めていた。


シレイトに戻ったその日、皆がお帰りと祝う中も、彼は笑みを通し続け

「信頼する親友に、後を任せて来た」と、「彼には本当に感謝をしている」と幸せそうに話すミクリを見ていた。

フジにはそれが誰だかわかっていた。

ミクリとは正反対の無表情で冷たい青、感情を感じさせないその人に、嫉妬を覚えたのは確かだ。

「どうして信頼できると断言できるんだ?」

その日、フジは酔いに任せてミクリに尋ねた。

あまり飲まないミクリは甘い果実酒をなめながらフジに水を差し出す。

「ソウとは長い付き合いなんだ。子供の時からお互いをよく知っているし

大切な理解者だよ」

「正反対に見えるけどなぁ。理解なんざ出来るとは思えねぇ」

「確かに正反対だよね。僕とソウは。彼は優しいんだ。だから、僕を見放さないでいてくれた」

静かに傾けたグラスから甘酸っぱい果実の香りが漂う。

深い青色が照明のオレンジと混ざって複雑な色をしていた。



あの日

血塗れの部屋に入ったフジは、ミクリの最期に立ち会った。

横たわるカリナに手を伸ばし、一人にはさせないと泣いた。

そして、その瞬間を見ていたであろう我が子に、最後の想いを託したのだ。

「生きて欲しいから、託すんだ。

これから一杯辛い事があるかもしれない。

でも、忘れないで欲しい。

僕は、ずっと、竜の魂と共にある」

小さな戸棚に隠れていた彼はミクリの言葉を飲み込むように、真っ直ぐと沈む両親を見つめていた。

「僕の言葉が枷になることは分かっている。

それでも、生きてさえいれば、きっと良いことがあるはずだから」

死を前にしても妻に寄り添うミクリを、彼がどうとらえたかはわからない。

「フジ、シレイトの事は任せたよ」

静かに目を綴じたミクリを見届けて、小さなヒロを抱き上げる。

細く小さな体は小刻みに震えていて、呼吸さえままならない程に涙を溢していた。

その胸には先日までミクリが提げていた資格を示す十字が光っていた。

シレイトの空は澄み渡り、波は異常なまでに穏やかで、風が心地よく吹き抜けていく。

どこかで竜が哭いた。

それは次々に連なり、地鳴りのように響いた。

ようやく、フジの頬を雫が伝う。

地鳴りがミクリの魂を讃えているようで、世界の全てがdragon killerを弔おうとしているようで、その場に立ち会えた幸福と失った者の不幸が同時に責め合う。

竜の地鳴りは日が落ちるまで続いた。


誰もが中央への復讐心を燃やしていた。

出入りする軍服の目撃者は多く、それが霧川ソウだとわかるまで時間はかからなかった。

それでも、皆が耐えたのはヒロが笑ったからだ。

病室で目覚めたヒロが、親に似た人懐っこい笑顔で

「大丈夫やから。」

と、笑ったからだ。

ズキズキと胸が痛んだ。

ミクリも同じように笑っていたのだろうか。

辛いはずのヒロが笑うから、大人達は怒りに耐えた。

ヒロが笑うとミクリがそこにいるようで、空気が和らぎ、不安を掻き消していく。

それはきっと、首に提げられた証の力なのかもしれない。



静かに、しかしマグマのように燃え上がる憎悪を含んでフジは語りを終えた。

誰もが言葉を飲み込んで沈黙を守っていた。

重く暗い空気に押し潰されそうだ。

しかし、その空気を掻き消すのは、やはりあの笑みなのだ。

「サラはここにおるし、カイも生きてるんやろ?

戦争なんて起こしたらミクリは許さんよ」

ふわりとかつて両親と同じ漆黒だった白い髪が揺れる。

両親を敬愛してきたヒロだから、復讐が弔いにならないことを誰よりも理解している。

「理屈じゃねぇんだよ。もう、十分我慢はした。限界なんだよ」

机を叩き割るのではと思うほどに拳を握りしめたフジに対して、ヒロは静かに笑う。

「ミクリは、ずっと、我慢してきたんよ?」

ピタリとフジの唇が止まる。

見開かれた瞳に何が映っていたのか、リョウやサラにもわからない。

けれど、フジに心当たりがあるのは明確だ。

震える手から力が抜けていく。

そして、静かに腰を降ろした。

両手で頭を抱えてうつ向くフジはずいぶん小さくみえた。

「わかってる。頭ではわかってる。でもな、耐えるだけってのは、無力でしかないんだ」

「無力なんかじゃない」

弱気なフジに声をかけたのはサラだった。

父親によく似た顔は真っ直ぐと青い瞳でフジを見詰めていた。

父親の友人であり、育ての親であり、そして、シレイトの竜騎士であるフジに、サラは逃げることなく向かい合った。

「耐えてくれたから、私は守られてきたんだよ

フジが、みんなが耐えてくれなかったら、私はきっとここにいないから」

そこに迷いはなく、一瞬として目を離さないでいた。

そんなサラをみて、リョウも口を開く。

「そうだな。戦争になっていたら、俺たちも巻き込まれていた」

「コウ君に出会うこともなかったかもしれないね」

続くようにミサが笑う。

コウは頷きならがミサに寄り添った。

彼らは皆、苦労はしてきたが、不幸ではない。

「な、フジ。我慢は無力やないよ」

柔らかい空気が包み込む。

それはやはり、今を紛らすだけの空虚にすぎないのだが、煮えるように沸き上がっていた憎悪が水底に沈み水面は穏やかに揺らめくように心を落ち着かせるものだ。



「僕がそれを裏切りと認めなければ、裏切りにはならないんじゃないかな?ソウ」

柔らかい青に以前のような力はない。

いや、元々力などなかったのかもしれない。

ただ、その言葉が身体中に針を刺すように突き刺さり、ただただ涙を流すしかなかった。

突きつけた銃の引き金が重く、指の先まで石になったように固くなる。

「何故、笑う?」

立ち上がる彼の足は震えていた。

机に手をつき体を支える姿は痛ましい。

それが、dragon killer海谷ミクリの本当の姿だった。

「泣いてばかりの人生だったから、最期は笑って終わりたいんだ」

柔らかな笑みは、今まで他人に向けていたものと同じだった。

結局、全てを彼に押し付けて、奪う事しか出来ない自分が許せずにいた。

そして、決断したのだ。

大事な人を壊すのならば全てを壊す選択をしようと。

何かが音をたてているようだった。


ズキズキと痛みを発する頭を抱えてソウは空を見上げる。

星が煌めく夜空は眩しすぎる。

その光はまるで人の視線のようだからだ。

シレイトに向かったはずのキリアからは連絡がない。

闇が気持ちを落ち着かせてはくれなかった。

痛みがいくつもの声に代わる。

その全てがミクリに繋がっていく。

嘘で塗り固めた仮初めしか知らない彼らの言葉はチクチクと胸を刺す。

結局、彼は本当に限られた人間にしか弱味を見せなかった。

空はまだ星を抱えている。

「私は、真の竜騎士に……」

手を伸ばしたところで星に届く事はない。

ならばその光が消えるほど深く深く地に潜ろうではないか。

カチリカチリ

歯車が噛み合っていくような音がする。

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