第24話  過去編

18年前

中央での任務を休み、ミクリはシレイトに戻ってきていた。

妻であるカリナがお産の為に入院したと聞いたからだ。

そわそわと落ち着かないミクリの隣でフジは何度もため息をついた。

「落ち着け、難産じゃないってたろ?直ぐに元気な声が聴こえるさ」

「わかってる、けど。やっぱり、心配じゃないか」

何もできない事がもどかしいのか、彼は何度も扉に額を宛てて目を閉じた。

少しして、奥の部屋から小さいが確かに声がした。

泣き叫ぶその声は力強く、確かに息をしている。

看護師が抱えた赤子は口をいっぱいに開けてないていた。

「元気な女の子ですよ」

ミクリがそっと抱き抱える。

小さな命を抱いたミクリは優しく頬を擦り寄せる。

「産まれてきてくれて、ありがとう」

部屋の奥でカリナが笑った。

汗をいっぱいに張り付けた彼女は満足気だ。

「ミクリ、私にも、抱かせてくれへん?」

ハッとしたミクリがカリナの手に子供を渡す。

小さな命は母に抱かれて安心したのか、泣くのをやめた。

「お母さんには敵わないな」

「そりゃそうやろ。なぁ、サラ」

2人で決めた名前だった。

女の子が産まれたら『サラ』、幸せを噛み締めるように前だけを向いた2人の楽しみだった。

幸せそうな2人を見ながら、フジは何か引っ掛かった。

けれど、それが何なのか、その時は分からなかった。



数日後、ミクリは病院にいた。

カイに一枚の診断書を手渡され、恐る恐る文字を追う。

「大丈夫。サラちゃんは陰性だったよ」

「本当に?」

「あぁ。ちゃんと鑑定したんだ。間違いない」

カイの言葉にミクリの目から大粒の涙が溢れた。

次から次へ溢れるそれを拭うこともしないで、彼は診断書を強く握りしめた。

「よかった。よかったぁ」

と繰り返す。

カイは優しくミクリの肩に手を置くと、祝福の言葉を述べる。

けれど、そのあとに見せたのは固い表情だった。

「ミクリ、子供の心配をするのもいいが、君自身の心配もしてくれよ」

左手がとったミクリの腕は竜騎士と言うには細すぎた。

ミクリに手を握るように言うが、なかなか応じない。

黙って睨むと渋々力をこめる。

「まだ、日常に影響はなさそうだね」

「うん。大丈夫。ペンも持てる。でも、もう剣は無理かもしれない」

それは剣術を武器としたミクリにとって致命的だった。

接近戦での唯一の攻撃手段を奪われては竜の力に頼るしかない。

体術はからきしなのだ。

「そろそろ、誤魔化しが利かなくなる。周りにも、話した方がいいんじゃないか?」

「うん、分かっているんだけど、認めてしまうみたいで、嫌なんだ」

「認める認めないの話じゃなくて、事実だ。変えようがない事なんだよ」

黙るミクリを責めるのは気が引ける。

けれど、カイは医者として黙っているわけにはいかなかった。

ミクリは大病を患っている。

「いずれ、病魔は全身に広がる。歩く事も困難になる。そういう病気だ」

ミクリは唇を噛んでうつ向いている。

遺伝性の病気だった。

その遺伝子を保有していたとしても、発症さえしなければ問題はない。

しかし、発症すれば筋肉が衰え、手足の先から順に動かなくなっていく。

次第に歩行が困難になり、最後には心筋までも蝕むという。

患者数が非常に少なく、研究の進まない病の1つで、医療技術の発展したシレイトでも治療は不可能な病気だった。

恐らく、ミクリの両親のどちらかも同じ病魔の遺伝子を持っていたはずだ。

それが分かっていれば、適切な対処が出来たかもしれない。

それができなかったのは、ミクリが両親を知らなかったからだ。


一通りの検査を終えて、ミクリが自宅に戻る頃、カリナがサラを背負って、ヒロの手を引いていた。

この頃のヒロはまだ両親と同じ容姿をしていた。

親子4人の黒い髪が並ぶ。

青い瞳はシレイト南部の出身者の特徴で、綺麗に子供に伝わった。

海をみて、風に吹かれて、音を聴く。

「幸せだなぁ」

そうしてミクリは泣いた。

顔は笑っていたが、涙はとても塩辛く、胸がシンシンと痛んだ。

「今日は、お父さんが好きなシチューなんよ。なぁ」

ミクリの内を知ってか知らずか、カリナはイタズラっぽく笑って子供をあやす。

ヒロはにっこりして、手伝いをしたことを自慢した。

話し方はすっかり妻に似てしまっている。

「おとんに食べてもらうんや」

ぎゅっと足にしがみついたヒロをミクリは両腕で抱き締めた。

力はさほど入っていない。

ヒロが不思議そうに父を見る。

既に、ヒロが病魔の種を持っている事はわかっていた。

それをミクリは伝えられずにいる。

事実を話したのは、話せたのはカリナだけだった。

保有していたとしても、一生発病しない例もある。

それに望みを託していた。

「おとんは泣き虫さんやね」

優しくカリナが笑う。

つられてミクリが笑う。

シレイトの風が温かく、静かに吹き抜ける。

幸せな時間だった。

いつまでも優しい時間が続けばいいのにと、誰もが願っていた。

海は穏やかで、波が耳をくすぐる。

潮風の匂いも思い出を重ねていくようだった。



「「南部で飛竜が暴走。体長およそ20、属性は火。至急竜騎士隊の出動を願う」」

無線機を片手に応戦する兵士の目の前には土の色をした巨大な竜がサイレンのような声をあげて火を噴く。

その狂暴さに人は近づけず、発砲による威嚇で進路を妨げるのが精一杯だった。

「直に竜騎士隊が来る、それまで持ちこたえろ」

民家が側まで迫っている。

避難は終えているものの、家屋に被害がないことに越したことはない。

住む場所がなくなってしまえば難民だ。

竜が一際大きく口を開ける。

そこには光の塊が見えた。

「まずい!!逃げろ!!」

声に反応した何人かが距離を取るべく走り出す。

しかし、20メートルを超える竜にとって人間が咄嗟にとる距離など無に等しい。

マグマのような赤い炎が吐き出される。

瞬く間に辺りは火の海だ。

パチパチと燃える周囲の草木、しかし、火が届かない場所があった。

そこには逃げ惑っていた兵士たちが尻餅をついている。

その中央、白いコートに身を包み片手を高く挙げた男、辺りは霧に包まれていた。

「霧川副隊長…」

漆黒の長髪が熱気に揺らめく。

青の瞳は真っ直ぐ飛竜をとらえている。

「ヴァルアライド」

静かな声がその名を呼べば、後方から飛び出す深い蒼の竜、飛竜と水竜、双方の特徴を兼ね備えた美しい竜こそが、霧川ソウのパートナー、ヴァルアライドだ。

飛竜が噴き出す火炎をかき消すヴァルアライドの力に圧倒される戦闘に兵士たちは口を開けっ放しだ。

現実とは思えない戦いが繰り広げられている。

竜と竜がその力を最大限に発揮しながら飛び交う。

ヴァルアライドの水が飛竜の頭部を直撃する。

地にひれ伏した飛竜は怒りの声をあげて宙に火を吐いた。

その時だ。

何処からか強い風が吹き抜けた。

飛竜の動きが止まる。

ヴァルアライドも攻撃を再開しない。

不思議に思った兵士がソウに問いかける。

「トドメを刺さないのですか?」

ソウの視線は飛竜から外される事はない。

「私たちは竜を殺さない。あるべき場所へ帰すだけだ」

「あるべき場所?そんな事ができるのですか?」

「私には難しい。だが…」

穏やかな風が周囲を包んでいく。

飛竜との間に降り立った一頭の赤い竜、その背から飛び降りたその人はソウと同じ白いコートを羽織っていた。

「ミクリなら、それができる」

「dragon killer…」

その姿はイメージと随分違う。

小柄で細く色白で、中性的な容姿は男であることすらも疑わせる。

騎士と言うには優しすぎるその目は綺麗な海と同じ色だ。

飛竜はミクリをとらえてからピクリとも動かない。

ミクリはゆっくり手を差し出す。

「ここは君が来る場所じゃない。自分の住み処へお帰り」

言葉を理解したのかしないのか、飛竜は抗うように唸り、その巨大な口を開いてミクリを襲う。

飲み込まれる。

誰もが目を閉じた。

牙がその目に届く直前、ミクリは口を開いた。

声は呻きにかき消され、その場にいた人間には聴こえなかった。

全ての動きが止まったようだ。

牙が当たる直前に飛竜はピタリと止まった。

緩やかに風が吹いている。

ヴァルアライドがゆっくりと上空を旋回していた。

静かに姿勢を整えた飛竜はじっとミクリを見下ろした。

小さな男は優しく微笑む。

飛竜はそれ以上暴れなかった。

ゆっくりと翼を羽ばたかせグランドマウンテンへ向かった。

優美なその後ろ姿を追うものはなく、満足そうなミクリがソウの元へ歩いていく。

「『彼女』の卵を人間が盗んだらしい。犯人を探さなくちゃね」

「何か情報はあるのか?」

「うん。大体の容姿はわかった。この近くに住んでるらしい」

兵士たちにはその会話の意味がわからない。

呆けているうちに話は進み、撤退命令が出ていた。

「ミクリ、帰って早々に駆り出してすまない」

「いいよ。僕にできるのはこれくらいだから」

ペタリと座り込んだミクリの側でパートナーが心配そうに覗き込んでいる。

「大丈夫だよ。パトリオート」

ミクリに撫でられてパトリオートは目を細める。

ソウはヴァルアライドを呼び寄せて帰還の支度を始めた。



事務室に戻った2人はゆっくりとお茶を飲んでいた。

マグカップを両手で持つミクリは口をつけて、熱いと溢した。

「で、カリナも元気なんだな?」

「うん。もう退院して、子供と過ごしているよ」

「そうか」

うっすらとしたソウの穏やかな表情にミクリは喜んだ。

幼い頃は3人でよく遊んでいた。

自分とカリナの結婚はソウとの関係に傷をつけるのではと不安だったが、彼は気づいていたのか、驚く様子もなく祝福してくれた。

無口で堅い性格だが、ミクリやカリナの事を家族として心配してくれる。

本当の家族をしらないミクリにとっては何よりも嬉しい事だった。

「今度、君もシレイトに行かないか?子供たちにも会って欲しいんだ」

「怖がらせてしまわないか?」

「大丈夫だよ。君の話はよくしてるし、それに…」

言葉が詰まった。

頭の中でいろんな絵が混ざって声にすることができない。

妙な胸騒ぎさえした。

「ミクリ?」

「ぁ、うん。とにかく、僕の自慢の友人を紹介したいんだ」

「それは光栄だ」

ソウが頬をかく。

それが本心である確証がミクリにはある。

ソウはdragon killerの右腕として働くことに誇りを持っていた。

いろんな葛藤もあるが、後悔はしていないようだ。

だからこそ、ミクリは後ろめたい想いに付きまとわれている。

ソウは竜騎士として自分よりずって優秀だ。

冷静さも、技術も体力だって、何1つ自分が勝るものはない。

「ソウ、ありがとう。いつも一緒にいてくれて」

本来、dragon killerを受け継ぐのは霧川ソウのはずだった。

けれど、偶然から資格はミクリに手渡されソウに渡ることはなかった。

それが、申し訳なくて仕方がないのだ。

「何を今さら。資格は、そこにあるのが相応しい」

ソウの指がミクリの胸を指した。

いつものように訓練の様子を見に出掛けたミクリは一際張り切る青年を見つけた。

竜騎士を目指しているというその青年はフラッドという。

「ミクリさん」

フラッドはミクリの姿を見つけるや否や駆け寄ってきた。

犬ならば千切れんばかりに尾を振っているだろう。

キラキラと輝く目にミクリは微笑んだ。

「お疲れさま。今日も激しい稽古だね」

「これくらいどうってことないですよ」

汗を流す訓練生はみんなイキイキとしている。

木刀を握り走り回るみんなが少し羨ましかった。

「ミクリさん、今日はお相手して頂けませんか?」

「え?うーん」

少し前なら一緒に稽古をしていただろう。

しかし、今は違う。

恐らく木刀を振り回すことはできないだろう。

「今日はやめておこうかな」

「そうですか。では、ゆっくり見ていってください」

少し残念そうな顔をしたフラッドだが。

頭を深く下げた後は元気に訓練に戻っていく。

和気あいあいとした雰囲気は悪くない。

中にはシレイトから来た者もいる。

いつか彼らも自らのパートナーを見つけて竜騎士となるのだろう。

次世代が育っている事は嬉しい限りだ。

さらに活気づく稽古を見てゆっくりと稽古場を後にする。

木製の戸を開けるのに手こずったのは誰にも言わない事にした。


廊下を歩きながら考えるのはこれからの事だ。

カイの話では歩けなくなるのは時間の問題だという。

今はまだ中央の人には気づかれていないだろうが、剣を握れなくてはいつか気づかれるだろう。

「彼らは許してくれるだろうか」

ミクリが中央にいるのは契約によるものだ。

シレイトへの戦争回避と竜騎士としての意志を尊重する代わりに、dragon killerとして中央に貢献する。

その多くはグランドマウンテンから降り立つ野生竜の処理だ。

野生竜の脅威はそれほど大きなものなのだ。

たとえdragon killerとしての力があったとしても、歩くことの出来ないミクリを中央が容認するだろうか。

もし、それを理由に契約を解除されたら。

「何か、考えないとなぁ」

不安で仕方がない。

自分の事ですら解決していないのに、こんな大きな問題を解決出来るのだろうか。


「ミクリ、最近元気がないな。何処か悪いのか?」

「え?そんな事はないけど」

書類に目を通していたミクリにソウが話しかけてきた。

「それともシレイトで何かあったか?元気がないのは帰ってきてからだ」

ソウの言葉にミクリは目をパチクリさせた。

驚いてしばらく呆けていると、ソウが目の前で手を振っていた。

「大丈夫か?」

「うん。ソウってスゴいなぁって」

「ん?」

心配をかけると思い話さなかったが、隠している方が申し訳ない。

ミクリはちらちらとソウを見ながら経緯を語る。

始めこそ驚いていたソウだが、話しに納得したのかしばらく仕事を変わると言ってくれた。

「そんな大事な話をどうして黙っていた」

「ごめん。でも、迷惑をかけたくなくて」

ソウは呆れたようにため息をついた。

なんだか少し寂しげで、ミクリは目を反らした。

「気持ちはわからなくもないが、もう少し頼ってくれて構わない。

その為に私は中央に来たんだ」

ミクリは恥ずかしくなって膝を抱えた。

熱いものが込み上げてきて上手く表現できなかった。

「あぁ、君がいてくれてよかった。1人だったら、何もできなかったよ」

大粒の涙が次々に溢れる。

鼻を赤くして笑うミクリは子供のようだ。

くしゃりと髪を撫でると堰を切ったように泣きじゃくる。

ついつい本音が漏れる。

ミクリは戦いたくもないし、中央に身を置きたくない。

只でさえ短い一生なのだ。

幸せな時間を一秒でも長く感じていたかった。

病気の事も恐くてたまらない。

「今は自分の事だけを考えろ。こちらの仕事は私が処理する」

優しい言葉にくちゃくちゃの笑みで返したミクリがソウの腕を掴んだが、細い手には力が入っていない。


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