第23話  救出編

暗い牢屋から何かが運び出されていた。

白い布を被せられ、担架で運ばれるその人の顔をキリアは見ることができなかった。

しかし、それは男だと聞いている。

氷を剥がし、軍に戻った頃には全て終わった後だった。

運ばれる男がサラとどのような関係だったのか、キリアが聞かされることはなかった。

サラが冷たい牢から出れた事を喜びながら、続けなくてはならない仕事に気分は晴れない。

サラを連れ出した彼は違法契約者だったという。

「竜は、無事かしら?」

竜騎士は2つの命を宿している。

1つはその人自身、もう1つは紋として刻まれた竜の命だ。

竜騎士が死んでも紋さえ無事ならば竜は生きている可能性が高い。

竜騎士にとって竜の存在がいかに大きなものか知っているからこそ、竜の安否が気がかりだった。

「キリア、総隊長がお呼びだぞ」

不機嫌なラウが後ろから声をかけてきた。

赤く塗りつぶされた床を見ても変わらない彼にキリアはつくづく嫌気がしている。

「わかった。いくわ」

静かに体を翻し歩き出す。

カツカツと響く足音が何度も牢屋に反響していた。

dragon killerの捜索を命じておいて招集をかけるなんて勝手な事を、などと思ったが、任務の変更など珍しい事ではないと思い出す。

他人の苦労など気にかけない。

もしかしたら、感情そのものがないのではと思う程だ。

ラウは戦場の最前線にいたいという単純な考えの持ち主だ。

その為なら他の犠牲をいとわないが、行動は読みやすい。

しかし、そのラウの上に立つソウは単純ではない。

規則の上を歩いていると思えば、全く違う方向を向いているように、はみ出た全てを壊していくような恐ろしさを感じることがあった。

何よりピクリとも動かない表情に恐怖を感じる。

目の前にいる人すらも無機物のように見据える視線は温かみを一切持たないのだ。

その為、ソウに会う時、キリアは気を引き締めなくてはならなかった。

そうしなければ心が潰されてしまいそうになるからだ。


「連れてきたぜ。総隊長様」

扉を蹴り開けたラウに何も言わず、背を向けているソウはじっと外を見ていた。

真っ暗な窓には何も映ってはいなかった。

わずかな灯りでは景色を見ることは叶わない。

冷たい蒼には何が映っているのかわからないが、彼はじっと外を見ていた。

「おい、呼び出したのはそっちだろ。なんとか言えよ」

肩を掴んだラウを睨んだ眼には見たことのない鋭さがあった。

さすがのラウも息をのみ、ゆっくりと後ずさる。

一歩後ろにいたキリアでさえ、空気が変わるのを感じていた。

ビリビリと締め付けられるような窮屈な気分だ。

「っ…任務を中断させたのはあんただろ?次をくれってだけだ」

いいわけをするラウから視線を外し、再び外を向く。

そして、ゆっくりと口を開いた。

「探す必要がなくなった。」

ソウの言葉がやけにハッキリ聞こえていた。

キリアは部屋に渦巻く不安から逃れたくて仕方がなかった。

できれば今すぐに逃げ出したいが、足が動いてくれない。

いや、動かすことなどできなかった。

「dragon killerは海谷ヒロだ」

全ての時が止まったような錯覚がキリアを襲う。

記号のようなソウの音は確かに言葉として耳に入ったのに、理解ができなかった。

同時に脳裏に浮かんだのは、シレイトの海を歩くヒロとグランドマウンテンでのヒロの姿だった。

何故、彼がdragon killerなのか。

「面識があるだろう?dragon killerを殺せば、呪いは解いてやる」

キリアは自らの首に触れる。

時おり痛みを生むソレは命を囚われた呪いの印、確かに呪いから逃れたくて国家竜騎士となった。

しかし、キリアにとってヒロは特別な存在だ。

1人だった彼女を拒まずに受け入れた数少ない人物で、自分にはない温かさを持っている彼がキリアは好きだった。

そんな人を簡単に殺せるはずがない。

「dragon killerという証拠は、あるの?」

わずかな願いを込めて震える口を動かした。

絶対の理由がなければ断るつもりだ。

しかし、ソウは淡々と口を開く。

「ミクリには持病があった。遺伝する病気だ。同じ病を、奴は患っている」

「だからって、dragon killerとは限らない。先代が子供に資格を与える保証なんてないはずよ」

自然と声が大きくなっていた。

否定できる限り、否定するつもりだ。

「ミクリの息子が発病したのは7歳の時だ。生きているはずがない」

「どうして?」

「発病したら、10年生きられる確率は2割以下。成人まで生きられる確率は、0に近い。可能性があるとすれば、竜と資格の力だ」

色んな想いが胸を締め付けた。

もう、何が悲しいのかすらわからなくて涙も出そうにない。

ソウの話しによれば、資格は竜の力を最大限に引き出す事ができるのだという。

カイから奪ったカルテには病魔により機能を失った臓器は多く、普通の竜騎士がその力で身体を騙しても追い付かない程だ。

騙すことを可能とするには資格がどうしても必要なのだ。

つまり、ヒロが生きていると言うことが、彼がdragon killerという証拠になる。

今にも倒れそうな目眩に耐えて、キリアはソウと対峙し続ける。

「断ったら?」

その言葉にラウは疑問符を浮かべる。

断る理由が彼にはわからない。

「お前は断れない。望むなら、今すぐにでもその首を焼いてもかまわないが」

淡々とした声が杭を打たれるように響く。

痛くてたまらない。

一度伏せた目を、再び上げたキリアは涙を堪えていた。

「わかった。海谷ヒロを、殺せばいいんでしょ?」

冷たい仮面を被って、ソウを睨み付けた。


青い空を見上げている。

艶々と輝く若草の原野は風に揺られて音を奏でる。

小さな山小屋から飛び出して、真ん丸で眩しい太陽に目を細めた。

空は一面に濃い青色を拡げて、風がレースのような薄い雲を散りばめる。

ふいに自分を覆う影に真上を見れば、太陽と秋桜の色をした一角の竜が優美に空を舞っている。

全身を覆う体毛が風に靡き、旋回する大きな姿はこの世界のものとは思えない程に美しかった。


目を覚ましたそこは、温かい体温を感じられる背中だった。

軍部の一角に設けられた竜舎はまだ暗く、体を預けているリベルターもまだ眠りの中だ。

ゆっくりと上下に動く背中に安心して再び体を預けた。

柔らかい体毛が指先に絡む。

「リブ、私、どうすればいいのかな」

ネトネトとした気味の悪い感情がキリアの中で渦巻いているようだ。

首の紋につけられた鎖は自分で取り除けるものではない。

かと言って、呪縛から逃れる為にヒロを殺す決断はできない。

「全部、夢だったらいいのに」

顔を埋めるキリアに気づかれないように、リベルターは静かに目を開けた。

優しい目が隙間から溢れる星明かりを見つめた。

「リブ、私はヒロを傷つけたくない。でも、あなたを失うのも嫌なの」

体が濡れているのに気がつきながらリベルターは黙ったままだ。

ただ静かに、キリアの声に耳を傾けている。

「ねぇ、どうしたらいいの?リブの声が聞きたいよ」

星はか細く輝いている。

今にも雲に隠れてしまいそうだ。

「私は本当にワガママだね。全部無くしたくないの。そんなの、無理だよね」

それが普通なのだ。

その想いが普通の人間である証明じゃないか。

かけたい言葉は山ほどあるが、リベルターは何も発しない。

弱々しい声だけが薄暗い竜舎に響いていた。


細く頼りない腕だった。

それでも、花を抱えるように優しい腕が好きだった。

海と同じ青の瞳は確かに自分も持っていた。

だから、『同じ』になれると信じて疑わなかった。

手を伸ばせば、弱い力で体を抱き締めてくれる。

言葉の一つ一つが染み込むように心地よく。

「ごめんね」その言葉の意味さえも風と共にかき消していくようだった。


ゆっくりと目を開けると、そこはまだ暗闇だった。

ブラッドレーンの翼の下で3人は寄り添うように寝ている。

リョウとサラはぐっすりと眠っているようで、起きる気配はない。

ヒロはそっと右目に触れた。

かつてはそこにも眼球があり、広い世界を映し出していた。

今、髪の下にあるのは傷ばかりで、光どころか感覚すらも怪しいものだ。

「ヒロ兄…」

声に振り向けば、サラはギュッと丸くなって服を掴んでいた。

どんな夢をみているのだろうか。

そっと髪を撫でると表情が穏やかになったような気がした。

大事な妹だったはずなのに、何でも話せる妹だったはずなのに、いつの間にか、会話すらも普通にできなくなっていた。

「……ごめんな」

その青はあまりに似すぎていて、視線を避けるようになったのがいけなかったのかもしれない。

守らなくてはならない妹なのに、この身体はあまりに貧弱だった。

せめて、そばに居てやらなくてはならなかったのに、いつの間にか左頬を雫が伝っている。

あわてて拭うが次から次へと溢れて止まらなかった。

仕方がないと静かに起き上がり外へ出てみる事にした。


まだ暗いグランドマウンテンの上には満天の星、無音の世界に取り残されたような静寂を無視して星が輝く。

涙が止まらなかった。

理由がわからない。

それでも、夜空を見上げる左目はポロポロと雫を溢すのだ。

「「ヒロ、眠れないのか?」」

ブラッドレーンが静かに問いかける。

闇に溶け込む漆黒の体がゆっくりと動いた。

「夢、みてたみたいや」

ヒロの言葉に赤い目が動きを止めた。

「俺は俺やって、言い聞かせてるんやけどな。やっぱり、目指してたもんになりたいんやね」

グランドマウンテンに風が吹く。

ヒューヒューと笛の音のような高い音は寂しさを増しているようだ。

柔らかな白い髪を揺らす。

空は静寂の中に無数の星を抱えていた。

コツンと、硬い皮膚が肩に触れる。

髪をくわえて頬を擦るブラッドレーンの鼻の先を掻いてやるとうっとりと目を閉じる。

「「ヒロはヒロ以外になれはしない。なれたとしても、それは偽りでしかないだろう」」

「そうなんやけど、なぁ」

「「リョウもそれを望んでいる。お前がミクリと同じなら、肩を並べて歩けない」」

チラリと翼をみる。

まだ2人は寝ているようだ。

かなり無茶をさせている事は気づいている。

自分の傷よりもヒロの体調ばかりを気遣うのは性格のせいだ。

いつでも、彼は人を引っ張る立場で強い責任感が信頼を集めていた。

手を抜くことを知らない、損な性格だ。

「同じように、歩けるんかなぁ」

小さな小さな声だった。

風の音にかき消されそうな小さな声はブラッドレーンだけが聞いている。

空が近い。

手を伸ばせば満天の星に届きそうなのに辺りは風の音しか聞こえない。

滲む視界はいつまでたっても晴れなくて、声を上げたい思いを飲み込んで歯を噛み締めた。

闇がすべてをすいとるように星空を雲が隠していった。


曇り空のグランドマウンテンを一気に飛び抜けてシレイトに着いたのは次の夕方だった。

家に降りたブラッドレーンの背からリョウを引きずり降ろしたミサが手のひらを思いっきり振って彼の頬を叩いた。

「兄さんのばかっ。ばかっばかぁっ」

わんわんと泣くミサに戸惑うリョウはいつもの妹好きの兄の姿だ。

そんな2人を見ながら、ヒロはサラと手を繋ぐ。

一度は驚いたサラだったが、視線を反らすとその冷たい手を握り返す。

「ヒロ兄、ありがとう」

「ん?」

同じ位置の目線、青と紫が並ぶ。

「ちゃんと、兄妹でいよ。私も、後悔したくないから」

黒い髪が風に揺られる。

シレイトの風は暖かく、やわらかい。

ヒロは抱き合う陸稲兄弟を見つめていた。

仲の良い兄妹に戻れるだろうか。

握る手は温かく、機械をいじるせいか女性の手にしてはマメが多い。

自分よりも大人になったような気がした。

「あれは、ちょっと、嫌かもしれないけど」

同じものをみていたサラが溢した。

「そうやな。アレは、いかんわ」

ようやく笑ったヒロに安心したのか、サラも笑う。

「仲良くはするけど、束縛は嫌やからね」

「わかっとるよ。リョウみたいにはならんって」

同じ喋りで笑いあう。

後から駆けつけたフジは何が起きているのかわからず目を円くしていた。

「お前ら、仲直りしたのか?」

「秘密や」

その声は2つ重なっていた。


「ヒロさぁん、リョウさぁん」

ディオラードに乗ったコウが帰ってきたのは直ぐの事だった。

ようやくいつもの顔がそろって安心したのか、リョウがフラりと倒れてしまった。

「兄さん!?」

慌てるミサをサラが宥め、コウとフジがリョウを支えて家に入る。

「ちょっと無理しすぎやな」

「うるさい。お前には言われたくないな」

ぐったりとしているわりに元気そうだと笑うヒロの側でフジが顔をひきつらせながらヒロに目をやっている。

「ヒロ、お前も後でちゃんと手当てするからな。ってか、青白い顔して突っ立ってんじゃねぇよ」

ラウにつけられた傷に加えて無理な山登り、体が悲鳴をあげるのは当然だ。

心配そうに見つめるサラに優しく微笑むヒロはゆっくりソファーに腰を下ろした。

「そういやぁ、カイがおらんな」

この状況ならばフジと共に駆けつけてくれるのだが、ヒロの言葉に表情が固くなったのはミサとフジだ。

「カイは敵襲を受けて意識不明の重体だ。山は越えたがまだ目を覚まさない」

「敵襲?」

ミサに手当てをしてもらうリョウが訪ねる。

ヒロは黙ってフジの言葉を待った。

「カイを襲ったのは、霧川ソウだ」

「霧川…?」

リョウにもミサにもサラでさえも聞き覚えはない。

ただ1人、その名前に反応したのはヒロだった。

体の芯から体温を奪われるような錯覚と共に思い出した。

『あの日』にミクリと対峙し銃口を向けた同じ青、ミクリが親友といったその男は、あの時確かに…。

「ヒロ?」

「ん?あぁ、で、そいつはどういう奴なん?」

サラが隣から顔を覗き込んでいる。

笑って返す気にはなれなかった。

「国家竜騎士隊の現総隊長だ」

竜騎士隊の総隊長とは、かつてミクリが勤めた役職だ。

それはリョウもサラも、もちろんヒロも知っている。

重くピリついた空気にヒロは黙ったままだった。

いつもなら笑って冗談の1つでも言うのにじっと空を睨んでいる。

いくつかの顔を行き来していたコウは話についていくのに必死だ。

「竜騎士隊の総隊長って事は、えっと…」

「裏切り者だ。シレイト出身のくせに、中央のみかたばかりする」

フジは握りしめた拳を叩きつけて話し出した。

その表情は鬼のようだ。

「ミクリは霧川を信用していた。親友と言っていたミクリを簡単に裏切った。あいつは何があっても許さない」

その目には憎悪の色が広がっている。

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