第22話  救出編


フラッドが空の牢屋を目の前に知らされた重要参考人の逃亡は佐官以上の者にのみ伝えられた。

逃亡者の名前、容疑は伝えられず、ただ情報を求められた。

看守すら、その人物を見ていないと言う。

ざわめく会議室を黙らせたのは漆黒のコートだった。

凍てつくような蒼はどうしても好きにはなれなかった。

国家竜騎士総隊長の登場に静まり返る室内に、抑揚の乏しい声が低く響いた。

「本日未明、我々が極秘に拘束していた人物が逃亡した。一刻も早く捜し出して頂きたい」

あまりに落ち着いた声色に体が落ち着かなかった。

まるで焦りが感じられない。

違和感にソウを凝視していると、その冷たい視線がこちらを向いた。

息が止まるような鋭く冷徹な眼に、全身が硬直する。

ぶつかっていた視線はソウが外し、話を進めた。

ドクドクと脈を打つ心臓はこの人物を敵に回すなと警告しているようだった。

「フラッド、最近ついてないな」

隣で同期がつぶやく。

シレイトへの無断訪問の処分もまだ終わったわけではなかった。

謹慎処分を受けたにもかかわらず呼び出しを受けるなど前代未聞だ。

「緊急事態なら仕方ないですよ」

穏やかな表情とは裏腹にソウの動きが気になって仕方がない。

彼はまだ話を続けている。

奏森サラは先代のdragon killerの娘で、大事な人質のはずだ。

突然彼女が消えたというのに、こんなに冷静でいられるものだろうか。

以前から淡々と話す人ではあったが、総隊長に就任してからはまるで蝋人形だ。

表情のない顔からは何も伝わってこない。

「看守は持ち場を離れていないらしい。どうやって脱け出したのかね」

「そうですね。出入り口には必ず人がいるはずです」

「だいたい、女だろ?何で捕らえる必要があるんだ?」

同僚は本当に何も知らないようだ。

「さぁ。僕には見当もつきません」

一呼吸置いて上げた視線は蒼とぶつかった。

芯から凍りつくような寒気に恐怖を覚えた。

看守にかけた催眠は完璧だった。

人の気配により慎重に行動し、最低限の人間にしか合っていないはずだ。

バレる要素も疑われる要素もないはずだ。

それなのに、あの蒼は真っ直ぐ自分を見ていた。

気味が悪くなり辺りを見渡せば、廊下に立っていたのは自分1人ではないか。

先程まで霧川ソウの話を聞いていた人達は何処へ行ってしまったのか。

それほど長い間考え込んでいたとは考えられない。

足音さえ聴こえない静まり返る廊下に立ち、世界から人間が消えてしまった様に思う。

しかし、この感覚はフラッドにとって初の体験ではない。

心臓が弾けてしまいそうなほどに大きな音を立てる。

噴き出した汗が頬を伝い、息が苦しくなった。

竜騎士だからこそ気づいた。

これは、幻竜が作り出したものだ。

視覚と聴覚を騙されているに過ぎない。

おそらく、まだ周りには人の往来があるはずだ。

問題は、『誰』の術かということ。

シンファルトがフラッドにかけるはずがない。

ならば、誰が?

「来い。フラッド中佐」

静かに低い声が響く。

つい先程まで聴いていたその声に息を呑む。

振り向けば、漆黒を纏う蒼が冷たくこちらを見詰めている。

身体が凍りついていた。

指すらピクリとも動かない。

蒼が背を向けて歩き出すと呪いが全て解けた。

急にざわつき出した周囲、音が出るほどに荒い呼吸に気を抜いたらその場に座り込んでしまいそうだった。

「「フラッド、ダメだ。行くな。危ない」」

シンファルトの警告が頭に響いた。

フラッド自身も先に待ち構える危機に気づいていないわけではない。

今、この場から逃げ出せば命は助かるだろう。

「でも…」

踏み出した足はひどく重たかった。

鉄で固められているようにぎこちない。

警告は止まない。

それでも、進めた足が立ち止まることはなかった。

「シンファルト、いつかは彼と対峙する。遅いか早いかだけだ」

「「ガチガチになっててよく言う。人間はバカだ。生きられるかもしれないって道を棄てて、危険に飛び込むのか」」

思わず口が弛んだ。

少しだけ、気分が軽くなる。

「そうだね。命より、大切なものがあるから、かな?」

「「命より大切なものがあるのか?」」

真っ直ぐ正面を向いたフラッドに、最早迷いはない。

重たい足も、全てを支える覚悟をしたようだ。

「言葉では表せない、かな」


ついていった先は、サラが幽閉されていた牢だった。

冷たい空気と薄暗い灯りは年頃の女の子には辛い場所だろう。

わずかに入る月明かりに、外はすっかり暗くなっている事がわかる。

闇に紛れる黒いコートは縁取られた緋だけを浮かばせる。

「娘はどこだ?」

重く低い声は金属を震わせるようだ。

「あいにく、今日は謹慎処分で家にいました。居場所はしりません」

月明かりのみを見ているソウは動かない。

ただじっと、光が照らす床を見詰めている。

「あなたは、何がしたいのですか?竜騎士狩りもそうだ。どんな意味がある?」

静かな牢に声が響く。

会話の間にある間のせいか、何度も木霊しているようだった。

「質問に答えろ。娘はどこだ?」

「同じ事を聞かないでいただきたい。僕は…っ」

否定を繰り返そうとした時だ。

ヒヤリとしたなにかが首筋を這った。

生き物ではない。

「答えろ。それとも、竜ごと死ぬのが望みか?」

漸くフラッドに向いた顔はいつもと変わらない無表情で、違う事と言えば、恐ろしい程に張り詰めた刺々しい空気だ。

「どうした?幻竜使い」

圧倒されて言葉がでない。

どこかで隙をつけると考えていたが甘かった。

おそらく、逃げる素振りを見せればたちまち首を跳ねられる。

全身から血が抜けていくようだ。

「幻竜の幻は、竜騎士には通用しない。最後にすれ違った男は、私の駒だ」

国家竜騎士は黒のコート、その先入観が命取りとなった。

危険を犯して紛れ込むものなどいないと思い込んで、上の命令で紛れている可能性を排除してしまっていた。

「違法竜騎士は大罪。それを知りながら隠したのならば、覚悟はあるのだろう?」

感情の無い視線が貫いた。

フラッドは、1つの覚悟をして、ソウと睨み合う。

「僕は本当の事が知りたい。ただ、それだけです」

シンファルトが飛び出し姿を大鎌へと変える。

不思議な模様をあしらった紅い柄からはシンファルトの翼が天に向かって伸びている。

その柄をしっかりと握り、フラッドはソウの前に立つ。

「あなたは何を隠している?」

「……」

ソウは表情1つ変えずにフラッドを見据えている。

緋に取り囲まれた蒼は月の光を受けて光っていた。

「ミクリさんは、あなたを『親友』と言った。その『親友』が、何故ミクリさんの娘まで殺そうとするのですか?」

鎌は大きく弧を画き、鉄格子を切り裂いた。

真横の鉄が音を立てて冷たい床に転がった。

視線だけがそれを見ていたが、ソウ自身はピクリとも動かない。

覚悟を決めて相手と向かい合ったというのに、フラッドは体が冷えていくような気分だった。

冷たく湿った空気は酷く不快で吐き気さえ感じる程だ。

「ミクリさんを裏切ってまであなたが得ようとしたものは何ですか!?」

その言葉にようやく反応した蒼はギラリと光り、首をはねようと迫った刃が強烈な圧力で押し返される。

飛沫をあげて散らばる水が嘲笑うような音を響かせた。

「いいだろう。教えてやる」

「「逃げろ!フラッド!」」

シンファルトの警告よりも早く、散らばった水がまとまり、フラッドを目掛けてぶつかってきた。

無数の水球に襲われ身体を壁に縫い付けられる。

水圧に呼吸もままならない。

落ちた鎌が光を放ち、シンファルトがソウに向かって唸りをあげる。

小さな彼には鋭い牙も爪もはない。

「竜と共に死ね」

シンファルトには目もくれずフラッドを睨む蒼は珍しく感情的だった。

「ミクリが『護る』事を選んだように私は『壊す』事を選んだ。ただ、それだけだ」

「シンファルト!」

圧を加えられた水が弾け飛ぶ。

いつの間にか、シンファルトがフラッドの胸に立ちはだかっていた。

シンファルトを水の中で召喚することで水を弾いたのだ。

しかし、衝撃を全てなくすことは出来なかった。

弾いた水もわずかだがフラッドを壁に押し付け、肺が圧迫された。

空気が気管に詰まるような息苦しさに踞るしか出来ない。

「ど、して……ちが、道を?」

フラッドの記憶にある2人の竜騎士は同じ道を歩んできたように見えた。

性格こそ違えど互いの信頼は強く、竜騎士の憧れだった。

「なんで、ミクリさんを殺した!?」

ピクリとソウの肩が揺れた。

フラッドの頬を伝う雫はソウが凝結した水滴ではない。


ドロドロとした感情が自身に潜んでいることを知っていた。

『あの日』、全てを棄てると誓わなければ、その感情が爆発してしまいそうだった

気づいていた。

自分の多くが彼によって形作られ、いつの間にか頼りきっていた事に、断ち切らなければ立っていられない。

離れる程に増していく浮遊感と不安は存在意義までも靄に隠して行くようだった。

短い幸せを祝福できない自分が腹立たしくもどかしかった。

逃れる手段のない自身が、目の前のフラッドと重なる。

逃げ場がないのなら、壊してしまうしかない。

若い竜騎士など、相手にならない。

竜が泣きわめくが、契約の紋を絶てばその声も止むだろう。

水の矢をいくつもフラッドに向けた時、彼は確かに笑った。

「君を死なせるわけにはいかないんだ」

口は動いていないのに、確かに聴こえた。

竜の叫びと共に冷たい床に広がる鮮血、見開かれた蒼には滴る血液が滲むように映った。

シンファルトの姿が消えている。

死んだのではない。

間際に腕が切り落とされた為に契約が破棄され逃げたのだ。

血の付いたナイフを握る手はすでに冷たくなり始めていた。

かつてミクリが絶賛していた竜騎士候補生が足元で横たわっている。

思いもよらぬ感情に、大事な情報を聞きそびれた。

しばらくして汗をかいていることに気づく。

ねっとりとしたそれは気持ちが悪い。

白いコートは『あの日』と同じ色をしている。

フラッドをそのままにふらふらと牢を出ると床が揺れているようだった。

異常な頭痛が襲い、ついには立っていられなくなる。

鉄格子に寄りかかり波が去るのをまった。

何度も反響する声がどちらのものかわからない。

ただ、首を絞めるような重く苦しい言葉だ。

「全てを棄てる。私は何もいらない」

誰かを呪うように繰り返された言葉は静かな冷たく牢に響いた。


赤黒い山脈が闇さえも阻むようにそびえたつ。

フラッドの計らいによりグランドマウンテンまでたどり着いたヒロ達はブラッドレーンの背に乗って低空飛行を続けていた。

そのスピードは決して速いとはいえない。

普段ならば1晩で山を越えられるはずだが、山頂に着くかすら疑問になるような遅さだった。

「リョウ?」

ヒロの問いにリョウは答えない。

その左手が押さえていた白いシャツが黒く滲んでいる。

よく見れば額に大粒の汗が吹き出ていた。

「傷が開いたんか?」

「…あぁ」

小さな声を聞いて、ブラッドレーンが地に足を降ろした。

山頂まではまだ距離がある。

静かに着地したブラッドレーンは動こうとしなかった。

「ブラッドレーン、どうした?グランドマウンテンを越えなくては」

焦るリョウをヒロとサラは黙って見ていた。

ブラッドレーンが飛ばないと決めたのは明らかで、その目は温かい色をしている。

「「リョウ、気持ちはわかるが、これ以上は傷を拡げるだけだ」」

「そんな事を言っている場合か?」

「「自分はどうなってもいいと言うのか?」」

その言葉に声がつかえた。

同じ事をヒロに言われたばかりではないか。

「リョウは頭ええのにな。自分の事がいつも後回しや」

後ろでヒロが笑っている。

飛行中に緩んだ包帯に気づいていた。

止血が上手くいっていないことにも気づいていた。

それでも2人を無事に連れていく事を優先したのだ。

それをブラッドレーンが知り、慎重になった為に遅くなってしまった。

「「手当てと休息が必要だ。自らの力量を計り違えるなど策士失格だ」」

もはや従うしかなかった。

反論の言葉が出ることはない。

「俺もまだ大丈夫やから。少し休んでから登ればええよ」

「フラッドさんにもらったスコーンと紅茶もあるしね」

腹部の傷はかすり傷ですんでいない。

山を下りる時は休息をとるついでに止血をやり直していたというのに、今は帰ることで頭がいっぱいだった。

「すまない」

真っ暗な山の中で笑い声が響いた。

竜の声も聞こえない。

ブラッドレーンの翼の下で温かい時間が過ぎていく。


その頃、ヒロとリョウを追うために飛び出たコウはサンファニーの牧場に来ていた。

「え?サラさんが誘拐?」

経緯を話すとサンファニーは身を乗り出して詳細を問い始める。

コウも全てを聞いているわけではなかったが、自分の知っている情報を話した。

「リョウさんとヒロさんが助けに行ったのなら、コウ君はどうしてここへ来たんですか?」

「あぁ、中央にヒロさんの事がバレたみたいでさ」

出されたコーヒーを飲みながらコウは2人の行方を考えていた。

サンファニーはコウから目を離さない。

「バレたって……ヒロさんが、dragon killerって事、ですか?」

その問いにコウは頷いた。

サンファニーは目を開いて呆然としていた。

その表情の変化にコウは気づいていない。

「サンファニー、やっぱり知ってたんだ。長い付き合いだもんな」

「え、はい」

「イマイチ、実感がないんだよなぁ。ヒロさんがそんなにスゴい人だなんて」

コウは窓の外を見つめながら話している。

あの人ならどこを通るかを考えているのだろう。

時々指で地図をなぞるようなしぐさをしている。

「ヒロさんは…」

カップに視線を落としたサンファニーは静かに話し出した。

「出会った時から、不思議な人でした。ヒロさんを生き物たちは怖がらない。いつもは声をあらげるこの辺りの竜達も、ヒロさんたちには必要以上の威嚇をしない

父がよく言っていました。生き写しのようだと」

「生き写し?」

ようやく、コウがサンファニーの方を向いた。

その顔にコウは悪寒を覚える。

いつもの人懐っこいサンファニーではない。

懐かしむような、苛立っているような、言葉にはできないとても複雑な表情をしていた。

そして、そのままの顔で続けるのだ。

「ヒロさんは、先代のdragon killer、海谷ミクリの息子ですよ」

外で、竜が鳴き叫ぶ。

暗闇に響き渡る雄叫びが振動となって伝わってきた。

黙ったままのコウにサンファニーがいつもの笑みを作る。

「ステファンがグランドマウンテンを登るブラッドレーンをみたそうです。中央にはいかず、戻った方が良さそうですね」

「あ、うん。ありがとう」

これ以上の質問を拒むように扉を開けに行くサンファニーが恐ろしく、コウの心臓がバクバクと音をたてていた。

初めてみる表情に言葉は思い浮かばず、この場を早く去りたかった。

外に出たコウをみて、ディオラードはキョトンとしていた。

何度もコウに問いかけるが、何でもないと返されるばかりだ。

「シレイトに戻ろう」

飛び立った後もサンファニーの表情が気になった。

振り返ってみるとまだ手を振っている。

自分の思い違いと言い聞かせ、ブラッドレーンの姿を探した。

残されたサンファニーはディオラードの姿が見えなくなっても外に立っていた。

「ヒロさんが、dragon killer。こんなに近くにいたなんて」

空を睨み付ける鋭い目は誰にも見られる事はなかった。

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