第21話  救出編

軍の施設を抜けて裏路地を歩き、たどり着いたのは古いアパートだった。

辺りを警戒しながらカーテンを閉めると彼はようやくサラと向かい合った。

緊張する彼女に手を差し出して笑う。

「僕はフラッド。ミクリさんは僕の師匠だ。よろしく。奏森サラさん」

何度もその手と顔を視線が往き来し、ようやく細い指が触れた。

微かに震える指先は年相応のか細いものだった。

「何で、私を?」

「彼が、教えてくれたんだ」

言葉と共にコートから顔を出したのは小さな赤い竜だった。

短い黒い角を立たせて、金色の真ん丸な目をサラに向けている。

「彼はシンファルト。僕のパートナーの幻竜だ」

フラッドの肩に乗るシンファルトは物珍し気にサラを凝視し、臭いを探る。

「「アイツと似ているな。でも違う。やっぱりアイツはもういないのか?」」

フラッドが添えた手に頭を擦り付けるシンファルトはうっとりと目を閉じた。

フラッドは答えを言わないまま視線をサラに戻す。

サラはシンファルトの登場である程度を理解したようだった。

警戒心は解けたようだ。

「彼が、看守に幻想を見させていたから、誰も僕らには気づかないだろう。さっきの会話も、少し記憶をいじってあるから心配しなくていい」

それが幻竜の力だとしても、やはり恐ろしく思う。

限度はあるが人の記憶を変えられる能力は脅威でしかない。

「ミクリさんにはお世話になったんだ。恩師の娘さんを見殺しにできるほどできた軍人じゃないんだよ」

その口調は生前のミクリを思い出させる。

ミクリと親交のあった証拠のようにも思えた。

「「そうか、娘か。どうりで臭いが似ている」」

「あなたも、ミクリに会ったことがあるの?」

身を乗り出すシンファルトに差し出した細い指はもう震えていない。

優しく頭を撫でてやると、シンファルトは懐かしむようにその体温を噛み締めた。

「「もちろんだ。アイツは誰にでも同じだ。人も竜も関係ない。アイツだけが、全てを守ると誓ってくれた。最高の竜騎士だ」」

「ありがとう」

誰に聞いてもぶれない人物像はここでも同じだった。

竜騎士の誇りであった父。

それは竜にとっても同じだったようだ。

表裏のない性格は天の邪鬼な自分と不釣り合いで、それを引き継いだ白い髪は余りに脆く思えた。

「君をシレイトに返したい。でも、きっと君の仲間が来ているだろ?どうやって知らせようか。そこまで頭が回らなくてね」

サラは思い出した。

自分が拐われた事が騎士団に知られれば戦争になりかねない。

思い返せばあの時そばにいたのはヒロとダンテのみ。

ならば、この事実を知るのは『家族』だけのはずだ。

「この事、シレイトには伝えていないの?」

「まだ、こちらからは何もないはずだ。僕らにすら、君の事は隠していたからね」

ならば、策を立てるのはリョウだ。

彼ならどうする?人を集めずに単独で中央に乗り込むのではないか?

そのリョウに連絡をとる手段は…

「フラッドさん、犬笛、ありますか?」


朝露が煌めくグランドマウンテンの梺、古びた小屋で一夜を過ごしたリョウとヒロはこの先のルートを確認していた。

ゆっくり休息をとったお陰か、今朝はずいぶん顔色のいいヒロが地図を睨み付けてリョウの話を聞く。

大通り沿いの細道をたどり、軍部近くまで行き、一度偵察をする。

そして頃合いを見計らって乗り込むという。

軍の情報がないため、荒い行動にはなるが、体力を温存できるルートを選んでいる。

「いけるか?」

「はよいかな、フジが痺れきらすで」

冗談であってほしいが、フジならやりかねないので笑えない。

それより糸を張りつめさせている竜騎士団に伝わるのはもっとまずい。

迅速に、確実にサラを救出する事が先決だ。

「出るなら早い方がいい」

人が動き出したら、それに紛れ込めば接近は容易いはずだ。

明るくなり始めた町並みを見て2人が目を合わせる。

合図を確認するように駆け出した。

朝露に濡れた大地が足を押し返しスピードに力を変える。

一秒でも早くサラを助けたい。

「リョウ!?」

加速した足を止めたのはリョウだった。

ヒロの腕を掴み地にへばりつくと、叫ぶヒロの口を塞いだ。

一羽の鷹が空を旋回している。

程よく雲がかかる気持ちのいい天気だった。

その空を射抜くように漆黒が睨んでいる。

黙ったままのリョウを静かに待つヒロがみたリョウが黙っているのは集中しているからに違いなかった。

「……。モールス信号」

気づいてからの行動は早かった。

石を払い除けて土を剥き出しにすると指で文字を書き始めた

『リョウ ブラッドレーン サラワブジ ミナミマチアパートニテマツ』

「ん?どうゆう事か俺には分からんのやけど」

「ブラッドレーンが犬笛に気づいた。軍の通信かと思ったが違うな」

軍の人間ならばブラッドレーンの名を知らないはずだ。

犬笛が聞こえることも、ブラッドレーンが近くまで来ていることも知っている人間は限られてくる。

「ミサはこの近くに来る手段はない。残るはコウか、サラだが…」

「他に何か聞こえてないんか?」

ブラッドレーンからの声に集中するが音は同じものを繰り返すばかりだ。

せめてあと1つ身内しか知らない事実が入っていればその場所に向かうのに、こちらから連絡できない事がもどかしい。

「リョウ、その音、モールス信号、なんやな?」

「あぁ。間に意味のない音が入っているが、この部分はモールス信号と一致する」

「……その音、教えてくれへん?」

ヒロが手の平を差し出す。

声は極力控えた方がいいとの判断だろう。

トントンと手のひらを指が叩く。

しばらく続く沈黙の間、雲はゆるりと流れていく。

柔らかい陽射しが這いつくばる2人を温める。

何かを見つけたヒロはニコリと笑い。

「サラや」

と溢した。


その人は、このリズムを心の音だと言った。


長い時間犬笛を吹き続けたサラは、信号が届いた事を信じて笛を口から離した。

竜の耳は犬よりもずっといいはずだ。

遠くのブラッドレーンが信号に気づいているはずと言い聞かせた。

「君だとわかるかな?」

紅茶を淹れるフラッドがカップを差し出して問う。

戸惑いを見せたサラに毒は入っていないと付け加えた。

ここまでのフラッドは親切過ぎるくらいで、何を企んでいるのか見えてこない。

師の娘の為にこれ程の危険を犯すだろうか。

「ミクリさんは…」

フラッドは紅茶を手にして思い耽っていた。

容姿は生き写しのようだと言われていた。

それでも区別をされるのは、ミクリ程の愛想がサラにはなかったからだ。

「まるで、全てを悟っているような人だった。口には出していないのに、何もかもを見抜いてくる。それなのに、不快にならないのは、口に出さなければ追求してこなかったからかな。だから、それを感じた人は少なかった」

サラに残るミクリの影は写真と人伝いに聞いた噂だけだ。

愛想が良かったとか、家族思いとか、全て言葉でしか感じていない。

「僕らの全てを、ミクリさんは知っていたのに、僕らはミクリさんを何も知らなかった」

フラッドの言葉にサラは黙ったままカップの紅茶を見つめていた。

揺れる水面に映る姿がミクリと重なる。

「名前も、出身も、家族も。何も知ろうとしなかった」

フラッドの首に尾を絡めるシンファルトが寂しそうに鳴いた。

「肩書きだけで、知った気になっていたのか、知るのが恐かったのか」

彼の知るミクリは、シレイトで聞くミクリと変わりなかった。

ならば、何故、彼は死ななくてはならなかったのか。

「フラッドさん…私は…」

何も知らないのは同じだった。

いや、恐らく彼よりもミクリを知らない。本当に、何も知らないのだ。

震える手を握りしめてうつむくサラに、それ以上を強要しなかったフラッドは、静かに紅茶を口に含んだ。

カーテンで閉ざされた光は床に溢れて薄明かりを灯した。

もう、日は昇っている。

直ぐにサラが逃げ出したことは知れるだろう。

そしたら、この人はどうするつもりなのか。

「フラッドさんは、大丈夫なの?」

「今日は非番なんだ。部下には何も話していない」

フラッドは穏やかな朝を味わうように紅茶の香りを楽しんでいる。

朝日が映し出す自らの姿を消すように、サラも紅茶を口にした。


「どうしてサラだと言えるんだ?」

建物の影に潜み進む中で、リョウが問いかけた。

狭い路地が迷路のようになっている古い町並みを通り、付け加えられた住所を目指す。

ヒロはその音の主がサラだと断言した。

長い付き合いで、こんな時に嘘やデタラメを言わないとはいえ、リョウに確信はなく、未だに不安を拭いきれなかった。

アパートは目の前だった。

しかし、罠かもしれないという思いから踏み切れずにいる。

迷いを見せるリョウにヒロは笑う。

「リョウらしないな。大丈夫やて。絶対サラやから」

路地に並ぶ建物はどれも生活感がある。

人影は疎らだがベランダに洗濯物が揺れて、陽の当たる角には花が飾られていた。

どこかで子犬の鳴き声がした。

ヒロの自信はどこから来るのだろう。

リョウが見つめる紫はいつもと変わらない色をしていた。

根拠は何もないのに安心させられるその色を疑うことはできない。

先のアパートの一室だけ、日が昇ってもカーテンが開かない。

「あの部屋、だろうな」

古い木々で造られた窓枠を眺めながらリョウは肩の力が抜けているのに気づいた。

確信など自分には何1つないと言うのに、そこにサラがいるというのが確実なものになっている。

「早くせなあかんのやろ?」

急かすヒロに頷いて足を進める。

彼はサラに会ったら何を言うだろう。

最近の2人は目を合わせることすらしなかった。

そんなサラを、必死になって向かえにきたヒロにようやく、昔の2人に戻れるかもしれないという安堵が緊張を解していく。

チラリと隣をみれば今さらになって顔を強張らせるヒロがいた。

口をへの字に曲げて焦りさえうかがえる。

きっと、彼がいう台詞は決まっている。

自分も人も騙すあの言葉に違いない。


コツコツと遠慮がちなノックが聞こえた。

フラッドがそっと覗くと2人の姿が見えた。

それはサラから聞いた特徴と一致していたが、フラッドは初対面だ。

「誰に、用事ですか?」

静かに問うフラッドの手には銃が握られていた。

覗き窓の向こうの人物は迷いのない声色ではっきりとその問いに答える。

「サラに会いに来たんや」

「……」

「奏森サラに、会いにきた」

真っ直ぐ迷いのない声は、フラッドだけでなく、サラにも聴こえていた。

振り向いたフラッドが口許を覆い震えるサラを確認し、静かに扉の鍵を開けた。

先に見えた白い髪は紫の瞳を優しく細めて笑う。

「大丈夫か?サラ」

後ろにいたリョウはフラッドを警戒しながら何も言わなかった。

その目は鋭く光り、手をだそうものなら返り討ちに合うだろう。

「君が、リョウ君かい?優秀な竜騎士と聞いている。僕はフラッド。」

フラッドの表情は穏やかだった。

敵意は微塵も感じられず、差し出された右手も無防備に感じられた。

「あなたは…」

リョウがフラッドを詮索しようとした時だった。

バチンと大きな音に振り向けば、ヒロの頭が横に倒されていた。

サラはうつむいたままで肩を震わせている。

呆然とするヒロは目を丸くして、ただサラを見ていた。

「馬鹿。私の心配するまえに、自分の心配しなよ」

サラが最後に見たのは海に落ちていく姿だ。

こんなに早く、しかもグランドマウンテンを越えるなどできるはずがない。

震えた声に誰も口を出すことができなかった。

ポタポタと床に落ちる雫をじっとヒロが見つめている。

「大丈夫なんて逃げないでよ。私はヒロのそういう所が嫌いなんだから」

雫の数が増してもサラは拭うことをしなかった。

顔も上げずに、肩を上下に揺らしながら、ぎゅっと手を握りしめていた。

「ヒロ兄のあほ。私は平気やから。……迎えに来てくれて、ありがとう」

フラッドは驚いた表情をしていた。

声を上げて泣き始めたサラをみて、リョウは柔らかい空気を感じていた。

サラはヒロを抱き締めて何度も何度も罵る。

黒い髪を撫でながら、ヒロはゆっくり目を閉じた。

「ごめんな」

彼がこぼしたのはたった一言だった。


「ミクリさんの弟子?」

サラに再会したことで安心した2人はフラッドと向き合う事にした。

フラッドもそれを見越していたのかスラスラと経緯を話始めた。

「僕が勝手に言ってるだけかもしれないけどね。新人の頃はよく面倒を見てもらったんだ」

紅茶を啜りながら話すフラッドのよこでシンファルトがしきりに2人の臭いを嗅いでいる。

ヒロは時おりシンファルトにちょっかいを出しながら相づちを打つ。

「ある日突然いなくなったんだ。上司に聞いても流されるだけだし、国家竜騎士の制度もずいぶん変わった。竜騎士狩りにも、反対者は多かったのに強行されてね。上層部が竜騎士を恐れているに違いないのに真相は見えてこない。何より不気味だったのは、ミクリさんの名前のほとんど書面から消えていた。」

ため息をつくフラッドの手がシンファルトを撫でる。

シンファルトは気持ちよさそうに目を細める。

「あなたは何故、国家竜騎士にならなかったのですか?」

漆黒の鋭い目がフラッドを睨んでいる。

先程からリョウだけは小さな物音にも敏感に反応していた。

「国家竜騎士は、竜も人も殺す。だから、志願しなかった。君たちにはこれで十分な解答じゃないか?」

自信に充ちた表情を向けられて、口の中が乾いていたことに気づく。

「僕は、護る側の竜騎士だから」

十分すぎる解答だった。

それはミクリや自分達が決めた道と同じなのだ。

「さぁ、次は君たちの番だ」

リョウは息をのんだ。

フラッドの視線は一見優しく見えるが、奥深くに冷たい感情を秘めているようだった。

「彼女がミクリさんの娘、同じ言葉遣いの君は、何者だ?」

部屋が静かになった。

リョウは頬を汗が伝って行くのを感じていた。

ヒロの秘密を話すことは避けたかった。

あらゆる言い訳を巡らせるが、目の前の人物を騙す答えは見つからない。

静かに口を開いたのは、隣に座っていたヒロだ。

「サラは大事な妹なんよ」


日が傾き始めた頃、部屋はガランとしていた。

つい先程まで会話をしていたテーブルにも人影は見当たらない。

風に揺らめくカーテンを開けて、フラッドは外の景色を眺めた。

かつて彼の師はこの世界の全ての景色が好きだと言った。

目の前に広がる街並みはスモッグで霞み、薄暗さに煉瓦の赤が滲んでいる。

「ミクリさん」

1つの確信と無数の疑問、わからない事ばかりで心は晴れない。

無線が緊急召集のベルを鳴らしている。

長い1日が終わった。

黒い瞳に映る夕陽は血のように赤く空を染め上げている。

シンファルトは静かに腕を這い、丸い目一杯にフラッドの姿を納めた。

「「行くのか?フラッド、何処までも共に行くよ」」

赤い身体を一層濃くしてシンファルトが呟く。

硬い皮膚に触れた柔らかな手のひらはゆっくりと背を撫でる。

「逃げるのは簡単だ。けれど、一生後悔することになる」

迷いはなかった。

真っ直ぐと空を睨み、コートを羽織り直した。

白に夕日が滲む。

シンファルトの姿は既にない。

フラッドは無線をとり、応答した。

「陸軍中佐フラッドだ。何があった?」

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