第20話 救出編
「ソウ、神様っているのかな?もし、いるのなら、僕の命と引き換えに子供の命を救ってくれないだろうか」
静かに呟いたミクリになんと声をかけたのか思い出せない。
あの時、全ての仕事を放り出してシレイトに戻った彼を咎める事ができず、真っ赤に腫らした目のままで職場に戻ったのを叱った気がする。
「もう、ダメだって。カイが言うんだ。伝えなきゃいけないのに、僕の口から言えないんだ。親失格だね。愛するだけじゃ、どうしようもないんだ」
珍しい弱音に戸惑って
「お前に死なれたら困る」などと、頓珍漢な返答をしてしまった。
決して強い人間ではなかった。
長い付き合いだったが、弱音も吐くし、できない事も多かった。
皆が賞賛する彼だったが、幼少はそんな人間ではなかった。
施設では誰ともつるまない、臆病でいつでも何かに怯えていた。
変えたのは、竜騎士だ。
その人が、全ての始まりで、ミクリをdragon killerとし、彼が誇りとした全てを教えた人物だった。
古い考えだと誰もが言った教えを、ミクリはひどく気に入り、師について回った。
そうしてできたのがdragon killerとしてのミクリだ。
そうして、人に愛され愛すようになった。
同じ師に教わり、同じ人と過ごしたはずなのにどうしてここまで違うものか。
空が焼けるような赤に染まっている。
「ごめんね。そういう意味で言ったんじゃないんだ」
簡単に命を棄てるような事はしない。
何故か誰もが救われる。
分かっていても、泣きそうな顔を見ると不安になった。
いつか、誰かの為に死を選ぶのではないかと、そしてそれが現実になるなどとは思いもしなかった。
「ソウ、僕はただの人間だ」
「あぁ。そうだな。お前はただの人間だった」
「できない事はたくさんあるし、いつかは死ぬんだよ」
シレイトからの期待を背負い、人と竜の為に中央へ来た。
全てを守ると宣言して、確かに誰も殺さなかった。
人も竜も守り通したが、本当に守らなくてはならないものを守らなかった。
「どうして、自分を守らなかった?」
最期の時まで笑って見せたミクリだったが、張り付く顔は、どうしても泣いているようだった。
慌ただしく駆け回る看護婦達を視線で追いながら、ミサはなじみの顔を探す。
コウが隣にいてくれるが震えが止まらなかった。
ようやく見つけたサナエの顔に飛び付くように駆け寄ると、サナエはそっとミサの背中に手を添えた。
「大丈夫。誰も死んでないから」
その一言に決壊した涙腺は止めどなく涙を流した。
「よかった。よかった」
何度も何度も繰り返して泣きじゃくるミサに見えないようにサナエはコウへと視線を移した。
その目は確かに優しかったのだが、先に見えた不安が色濃く残っている。
「ミサさんをお願いします」
静かに離れたコウが向かうのは今しがたストレッチャーが入った部屋だ。
開ければ薬の臭いが増して、真剣な表情で手を組むフジが座っていた。
普段は治療をする側のカイが、今は心電図と呼吸器をつけて眠っている。
「盗まれたのは、カルテ一枚だ」
「カルテ?」
その他には一切手がつけられていなかった。
荒らされた書庫も調べてみれば消えたのはたった一枚だ。
それから確信を得られる人物は限られていた。
「コウ、リョウとヒロに伝えてくれ。カイを襲った犯人は、霧川ソウだ」
フジにとって霧川ソウの印象はよくなかった。
光と闇のように正反対の性質を持つ2人が何故友となれるのか、周りはみな疑問を懐いていた。
人懐っこいミクリに対し、ソウはほとんど口を開かない。
何度かミクリがこの地に連れてきたが、話した記憶はほとんどなかった。
「何を考えているかわからねぇ奴だ。早く、伝えてくれ」
「……わかりました」
心電図の音が響く病室を抜け、大きく息を吸い込む。
吐き出した後に前を向いたコウの眼は、もう見習いのそれではなく、1人の竜騎士としての瞳だった。
サナエに付き添われ座るミサに向かい、コウは覚悟を伝える。
触れた手はやはり暖かかった。
「ミサさん、俺は全てを護る竜騎士になります。だから、リョウさんとヒロさんとサラさんを護りにいきます」
ミサの大きな目が向くと、コウはニコリと笑った。
「必ずみんなで帰ってきます。だから、笑顔で『おかえり』って言ってくださいね」
添えていた手を離し、駆け出すコウの背が小さくなっていく。
それなのに、大きく頼もしい背だと感じられた。
病院を出ると待っていたかのようにディオラードが降りてきた。
いつもなら飛び付いてくるのに、それもない。
「俺の覚悟、わかってるんだね」
「「ディオ、知ってる。コウ、みんな大好き」」
「うん。だから、護るんだ。そのための、力を貸して」
背をみせるディオラードは姿勢を低くして飛び乗るように促した。
新緑を溶かしたその眼がキラキラと輝きを増して、まだ若い翼に力が満ちる。
「「ディオ、コウと一緒。みんな、護る!」」
ディオラードの背中はとても暖かかった。
体温が肌を伝わり、彼の持つ熱が身体中に染み込むようだ。
大きく声をあげたディオラードは地を蹴りあげ、火の粉を散らして空へと舞い上がる。
それはブラッドレーンのように安定した飛行ではない。
グラグラと左右に揺れながら、やっとコウを乗せているようだ。
ディオラードにしっかりと掴まるコウは、その背からグランドマウンテンを臨む。
紅い岩肌を越えた先には自分が目指す人たちが戦っていて、無力だった過去とは違い、今はディオラードと共に同じ舞台に立つことができる。
「ディオ、俺はまだまだ未熟だけど、あんな思いはしたくないから、ディオと一緒なら、護れると思えるんだ」
赤錆のような大地の上で光を浴びるディオラードの翼は金色に輝いていた。
「俺は絶対に、ディオと契約した事を、後悔しない」
シレイトを後にして、ディオラードが高らかに声を轟かせた。
記憶の中のディオラードはまだ幼くて飛ぶことさえもできなかった。
その子竜がこんなにもたくましくなった。
ならば、その竜に相応しい騎士にならなくてはならない。
コウの目に、どこまでも青い空が映る。
ヒューヒューと嫌な音に振り向くと、やはりヒロがうずくまっていた。
グランドマウンテンを下りはじめて丸1日が経つ。
ブラッドレーンにも限界があるため、しばらくは歩く事にしたのだが、梺とはいえ平坦ではない道のりに体が悲鳴をあげていた。
本来ならば、安静にしていなくてはならないところだというのに、スノーライトの力を借りて無理矢理動かしている体だ。
ここまで何もなかった方が不思議なくらいだ。
「ヒロ、少し休もう」
リョウが背中を擦ると、苦し気に咳き込んだ。
息をするのも辛いようで、病気の進行を思い知らされる。
血の気のない白い顔がわずかに震えている。
「寒いか?」
小さく頷いたヒロはその場から動けずにいた。
動かない腕を肩に回し、なんとか背負うと、ゆっくりと山を下る。
背中に伝わる振動を感じながら、リョウはなんてバカな計画を立てたのかと腹がたった。
リョウが立てた策は、自らが囮として竜騎士を引き付けているあいだに、ヒロとコウがサラを助けに行くというものだった。
ヒロもコウも竜騎士である事は中央に知られていないし、ディオラードの飛行能力とスノーライトの潜水があれば人目につかずに中央まで行くことが可能なはずだった。
しかし、それはヒロが動ける事が前提で、ヒロの体がここまで蝕まれているとは思わなかった。
スノーライトの力で隠し続けた侵食を見極められなかった。
近くにいて、何故気づけなかったのだろうか。
ヒロは見た目以上に軽かった。
「ごめんな、リョウ」
「……何で謝るんだ?」
「怒ってるやろ?隠しとったから」
確かに、悪化したらミサや自分に話せと伝えていた。
それを怠ったために対応が遅れれば取り返しがつかなくなる。
けれど、リョウがヒロを叱ることはできなかった。
「お前が、必要ないと判断したんだ。俺たちの為に、隠したんだろう」
足下はずいぶん草が増えてきた。
赤に染められていた大地も土色が変わってきた。
丘から見える軍部はまだ遠いが、列なる高い建物はハッキリと見えた。
軍部までどうやっていけばいいのだろうか。
明るい中央でブラッドレーンに乗れば目立ってしまう。
歩いて行こうにもヒロの体力が持たないだろう。
張り巡らされた鉄道は安全というには無理がある。
やはり陸路からは障害が多すぎた。
「少しずつ進むしかないか」
先ずは梺近くの空き家を探して休もうと歩く。
この辺りはかつて牧場が点在していた。
近代化に伴い離農する家庭は多く、今は空き家だらけだ。
小さな小屋に入ったリョウはヒロを寝かせると地図を拡げた。
軍部まで歩くにはやはり遠すぎる。
少しでも早くサラを連れてシレイトに戻らなくてはならない。
騎士団に知られ戦争にでもなったら、考えるだけでも恐ろしい。
しかし、ヒロの容態はよくなかった。
呼吸は弱いし、体温が低すぎる。
意識もハッキリとしないのか、視線が定まらない。
立て続けにスノーライトの力を借りた為に体を騙すエネルギーが不足しているのだろう。
つまりは、これが本来の姿なのだ。
幸い小屋の中にすきま風はなく、暖かかった。
少し仮眠をとろうかと微睡み始めると、ヒロが唸った。
体を小さくして弱々しく吐き出した声が呼んだ名前に、リョウは黙って古びた毛布を被せた。
先代のdragon killerは完璧な竜騎士だと言われていた。
先代と比較されるプレッシャーはどんなものだろう。
幼いヒロが引き継いだ大きな名前は何を与えたのだろう。
「dragon killerが何だ?お前はお前らしく生きれば良いじゃないか」
それは勝手な意見かもしれない。
dragon killerは竜と人を繋ぐ役目を担っている。
その役目を投げ出せと言うのは無茶苦茶な話だ。
だが、背負わせているのは竜騎士である自分達であって、統率するのはdragon killerでなくともいいはずだ。
「サラと帰ったら、みんなで釣りにいこうか、ミサやコウ、ダンテも一緒にだ」
暗く冷たい牢の中でうずくまるサラは射し込む星明かりを横目に何度も問いかける。
何故、自分は『dragon killerの娘』としか見られないのか。
小さな彼女の記憶は曖昧で、ミクリよりフジとの思い出の方がずっと多い。
ようやくフジを父と呼べるようになり、奏森サラとして生きる決意をしたというのに、またもや『ミクリ』の名にそれを阻まれた。
いくらそれがシレイトの誇りだと言われても受け入れがたい事だ。
伏せた顔は冷えて、組んだ指先も感覚が怪しいくらいだった。
カツンカツン
暗い牢の道を足音が響く。
それは、ゆっくり何かを警戒するように近づいてきた。
こんな時間にも巡回をするのかと嫌気がさす。
太い鉄を抜けることなど不可能ではないか。
サラは顔をさらに沈めた。
カツンカツン…
ふと、足音が止む。
それはずいぶん近くのようで、長く感じた沈黙に目を向けた時だった。
カチリ
小さな小さな音が闇に響き渡った。
流石に驚き顔をあげると、白いコートが目に入った。
それはまるで
「……ミクリ?」
かつての父が羽織っていた白いコートだ。
口に人差し指を宛がうその主は何も言わずに牢の鍵を開けた。
重たい戸が静かに開く。
星明かりの中でその人が照らされて、ようやくその漆黒の瞳を思い出した。
「ぁっ…」
声を出しそうになって口を押さえ込む。
彼はその様子に小さく微笑み脇に抱えた衣服を手渡した。
それは彼と同じ白いコートだった。
そして中に黒縁の眼鏡が包まれていた。
これを着て出ようと言うのか。
「早く、時間がない」
耳元で急かされ、我に還ったサラは急いでコートに腕を通した。
不思議な気分だった。
牢を歩く間にすれ違う看守はみな虚ろな目をしてピクリとも動かない。
まるで人形のようだった。
「誰かに出会ったら、僕の部下だといいなさい。しがない一兵と言えば名前なんてきいてこない」
前を向いたままサラに話す彼は計画的に彼女を連れ出しているようだ。
迷いのない目を信用していいのかと戸惑うも、今はこの人に委ねるしかない。
長い廊下はまだ夜明け前だからか人気が少ない。
彼のペースについていくのはなかなか大変だった。
歩幅が違う。
久々におろした髪が乱れて何度も髪が口に入った。
ほとんど彼女に気を遣わないのは違和感を無くすためだろう。
上司が部下を構いすぎるのは良くないと言うことか。
いくつめかの角を曲がると近くの部屋から人が出てきた。
その人は眠たそうな目を擦って2人に声をかけてきた。
「おや、中佐。こんな時間にどうしたんだ?夜勤か?」
「いえ。今日から新しい部下がつくので案内をしていましてね」
その人はちらりとサラに目を向ける。
反射的に俯いてしまった。
「あまり、人付き合いは上手くないようですが、手先が器用ときいたので僕が引き取りました」
「ほぉ。またくせ者を引き取ったんだなぁ」
「アルグレットの事ですか?彼はそれなりに働いていますよ」
談笑が続く間、いつ話をふられるか気が気ではない。
サラは隣の彼すら名を知らないのだ。
「ち、中佐…」
消えそうな声を振り絞って声をかける。
わかっているのは号だけだった。
「あぁ、急がなくてはいけなかったんだ。それでは」
柔らかな笑みを残して彼は歩き出す。
あくびをして見送るその視線に怯えるように、サラは後を追った。
「ホントに大丈夫?」
サラを連れ出した事がバレたらこの人はただじゃすまないはずだ。
そのリスクを負ってでも彼女を連れ出す理由は何だろうか。
「大丈夫。信じて欲しい」
その目はあの日シレイトで見たものと同じだった。
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