第19話  救出編

上空から見ていたキリアにはリョウの攻撃はよく見えなかった。

赤い光が飛び散ることでラウの剣と交わっていることを知る。

加勢にいくべきか、旋回するリベルターの上で頭を悩ませた。

加勢に行かなくともラウは文句を言わないだろうが、この事がソウの耳に入るとまずい。

リベルターは何も言わずにキリアの指示を待っている。

「キリアぁぁ!!」

地上からラウの声が響いた。

上からでは表情がみえないが、その声は実にイキイキとしている。

「手ぇ出すなよ。俺の獲物だ!!」

閃光が弾けると黒と赤が混ざりあう。

ラウの剣が振るわれる度に、キリアの胸はズキズキと痛んだ。

「リブ、あの人、ヒロの友達なの」

大空をゆっくり旋回するリベルターの羽毛に顔を埋めて、ようやく氷を外す。

「私の事、許してくれたのに、私は…」

シレイトで歩きながらヒロが紹介してくれた。

大切な親友だと笑う彼らはキリアには輝かしくて、ヒロと同じようにシレイトを楽しんでくれと声をかけてくれた。

陸稲リョウ、その名をリストの一枚目で見たときは吐き気がした。

もしかして、彼の名前もあるのではないかと息ができなかった。

しかし、その名は見つからず、安心した自分に腹がたった。

「私は勝手だね。人の命をなんだと思っているんだろう。

でも、あなたの命には代えられないの」

握りしめた温かな羽毛は黙って宙を舞っている。

空の青さを映すリベルターはその背に冷たさが広がるのを感じていた。

空を分かつように走る稲光は、黒ずんだ血のようにもみえる。


『僕が君の選んだ道に口をだせないように、君も僕が選んだ道に文句はいえないよ』

青は海の色だ。

来るものを拒まず包み込む寛大な海の色、穏やかな風を浴びて岸辺に立つ彼はどこか現実味のない雰囲気を醸し出す。

『僕は誰も殺さない。たとえ僕の命を狙う者だろうと、人に変わりはないのだから』

甘さが通じるような世の中ではないと叱咤されようと彼は信念を曲げなかった。

『僕が掟を守らずに、誰が守ろうとするんだ?』

彼は誰からも愛された。

その空気に触れれば誰もがそれを理解するだろう。

ただの人間だというのに、全て包む海と同じだった。

『カイ、僕の子をどうか助けてくれ』

カタリという物音で目が覚めたカイは、いつのまにか眠っていたのだと気づいた。

診察時間が過ぎてからあまり時間はたっていないが、ずいぶん長い夢を見ていたようだ。

机には診察したばかりの患者のカルテが並んでいる。

ファイルに綴じられた紙にはビッシリと記録が綴られていた。

「…ミクリ、死んでもやはり、子供の事が心配か」

白衣を脱いで椅子へかける。

あの頃はもっと純白に近かったはずだと口元が弛んだ。

「今なら、わかるよ。君は優しいばかりではなかった」

机の上の聴診器が鈍く光っている。

医師となる為に竜騎士をやめた時、賛否両論でずいぶん頭を悩ませた。

どうすればいいかわからなくなって、相談をしに行ったが、彼が出した結論というのは『後悔しない方を選べばいい』という、ずいぶん曖昧なものだった。

「君は決して先導者ではない。神の預言者でもない。ただの親友だった。

親友の頼みなら、全力を尽くすよ」

中央にいた彼が突然病院に駆け込んできたのは子供の入院を聞いたからだった。

顔一杯に汗を貼り付けて、駆けつけた彼は妻であるカリナの傍で一晩中子供の看病をしていた。

サラは、それを覚えているだろうか。

彼女はまだ幼かったから、あまり記憶にないかもしれない。

「あまり、思い出に浸るべきじゃないかな」

今は今で、過去には戻れない。

やるべき事はたくさんある。

カルテを片付けようと束を手に持ち、隣の部屋へ運ぼうとした。

シレイトに多くの患者を抱えるカイのカルテは膨大で、それように一部屋作っていた。

診察の際にそこから抜き出すのだ。

カタン

戸を開ける前、中から物音がした。

カイの許可がない限り、看護婦も入れない部屋のはずだ。

心音が速まるのがわかる。

しかし、開けないわけにはいかなかった。

手に持っていたカルテは床に置き、音を立てずに戸を開ける。

震えそうになる手を押さえつけてゆっくり、ゆっくり戸を押した。

先ず目に入ったのは床に散らばるカルテは侵入者が荒らしたのだろう。

そして、次に見た漆黒のコートに、カイは手を止めた。

青い目が既にカイを捕らえている。

「ぁ…霧、川?」

「…几帳面が、仇となったな、東路」

単調な低い声が鼓膜を揺らす。

ソウの手には一冊のファイルが握られている。

「霧川、君は、まだミクリを裏切り続けるのか?」

「……私は国家竜騎士だ」

カイはそっと戸を閉めた。

ソウをここから出してはならないと判断したのだ。

「そこを退け。私はいかなくてはならない」

「簡単には退けない、僕にだって、守るモノがあるからだ」

壁についた手を中心に風が吹き荒れる。

窓も戸も開いていない部屋でカルテが舞い上がった。

ソウはピクリとも動じず、ただ、冷たい目で風を追う。

『たとえ総隊長になっても、僕は変わらない。守れるものは全て守るよ』

残響となった声が風に紛れているようだ。

ざわざわと音を立てる風が肌を掠める度に、胸の奥がざわめいた。

ファイルを片手にし、反対の手をカイにかざす。

それは一瞬だった。

ほんの数秒間だけ現れた水の塊が氷柱のような形となってカイを目掛けた。

風など無いようなものだ。

水の塊はカイを貫くと弾けて消え、代わりに鮮血を散らばらせた。

吐血を繰り返し崩れるカイを見下ろして、カツカツと扉へ向かう。

途中、裾をカイが掴んで引き留めた。

「行くな、ミクリの遺したものまで傷つけるのか!?」

カルテが血を吸い染まっていく。

カイの目に映るソウは相変わらず表情を崩さない。

「最早お前を殺す理由はない。守ると言うなら守ればいい。私は、全てを棄てる覚悟をした」

「……何故だ?君は、ミクリの一番近くにいて、どうしてそんな、」

「……」

ソウは問いに答えなかった。

カイの手を振り払うと重い扉を開け、一度だけ振り向いた。

床に這うカイからは、まだ血が流れていた。

「dragon killerは、殺す」

戸が閉まった部屋はやけに暗く、まだ暗がりに慣れていない目に映ったのは、懐かしい親友の笑みだった。

カルテに雫が落ちる。

ポタリ、ポタリと止まることはなかった。

「ぅぁぁぁっ、あぁぁぁぁ」

涙と吐血でぐちゃぐちゃの顔を上げ、カイは戸にしがみついた。

痛みはズキズキと体を支配している。

それでも、立ち上がらなくてはならなかった。

ズルズルと体を引きずって、ようやく掴んだ受話器の向こうには、かつて共に竜騎士として並んだ友がいる。

「フジ、早く、ヒロ君の所に行ってくれ!!軍に彼の事が…」

手から滑り落ちた受話器を取り直す事ができなかった。

何度も説明を要求するフジの声が聞こえたが、床に落ちた体を起こすことは叶わなかった。



真っ赤に燃える岩肌を背景にぶつかる2つの影、竜が生み出した剣を振るい火花を散らしていたが、力の差は明らかだった。

いくら赤岩の鉄を固めようとその漆黒を打ち砕く事はできない。

鉄のみで出来た剣は脆い。もっと炭素を含まなくてはならないはずだ。

砕かれても次から次へと剣を取り走るラウに比べリョウは漆黒の大剣を片手にほとんど動かない。

体力を削らない賢い戦いかただとキリアは思った。

その動きに無駄が見当たらない。

「やるじゃねぇか!違法竜騎士ぃ!」

剣を砕かれながら叫ぶラウは楽しげだ。

無駄の多い攻撃はいずれ限界が来るだろう。

それでもラウが戦い方を変えないのは異常な体力と執着を持っているせいだ。

リョウの大剣が赤紫の火花を散らして一撃を食らわす。

突かれた腕でその刃を握ったラウの口が弧を描いた。

「捕まえた」

引き寄せられた漆黒を喰らう赤、ラウが土から作り出したのは絶縁体だった。

それにより斬撃の威力は切り口のみで、刃から流れる電流はないものと同じだ。

至近距離では純粋な力比べになる。

やや小柄なラウに勝ち目はあるというのか。

バチン と鉄を断ち切ったような大きな音が響いた。

極の同じ磁石のように離れた2人から流れた紅、大きな血溜まりを作ったのはリョウだった。

「でけぇ剣は小回りが利かねぇ。接近せんならこっちが有利だな」

クルリと回したクナイのような刃物を握り滴る血を啜る。

恍惚な笑みは寒気さえ覚えるほど不気味だった。

「はぁ~。やっぱいいなぁ」

その目の赤はやはり血の色なのだろう。

興奮するといっそう赤みを増す瞳は血液を凝縮し詰め込んだようだ。

腹部から流れる血を押さえる手は同じ色に染まっている。

同じ形しか作らなかったラウの能力を読み間違えていた。

リョウの剣は別の形にはならない。

これはブラッドレーンの化身だからだ。

土を直接形造るなら、その能力はヒロに近いものだろう。

もちろん、その予測も立てた。

しかし、何度砕けようと同じ物しか作らなかったために思い込まされたのだ。

形は変えられないと。

「さぁて、仕事しますかね?

あんたは、dragon killerか?陸稲リョウ」

違うと言えばそれまでだ。

しかし、認めてしまったらここに来た意味がない。

dragon killerは海谷ヒロ、その事実をできるだけ長く隠さねばならない。

その為に来たのだ。

黙ったままのリョウは真っ直ぐとラウを睨んでいる。

漆黒に迷いはない。

それをどうとらえたのかはわからないが、ラウは見せつけるように笑う。

「どうだっていいさ。殺しゃ同じだ!」

握り直した剣にリョウの大剣を構える。

頭に響くブラッドレーンの声、上空に待機する竜騎士には見覚えがあった。

騙されていたのかと失望した。

だが、たとえ彼女が敵だとしても殺すことはできない。

ブラッドレーンとの契約をしたその日から、いや、おそらく竜騎士になると決めた時から目指すものはただ1つだった。

全てを守る竜騎士になる。

今、できることは、敵対する2人に深傷を負わせることであり、戦えない状況に追い込むことが、唯一できる事だ。

それができるなら、この身は後回しで構わない。

あとは、フジやカイが手を回してくれるだろう。

シレイトとの戦争を避けるためにも、今知る者だけで治めなくてはならない。

サラは大丈夫だ。

必ずヒロが助けにいく。

大地に刺した剣が高圧の電流を放射する。

絶縁体をまとうのなら、雷と共に衝撃を生み出せばいい。

全ての力を出しきるつもりだ。

そしたら空まで届くだろう。

目が眩むほどの雷が視界を覆い、感電したリベルターがバランスを崩した。

まずいと思った時には既に降下が始まっていて、赤く尖った大地が近づいていた。

目を綴じて衝撃を待つキリアを包んだのは季節に似合わない寒気だった。


違和感に目を開けると、辺りは一面の銀世界、全ては氷だった。

赤を包む白銀の氷はリベルターを支え、ラウとリョウの動きを封じていた。

「何だ!?くっそ、動けねぇ!」

苛立つラウに対し、リョウは目を見開いて固まっていた。

グランドマウンテンに竜の叫びがこだまする。

荒々しくも美しい声は氷に反響して幾重にも重なって聴こえた。

悲しいほどに、澄んだ音だ。

「どうしてサラを迎えにいってやらないんだ!?」

リョウの声を聞き、姿を表した彼に誰よりも驚いたのはキリアだった。

その名はリストにはなかった。

確かな安心を抱いていたのに、全ては偽りで、冷気を纏い、消えそうなほどの白に言葉が見当たらない。

「ヒ、ロ?」

息があがっていた。

ヒロは倒れそうな体に鞭を打ってここまで来た。

体力は限界に近い。

「リョウ、ミサが泣いとったよ」

唇を噛み締めたリョウは泣きそうな顔をしていた。

忘れていたわけではないだろうが、泣かせてしまった事を悔やんでいるだろう。

たった1人の家族なのだ。

リョウがいなくなったと気づいたミサはパニックを起こしたように兄を探した。

何処にもいないと泣きわめく彼女をコウが宥めようとしたが、無理だった。

家族を失うことを恐がる彼女に、ヒロは必ず連れて帰ると約束をして走った。

リョウからは、中央へ行きサラを助けるように言われていた。

計画は完璧のように見えた。

流石リョウの策だ。

誰もが絶賛するだろう。

しかし、ヒロは騙されなかった。

その策により失うものが彼女を何よりも恐れている状況を与えるだろう。

中央へは海を伝えばスノーライトに乗るだけで容易い。

けれど、内陸のグランドマウンテンはヒロにとっては難関だ。

その顔に張り付けた笑みも、信じてはいけないだろう。

それでも、この地に来ることを選んだのは守りたいがためだった。

空気が変わった。

ヒロはやはり笑みを絶やさない。

「なぁ、見逃してくれんかなぁ?俺らは誰も傷つけなくないんよ」

「っざけんな!俺は殺す為にここにいるんだよ!」

全くの正反対の性質なのだろう。

怒りを露にするラウにも飄々としているヒロは、まるで柳のようだ。

「なぁ、いかんか?キリア」

その紫が好きだ。

誰にでも平等な笑みが好きだ。

声も、手の冷たさも全てが好きだ。

それなのに、もう触れてはいけないのだという絶望が全てを奪っていく。

「キリア」

泣きそうになるのを必死で耐えた。

氷の仮面を被らなくてはならない。

ヒロの氷とは違う、凍てつく仮面をだ。

「dragon killerを、殺すのが、私たちの仕事。従わないなら、殺すだけよ」

胸が痛んだ。

彼が寂しく笑った。

「そうか」

辺りの氷が弾けた。

残ったのは、リベルターとラウをとらえる足元だけだ。

「リョウ、逃げるで!」

「おいっ」

リョウの腕をとるヒロは笑顔だった。

鬼ごっこを楽しむこどものようにキラキラとしている。

「あ!?待てよ!!これを離せぇ!!」

暴れるラウに目もくれず2人は背を向けて走る。

一度はその姿を消したが、岩影から再び姿を現す。

漆黒の竜に乗り、2人は中央へ向かう。

「あいつら、女を連れ出す気か!?」

ガツガツと氷を砕くラウのその音を聞きながらキリアはぼんやりしていた。

もし、彼が竜騎士なら、何故その名がリストになかったのか。

ソウが溢すわけがない。

ならば、シレイトが隠してきたのか?

そんなわかりやすい事をするだろうか。

それに仮に彼がdragon killerだとしたら、危険を侵してまでここまで来るだろうか。

見上げた空が果てしなく高く全てを吸い込んでいくようだった。


「別に、死ぬつもりじゃなかった」

ヒロが持ってきたタオルを包帯がわりに傷に巻き、リョウが呟いた。

力なくブラッドレーンに身を預ける彼はいつもリーダーを務める威厳はない。

「大事な妹泣かせといて、言い訳はなしやろ。

まぁ、俺も人の事言えへんけどな」

「…必ず、サラを連れて3人で帰ろう」

「おぅ」

「……すまない。戦争を避ける為に犠牲は仕方がないと、俺1人ですむならと…」

休憩にと降りたそこは断崖絶壁で、とても人が立ち寄れる場所ではなかった。

「リョウがいなくなる事で泣く人は多いやろうな」

「お前もだろ?」

「違うなぁ。俺は、dragon killerやから、ホントに泣いてくれる人は限られとるやろ」

それが運命というようにヒロは目を綴じた。

「病み上がりに張りきるもんやないな。ちょっと、寝るわ」

静かになった谷を見下ろしてリョウは小さく笑った。

助けようと走り回るが、いつも助けられている。

背負った運命のせいで生きることは出来ても辛く苦しいだけかもしれない。

「俺も、お前の為だかわからないな」

仮眠をとったら出よう。

夕闇は綺麗に紛れることができるだろう。

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