第18話  救出編

窓に映る幻を何度追いかけたことか。

故郷を離れる事を決意したのは恩師の死であった。

「僕は誰も殺さない。君は、どちらを選ぶ?」

いつでも彼のいる場所は心地のよい風が流れていた。

海を背に問いかける彼に自分が出した答えは思い出せない。

朧気な夢は吹き抜ける風と共に現実から引き剥がされていく。

まだ若い彼は先の未来を見据えるように微笑むのだ。


カタン

窓の近くに一羽の鳩が羽を休めている。

太陽の光は随分高い位置にきていた。

時計をみればすでに10時を回っている。

床に散乱した書類を眺めてソウは重い腰をあげた。

「これはお前の呪いだろうか」

拾い上げた紙には個人情報が事細かに記されている。

dragon killerは今や軍部でも一握りの人間しか知り得ない人物となった。

ソウはこの人物を彼が中央にくるずっと前から知っていた。

小さな小さな村だ。

黒髪に青い瞳などそこら中にいた。

こちらに来て、それを珍しいと言われて笑ったものだ。

dragon killerとしてミクリが総隊長に就任し、同じ色だというのに自分の色はやけに色褪せてみえるようになった。

「何故私にはお前と同じものを見ることができない」

15年前から続く呪縛からは逃れられない。

どんなに成果を残そうと追い付けはしないのだ。

「「どうしても、僕を殺すの?」」

声は脳に貼り付き、フとした瞬間に響いては苦しめる。

激しい頭痛を伴う痛みの原因はわかりきっていた。

「「残念だ。でも、君が決めたことなんだね」」

「!!」

握りしめた書類はしわくちゃになり、記載されていた写真に皺がよった。

滴るほどに嫌な汗をかいている。

叫ぼうとした言葉は喉に栓をしたようにつっかえていた。

今となっては自身の感情すら曖昧だ。

彼の隣にいたが為に劣等感に苛まれ、自身にないすべてを持ち合わせた彼を憎んでいたはずだ。

けれど、彼は…

「答えは、シレイトにあるのか?」

かき集めた書類を乱雑にまとめ、ソウはコートを手にした。

ミクリが死んだその後に漆黒へと色を変えたそのコートがやけに重たく感じられた。

重たい扉が閉じると同時に風がふくわけでもないのに音もなく火が消えた。


時計の針が正午を指す頃、リョウは机にかじりついてペンを走らせていた。

中央の戦力とシレイトの戦力、竜騎士が多い分、こちらが有利と思われるが死者は間逃れないだろう。

護る側に立つリョウにとってそれではいけないのだ。

「なんとか、戦争だけは避けなければ」

考えられるあらゆる手段を書き出すが、どれも有効とは思えない。

時間も待ってはくれない。

いずれサラが連れ去られた事はシレイトに広まり竜騎士団にも届くだろう。

日頃から中央を忌み嫌う彼らが黙っているはずがない。

「くそっ」

書いては丸め、捨てられた紙屑が床に散らばる。

何枚目かのノートを破り棄てた時だった。

思い付いた策はある程度の時間稼ぎになるのではないか。

そう、思った。

「っ!?……俺は何を、考えているんだ」

頭を振り忘れようとするが、今可能な方法としては最善に思われる。

止まったペンを走らせようとするが思考を独占するようにその案だけが浮かぶのだ。

「俺は馬鹿かっ!?そんな事で、止められるわけがないだろ…」

今、dragon killerを知るのは一握りで、竜騎士団の人間もサンファニーさえもヒロの正体をしらない。

それはヒロを危険から守る為でもあったが先代の意志でもあった。

リョウがdragon killerの事を知ったのは父が事故に会うその日だった。

まるで未来を予測したかのように朝早くに話を聞かされたのだ。

いつもは乗せてくれる漁船にも乗せてくれなかったのは事故を予知してのことだったのだろう。

父の死を耳にしたのはその3日後だった。

泣きじゃくるミサをなだめながら父の遺影を前に彼は気づいた。

きっと意志を継いで欲しくて自分に大切な話をしたのだ。

竜騎士の頂点に立てる存在を守る為に、父にとっては親友が遺した形見であり、それを守る事は誇りを護ることだった。

それからヒロとの付き合いが変わったわけではない。

相変わらず、ミサと3人で遊びに出かけてずいぶん迷惑をかけられた。

ブラッドレーンとパートナーになってからは2人を乗せて空を飛んだこともある。

スノーライトの背に乗って沖へ出た時は大人達に長い説教をくらった。

今思い返せばかなり無茶をしてきた。

「…ミサ、お前なら、分かってくれるか?」

頭が机に引き付けられるように項垂れチラリとランプの火をみれば、ブラッドレーンの瞳のように綺麗な深紅が闇を照らしている。

「大丈夫だ。大丈夫」

呪文のように繰り返す声は昼間にしては暗い部屋の中で何度も響くのだった。


この部屋が消毒の臭いに染まるのはいつ以来だろうか。

丸くなって眠るダンテを撫でながらミサは思う。

柔らかな毛並みは温かく、ゆっくり上下に動いていた。

時々耳をパタパタと動かすダンテはサラの声を探しているのだろうか。

「ダンテ、きっとすぐにサラちゃんは帰って来るよ」

規則正しい呼吸に安心しながらもどこかに冷たい不安が残っている。

直ぐ横を振り向けば白いベッドで眠るヒロがいる。

精神的に不安定だからか昨夜から過呼吸を繰り返していた。

こんなに弱りきったヒロを病院に運ぶ案も出たが今はその道すらも危険だと判断された。

ここならリョウとコウがいるし、フジの家からもこちらの方が近い。

守るには広すぎない方がやりやすい。

そう考えてのことだった。

「ミサさん。代わりましょうか?」

朝からずっと看病をしているミサを気遣ってコウが声をかけるがミサはゆっくり首を横にふった。

「ここに居させて。ここじゃなきゃ、不安なの」

座ったまま動く気配のないミサに何も言わず、コウは隣に腰をおろした。

「だったら、俺も居させてください」

静かな時間が過ぎた。

穏やかな1日になるはずだった暖かな陽射しはゆっくりと部屋を温めていく。

ポカポカとして、いつもならそろそろヒロが海に行くと言い出すだろう。

「コウ君」

「はい」

「ヒロさん、ずっと我慢してきたんだと思うの」

ミサの声に艶はなく、やはり疲れが残っているのだと確信できた。

それでも、遮る言葉は見当たらなくて、ただじっと耳を傾けた。

「ヒロさんの病気はね、遺伝する病気で、ヒロさんが発病したのは7歳の時だったそうよ」

眉間にシワを寄せて眠るヒロを見つめておかしな気分になる。

記憶にあるヒロは確かに病弱ではあるがいつでも笑っていて、難病だと聞いてはいたが、明るさに忘れてしまう事が多かった。

「私の記憶にあるヒロさんは、もう病気を患っているのに、私は兄さんに教えてもらうまで全然知らなかった。

ヒロさん、大丈夫、大丈夫って、全部隠してきた。

大丈夫なわけがないのにね。

命に関わる病気なのに、弱音一つ吐かないんだよ」

ミサは笑っていたがその声に力はなかった。

何度も何度も心配をしたに違いない。

付き合いはミサよりずっと短いが、コウにもなんとなく言いたいことがわかった。

「ヒロさんが大丈夫って言うと、本当に大丈夫だと思っちゃうの。

だから、大丈夫に甘えて来たのね。

ヒロさん、弱音だって吐きたかったと思うの。

でも、大丈夫って言わなきゃ私たちが心配するでしょ?

言わせていたのは、私たちだよね」

不安がなかったわけがない。

それでもミサの言う通り、ヒロは弱音をはかなかった。

それが何の為なのかわからない。

「本当に、そうなのかなぁ…」

「え?」

「あ、いや、なんとなく、気遣いだけの気がしなくて」

コウは狼狽えながら答えるとミサがじっとその顔を見つめる。

つい滑らせてしまった言葉に説明を求めているようだ。

「大丈夫って言葉は、確かに相手を安心させる言葉かもしれませんけど、俺は、自分に言い聞かせる言葉のような気がして。

ヒロさんがどう使っているかはわかりませんけど、ヒロさんも安心する為に、使っていたんじゃないですか?」

「大丈夫って言えば、大丈夫って思えるから?」

「たぶん、ヒロさんって、そういうこと、無意識にやっちゃう人だと思います」

ヒロに視線を移したミサは黙ってしまった。

言葉が見当たらなかった。

眠るヒロはあまりに白く、触れれば壊れるような錯覚に陥る。

これがきっと普通の状態で『大丈夫』に隠されてきた姿ならば、目を覚ました時に何と声をかければいいのだろうか。

暖かな昼下がり、穏やかに波打つ海が静かに輝いていた。



『大丈夫』はズルい言葉


こだまする声は馴染みのあるキツい声だった。

水中に漂うような感覚は久しぶりだとヒロは思う。

ゆっくり目を開けると、辺りは深い蒼、深海に近い海の色だ。

下から上へ流れる泡が綺麗な模様を産み出し、光の反射で蒼のコントラストが美しい波を作る。

正面に現れた一頭の水竜は白銀に鮮やかな鰭を持つ自慢のパートナーだ。

「ごめんな、スノー」

ゆっくりと首を横に振るスノーライトの目は鋭く光るというのに悲し気だった。

「俺はお前の力なしで生きられんのに、無理ばかりさせてんな」

「「それがわたしの役目だ」」

「せやけど、俺は何もできん」

白髪に隠された右目、左の紫は今にも泣き出しそうだ。

「スノー、俺は、誰かの命守れるんやったら、死んでもええんよ。

今まで生きとるのも、間違いなんやからな。

せやけど、俺は死んだらあかん。

俺はdragon killerで、証を守らなあかん」

胸に添えられた手は回りの蒼に染められていっそう血の気のないように見えた。

スノーライトはそっとヒロに触れる。

現実味のない温度を感じ、離れるのが寂しくなる。

「「わたしはヒロといられればいい。

ヒロがdragon killerでなくとも、ヒロがいなくなる事は考えたくもない。

ヒロ、ヒロは確かにdragon killerだが、一人の人間だ。

わたしはヒロを生かす為なら何でもする。

だから、死んでもいいなんて言わないでくれ」」

「スノーライト」

白銀の水竜は優しくヒロを包み込む。

大きな身体の鱗一枚一枚がそれぞれに光を浴びて輝いている。

「スノー、俺は、サラを助けたい」

「「あぁ」」

「今度こそ、サラを助けたい」

「「あぁ」」

「力、貸してくれるか?」

「「もちろんだ。ヒロが望むなら、全てをヒロに預ける」」

柔らかい光の中で一頭の水竜が泳いでいく。

残されたヒロは浮かぶ体から力を抜いて、ゆっくりと漂う。

「ありがとう。スノー」

紫はじっと水面を見つめた。

青みがかった紫はどこか見覚えのある色をしている。

ゆっくりと身体は浮かび、夢から醒める時間が迫る。

「スノー、俺は、思ってることがあんねん」

誰もいない水の中、波に揺られて響いた声はスノーライトに届いただろうか。

「dragon killerなんて、この世界にはいらんよ」



例えばそれが大事な人を傷つける行為だとして、しかし、それは同時に愛する人を守る行為なら、悩みに悩んだ末に結論がでることなのだろうか。

グランドマウンテンの赤い岩肌が燃えるようにキリアを囲んでいる。

目の前でラウが1人の竜騎士を殺した。

噴き上がる鮮血が岩肌に吸い込まれ、竜の嘆きが青い空に溶けていく。

首にチリチリとした痛みがあった。

それは虫に刺されたような、弱い電流を流されているような、なんとも表現に困る痛みだが、不快であることは確かだった。

「こいつもハズレだ」

両手を挙げる仕草を見せるが、その顔に曇りはない。

祭を楽しむ子どものような笑みだ。

「そう」

表情を崩すわけにはいかなかった。

氷のように冷めた表情を向けると次を探すとリストを取りだし、最後のページをめくる。

「ラウ、有力候補は一枚目だって言ってるでしょ?」

「んなこたぁ分かってるっつうの」

駄々を捏ねるラウがいうことを聞かないことは知っていた。

だから、それ以上咎めることは諦めて彼に従うと決めたようだ。

ズボンのポケットから銀色の犬笛を取り出して唇にそえる。

赤い岩肌をのみ込むように空は高く広く突き抜けていた。

銀の筒に息を吹き込めば人には聴こえない高い音がなっているはずだ。

キリアにすら、それは息の抜ける音にしか聴こえない。

どんな音がするのだろう。

人には聴こえない音なのだから、きっとこの世界の何よりも綺麗な音色か。

(あぁ、私が奏でる音なんて…)

キリアはその目に空を映すのをやめた。

正確には空を舞うパートナーを見るのが辛かった。

おそらくラウの赤い瞳には青の中から輝く光が映っているだろう。

「キリア、次はいよいよシレイトに入るぜ」

弾む彼の声も靄がかかったようだ。

再び空を映したキリアは視線を落とし、紅の岩場に降り立った美しい竜に目を向けた。

「リブ…」

金色の一角を天に向け、桜色と淡い黄のグラデーションを生み出す羽毛が全身を包んでいる。

輝く美しさは竜の種では群を抜くと言われている。

今は絶滅したとされる長毛種であり、キリアのパートナーだ。

「「……」」

新緑の瞳はキリアを見つめたまま何も語らない。

ただ、じっと彼女を見つめている。

「私とラウを、シレイトまで運んで、リベルター」

リベルターを前にしても彼女の氷は溶けなかった。

冷めた表情は蝋人形のような不気味さがあった。

リベルターはゆっくりと肩を下げて背に乗るように促す。

柔らかな翼に触れてもラウが乱暴に飛び乗っても結局リベルターが声を発することはなかった。

「ったく、ソウは何やってんだ?全く連絡ねぇな」

ソウは別に用があると言っていた。

彼の事だ、このリスト以外にも何かの情報を得ているには違いないが、それを伝えないということは、意図があってのことだろう。

言葉は苛立っているようだが、表情は明るいラウにキリアは目を向けることもしなかった。

リベルターが空に舞う。

見下ろすグランドマウンテンはやはり血のように紅く、次第に見えるシレイトの海は空よりもずっと濃い蒼をしていた。

姿を隠す必要はない。

キリアとラウの目的は竜騎士を狩ることだ。

リベルターの姿をみたシレイトの人々は怒りに任せて襲撃を試みるだろう。

それがラウの意見だった。

探す手間が省けるし、複数相手の方が楽しめると目を輝かせている。

もうすぐ町が見える。

そうすれば見つかるのも時間の問題だ。

キリアは胃がキリキリと痛んでいることに気づいた。

あと少し、赤い岩肌に緑が薄く被さった時だ。

雷鳴の如く鳴り響く叫びにリベルターが驚いた。

急降下をしようと下を向くと、正面には漆黒の竜が立ち塞がる。

鮮血を思わす赤い目がとらえているのは確かに彼女らだった。

オォォォォォォォ

バチバチと音を立てる漆黒の竜、体にまとうのは赤き稲妻、バランスを崩したキリアの目に飛び込んできたのはその背にのった白いシャツだった。

「…あの人」

ラウには声が聞こえなかったのだろうか。

彼は自らの竜の力を使い、既に手には土の剣が握られている。

「キリア!!もっと寄せろ!!」

ラウの声に素早く反応したのはリベルターだった。

姿勢を立て直し巨大な飛竜と向き合い、羽毛を逆立てた。

飛竜は巨大な翼を羽ばたかせて上昇する。

太陽が飛竜に隠れた時、その背から人影が飛び下りた。

「竜騎士かよ、丁度いい」

ラウの剣が人影に向かう。

キリアは叫びたいのを必死に堪えてリベルターを制御した。

オォォォォォォォ!!

赤紫の閃光が辺りに飛び散り、紅の岩場が磁石のように磁気を帯びた。

しかしそれはしばらくすると弾けて消えていく。

キリアの視界に飛竜の姿がない。

再び現れた太陽に照らされた竜騎士、白いシャツを乱すことなくラウに向かう漆黒の瞳、

その手にいつの間にか握られていた大剣は先ほどの磁気を帯びていた。

「シレイトにはいかせない」

大剣がラウを指す。

ラウの剣は一撃で土に還されていた。

上空で作り出した剣は強度に欠ける。

だが、次に生み出す剣は鉄と炭素で硬度を増した剣になるだろう。

「竜騎士、名前はなんだ?」

赤い土がラウの手の中で形を作る。

「陸稲、リョウ」

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