第17話 救出編
その竜はまるで水竜のような水掻きを持っていた。
シルエットは飛竜なのに部位は水竜に似ている。
深い青は深海の色に紛れる為のものかもしれない。
涙を耐える事ができたのはシレイトを離れる一瞬にスノーライトの鰭を見つけたからだろう。
スノーライトならきっとヒロを助けてくれるはずだ。
竜の腕に囚われたサラはただじっと堪えぬいた。
竜はシレイトの北から迂回してグランドマウンテンを避けるように本土へ飛んだ。
休むことなく飛び続けた竜は夜が更け日にちが変わる頃には中央軍本部にたどり着いていた。
降ろされたサラはラウに両腕を拘束され、無理に歩かされる。
説明は何もない。
サラは気だけは負けてはならないと精一杯ラウを睨んだ。
「女に睨まれても怖かねぇよ」
鼻で笑うラウは最上階の扉を足で開けた。
「任務完了だぜ。霧川隊長」
部屋にはいくらかの明かりが灯されている。
カーテンが開けられたままの窓を覗き込んでいた人がゆっくりと振り返る。
サラは文句の1つでも怒鳴ってやるつもりだったがその顔を見て目を丸くした。
「なるほど、これが、ミクリの娘か」
単調な声が静かに響いた。
同じ青のはずなのに、目の前の男の眼は凍えるように冷たい。
「流石は純血の子だ。しっかりと遺伝しているな」
サラを見下ろすソウはその顔をよくみようと手を添える。
白い布に覆われた手のひらは力を込めたわけでもないのにサラを動かさなかった。
サラの後ろでその様子を見ていたラウにはサラとソウは同じように見えた。
ただ、違いがあるとすれば感じさせる温度と体格くらいだろう。
「子供は、死んだと聞いていたが、生きていたか」
「残念なのはこいつが竜騎士じゃねぇって事だよな」
サラから一歩身を引いたソウはその手を顎にあてて首を傾げる。
彼らの目的は間違いなくdragon killerだ。
「娘、dragon killerは誰だ?」
「おいおい、直球かよ」
「回りくどくする必要があるのか?」
サラは息が詰まりそうだった。
心臓が激しく音を立ててここから逃げろと警告している。
だが、どうやって逃げろというのか。
縛られた腕は後ろにまとめられ軍人2人に囲まれている。
従う以外に選択肢がなかった。
かといって、されるがままに従う事もしたくはない。
「答えろ。ミクリは生前、誰に『資格』を渡した?」
「知らない。私は何も聞いてない」
青が交差する。
ピリピリと空気が痺れているようだった。
「その眼…父親にそっくりだな」
「きゃっ!?」
一瞬ソウの眉間に皺が寄ったかと思うと彼はサラを突き飛ばした。
衝撃で尻餅をつくとラウは口を屁の字に曲げて後ずさる。
巻き込まれたくはないのだろう。
「言わずとも時期に明らかになる。ラウが私の竜とお前を連れてくるまで、何もしなかったわけではない」
酷く冷たい視線は確かにサラを睨んでいたはずなのに標的は別にあるようだ。
「ラウ」
「はいはい」
ソウに命じられたラウはサラを立ち上がらせる。
部屋から出る頃にはソウの視線はサラに向けられず再び窓の外に移されていた。
そこは囚人を容れておくような牢だった。
腕の拘束を解かれたかと思えば狭い牢に押し込められさっさと鍵がかけられる。
「大事な人質って事だからな。殺せねぇのが残念だ」
電気は通っていないのか、辺りを照らしているのは点々と取り付けられたランプだった。
薄暗い牢だがラウの赤眼は獣のように光っていた。
「人質って、なんで私が?」
「んなもん、決まってんだろ。シレイトの誇り『ミクリ』の娘を返してほしけりゃdragon killerを差し出せって言ったらシレイトの連中はどうでる?」
サラは全身の血の気が引いていくのがわかった。
彼はdragon killerさえ見つかれば良いと思っているだろうが、事はそれほど単純じゃない。
「馬鹿じゃない?戦争がしたいなら他でやってよ」
「上等だ。シレイトの竜騎士なんて敵じゃねぇよ」
ラウは「戦争」の言葉にひどく興奮した様子で答える。
格子を掴み前屈みでサラを見つめると、歪んだ笑みを浮かべた。
「死人が出るだろうな、シレイトの海に沈んだアイツみてぇによ」
「……最低」
サラが思い出したヒロの姿だ。
スノーライトが助けに行ったとしても無事である保証はない。
少なくとも怪我を負っている。
悔しくてたまらないサラの声は震えていた。
「あぁ、楽しみだ。ここしばらく暇だったからなぁ」
ケタケタと嘲笑うラウに殴りかかりたい衝動を抑えていると、少し離れた場所から女の声がした。
「不愉快な笑いは慎みなさい。総隊長が呼んでいたわ。早く行きなさい」
声は高くも低くもないが、重みがあった。
ラウは舌打ちをすると鍵を女に渡して牢を後にした。
女はラウやソウと同じ黒いコートを羽織っている。
何をされるかわからないサラは全身に力を込めて震えを抑えていた。
女はゆっくりと振り向き、ランプの灯りが互いの顔を映し出す。
すると両者は同時に目を見開き声が出そうになる口をふさいだ。
女の顔には見覚えのある口許の黒子があった。
「あなた…軍人だったの?」
驚きと憎しみの混じる声に女は一瞬怯んだ。
しかし、息を調えると再びきびしい表情でサラに向き合った。
「なんの事かしら?」
「とぼけるな。ヒロとシレイトを歩いたでしょ?ヒロを騙していたの?」
「知らないわ」
確かにその女は紛れもなくキリア本人なのだが、今は嘘を突き通すしかなかった。
「あんたが軍に知らせたの?ヒロが、どうなったか分かってるの?ヒロが死んだら、絶対に許さないから」
キリアはじっとサラの暴言に耐えた。
何度も何度も自分を罵る彼女を顔色1つ変えずに聞いた。
それくらいしか、してやれる事がなかったのだ。
「言いたい事は以上かしら?恨むのなら、後継者を伝えなかった父親を恨むのね」
冷たい表情だった。
シレイトでヒロといた時のような優しい笑みなど一度も見せることなくキリアは去っていく。
サラは激しい感情に任せて泣き続けた。
キリアが最上階に着くと、それを待っていたかのようにソウが束になった資料を手渡した。
キリアは彼の蒼い目が嫌いだった。
何を考えているのかわからない瞳は何も映していないようにさえ思えるからだ。
「dragon killerの候補者だ。先代、娘の関係者から絞り込んだ。
『資格』を持っていなくとも所持者を知っている可能性が高い」
ラウも同じ資料をもらったらしく、ソファーにもたれてペラペラと捲っている。
仕事が入るのは不本意だが、断ることが出来ない為にキリアも目を通す。
資料はミクリの生前のプロフィールから始まっていた。
「…ねぇ、もう1人子供がいるの?」
ミクリの家族構成は妻と2人の子供とあった。
となれば、サラ以外にも血縁者がいるのではないか。
しかし、ソウは当たり前の話をするように淡々と答えた。
「15年前に死んでいる。それが偽造だとしても、現在まで生きている確率は極めて低い」
「根拠は?」
「私が本人から聞いているからだ」
「あなたと先代の関係は?」
「同郷の出身だ」
キリアはソウと資料の写真を見比べた。
シレイト南部出身の先代とソウ、2人に共通するのは漆黒の長髪と蒼い眼、後は全てが正反対に思えた。
「シレイト南部には名もない村がある。竜騎士発祥の場所だ。
私とミクリはそこで生まれ育った。この眼はその村の遺伝だ」
ソウの話し方は朗読に似ている。
抑揚の乏しい声は目の前にある文章を音にしただけのようだ。
「で?私に何をしろというの?」
キリアはできるだけ強くソウを睨む。
ソウはそれを気にとめることなく資料を指した。
「関係者を捜しだし尋問しろ。dragon killerなら、殺せ」
ソファーでラウが口笛をふいた。
キリアは納得がいかないというように黙ったままソウを睨んでいる。
「上からの命令だ。そもそもお前に選択肢はない」
「ありがとう。忘れるところだったわ」
内心腸が煮えくり返りそうだった。
それを必死に耐えて部屋をでようとする。
ノブに手がかかった頃にソウがキリアを呼び止めた。
「しばらくはラウと行動しろ」
「あら、監視のつもり?」
「私は別件の用がある。ラウに移動手段がない」
ラウの竜は翼をもたない種だという。
だからこそシレイトに向かう際、ソウの竜がラウを乗せたのだ。
ラウの方を向くと彼も気が向かないのだろう。
あからさまな嫌悪を顔一杯に表していた。
ソウ程ではないがラウの事も良い印象はない。
彼は軍が抱える問題児と言ってもいいくらいだ。
副隊長などという肩書きではあるが、ソウが行動を規制するための処置だという噂もある。
「わかった。明日の朝8時に出るから、遅れないでね」
言葉だけ残して部屋を出る。
振り返る事などしない。
重たい扉が悲鳴をあげるように閉じられた。
闇をまとうグランドマウンテンを二頭の竜が進む。
先導するブラッドレーンは速度を調節しながら山を下る。
後方より続くディオラードは慣れない飛行でも背中のコウを気遣う余裕をみせていた。
朝靄が体を濡らす。
少し冷えた空気を裂きながら二頭は音も立てずにシレイトまでたどり着いた。
水平線から朝日が昇っている。
キラキラと輝く太陽は金色をしていた。
「ん?」
シェアハウスが見えた頃、リョウが異変に気づいた。
いつもならミサが手を振って迎えに来てくれるはずだ。
それがリョウにとってどれだけ嬉しいことか。
空が明るくなり始めてわかりにくいが家にはしっかりと明かりが灯っている。
ミサは起きているはずだ。
「あれ?ミサさん、いませんね」
コウも気づいたのかディオラードにしがみつきながら家を見下ろす。
ブラッドレーンに続いて着地すると衝撃でコウはディオラードの背から転がりおちた。
何度やっても着地だけは上手くいかない。
リョウが玄関に耳を当てるが足音は聞こえない。
「リョウさん、何かあったんですかね?」
「何もなかったらミサが迎えに来るだろ」
意識を中に集中させると誰かが会話をしている。
ミサのものではない、男の声だ。
玄関近くのリビングで話をしているらしいが、内容までは聞き取れない。
声に聞き覚えがあるものの小さすぎて断定ができなかった。
「コウ、突入するぞ」
「え、大丈夫ですか?」
「ミサを奪うような奴に容赦はいらん」
「り、リョウさん…;」
無駄に高い殺気にコウは近づくことができない。
今のリョウなら竜に素手で挑めそうだ。
そっと戸を開けてリビングへ忍び寄る。
声は何やら重たい空気を含んでいるようだった。
リョウはその姿をみようと慎重に顔を動かす。
もうすぐ顔を拝めると思ったその時だ。
後ろでコウが盛大な転倒を披露した。
「誰だ!?」
「動くな!……!?」
声の主が立ち上がったと同時にリョウはリビングへ突入し近くにあった物差しで喉元を指した。
角が喉に付くか付かないかの絶妙な位置だ。
そして、ようやくその人物を認識した。
「フジさん!?それにカイさんも…」
「リョウ、わかったら、早くそれを下ろしてくれ」
「あ、すみません」
死ぬ思いをしたフジは気が抜けたように椅子に腰を下ろしカイがそれを笑ってリョウとコウに席をすすめた。
鼻を押さえたコウは先ほどの転倒で鼻血が出たらしい。
カイが処置をしている。
失態を詫びるリョウは頭を机に押し付けて謝罪を繰り返した。
「俺たちも悪かった。ちょっと真剣に話しててな。時間を忘れていた」
「でも、何があったんですか?フジさんだけじゃなくてカイさんもいるんて」
鼻を押さえたままのコウが尋ねるとフジとカイの表情が曇る。
そして、前日の出来事を1つ1つ丁寧に説明しはじめた。
「ヒロ君の容態が回復すればもっと詳しい事が聞けるけど、話せるような状態ではないんだ」
二階の自室で寝ているヒロにはミサがついていて同じ部屋に重傷を負ったダンテもいるという。
「心肺機能が落ちていないのが救いだ。スノーライトのおかげだね」
「俺たちがいない間に…」
ミサはヒロとダンテの看病をしながら眠ってしまったという。
たくさん泣いて疲れているだろうと2人は一回のリビングで話をしていたらしい。
「サラを連れていったって事は、中央はまだdragon killerが誰かわかっていないんですね?」
リョウがフジに問えば彼は小さく頷いて おそらく と付け加えた。
「なら、直ぐに殺さず、人質にする可能性が高いですね」
「あぁ。そんで、dragon killerを炙り出すって策だろう」
「シレイトの人はみんなサラちゃんの事知ってるからね。名前があがるのは時間の問題だろう」
腕を組んで考える3人をコウだけがついて行けずに狼狽えている。
リョウとフジがタバコに火をつけて口に含みカイは少し嫌な顔をした。
話が切れた隙を狙い、躊躇いながらもコウはカイに問いかけた。
「あの、どうしてサラさんが狙われたんですか?」
「……あぁ、コウ君は知らないのか」
目をぱちくりさせながらカイが聞けば、コウが大きく首を縦に揺らす。
リョウとフジも思い出したようにそう言えばともらしていた。
「どこから話せばいいのかな?」
「いつかコウも知る時が来るんだ。全部話しゃいいだろ」
悩んでいるカイに対してフジは投げやりだった。
サラが心配で仕方がないのだろう。
灰皿には何本もの吸い殻が残っている。
「コウ、dragon killerについては前に話したな」
「はい」
「中でも、先代のdragon killerは歴代有数の実力者だった。技術だけじゃない。人柄もよくて、シレイトの竜騎士は皆憧れた。俺はまだガキだったが、よく覚えている。あの人は誰にでも優しかったし、誰にでも好かれた」
息をつくリョウは寂しげな表情で、カイもフジも、黙ったまま思い出に浸っていた。
「15年前のあの日、あの人は殺されて、子どもだけが無事だった。フジさんの家に預けられていたのが、サラだ」
「え、じゃぁ、サラさんは」
「dragon killer、ミクリの娘。中央の人はサラちゃんがミクリから何か聞いていないか尋問するだろうね」
「3歳の記憶なんか曖昧に決まってるだろ」
コウはずっとサラは奏森夫妻の子と疑わなかった為に衝撃は大きかった。
頭が回っていないのだろう。
口を開けたまま何度もまばたきをしている。
「サラは竜騎士じゃない。」
リョウがタバコを止めて灰皿に押しつける。
煙の筋がゆらゆらと天井へ上っていく。
「次に狙うなら、フジさんとカイさん、それから、俺か…」
「え?」
リョウの言葉にコウが慌てて振り向く。
フジとカイは納得の表情だ。
「ミクリと親密だったのは僕とフジとリョウ君のお父さんだからね。誰かに『資格』を託すならこの3人だ」
「…『資格』?」
コウは自分の無知を恥じた。
事あるごとに会話を止めて説明をしてもらわなくてはならない。
一大事だというのに情けなくなってきた。
「『資格』っていうのは、dragon killerの証なんだ。代々先代から引き継がれていくものなんだよ。十字のような形をしている」
カイは机に指で形を描いてみせた。
それは縦と横の長さが等しい十字の形をしていた。
フジがリョウへ目をやると、リョウはわかっていると言うように頷いた。
カイもそれを確認して、再びコウと向き合う。
「今『資格』を持っているのは…」
コウはごくりと息をのんだ。
「ヒロさん!!」
コウがカイの口に集中していたら、二階からミサの声が響いた。
4人は目を合わせる事もなく二階へかけあがる。
すると、体を引きずりながら廊下へ這い出たヒロをミサが必死に止めていた。
「動かないで、傷だって塞がってないんだよ」
「じっとしとれるか。俺は平気やから」
自室のベッドからここまでの距離でヒロの顔は汗だくだった。
ラウに裂かれた右脇からは血が滲んでいる。
呆れたリョウは大きく息を吐きながらヒロを抱えあげた。
「リョウ!帰っとんなら俺を」
「馬鹿なこと言うんじゃない。今お前に動かれたら迷惑なだけだ」
「っ!!」
ベッドに降ろされると痛みが体を襲った。
ズキズキと刺すような痛みが身体中に感じられる。
一番痛いのは心臓付近だった。
「俺が守らなあかんのに、何もしてやれん」
目を腕で覆い、途切れ途切れに喋る言葉は海谷ヒロには似合わない弱音だった。
「ヒロ、気持ちはわかる。皆早くサラを助けたい。だが、お前は先ず自分の心配をしろ」
「そうだよ、ヒロ君。その体でサラちゃんを迎えに行っても不安にさせるだけだ」
「せやけど、サラはっ」
声は震え、隠した目から溢れる涙がシーツを濡らしていく。
「わかってる。大丈夫だ。必ず助けてやる」
過呼吸気味に泣き続けるヒロに何度も大丈夫と繰り返す。
逃げの言葉だとリョウはわかっていた。
大丈夫なはずがない。
けれど、そう言い聞かせなければヒロも自分も正気でいられなかった。
カイが傷を診るとやはり縫い合わせた傷が開いていた。
ミサに手伝いを頼んで止血をしている間もヒロの涙はとまらない。
「なんで、なんで、動けん?なんで、俺の体は動いてくれん?」
病気と闘う事がわかっても辛い治療で入院していても、彼は滅多にその運命を恨まなかった。
それが自分の一部だと言うように笑って誤魔化していたヒロが人目を気にせずに泣き、弱音を吐き続けている。
サラがどれほどヒロにとって大切なのか、コウは今まで反発しあっていた2人は想像ができない程の繋がりがあったのだと感じていた。
それがハッキリと何かはわからなかったが、ヒロにとってはかけがえのない存在であることは確かだ。
くしゃりとヒロの白髪を撫でたリョウは複雑な表情で呟いた。
「しっかりしろよ、dragon killer」
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