第16話  救出編

日が沈んだ頃、いつまで立っても帰らない2人を心配してミサは奏森家に電話をしてみる。

事を荒立てたくはないが、行き先を知りそうな人物が浮かばなかった。

「あ、フジさん?あの、サラちゃん、今日はこっちに来るって言いませんでした?何処かに寄っているようなら迎えに行きたいんですけど」

『いや、昼にそっちに行くって見送ったが…。まだ着いてないのか?』

「はい。サラちゃんが行き先を告げずに何処かに行くなんて、ないですよね?」

外はもう暗くなっている

ヒロを探しに行ったとしてもサラなら迷わずに見つけるはずだ。

ミサが考えているとフジも不安になったのだろう。

『俺はこっから海に行ってみる。ミサは家までの道のりをたどってみてくれ』

「わかりました」

受話器を置くとチンと音が響いた。

部屋には誰もいない。

泣きそうになるのを我慢し、頬を叩いて堪えた。

薄手の上着を羽織ると玄関を開けた。

家から町までは一本道だ。

途中寄る場所なんて森と海くらいだ。

サラにはダンテという心強い護衛がいるはずなのに、こんなに遅くなることがあるだろうか。

「サラちゃん、ヒロさん」

小さなライトで道を照らしながら歩き出した時だった。

本当に歩きだして数分。3分程しか経っていない。

道の前を何かがこちらに向かってくる。

ずるずると重たい麻袋を引きずるような音を立てている。

警戒しながら音を聞くと粗い息づかいも聞き取れた。

それは人のものではなく獣独特の呼吸の仕方だ。

まさかとライトで照らしてみると道に這いつくばりながら前肢を懸命に動かしているダンテが見えた。

慌てて駆け寄るとダンテはミサになんども吠えた。

威嚇の声とは違う、何かを訴えかけているようだ。

「ダンテ、どうしたの?血まみれじゃない」

ダンテは苦しそうに息をしてそれでも何度も吠え続ける。

引きずられた下半身は腹から後ろ足にかけて土と血に染まり、一部は肉が擦られて骨が出かけている。

道には赤い跡が永遠と続いていた。

「ダンテ、何かあったのね?それを知らせにここまで来てくれたのね?」

ミサの目からは涙が溢れて止まらなかった。

上着を躊躇なく破りダンテの腹と足に巻き付けると優しくダンテの頭を撫でた。

「ありがとう。すぐに行ってくる。ゆっくり休んでて」

ようやく吠えるのを止めたダンテはゆっくりと頭を地面におろす。

こんなに酷い怪我をしていても、目だけは早く行ってくれとミサを急かす。

立派な忠犬だ。

「すぐに戻って手当てをするからね」

ライトはダンテの血を追い続けた。

途中からどこに向かっているのかミサには予想ができる。

それはヒロが釣りに行く海岸への道だ。

きっとサラはヒロに会うために海岸へ寄ったのだ。

そして2人そろって何か事故か事件に巻き込まれたのだ。

ミサは全速力で海岸へ走った。


海岸に着くとそこは雨が降ったのかと思うほどに地面が濡れていた。

水溜まりはこの季節にはおかしなくらい冷たい。

「ヒロさんの氷?」

しかし辺りを見ても人の姿は見当たらない。

潮風が吹き抜ける。

ざわざわと木々が揺れ、不気味なくらいに生き物の気配がない。

岸辺に立って海を見下ろしても人影は見当たらない。

途方にくれて膝をついたミサは町に続く道から声がするのに気づいた。

先程まで電話をしていたフジの声だ。

フジはサラの名前を叫んでいた。

「フジさん、」

フジが懐中電灯でミサを照らすと、ミサは塞き止めていた涙をボロボロと溢した。

「フジさん、どうしよう。サラちゃんとヒロさん、いないの。ここにいたはずなのにいないの」

わんわんと泣きじゃくるミサの肩を抱きながら、フジは大丈夫、大丈夫と繰り返した。

嗚咽混じりにダンテの事を話すミサはガタガタと震えている。

「そうか、ダンテが…」

フジはミサの肩を抱きながら海を見つめる。

サラを狙ったのなら先日の軍人が関係しているのだろうか。

ヒロを狙ったのなら、彼が竜騎士だとバレたのだろうか。

どちらにせよ犯人は中央の人間のはずだ。

シレイトの人間ならばどちらとも容認しているのだから、襲う必要がない。

「ミサ、お前は戻ってダンテを手当てしてやってくれ。俺は海岸沿いを探してくる。大丈夫だ。2人共きっと無事だ」

何度も大丈夫と繰り返して背中をさする。

これ以上ミサに無理をさせるわけにはいかない。

家に帰ったらサナエに連絡をするように伝えて彼女を帰す。

出来ることはわかっているのだろう。

ミサは反対することなく来た道を引き返した。


辺りは真っ暗の海岸だ。

フジでさえこの海岸に夜中に歩く事はない。

粗い岩肌は一歩間違うと冷たい海に引きずり込まれる。

もし、海に落ちていたら、ヒロは泳げないし、泳げるサラでも荒波から逃げ出す事はできないだろう。

「無事でいてくれ。2人共」

願うように照らす海はやけに静かで波の音が大きく聞こえる。

岩にぶつかり弾ける飛沫、波に削れた岩礁を抜ける潮風は音も立てずに吹きすさび後ろの木々だけがざわざわとわめいている。

一歩一歩、歩を進める度に念入りに辺りを見渡す。

僅かでいいから希望が残されていないか、生きている確証が欲しかった。

ふと、闇に何か大きな塊が見えた。

暗闇の中に見えた影は岩礁とは形が違う。

ゆっくりと懐中電灯の光を影に向ける。

光は影に当たるとキラリと蒼白い光に変わった。

「スノーライト!?」

フジは大声で叫んでいた。

影の正体はヒロのパートナーであるスノーライトだったのだ。

十数メートルはあろうかという巨体は蒼白の鱗で覆われ、濃い黄色をした鰭が美しい白銀の水竜が横たわっている。

浅い海岸近くを泳いだせいか所々鱗が剥がれて血が滲んでいた。

「おい、どうしたんだ?なんで岸にお前が…」

水竜は一生涯水中で暮らす種族だ。

その水竜が危険を侵して岸に乗り上げているのにはわけがあるはずだ。

だが、問題はヒロがいないということだ。

スノーライトはヒロと契約する以前は暴れ竜として有名だった。

シレイト北部の近海を縄張りとして人を寄せ付けなかった。

その竜が赤の他人である自分に素直に応じてくれるだろうか。

恐る恐る近づくと、スノーライトはカッと目を見開いた。

金色の目がフジをじっと睨む。

その眼光に体が硬直してピクリとも動けない。

頬を汗が伝う。

スノーライトはゆっくりと頭を持ち上げるとフジに正面から向かい合う。

口を開けば頭を丸ごと持っていかれそうなほどに巨大な竜は、品定めをするようにフジを見つめていた。

黙っていては殺られる。

そんな気がしたフジは必死に喉から声を絞り出した。

「ヒロの行方がわからない。俺はヒロを助けにきた。居場所がわかるなら、教えてくれ」

目は反らさなかった。

反らせば一瞬の隙にその牙の餌食になっていたかもしれない。

スノーライトは黙ったままフジを見つめグルグルと唸りながらその身を数メートル海へ引きずった。

そして先程まで胸鰭で隠されていた辺りをクチバシでつつく。

それはフジを誘導しているようだった。

恐怖に震える足を動かして近づく。

ノロノロとした動作にスノーライトは痺れをきらして鼻先をフジの背に押し当てて無理に歩かせる。

フジは目を丸くした。

その後は声より先に体が動いた。

スノーライトが隠していたのは紛れもなくパートナーのヒロだ。

ぐっしょりと濡れた体を力なく横倒し、糸のようにか細い呼吸を繰り返している。

抱え上げた体は芯から冷えきって体温を感じさせない。

「ヒロ!おい、ヒロ!!」

耳元で叫ぶフジに意識があるのかわずかに目を開いた。

ライトで照らされた紫眼は虚ろでフジの顔をとらえているとは到底思えない。

そして問題は抱えた手を伝うドロリとした赤だ。

暗闇では何処からの出血かがわからない。

「スノーライト、後は任せろ。絶対に死なせない」

スノーライトはヒロを抱えて走り出したフジを見送ると蒼白の体を天に向かって伸ばしそのまま力なく海へと落ちていった。

大きな水しぶきの音を聞きながらフジはただひたすら走った。


「「ヒロ」」

頼る目でそう呼ばれたのはいつ以来だろう。

自分に手が伸ばされたのはいつが最後だったか。

もう何年も関係はぎこちなかった。

それがようやく、向き合おうと変わり始めた矢先に何が起きたのか。

先に敵を倒さなければならなかった。

しかし、相手はこちらを殺す気できているが、自分は相手を殺せない。

それを知った上での襲撃だったのだろうか。

せめてサラだけでもと伸ばした氷は竜に届かなかった。

命を絶つつもりでいけば、もしかしたら届いたかもしれない。

まだ死ねないと無意識に感じてしまった。

冷たい海に飲み込まれ、息ができなくなった時ついに罰が下ったのだと思った。

神様がいるなら、どうかサラは生かしてやってくれと薄れる意識の中で祈り続けた。

スノーライトがヒロをくわえて岸に身を上げたのは襲撃の直ぐ後だった。


温かさに目を開けてみる。

体に裂くような痛みが走った。

体は全く動かない。

呼吸器がないのに呼吸が正常なのが不思議だった。

どうやら生きている。

ヒロがそう気づくまで目が覚めてからずいぶん時間がかかった。

見慣れた天井は自宅にしているシェアハウスだ。

「ヒロさん」

視界に入って声をかけたのは目を真っ赤にしたミサだった。

黒い瞳は涙に沈み、ポロポロと雫をこぼしている。

サラの事を伝えなくてはと思うのだが、口は動くが声が出ない。

ぱくぱくと訴えるが、喋るなと後からきたフジに閉ざされた。

「ヒロ、俺の質問に答えてくれ。YESなら一回、NOなら二回目を閉じろ」

ヒロはゆっくりと一度目を閉じた。

ミサはフジと場所を変わり、治療の為に来たのであろうカイと共にその様子を見守っている。

「お前はサラと2人でいたんだな?」

一回

「そこを襲われた」

一回

「相手は軍人か?」

ヒロは悩んだ。

あの形のコートは確かに中央の軍人だ。

しかし、国家竜騎士であることを伝えられるだろうか。

「違うのか?」

答えられずにいるヒロにミサが尋ねる。

「竜だったの?」

一回

「竜?なんで竜がサラとヒロを襲うんだ?」

フジがミサに問うと、ミサに代わってカイが答える。

「国家竜騎士なら、襲う理由はあるんじゃないかな?」

ヒロの目が一回閉じる。

フジは愕然としていた。

中央に身を委ねたとしても同じ竜騎士だと思っていた。

誇りある竜騎士だと信じていたが、まさかこんな不意打ちをくらうことになるとは思わなかったのだ。

「ヒロさん、サラちゃんは、生きているよね?」

ヒロは一回目を閉じた。

もし初めから殺すつもりなら自分と同じようにその場で殺したはずだ。

それをわざわざ連れていったのなら、直ぐに殺したりしないだろう。

自然とヒロの口は『大丈夫』と口ずさんでいた。

それは呪いのように深い眠りに落ちるまで何度も何度も繰り返された。

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