第15話  救出編

リョウとコウがグランドマウンテンで修行を始めて2週間が経った。

体調が回復したヒロは様子を見に行きたいと駄々をこねたがミサとカイによってそれを阻止され、サラはフジの家と仕事場のあるシェアハウスを行き来していた。

しかし、お互いに避けているのかヒロと顔を合わせたのは数える程しかなかった。

岩場で釣糸を垂らすヒロだが、今日は当たりがない。

波に揺られるだけの浮きがのんびりと動いている。

空は快晴で、水平線が銀色に輝き、遠くに漁船が見えた。

ヒロは浮かない顔で遠くを見ている。

何か嫌な事が起こる。

そんな気がしてならない。

認めたくないが、こういう勘は当たりやすい。

良し悪しに関係なく予知とは違う違和感が募るのだ。

「リョウとコウが帰ってくるゆうのにな」

帰宅の連絡は手紙によって知らされていた。

コウはなんとかディオラードとの飛行を覚えたという。

サンファニーも飛竜のパートナーだ。

リョウとサンファニー、両方からの指導はコウにとって厳しいものだっただろう。

夜遅くに牧場をでて、夜明け近くに到着する予定だった。

新月の今夜は闇に紛れるのに丁度いい。

リョウの事だから失態をおかすことはないだろう。

今夜は時間にも余裕がある。

不安要素はどこにもないはずだ。

シレイトに入っていた軍人もすでに中央に戻っている。

しかし、飲み下せない異物が引っ掛かるような予感は確かに残っている。

「スノー、なんやと思う?」

真っ青な海に向かって問いかける。

波は穏やかで白波も立っていない。

違和感はこのせいかもしれない。

いつもは穏やかに吹き抜ける潮風がピタリと止んでいるのだ。

「「ヒロ、私に出来ることがあるなら何でもするよ」」

何処からか声がした。

それは音というよりはテレパシーのようなものだ。

恐らくヒロ以外には聞こえていないだろう。

もっとも、今この海岸にはヒロしかいないのだ。

「帰ったら、みんなに話してみよか。スノー、しばらく近くにおってな」

声に反応するように波が立つ。

ざわめく海に触発されて一吹きの風が沖から流れる。

柔らかなヒロの髪をなびかせて岸に生える木々を揺らしずっと遠くのグランドマウンテンへと駆け上がっていった。

ザブンと音を立てた沖合い、丁度ヒロと漁船の中間あたりに、魚の背鰭によく似た黄色のがゆっくりと海へ沈んでいった。


「いってきます」

「いってらっしゃい」

当たり前の会話が嬉しくて、ダンテに思わず笑みを溢した。

ダンテもそれが嬉しいのか千切れんばかりに尻尾を振って応える。

フジが全てを話してくれた日からずいぶん時間がかかった。

けれど、ようやく自分で受け入れる事ができるような気がしている。

雲は分厚いけれど雨はあがった。切れ間からはうっすらと光が射している。

そんな心情だった。

正直な話、サラは実の両親の事をハッキリ覚えているわけではない。

15年前は僅か3歳で、奏森夫婦との時間の方がずっと長いのだ。

だから、彼女にとっての両親は奏森夫婦であって、皆がいうシレイトの誇りではない。

血の繋がりがなんだ。

例え血縁があっても覚えていなければ他人も同然だ。

第一、自分は竜騎士などにはならないと決意している。

そう結論を出してからはつっかえがとれたように息がしやすくなった。

周りの重圧なんかに負けてたまるか、私は奏森サラとして生きているんだ。

それが誇らしくなってきたくらいだ。

元気よく歩を進めるサラに続くダンテもシャキシャキとしている。

背筋を伸ばして歩けば晴れ渡るシレイトは輝きを増したようで見慣れた町並みが新鮮に見えた。

もっと早くこうしていればよかったと少しばかり後悔した。

今まで重圧に負けまいと虚勢を張って弱味を見せてはならないと意地になっていたけれど、それこそ重圧に負けた結果の行為ではないか。

全てを話し、ゆっくり考える時間をくれたフジとサナエに感謝をした。

無理を言わず見守ってくれたミサに安心をもらった。

いつも近くにいてくれるダンテに勇気をもらった。

「ダンテ、やっぱりケジメはつけなきゃダメだよね」

ダンテはサラを見上げてワンと鳴く。

帰ってくるリョウとコウを驚かせてやろうとサラはドキドキしてきた。

明日の朝、二人で並んで彼らを迎えるのだ。

そうして笑い合って今までできなかったことを全てやろう

一緒に食事をして、くだらない話をしておやすみとおはよう。いってらっしゃい、おかえり、全部言える気がした。

そしてちゃんと伝えるんだ。

ごめんなさいも、ありがとうも全て。

今までの悪態もきっと許してくれる。

にっこり笑ってくれるだろう。

できれば一緒に釣りに行って、のんびりと海を眺めたい。

サラの足取りは軽い。

向かう先は決まっている。

こんなに良い天気なのだ。

家でじっとしているのはもったいない。

誰の忠告も無視して必ず出掛けているはずだ。

「ダンテ、万が一、私が躊躇うようなら喝いれてね」

「ワフッ!!」

「よし、行こう」

一人と一匹は軽快に海へと向かった。


水平線に浮かんでいた漁船はいつのまにか見えなくなっていた。

昼を過ぎても相変わらず当たりのない釣糸を垂らしているヒロはなんだかじっとしていられなかった。

心なしか波が高くなっている。

ただでさえ風がないのが不気味だというのに、辺りを警戒せずにはいられない。

何度もスノーライトに確認するが大型竜のスノーライトは岩肌の鋭い岩礁までは回れないという。

グランドマウンテンからの侵入者ならばフジを始めとする竜騎士が気づくだろう。

前回の軍人の件でやたらと警戒心が強まっているのだからなおさらだ。

「そろそろ引き上げるか」

こんな良い天気なのにこんな時間に引き上げるのは不本意ではあるが募る不安には敵わなかった。

引き下げた浮きと釣り針が水滴を散らしながらヒロ手に収まる。

道具は少ないため片付けはあっという間に終わり、スノーライトがいるであろう沖を眺めながら海岸沿いに歩き始める。

急ぐつもりはないのだが、いつもより歩幅は大きい。

そう言えば今日はカモメの姿を見ていないと静かな海岸の音を聴く。

波だけが単調なリズムで繰り返し打ち寄せている。

やはりなにかがおかしい。

立ち止まり意識を海に集中させるがスノーライトの返事は変わらなかった。

心地好いはずの海風が生温く感じさせているのは何だろうか。

しばし立ち尽くしていると、

「ひ、ヒロ」

思わぬ声に体が固まるのがわかった。

同時に今まで考えていた不安要素を上回る焦りにより心臓が激しく音を立て始める。

「さ、サラ?」

振り向いた先に立っているサラはダンテを連れて手を握りしめていた。

先程までの余裕は何処へいったのか、彼女の表情は強張っていてヒロを睨み付けているようにも見える。

「心配かける事はしてへんよ。今帰ろ、思うてたとこやし」

ミサに言われて渋々来たと思い込んでいるヒロは冷や汗をかきながら笑ってみせた。

そもそもサラが自分でヒロに会いに来るなどもう何年もなかったのだ。

勘違いをしても仕方がない。

ヒロに誤解をされてサラも焦っている。

きちんと話せる覚悟を決めて来たというのにいざとなったらやはり上手く言葉がでなかった。

不安げに見上げるダンテに勇気をもらって必死に言葉を探す。

「ま、また、釣り?」

「ん?あ、あぁ。せやけど…」

「体調は、いいの?」

「まぁまぁ、やな。その、心配するほど、悪ないよ」

「……」

「……」

お互いに敵対しているわけではないのに嫌な汗が止まらなかった。

サラはサラで必死だ。

今までの悪態を謝ろうと来たのに謝罪の言葉は出てこない。

普通の開和も進歩と言えば進歩なのだが、言いたい言葉ではない。

「なんや、その、サラが来るんは、珍しいな」

「わ、私だって…、海くらい、見たくなるって」

「ん?俺を呼びに来たんちゃうんか?」

「なんでわざわざヒロを呼びに来なきゃ……」

「…サラ?」

ようやくヒロがサラの違和感に気づく。

漆黒の髪が揺れていた。

風のない今日はおなしなことだ。

今がチャンスだと大きく深呼吸をし出そうになる悪態を飲み込む。

真っ直ぐヒロに向かい合うと、白い髪が右側に広がる海に浮いているようだった。

青い眼が何かを言おうとしている。

察したヒロは言葉の追及を止めサラが話し出すのを待つ。

サラの青がようやくヒロの紫をとらえゆっくり口を開いた。

「ヒロ…」

それは一瞬の出来事だった。

サラが口を開いたと同時に吹き抜けた突風に体を屈めたまさにその時、岩肌の下から飛沫をあげて飛び出したのは一頭の竜だった。

「サラぁ!!」

深海を思わせる青黒い竜は迷うことなく獲物をサラに絞ると、牙を剥いて飛びかかるダンテをもろともせずに厳ついその前肢でサラを掴んだ。

「待てや、サラを離さんか!!」

空かさずヒロが氷の柱を作り出す。

しかし青黒い竜には届かない。

「はいはい、あんたの相手は俺がしてやるよ」

現れた赤茶色の髪の青年は漆黒のコートで身を包んでいた。

手にもつテニスボール大の球体を投げながら真っ赤な眼が楽しげに歪む。

どうやら氷を壊したのはこの球体らしい。

「邪魔すんなや」

「そりゃこっちの台詞。ま、どのみち違法契約者として処理するけどな」

赤茶色の青年ラウは手を振り掴んだのは土だ。

それはただの土のはずだったのだが、みるみるうちに硬度を増して剣になった。

その間にも青黒い竜がサラを連れ去ろうとする。

果敢に攻めるのはダンテだが、竜との体格差は歴然だ。

「諦めなって、勝てやしねえって」

嘲笑うラウにヒロは歯を噛みしめ、覚悟を決める。

ヒロにとってスノーライトの力を引き出すのは危険な事だ。

命を繋ぐ竜のエネルギーを戦闘の為に減らすという事になるからだ。

竜の手からサラが呼んでいる。

竜の尾に当てられてダンテが近くの木に体を打ち付けられた。

荒く呼吸をしているが起き上がることができないようだ。

それでも懸命に前肢を踏ん張り、牙を剥くダンテはまさしく忠犬だった。

今彼女を助けられるのはヒロしかいない。

「スノーライト!!」

手をついた地面から霜柱を思わせる氷の柱が次々と天をつく。

流石に慌てたラウだが、その柱の狙いは青黒い竜のみだった。

「サラ!!」

「無視してんじゃねぇよ!」

「ヒロっ!!」

竜の手からサラが見たのは、氷の柱の隙間、必死に自分を呼ぶヒロをラウの剣が襲い、赤い雫を散らして海に落ちていく光景だった。

「ヒロぉ!!」

翼を広げた竜は後肢にラウを乗せると浅い岸辺を音も立てずに北へ飛んだ。

残されたダンテは必死に吠え、動かない後ろ足を引きずりながら海岸を後にした。

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