第28話  衝突編

ヴァルアライドの背に乗って、ソウは痛む頭を抱えていた。

後方からは武装を施した竜が何頭も続いている。

国家竜騎士の戦闘部隊だ。

芯の方から湧き上がるその痛みが何かを剥がしていくように記憶と混ざり合う。

もはや前後すら分からない。

「「ソウ?」」

ヴァルアライドの声が低く響く。

「問題、ない。行くぞ。」

漆黒のコートが風を切る。

冷たい青が隠れるように長い髪をなびかせている。

かつては同じ色だと言われたその色が今はこんなにも重く感じられる。

「僕と君は正反対で、だから、僕は君が羨ましいんだよ」

声が、確かに聞こえた。

振り返ったがそこにはヴァルアライドの尾が揺れているだけで誰もいなかった。

闇にうっすらと星が輝いている。

もうすぐ、雲は散り、月が顔を出すだろう。

心臓がやけに早く脈を打つ。

何もない空を見つめているうちに、また声が聞こえてくる。

「ごめん、これは、君が受け取らなくてはならなかったものなのに」

大粒の涙と共に零した言葉が何に対しての謝罪なのか理解ができなかった。

そして、自分がそれになんと答えたのか思い出せない。

ソウは正面を向いた。

グランドマウンテンはすぐそばだ。

カリナの側で泣き腫らした目をこする顔が浮かんだ。

声が幾重にも重なって頭を響かせる。

長い付き合いのはずなのに思い出せないものが多すぎた。

その声をもう聴くことはない。

二度と、あの青がこちらに向くことはないのだ。

何故なら自分は彼に背を向けることを決めた。

違う道を歩むことを誓ったのだ。

グランドマウンテンの赤い壁の向こうからうめき声が聞こえる。

数えきれないほどに地を震わせるそれは竜のもので、竜に混ざる叫び声はその背に跨る騎士のものだ。

「竜騎士擬きが」

ギリッと歯を鳴らしてグランドマウンテンを見据えた。

「一緒に、真の竜騎士に」

柔らかい幻聴をかき消して風を切る。

ソウの長い髪が風に揺れた。



空いっぱいに竜が飛び交うのを目の当たりにしてリョウは目を丸くした。

「どうして、竜騎士団が動き出した?情報が漏れたのか?」

サラが連れて行かれたことはカイと奏森夫妻しか知らないはずだ。

それなのに、どうしてこんなにもたくさんの竜騎士が中央へ向かおうとしているのか。

「もしかして、サンファニーが?」

コウの呟きに全員の視線が集まった。

「サンファニー?あいつはココにすら来ていないだろ?」

リョウの問いにコウはドキリとした。

喉がからからになっている。

「ヒロさんたちを探しに行くときに、牧場に寄って、来てないか、尋ねました」

そこまで言って、自分の失態に気付いた。

手が震えている。

嫌な汗が噴き出ているのがわかる。

「コウ君、話したの?」

泣きそうな顔を縦に動かした。

リョウは息が詰まったように唸ると殴りたい気を抑え付けて、真上を見上げた。

竜の数は50ほど、竜騎士団全体に広まればまだ数は増えるだろう。

これだけの動きを中央が見逃すとは思えない。

国家竜騎士が総動員でぶつかることになれば大きな戦争になる。

「今から説得できる規模じゃないぞ」

焦りに任せて動くことはできない。

無駄な死者を出さないためには慎重な行動が必要だ。

しかし、あまりのんびりもしていられない。

指を噛んで考えるリョウに後から出てきたヒロがじっとグランドマウンテンを見つめていた。

「リョウ、俺が行けば、止まるんやないかな?」

「は?馬鹿か、お前が行って何ができる?」

リョウが怒鳴るがヒロは柔らかい笑みを見せた。

「俺がDragon Killerやって言えば終わる話やろ?」

その場にいた皆が目を見開いた。

ミクリが死んで15年の秘密を破るというのだ。

「それで誰が納得する!?お前が資格を持っていることは竜騎士団には絶対に言えない。何の為に今まで黙っていたんだ?」

リョウの言葉に心臓が固まりそうだったのはコウだ。

身体の心から凍りついたような感覚に息ができない。

「コウ君?」

「すみません、俺、ヒロさんのこと、サンファニーに…」

しんとした空気に竜の鳴き声だけが聞こえた。

コウにリョウが歩み寄るとその頬を思いっきり殴った。

衝撃でコウの体は地面に叩き付けられ土が付く。

すかさず襟元を引きずるように掴みあげ家の壁へ押し付けた。

「どうしてしゃべった?口外はするなと言っただろ?」

「ごめんなさい、サンなら、知ってると、思って…」

サンファニーとの付き合いが長いのは事実だ。

しかし、それには必ず一線を引いていた。

サンファニーが竜騎士団の過激派にいることを知っての対応だ。

リョウが拳を振り上げるのを見て、ヒロが止める。

「話したんならしゃあないよ。それで中央に向かうんやったら、俺が止めるんも難しいかもしれんな」

竜騎士団がDragon Killerであるヒロの元ではなく直接中央に向かうということはヒロに頼るのではなく自らの力で変えることを選んだということだ。

つまり、それほどに意志は固く、シレイトの我慢も限界に来ていたということだ。



「時間だけで解決はできんか…」

寂しそうに空を見上げたヒロが手をかざした。

これまで、シマをはじめとした過激派の竜騎士には何度も出会ってきた。

そのたびに、自分の秘密を守りながら諭してきたつもりだ。

シレイトの竜騎士はDragon Killerに頼り切っている面があった。

だから、どんなに説得の難しい相手でもミクリの名前さえ出せばその腕を静かにおろしたものだ。

それほどに影響を残したミクリに、ヒロの竜騎士としての信頼は及ばない。

リョウが指を噛んで考える。

結論が出せるだろうか。

先に決意を決めたのはヒロだった。

手をおろし、皆に向き合って笑う。

「俺は説得にいくわ。聞いてくれんようやったら、Dragon Killerの力つかうだけやし」

「ダメだ!それが何を意味するのかお前、分かっているのか?」

必死に止めるリョウだがヒロは笑うだけだ。

「リョウ、あの数の竜は相手にできるもんやないよ」

「だが…」

上空を飛び交っていた竜の数は見たことがない。

それに加えて中央の竜騎士団が対峙する。

その数の竜を相手にすることはどんなベテランの竜騎士でも不可能だ。

リョウにも最後の手段がヒロにあることは分かる。

しかし、それはやはり大きなリスクを伴うものだ。

「ヒロ兄」

「ん?」

ずっと黙っていたサラが複雑な表情をしてヒロに声をかける。

暗がりの中でも瞳の色はよく見えた。

「ヒロ兄が後悔しない選択をしてほしい。でも、約束して。必ず、ここに帰ってくるって」

真っ直ぐ、その目はヒロだけを見ていた。

ようやく和解できた兄を送り出さなければならないというのはどんな気持ちなのだろう

静かにヒロが頷く。

そして、夕日のような紫がリョウをみた。

「リョウ、頼むわ」

諦めたように息を漏らしたリョウは小さく微笑んだ。

「お前を死なせない。そのために、俺は戦地へ行こう」

どこからか風を切る音がする。

闇にまぎれてブラッドレーンが空に舞う。

この漆黒の竜はパートナーによく似ている。

その背に乗る時、ヒロは思い出したように下に目を落とした。

そこには後悔に涙を落とすコウが立ち尽くしていた。

「コウ」

呼びかけられ、その肩がびくりと震える。

「強制はせんけど、ディオに乗って来ぃ。竜騎士として生きるんやったら、いい機会になる」

コウが顔をあげた時にはすでにヒロの視線はグランドマウンテンに向いていた。

果てしない闇を抱えるようにそびえる山脈に無数の点が散らばっている。

ブラッドレーンが一際大きな声をあげて翼を羽ばたかせる。

先ほどまで聞こえていた声など比ではない。

ビリビリと体中を駆け抜ける振動が血管をめぐっていくようだ。

「兄さん、信じてるからね」

ミサが胸に手を当てて叫んだ。

リョウは返事をしない。

それでも、ミサには十分だった。

サラは何も言わない。

黙って、ヒロの姿を目に焼き付けている。

ブラッドレーンの漆黒が闇に消えていく。

グランドマウンテンのふもとで吠えるのがわかった。

それはまるで、コウを呼んでいるようだ。

動けなかった足がようやく解放される。

騎士として戦地には立てない。

それでも、この目にその光景を焼き付けに行かなくてはならない。

ミサの方に振り向いたコウは泣いていた。

それでも、表情だけは笑ってみせた。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい。コウ君」

心の中でディオラードを呼ぶ。

少し距離があった。

そこまで走っていこうと決めた。

踏み出した足は震えている。

契約を終えて一人前になったつもりでいた。

まだまだ、自分は竜騎士を何も知らない。

知らなくてはならない。

これから、最高のパートナーと生きることを選んだのだから。

「サンファニー…」

彼が何を想い行動に移したのかも、中央が何を求めて資格を探すのかも、何も知らないままなのだ。



ブラッドレーンに跨ったあとの会話はほとんどなかった。

この後の計画を話し合わなくてはならないのだが、互いに口に出せなかった。

リョウは後ろのヒロを振り向くことさえしない。

ヒロが振り向いたシレイトはまだ暗く、真っ黒な海が月に照らされてうっすらと光っている。

ギュッと左胸を掴む。

確かな鼓動を感じながら目を閉じる。

おそらく先には国家竜騎士が来ている。

そして、彼女の姿もそこにあるだろう。

その時、自分は平常心でいられるだろうか。

気持ちに気付いていなかったわけではない。

彼女との時間がとても心地よく感じていたのはヒロ自身も同じだった。

自分の事を何も知らない人とのふれあいは新鮮で、必要以上に踏み込んでこないキリアの優しさをずっと感じていた。

同時に、その気持ちに鍵をかけていたのも事実だ。

長くはないこの体が朽ちる時、泣く人は少ない方がいい。

そうして逃げてきた関わりを気付かせたのがサラだ。

今まで笑顔に隠してきた感情が溢れだしている。

上手く笑えないことがこんなにも不安なのだ。

「リョウ」

「なんだ?」

リョウの声には戸惑いがある。

「俺な、ミクリの死んだ時、家におったんよ」

「あぁ。フジさんから聞いている」

風が冷たい。

何故こんな時に話すのだろうとリョウは策を考えるのを止めた。

風を抜ける音がうるさいのに不思議なほどヒロの声はよく聞こえてきた。

「おかんが撃たれて、おとんが撃たれて、なんか叫んでて、でも、思い出せへんくて」

ミクリの事を“おとん”と呼ぶのに違和感があった。

この呼び方をするのはいつ以来だろうか。

「ずっと、平気なふりしな、戦争がおこる思って、笑ってきたんよ。

笑わんでもええって言われると、上手く笑えんくて、今、ちょっと困ってるけどな。

なんか、ずっと楽やな」

後ろで鼻をすする音が聞こえた。

リョウは振り向かずにブラッドレーンと同じ景色を見ていた。

「おとんの顔がうまく思い出せへん時があるんよ。

竜騎士のミクリの顔やなくて、親父としての顔が、浮かばへん。

なんでか、今ならわかるわ。ミクリはずっと竜騎士で、家におるホンの少しの時間だけ、ただの人間やった」

波の音が聞こえなくなった。

水平線の向こうがうっすらと白んでくる。

「俺は、人間でいられた。

ミクリよりずっと長い時間、人として生きた。

それが、こんなにも幸せなんよ」

「だから、最期は竜騎士として死ぬというのか?」

噛みつぶすような声がした。

「ミクリさんとお前は違う。最後まで、人として生きてくれ。

自分勝手でいいんだ。サラとも喧嘩をすればいい。

俺やフジさんに迷惑をかけてもいい。

あの、竜騎士とも、ちゃんと話し合えばいいんだ」

「ん。生きたい。生きたいと、思えるようになったんよ」

ようやく、リョウが振り向く。

その顔には驚きと安堵が入り交ざっている。

おかしな顔に思わずヒロが吹き出し、リョウが顔を赤くして前方に向きなおす。

「せやから、思い出せたんやと思うんよ」

そうして、グランドマウンテンを抜ける間、ヒロは自分があの日に見たものをリョウに伝えたのだ。


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