第12話  療養編

白い部屋に一人きり。

窓の外は快晴、絶交の釣り日和ではないか。

そんな事を考えながらベッドに横たわりため息をつく。

話し相手がいない。

カイは別の患者の診察に回っているしリョウは直ぐにグランドマウンテンへ戻っていった。

ミサは留守の家にいなくてはならないし、サラはフジの家だとカイから聞いた。

「暇やな」

目が覚めてから2日が経った。

呼吸の苦しさも心臓の不具合も解消されたのだが足腰が言うことを聞いてくれない。

「スノー、なんとかならんのか?」

海に向かって問いかけてみる。

パートナーの竜、スノーライトはシレイト付近を縄張りとする大型の水竜で白銀の鱗に蒼と橙のヒレが鮮やかな美しい竜だ。

氷の力と幻術を作る力があり、後者でヒロの体を騙しているわけなのだ。

返事はなかった。

海は穏やかに波をうち、風に揺られてカモメが空を泳いでいた。

静かな場所は苦手だ。

誰かが騒ぎ、それに紛れて笑いあっていつの間にか過ぎているような時間が好きだ。

誰も悲しまない、寂しくない、明るくて、楽しくてそんな場所が好きなのだ。

静かなこの部屋にはくだらない話をする相手もいなければ気を紛らせる物もない。

頭の中で巡らせる記憶はどうしても辛い過去ばかりで、記憶というものは、悲しい事ほど鮮明で、楽しい事ほど曖昧なものだ。

白い天井と青い海を往き来していた紫は諦めたように綴じられて静かな部屋にと波の音と寝息が混ざりあった。


静まり返った部屋がやけに懐かしく消毒の臭いが酷く不快にさせる。

サラは黙ったまま寝息をたてるヒロを見下ろしていた。

何も言わなかった。

言葉が思い付かなかった。

ただ、青い瞳にその姿を焼き付けるように見つめるだけで他にするべき事がわからなかった。

カイからフジを通じて知らされたのはヒロの緊急入院だ。

ミサにも連絡がいったのだろう。

一度帰ってみれば慌ただしく仕度をしている音が響いていた。

結局、ここに来るまで言葉を交わしたのは看護婦だけだ。

いつからこんなに臆病になってしまったのか。

「ヒロ、生きるって、辛いね」

幼い頃からヒロは笑う。

仏頂面のサラとは正反対で、どんなに辛い事があっても「大丈夫」と言って笑う。

ヒロが笑う時、不思議と周りに不幸はなくて不幸があってもヒロが笑うと乗り越えられる気がしていた。

だから、サラは笑わずとも無理をしなくてもよかった。

「ヒロみたいに笑えたら、私は全部許せるかな?」

誰の前でも笑うヒロが羨ましくて苛立たしくて溢れそうになる涙を堪えて静かに立ち上がる。

振り返ったベッドはあまりに白くて生気を感じさせなかった。

「生きなきゃ、ダメだよ」

閉まる扉を背にしてようやく前を向く事ができた。

真っ直ぐな廊下が果てしなく続いているような気がして目眩がする。

それでも歩き出さなければ進めない。

フジの話を聞いて決意したはずだ。

「私は奏森サラ。フジとサナエの娘。しっかり、生きなきゃ」

自分に言い聞かせるように呟いて足を前に出す。

一歩一歩が重くても景色は変わる。

進むんだ。

それだけで喜んでくれる人がいるんだ。

一歩、また一歩、次第に軽くなる足取りに小さく口が弧を画いた。


「サラちゃんも、ひねくれものですよね」

ナースコーナーから見守っていたミサが口を隠して笑う。

今は一緒に暮らしているのだから一人で抱え込まなくても良いはずなのに彼女は弱味を見せまいと強がる癖がある。

「似た者同士だよね。2人は…」

隣でカルテを抱えたままミサに付き合っていたカイも優しく見守っていた。

「お互いに、もう少し素直になれたら、張り合わなくてすむのに…」

「仕方がないよ。2人とも子供のままなんだからね」

カイの答えにミサはゆっくりと頷く。

二人の距離は近いくせに、お互いにそっぽを向いたままだ。

極が同じ磁石のように一定の距離を保っている。

どちらかが振り向けばきっと直ぐにその距離を縮められるのに、妙な意地がそれを許さないのだろう。

「僕たちにできることは、焦らず見守る事。頼りにしてるよ。ミサちゃん」

「はい」


15年前のその日

空は不気味な程に澄んでいて、雲は1つもなく、真っ青な天上が落ちてくるのではないかと言うくらいに濃い色をしていた。

3歳になるサラを連れて、フジのもとを訪れた彼は優しく笑っていた。

「フジ、サラを頼む」

深海を映し出したような蒼眼には憎悪も悲哀も無く、風のない日の海のようだった。

「なんだ?今日はやけにあっさりしてるな」

我が子を愛してやまない彼がいつもは一秒を惜しむように別れるのにその日はサナエにサラを抱かせると直ぐに手を振った。

「今日は、お客が来るんだ。だから…」

父に触ろうと伸ばされる小さな手をとって、それをサナエの腕にしがみつかせた。

「フジ、頼んだよ。君にしか、頼めないんだ」

何を言っているのか問いただす前に、彼は背を向けて自宅へ戻っていった。

漆黒の髪がわずかになびいて初めて気づいたのは彼が着ることを止めたはずの白いコートを羽織っていたということ。

白地に紺色の装飾がされたそのコートはもう着ることはないと言っていたのに

「ミクリ?」

不吉な予感がした。

背を蜥蜴が這うような寒気がしていた。

なのに、それ以上を問うことも、背を追いかけることもできなかった。

何故?

隣にはサラがいて幼い子の前で父親を問い詰めるなどしたくなかったからか。

いや、おそらくそうではない。

彼なら、ミクリならば後に起こるような悲劇を生み出しはしないという過信があったからだ。

彼はただ1人の人間で他と何ら変わりのない人であることを忘れ、歴代でも有数と言われる程に人柄も技術も持ち合わせていたdragon killerが死ぬことはないと、シレイトの誰もが認める竜騎士が敗れることなどないと彼を過大評価しすぎた結果の結末だったのだ。

やはり不安になって駆けつけた時には全てが終わった後だった。

床に広がる赤と割れた花瓶、血に染まった白いコートが、嘲笑うように映えて吐き気のする血の臭いに立っていられなかった。

彼の妻カリナの息は既に途絶え、伸ばした手が掴んでいたのは家族で写した写真だった。

まだ彼に息があると気づいたのは何時間も後のように感じた。

実際は、ほんの数分だったはずだ。

吐血も気にせずに、まだ、竜の力を借りれば助かるかも知れないのに彼が紡ぐ言葉は助けの言葉ではなかった。

「全てはレンに伝えてある。君は、何も言わずに、僕の望みを叶えてくれないか?」

誰が殺した?何故こうなった?

全ての問いを詰まらせるほどに彼は笑う。

「これは、僕が選んだんだ」

だから、誰も恨むな。恨むなら僕を恨めばいい。

聞こえない声が、鮮明に届く。

わかっていても、頭は理解しても、直ぐに飲み込めるような話ではない。

「カリナ、君を、一人にはしない」


夢はいつでも彼の笑みで終わる。

最期を迎えるその瞬間まで彼は弱味を見せなかった。

理想の竜騎士、dragon killerであり続けた。

誇らしく、酷く虚しい夢、空はどこまで行っても晴天の一色なのにやけに青がくすんでみえた。


「低血圧に貧血。また数値が下がってるね」

カルテを片手にカイが頭を抱える。

レントゲンには不安な影がいくつか写っているが、前回と比べても変化がないから悪化はしていないようだ。

しかし、血液検査の結果は喜べるものではない。

「ヒロ君、騙せるのにも限界があるんだけどなぁ…」

極端な数値に一時は機械の不調かと測り直しをしたものだ。

もともと良い数値ではなかったものの、彼の場合はどうやって維持しているのか疑いたくなる程で、スノーライトの力を借りていると知っていても医者としては放っておくわけにはいかない。

「大丈夫やて。ほれ、元気やから」

満面の笑みで腕を上下に動かすヒロのその動作さえ不安で仕方がない。

「とりあえず、薬はちゃんと飲んでね。できるだけ鉄分採って、あとは、カロリーは気にしなくていいから食事はしっかりとってね」

「了解。了解」

どこまで理解してくれたのかはわからないが、本人は本当に元気そうだ。

それが空元気であったという前科があるだけに疑わずにはいられない。

保護者代わりのリョウがいないだけで退院させていいのか悩んでしまう。

しかし、あまり病室に閉じ籠るのも良くない。

活発な彼は窓からでも脱走を試みるし、元気な分大人しくしてくれないのだ。

「約束忘れないでね?」

仕方がないと、条件付きで退院を許可した。

「激しい運動はあかん。薬は飲む。な?」

最低でもこの2つは守ること、それから、シレイトから外に出ないこと。

そうでもしなければ、グランドマウンテンのコウを見に出掛けてしまいそうだった。

「少しでも不調を感じたら直ぐに来ること。ミサちゃんにも言ってあるから絶対に無理をしないこと。じゃないと、次は縛り付けるからね」

「カイ、眼がまじやな」

「冗談なんて言ってないよ」

医者として言うんだと付け加えてカルテに文字を加えていく。

びっしりと敷き詰められた言葉は読んでもわからないような単語ばかりだ。

それだけ診察と治療を繰り返しているのだ。

「せやけど、もう4年も長生きしてるんやし、気にすることないんやない?」

ヒロは屈託のない笑みを見せている。

それは初めて入院したときには見られなかったものだ。

確かに、普通の治療では延命は難しかった。

内臓の機能の低下が著しく、心臓が動かなくなるのは時間の問題だったからだ。

「僕の仕事は、一秒でも長く患者を生かす事だよ。生きている以上、僕は見棄てられない」

死を決められた少年が何を思い生きてきたのかは医者のカイにもわからない。

不安で恐くて仕方がなかったに違いないのにこんなに笑う青年に成長した。

「優しいなぁ」

優しいのはどちらだろうか。

いつものバンダナを巻いて、手を振り出ていくヒロを見送りカイは小さく息を吐いた。

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