第8話  ディオラード編

岩場の影に隠れて羽を休めていたブラッドレーンはゆっくりと頭を上げる。

遠くだが声が聞こえたのだ。

「「……警告?」」

真っ赤な眼はグランドマウンテンの頂をじっと睨む。

その先に声の主がいるはずなのだ。

懐かしいようなこの声が彼には不快だった。

「「人間を嫌うにも程があるだろう、ステファン」」

声は尖っている。

まるで狂暴な獣を追い立てるように荒々しい。

近くにはリョウもヒロもいるはずだ。

ブラッドレーンは深く考えることは止めて頭を下げた。

疲れはまだ残っている。

今は疲れをとることが最優先だ。

するとどうだ。

この声とは別の声が自分を呼んでいるではないか。

「ブラッドレーン!!」

再び頭を持ち上げたブラッドレーンの耳に新たな声が届く。

今度の声は最も信頼する人の声だ。

牧場の緑からかけてくる人影はリョウだ。

「「どうした?何かあったのか?」」

わざと何も聞かなかったフリをした。

いつも冷静なリョウがこの警告に慌てて従うには訳がありそうだ。

例えば、よりこの地に詳しいものの指示があった とか。

「ステファンからの警告が聞こえたはずだ。もしかしたら、俺たちを追って軍人が来たかもしれない」

ブラッドレーンは深く息を吐いた。

「「リョウ、ならば来るべきはここじゃない。オレは心配されるほど疲れてはいないよ」」

息を乱すリョウを諭すように低く落ち着いた声だった。

戦略に長けたリョウだが咄嗟の判断はやや劣る。

心配をさせた自分にも非があるのだろうと紅色の瞳は静かに語る。

リョウは何より仲間想いだ。

警告を聞き、サンファニーとヒロがいる状況なら二人に任せて自分の元に来てくれることは悪い気はしない。

けれど、ヒロは昨日の疲れを残しているし、サンファニーに全てを任せる事は避けたいところだ。

「「奴が軍人を毛嫌いしていることは承知しているのだろう?竜騎士なら奴について行くべきだ。オレはリョウが呼ぶなら直ぐに駆けつけるというのに」」

「すまない」

ブラッドレーンはリョウの額に鼻先をつけると少しだけ甘えたように喉を鳴らした。

怒ってはいないと伝えるためにだ。

そして、紅色は新緑の牧場を向く。

「「休んでいる暇はないぞ。ステファンの警告は嘘ではない。リョウは、護る側なのだろ?」」

「あぁ」

リョウは真っ直ぐ走り出した。

行き先はブラッドレーンが教えてくれる。

『竜騎士よ全てを護れ』

「「お前たちは辛い選択をしたのだ。オレの力くらい存分に使え、リョウ」」

一人と一頭の絆は深い。

護ると決めたその日から、彼らが共に歩むと決めたその日から疑いはなかった。


パンッパンッと響くのはリリスの鞭だ。

ディオラードは音に怯えてヒロの背中にぴったりとくっついている。

オルドーは引き金を引こうとするが固く動かない。

リリスの怒鳴り声が聞こえるため焦るばかりだ。

ヒロはといえば、楽しげに鞭を熊手で弾いている。

武器とは思えないそれを器用に回し、全てを払われリリスは苛立っていた。

「なによ!戦うならちゃんと戦いなさいよ!」

「え~痛いんは嫌やないか」

「ふざけてんの!?」

「俺は真面目やねんけど?」

ヒロとリリスのやり取りはいつまで経っても平行線だ。

お互いに自分の主張は曲げず、ヒロにいたっては遊び感覚のようにみえる。

「リリスが口で圧されてるなんて珍しいよね」

「あんたは早く竜を始末しなさい!」

動かない銃に諦め半分のオルドーは一歩後ろでぼんやりとしていたのだが、リリスの喝が飛びじっとしているわけにもいかなくなった。

しかし、竜相手に丸腰でどうしろというのか。

そもそもディオラードはヒロの後ろにいるというのに。

「リリスが勝ってくれれば早いんじゃない?」

「だったら手伝いなさいよ、オルドー」

「え~!?」

ヒロから攻撃することはないとわかったのか、リリスは鞭をとめてオルドーに援護を求める。

いくらシレイトの人間であっても一人を相手に二人がかりはどうかと悩むオルドーをリリスが急かす。

二人のやり取りを暫し聞いていたヒロは一度視線を宙に浮かせて考えた後、熊手を真っ直ぐ向けて

「一対二は卑怯やないか!!」

と叫んだ。

直ぐ様リリスが

「遅いわよ!!」

と突っ込んだのは言うまでもない。

「リリス、完全にこの人のペースだよね」

解りきったことをわざわざ口に出すオルドーにさえ苛つきながら彼女はヒロを睨む。

言うことは聞かないし竜を守ると言いながら一度も攻撃を仕掛けない。

そこから考えられることは

「仲間がいるのね。それまでの時間稼ぎってわけ?」

リリスの言葉に辺りを見回すオルドーだが、人影はなく、長閑な牧場があるだけだ。

ただ、牧場はかなり広いため、他に人がいることは前提にしていたのだが、竜を守る側の人間が複数いることは厄介だ。

仮にそれが竜騎士だとしたら、二人の手にはおえないだろう。

と、竜騎士であるヒロを前に二人は考えていた。

互いが慎重に次の手を探る中、長閑な牧場に声が響いた。

「ディオラード!!」

真っ先に顔を向けたのはヒロでもリリスでもオルドーでもなかった。

キラキラと目を輝かせたディオラードだ。

その声は彼が望んでやまないものでヒロの背から飛び出したディオラードは一直線に飛び付いた。

「「コウ!!ディオ、コウといる」」

「え?ちょ、まってよ。ディオ!?」

息を切らしてやって来たのはコウだった。

難しい本を片手に勉強していたところに竜の呻きを聴いて飛び出したのだ。

ディオラードの事が気がかりでとにかく牧場中を走り回りようやくたどり着いたのだ。

「なんでコウが来んねん」

力になろうと張り切るコウに対しヒロは不満気だ。

今まで竜との縁がほとんどなかったコウだというのに軍人二人の前で竜とじゃれあうなど自分を罰してくれと言うようなものだ。

ヒロの視線にマズイと勘づくコウだが、ディオラードはそうではない。

彼はコウが迎えに来てくれたのだと思い込んでいる。

受け入れてくれる準備が整ったのだと思い込んでいるのだ。

ヒロの元へ行こうとするコウを引き止め高らかに咆哮をあげる。

声は山脈にこだまし、全てを黙らせた。

赤い焔が地から沸き上がり一人と一頭を包み込んでいく。

「……ディオ?」

不思議と焔は熱くない。

それどころか周りを焼いている様子もない。

確かに焔が舞い上がっているはずなのにだ。

「「コウ、呼んで。真名[マコトナ]。ディオの真名」」

真名とは竜のフルネームのことだ。

それは契約者のみに教え、自らの力をパートナーに託す契約の証、この真名を受けとることで魂を繋ぐ契約が結ばれ竜騎士となるのだ。

「ねぇ、なんかまずいんじゃない?」

何が起きているかわからない二人だが、ただならぬことが起きているのはわかる。

それが見逃してはならないことだというのも直感で理解出来る。

だが、どうやって止めろというのか。

相手は真っ赤な炎をまとう竜なのだ。

「とにかく、あの子と竜を引き離すのよ」

リリスがコートの内側から銃を取り出。す

それは護身用の対竜用の銃だ。

迷う間もなく放たれた銃弾は火花を散らして竜を狙ったはずだった。

キンッ

銃弾は弾かれた。

ヒロは一歩たりとも動いていない。

赤の揺めきの前に立ちはだかったのは漆黒だ。

「邪魔をしないでもらいたい。神聖な儀式だ」

闇のように黒い刀身の剣を握るのはリョウだった。

「これで二対二。文句はないはずだ」

「二対二やなんてよう言えるなぁ。実質は四対二やないか」

ヒロが手をかざせば氷の柱が生み出される。

唖然としていた二人は否応なしに思い知らされる。

「何?四対二って、その氷って、まさか、あんたたち竜騎士!?」

目を丸くして叫ぶリリスと冷や汗をかいているオルドーが後ずさる。

ヒロはドッキリが成功したというようにニコニコしていた。

「ヒロ、こうなったらやることは一つ」

「分かっとるって」

二人が相づちを打ってリリスとオルドーを見る。

決して怖い顔をしているわけではないのだが嫌な予感がしてならなかった。


紅い炎が周りを囲い、敵の姿もヒロの姿も見えなくなった。

なのに不安はない。

コウを見つめる新緑に似た色を忘れた事がない。

孤児だったコウが偶然見つけた竜の卵、家族のいない寂しさを埋めてくれたのは紛れもなくその竜だった。

賊に追われたコウを助けてくれたヒロとリョウは竜の誕生に立ち合わせてくれた。

殻を突き破る瞬間を呼吸も忘れて見つめた。

濡れた産毛も、小さな翼も、きれいな瞳も全て心に刻まれた。

ようやく誕生した家族をこの手で抱き締める事を許された。

大切な命だ。

「ディオ、俺の決意は変わらないよ」

触れた感覚はあの日と同じ、幼い彼らは契約ができるようになるまでの決別に耐えた。

この日が来ることを信じて耐えたのだ。

「「コウ、ディオ、コウとずっと一緒。もう、離れない」」

寂しさに耐えたのはディオラードも同じだった。

竜は殻の中でも外の音を聴き、感じることができる。

卵の中にいた時から、彼はコウの愛情に包まれてきた。

「「大好き。篠原、コウ」」

伸ばされた手に頬を擦り寄せうっとりと目を閉じるディオラードを抱きしめる。

勝手に契約をしたら怒られるかもしれない。

けれど、もうどうでも良かった。

離れたくなかった。

「俺も、大好きだよ」

額を合わせると柔らかい光と共に伝わる音、それこそが、竜の真名だ。

「「呼んで。ディオは、コウと一緒にいたい」」

「うん。俺もだよ」

キラキラと輝く炎の渦は激しさを増して空へと登る。

動きが、地鳴りが全てが竜のようだ。

「ずっと一緒だよ。ディオラード・テル・リファーブ」

コウが名前を紡いだ瞬間、炎は激しく燃え上がり二人を密に包み込む。

外からみたそれは、赤い繭にくるまれるようだった。

「いつ見てもええもんやな」

ヒロの瞳に映る紅の炎は幻想的に揺らめき、肌に感じる火の粉からは緊張感と決意が伝わってくる。

氷の自分とは対称的な色だ。

竜騎士にとって一生忘れることができない。

たった一度の契約、その身を全て竜に託し、確かな絆を得る瞬間だ。

「無駄な心配やったなぁ」

互いが成長の変化を受け入れられるか。

竜と人との違いを認められるか。

不安要素はいくつもあった。

しかし、それらは全くと言っていいほどに無意味だったようだ。

コウとディオラードは出会ったその時から契約は運命だったかのように変化も違いも当たり前に受け入れている。

種は違えど、彼らにとってお互いは家族同然の存在なのだ。

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