第7話  ディオラード編

放牧地に放された牛や羊たちは自ら小屋に戻っていく。

これから訪れるものが危険だと知っているようだ。

響く声は徐々に大きくなる。

それは威嚇ではない。

「警告?」

窓から身を乗り出したサンファニーはずっと遠くの頂に目をやった。

空はゆっくり変化しているが、雲はまだ少ない。

だが空気は変わった。

穏やかな空気の中に雷のようにピリピリした雰囲気が流れている。

声はまだ響いていた。

「リョウさんはブラッドレーンについていて下さい。僕はステファンを迎えに行きます」

阿吽の呼吸で動き出した二人は直ぐ様部屋を飛び出す。

「ん?サン、俺は?」

砂糖を足したカフェオレをのんきにすするヒロは一人取り残されていた。

「何で毎回俺は置いてきぼりなんや?」

いつでも先に行動するのはリョウかサンファニーだ。

独断の行動は別としてヒロはのんびりしていることが多い。

声を聴きながら空を見るヒロはまだ動かない。

一つ、二つ、咆哮がガラスを震わせる。

「向かうなら、ディオのとこやな」

部屋ではソフィーがすやすやと寝息をたてている。

しかし、一緒に丸くなっていた若い竜の姿はみあたらない。

「警告…なぁ…」

こんな辺鄙な場所での危険と言えば荒々しい気象現象か竜の攻撃くらいだ。

空は晴れている。

竜の威嚇も聞こえない。

ならば、何に対する警告か。

「先に動いたんは、中央か」

白い長髪はふわりと揺れた。

静まる部屋に残されたのは無垢な寝息と甘い砂糖の匂いだけだった。


ブーツの音が岩場に響く。

カツン、カツンと石を叩いて女は酷く苛立っていた。

キレイにカールをした髪を揺らして口からはため息を吐く。

「どうして私がこんな山奥に来なきゃならないのよ」

眉間に寄せたシワを深くして落ち着きのない指はベルトを叩き続けている。

彼女は白いコートをなびかせ振り向いた。

そして人指し指を真っ直ぐに突き立てる。

「無線も届かない場所に、あんたと来なきゃならない虚しさがわかる!?」

指の先には困った顔でついてきていた男の鼻がある。

「そんな、僕が決めた事じゃないんだから…」

肩を竦めながらボソボソと呟くが、彼女は聞こうとすらしていない。

「いっつもあんたみたいな役立たずばっかり。もぅ、最低の人選だわ」

男は口をへの字に曲げ、眉は八の字にしている。

罵られているよりも彼女の甲高く響く声が少々不快なようだ。

「じゃぁ、誰なら良かったの?」

「私の憧れの人はたった一人。フラッド様に決まっているでしょ!!」

キャーっと黄色い声をあげる彼女がキラキラとある程度美化されているであろう中佐、フラッドの顔が浮かんでいるなど容易に想像できる。

もしかしたら、甘い囁きまで付け加えられているかもしれない。

「仕事なんだからね?」

「仕事が一緒だったら距離もぐっと近くなって、もしかしたらフラッド様から…ってなに言わせてるのよぉぉぉ!!」

真っ赤にした顔で我に帰った彼女は叫びながら男の顔に回し蹴りをくらわせた。

崖にぶつかった男は力なく倒れ込み頭に疑問符を浮かべる。

勝手に話していたのは彼女ではないのだろうかと。

「とにかく、さっさと終わらせて本部に帰るのよ」

石を砕く勢いで歩く女、リリスは連れの男、オルドーの髪を引っ張った。

「痛い!痛いよリリスぅ!!」

涙目になりながら必死についていくオルドーの様子から、上下関係は明らかだ。

中央の軍では二人一組が原則だった。

リリスとオルドーの組み合わせはもう二年になる。

白のコートがグランドマウンテンの頂から吹き抜ける風になびいた。

竜の住処ときいてはいたが、まだ二人は竜の姿を見ていない。

「竜なんてもう人里に降りてこないでしょ」

リリスは口を尖らせた。

竜狩りが行われ、竜騎士を禁じたことで竜は人から距離をおくようになった。

それは竜の目撃数を劇的に減らし今では滅多に見ることができない。

たった、10年余りのことだ。

「『あの人』が死んで、世界は変わったも同然なのね」

リリスの声は平淡だった。

彼女にしては小さく抑揚のない音だった。

オルドーは首を傾げ、迷いながら彼女に問う。

「リリス、皆『あの人』っていうけど。誰のことなの?」

振り返るリリスの表情は複雑なものだった。

悲しみとも憎しみとも違う。

その中に確かに見えるのは困惑 なのだ。

「私も名前は知らないわ。でも、有名だった。聞いたことくらいあるでしょう?『Dragon Killer』」

リリスが口に出した瞬間に空気が凍りつく。

オルドーは息をするのを忘れるほどだった。

「竜の支配を許された『あの人』は軍の要だった。でも、『あの人』は中央を裏切ったのよ」

「裏切った?」

「私は詳しいことをしらない。そう、聞いただけ」

軍で活躍していたはずなのに、確かに在籍していたはずなのに、『彼』はまるで無かったかのように紙から姿を消していた。

「まるで、陽炎ね」

リリスの言葉を返すことができずに歩み出した背を追うオルドーは目に入ってきた新緑さえも不気味に映った。


ふかふかと生い茂る緑は絨毯のように敷き詰められている。

緩やかに流れていた風は止み雲間から射す光が穏やかに緑を照らしていた。

家畜がいなくなった牧草の上にごろりと転がった若い竜、ディオラードは草に顔を埋めてふてくされた。

「「コウ、勉強。ディオ、邪魔ダメ」」

せっかく会えた友人は勉強の為、部屋にこもってしまった。

大事な勉強だというのはコウからもサンファニーからも聞いていた。

遊び盛りのディオラードは構ってもらいたくて仕方がないのを我慢しているのだ。

「「うぅ~。がまん~」」

ぼふりと翼を倒してふさっていると目の前に見知らぬ靴がある。

それはサンファニーやコウが履いていた布製のスニーカーとは違い。

革でできた硬い外見に縦に長細い形だ。

チラッと目線をあげると真っ白に青い筋の入った服を着て金色の長い髪をクルクルと巻いたまつ毛の長い人が立っていた。

目は真ん丸に見開かれている。

ディオラードは頭を懸命に働かせてこの人間は誰だろうと記憶をたどる。

ディオラードを目の前にした人間、リリスはといえばいるはずのない竜がそこにいる事実に思考が完全に停止した。

後からやってきたオルドーは大した動揺もしないで

「わぁ。竜だね」

などと呟いていた。

「竜ね…じゃないわよ!」

あまりにも冷静なオルドーに、遂にリリスが声を荒げた。

「な、なんで竜がいるのよ!?」

「え、だってそういう任務で来ているんでしょ?」

パニックに陥ったリリスは激しくオルドーの肩を叩きながら叫んでいる。

オルドーの話しなど聞いてはいない。

「リリス、僕を叩いてないで竜をどうするか考えるかが先でしょ!?」

その言葉にようやく我に還ったリリスがもう一度よく見てみると竜はまだ逃げておらずそれどころかまじまじと二人を観察しているのだ。

「「誰?ディオ、知らない人?」」

若いディオラードは中央の竜騎士狩りは知らないし、コウとサンファニーによって育てられた竜であるため人への警戒心がまるでない。

初対面の人間に会うのは久しぶりで甲高い声をあげるリリスに驚いたものの、危険は感じていなかった。

『人間は優しいものだ』

それがディオラードの認識なのだ。


『竜の目撃情報が多発している真相を調査し、竜は処分せよ』

それが今回二人に与えられた任務だった。

対竜用の銃とそれぞれの得意とする武器を提げグランドマウンテンを登った。

だが、噂は噂と思い込んでいたリリスはディオラードに心の底から驚いた。

本物の、しかも自分よりもずっと大きな竜が目の前に転がっていたのだ。

目の前の橙の竜は緑の目を真ん丸にして顔を近づけてくる。

こちらに興味津々といった様子だ。

後ずさるリリスをよそにディオラードは臭いを嗅いだり見回してみたり、初めて竜に会ったリリスでさえも警戒心がないことはみてとれた。

「なんていうか、やる気無くしちゃうね」

行動は好奇心旺盛な子犬に似ている。

危険な生き物と聞いていた割に緊張感がない。

「や、やる気はなくても、仕事は仕事なのよ」

慌ててリリスがオルドーを叩く。

「でもさ、害があるようには見えないんだけどな」

チラッと竜に視線を戻すとくりくりした目の愛嬌のある顔を向けていた。

オルドーのいうとおり、害があるようには見えないのだ。

しかし、それは個人的な感想に過ぎない。

任務は竜を排除することだ。

「可愛い顔に騙されちゃダメよ、オルドー。こういうタイプが一番怖いんだからね」

バシバシと背を叩きながらいつの間にかオルドーが手前になっている。

オルドーも少しばかり抵抗があるらしく逃げ腰だ。

「あんた、男なんだからちゃんとしてよね」

「ぼ、僕だって竜相手の任務は初めてなんだからっ」

二人が言い合いをしていても竜は逃げようとしない。

首を傾げてやり取りを見ているだけだ。

このままではらちがあかない。

先に覚悟を決めたのはリリスだった。

「と、兎に角、竜は処分すればいいのよ」

コートの内ポケットから取り出した携帯用の鞭を伸ばし彼女は胸を張った。

その姿にようやく動いたオルドーが対竜用の小型銃を取り出しかちゃりとディオラードに向けた。

ディオラードはそれが何なのか知らない。

あまりに人に対して危機感のない。

いや、人への信頼感が強い竜を処分するのは忍びないが、仕事は仕事だった。

「ごめんね」

目を瞑り、引き金を引く。

銃声は空高くまで響き渡った。

岩肌にこだまして幾重にも重なった音が消えるまでずいぶん時間がかかったように思われる。

白い煙が上がる銃口の先には新緑が広がる。

ディオラードは音に驚きひっくり返っていた。

「物騒なもん使わんといてや。迷惑にしかならんやろ」

リリスとオルドーが声に振り向くと真っ白の髪が先ず目に入った。

それから、状況に似合わない楽しげな表情と牧場のものであろう熊手だった。

紫色の眼は先ほどまでの竜と同じく緊張感がまるでない。

二人が直ぐには動けなかった訳はたった一瞬、本当にたった一瞬だけ、酷く痛いくらいの寒気がしたからだ。

目の前の柔らかい雰囲気とはまるで対称的な鋭い空気だったため、二人は同一人物と思えなかった。

ヒロはいつもの笑みで軽快に熊手回すとディオラードを手招きする。

銃声にビビっていたディオラードだが、ヒロの姿を確認すると落ち着いたようで嬉しそうに駆け寄った。

それは明らかに竜を助ける行動だ。

「ちょっと、あんた!!自分のやってることわかってんの?竜の保護は法律違反なのよ!!」

確かに現在の法律には『竜の保護は禁ずる』という一文があり竜騎士を含めた竜は保護してはならないらしい。

「えぇやん、ちょっとくらい見逃してや」

「できるかぁぁ!!」

のんびりとしたヒロにリリスは苛立っていた。

いくら中央から遠いグランドマウンテンといえど、このコートが軍部の人間を意味することくらいは常識だ。

それを目の前にして違反を見逃せなど、誰が口に出すものか無知の子供か余程の馬鹿か

あるいは…

「リリス、もしかして、この人」

銃を構えていたオルドーはヒロの余裕と竜になれた様子を見て面倒なことになりそうだと焦り始めていた。

「シレイトの人なんじゃないかな?」

シレイトは中央を嫌うことで有名だった。

特に竜保護派が多いシレイトの人々は中央の人間よりも竜を選ぶと言われている。

そんな人間が目の前にいたら、交戦は逃れそうにない。

「し、シレイトの人間でもイヤードレイクの国民に変わりはないわ。ちゃんと従ってもらうわよ」

リリスは強気な態度を崩さない。

彼女は文句が多いがプライドが高い。

任務中に逃げ出したなど彼女の心が許さない。

一方オルドーはというと、面倒事は避けたいらしくどうすれば平和的解決ができるか考えていた。

「例外くらいあってもええやろ」

「理由も無しに例外にはできないわ!!竜は人と一緒にいちゃダメなのよ!」

ヒロとリリスのやり取りに反応したのはディオラードだった。

ヒロは笑ってこそいるが困っているようにも見えた。

それに加え見ず知らずではあるがリリスが言った言葉は理解出来てしまう。

「「竜、人、一緒ダメ?ディオ、コウといる、ダメ?」」

その目には先ほどの元気はなく、今にも泣き出しそうだった。

ディオラードにとってコウは家族同然だ。

コウが竜騎士になる事を決意し、ようやく一緒にいられると思っていた彼には厳しい現実だ。

しょんぼりと肩を下げたディオラードを見てヒロが笑った。

「えぇんよ。ディオはコウとおればえぇ」

白い髪が優しく風になびく。

柔らかい表情はその時軍部の人間と対峙しているとは思えない程だった。

リリスもオルドーも、自分たちは法律に従っているはずなのに罪悪感を感じた。

「ここは人の土地やない。竜の地や。法は関係ないで」

グランドマウンテンは古くから人を寄せ付けない山脈だった。

竜たちが護る神聖な土地でもある。

つまり、ここは竜の国なのだ。

「だからって、見逃す訳にはいかないのよ!」

中央にとって最も危険視されるのは竜だ。

人の何倍もの力を持つ竜を操る竜騎士となれば恐怖以外の何者でもない。

竜騎士狩りが行われた理由はそこにある。

土に打ち付けられた鞭はピシャッと音を立てて草を飛ばした。

熊手を抱えたヒロはまだ動かない。

「そうね、その竜を渡せばあんたの事は見逃してもいいわ」

「あー、それは僕も賛成だなぁ」

スッカリ調子を取り戻したリリスが提案をする。

銃をそのままにしているオルドーもリリスの妥協案に賛同した。

ヒロは視線を空に向けている。

太陽に近い青空は穏やかだ。

頬を撫でる風も心地がいい。

リリス、オルドー、ディオラードはヒロの言葉を待つ。

一瞬、紫色の瞳がディオラードを見た。

そしてニッコリと笑う。

「ディオは大事な仲間やから、差し出すんはできんな」

真っ直ぐリリスに熊手を突きつけて、ハッキリと示した。

奥歯を噛み締めるリリスは鞭をふり

「だったら強行するだけよ」

と、飛びかかったのだ。

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