第6話 ディオラード編
「まだ、来ていない?」
コウがディオラードと戯れている間にヒロの姿は見えなくなっていた。
諦めたリョウはどうせサンファニーのもとに行ったのだろうとため息をつく。
ブラッドレーンの調子が戻り始めたのを確認して二人はディオラードを連れサンファニーのいる家に向かったのだ。
この牧場にはサンファニーの住む小屋の他にも牛舎など牧場ならではの建物が並んでいる。
もちろん外には羊や牛を始めとする家畜が放されていた。
グランドマウンテンの中腹にあるこの牧場には人は立ち入らない。
そして、牧場主のサンファニーは竜の保護に理解のある人間だ。
仕事上時々見つかる竜はいつでもここに預けていた。
だから年に何度か訪れる馴染みの牧場で迷うことはないはずなのだが、リョウとコウがサンファニーのいる小屋に着いた時、先に行ったはずのヒロはいなかった。
「ヒロさん、寄り道ですかね?」
「何処によるんだよ」
頭を抱えるリョウと、それほど気にしていないコウ、そして、サンファニーは笑っていた。
「久しぶりですから、みんなに挨拶でもしているんですよ」
ヒロもバカではないから牧場から外へ出るようなことはないだろう。
もっとも、リョウの心配はそれだけではないのだ。
「昨夜から調子が悪そうだ。雨に打たれて熱が出ていなければいいんだが」
長い付き合いで身体が弱いことはしっていたし、無理をしているのもわかっていた。
それでも本人がついてくると聞かなかったのだ。
「心配しなくても直ぐに見つかりますよ。ヒロさん、人気者ですから」
ニコニコと笑っているサンファニーが外へでると牛の鳴き声が聞こえてきた。
普段はとても大人しい牛たちが騒いでいるようで、リョウたちに頭を下げると一人で様子を見に行った。
「相変わらず、俺と同い年には見えないなぁ」
ボソリと呟くコウの頭をリョウがコツンと叩く。
「そうだな。お前以上にしっかりしているからな」
「え!?いや、そうじゃなくて、身長の話ですよ」
慌てるコウを尻目にタバコをふかす。
サンファニーもコウも互いに18歳だ。
それにしては身長差がありすぎる。
サンファニーの背丈は成長期前の子供 小学生の高学年と変わりない。
もちろん本人はかなり気にしていることなので、なかなか口には出せないのだが。
サンファニーが騒いでいる牛たちがいる放牧地を覗くと、牛だけでなく羊や馬も集まってきていた。
6年前に出会ってから変わらない。
動物たちは自分以外の人に寄り付かないのに彼だけは別だ。
自由奔放で何をするか検討もつかない傍ら、彼は誰も傷つけない。
動物たちにはそれがわかっているのだろう。
穏やかな眼で集まる彼らは押し合うことなく並んでいた。
その中心で楽しげに触れあう白髪、柔らかい紫の瞳のヒロがいた。
「お久しぶりです。ヒロさん」
サンファニーが牛の後ろから声をかけるとヒロはパタパタと手を振った。
無邪気な子供のように動物たちと戯れる彼は連れの不安など知らないのか、楽しそうな笑みをみせている。
「リョウさんが言うほど顔色は悪くないですね」
群れを分けて触れた手は、顔色とは違い冷たくなっていた。
「リョウは心配性やからね。オレは大丈夫や、言うてるのにな」
顔を擦り付けてくる馬を両手で包み、そっと顔を寄せる。
サンファニーでも滅多にみない和やかな動物の瞳はいつまででも眺めていたくなる程だ。
「ヒロさん、温かいココアでもいれましょう」
無理に引っ張っていくわけには行かず、サンファニーは提案をした。
ずっと外で遊んでいるのも良いとは思ったのだがやはり不安はある。
冷たい手も気がかりだ。
馬を触る手はそのままに、しばし考えたヒロの紫の眼がキョロキョロと宙をさ迷った後ニッコリと笑う。
「砂糖は多目やで?」
「えぇ。もちろんです」
背丈はサンファニーの方が低いのだが、まるで小さな子供を相手にしているようだと自然な笑みがこぼれた。
雨が弱まったシレイトに朝が来た。
薄くなった雲の向こう、水平線の上に太陽が昇る。
もう少し経てば雲が晴れて日射しが届くだろう。
洗濯の仕度を始めたミサは残された五人分の衣類を前に張り切っていた。
きっとサラは昼頃まで寝ているだろうと思いながらリビングのテーブルには朝食が出されたままになっている。
ダンテだけが二階から降りてきて、ミサの側にチョンと座っていた。
「サラちゃんはいいわね。あなたみたいな優秀なボディーガードがいるんだから」
衣類を分けながらミサが呟くとダンテはすくっと立ち上がりミサの回りをクルクルと歩いたあと、目の前で止まった。
まるで、あなたも護ってみせますよ と言っているようだった。
「心強いわね。ダンテ」
胸を張るダンテは嬉しそうにほえた。
一方のサラは明るくなってきた外の光で目を覚ましたものの、まだ眠たいのか布団から抜け出せずにいた。
蒼の瞳はぼんやりと部屋を眺めている。
時計はもう10時近くを指していて、ブラッドレーンも牧場に着いただろうと考えた。
慌ただしい男三人がいないのだ。
今日はもう少し寝ようと、再び布団を被った。
何か、スッキリしない。
昨日は電車を降りて、ミサに迎えられ、そのまま自宅へ帰ってきた。
それから慌ただしく牧場へ向かった三人を見送って、その後直ぐに寝てしまったのだが
「……サナエにお土産っ!!」
中央名産の果物を世話になっているサナエにと買っておいてすっかり忘れていたのだ。
それは生物。鉄道に乗る前、お早めにお召し上がりくださいと釘を刺された熟れて甘い果実だ。
バックを開けると甘い匂いが漂った。
触ってみてもまだ痛んではいないようだ。
「直ぐに届けに!」
バタバタと着替え、髪を束ねてバックを腕に引っ掻けると落ちるように階段を下った。
衣服を水に浸して洗剤を取りに戻ったミサは慌てふためいているサラとぶつかった。
「サラちゃん、出掛けるの!?」
「サナエに土産忘れてた!直ぐに戻るから」
「私が行くよ。サラちゃんは家に」
「大丈夫。それに話聞かせる約束だから」
中央から軍人が来ているから外出は避けるよう言われていた。
もちろん、ヒロとリョウが竜騎士だからと言うこともあるのだがシレイトでのサラは特別だ。
「ダンテ、出掛けるよ」
すかさず駆けつけたダンテはピッタリとサラについて歩き出す。
確かにダンテは優秀な護衛だが風になびく黒のポニーテールを見送りながら、ミサは不安で仕形がなかった。
雨はいつのまにか上がっていて雲間から射す光の筋は天使でも降りて来るのではないかと言うほど美しかった。
「…サラちゃん、何もないと良いんだけど」
小屋に着くなりバタリと倒れたヒロを寝かせたのはほんの数分前の事だ。
熱を測れば少し高かった。
「そう言えば、寒い寒いと言っていたな」
コーヒーを飲むリョウが昨日の言動を思い出していた。
寝ているヒロを不思議そうにソフィーとディオラードが覗いている。
時々ちょっかいを出しているようで、サンファニーは慌てて二頭を下がらせた。
それでも気になる二頭はウズウズしながら代わりにとサンファニーやコウをつつき始めた。
「ヒロは寝ているが、本題に入るか」
マグカップを降ろしたリョウの言葉にコウは固まり、サンファニーはクスクスと笑った。
「コウ君の契約ですよね」
サンファニーの眼はキラキラと輝き、自分の契約が懐かしいと語った。
たとえ、背丈が低くとも彼は一人の竜騎士で、コウにとっては先輩なのだ。
「準備が全て整っているわけじゃない。直ぐには無理でも、ここにいる間に済ませたいんだが」
漆黒がコウを睨む。
コウは目を泳がせ、コップで口を隠すと顔をそらした。
直ぐに契約ができない理由は本人が一番よく解っている。
「法律が全く解っていない。せめて改正された分だけでも覚えてもらわないとな」
「あははっ、それは覚えた方が良いですよ。僕は後から知って、ずいぶん苦労しましたから」
この国は現在竜騎士を良しとしていない。
竜との契約は法律に背き掟を守りながらそれを隠していかなくてはならないということだ。
そうでなくてはたちまち違法者として裁きを受けることになってしまう。
「法を知ることは自身を守ることだ。もちろん、竜の安全にも関わってくる」
たとえシレイトで一生暮らすといっても、今回のように中央から軍人が立ち入ることもある。
それに、いつまでもリョウに助けられていてはいけない事だってわかっていた。
「サンファニー、二階の部屋、貸してくれる?直ぐに猛勉強を始めるよ」
机を叩いて立ち上がったコウの目はやる気に満ちている。
再会したディオラードの姿に決意が強まったのだろう。
真っ直ぐサンファニーをみる眼に迷いはなさそうだ。
「どうぞ。辞書も好きなように使って下さい」
「ありがとう!」
バタバタとかけていくコウは部屋を出ると振り返り、とても活き活きした顔をし
「俺、絶対竜騎士になりますから」
と宣言した。
これまでの経緯を知るリョウは思わず笑みをこぼしていた。
彼は竜騎士になるためだと知れば熱心だ。
勉学は苦手だったがそれなりに努力はしている。
「いつなの間にか成長していたんだな」
しみじみと呟いたリョウにサンファニーは飲んでいた紅茶を吹き出していた。
「リョウさん、オヤジみたいなこと言わないで下さいよ」
固まるリョウと、笑いが止まらないサンファニー、二つの顔をディオラードとソフィーがキョトンと見ていた。
ソフィーとディオラードが仲良く昼寝を始めた頃、二人は暇潰しにオセロをしていた。
面はほとんどが黒で、白はまばらだ。
「相変わらず強いですね…」
「まだ勝機はあるぞ?」
リョウはコーヒーを飲みながら余裕の表情だ。
この手のゲームは得意だった。
チェスも将棋も負けた記憶は少ない。
シレイトの竜騎士団の団長の声もかかったほど戦略に関してはずば抜けた才能があった。
「ここから、ひっくり返せますか?」
サンファニーが台座を回し、自分の面をリョウに向けた。
少し黒い目が開いたが金の目に映る期待に応えるように続きを始めた。
パチンとおかれた白、パタパタと黒を白に変えていく。
「あ、置けない…」
「一応手加減はしていたつもりだが」
すべてのマスが埋まる頃、あれほど黒が占めていた面は白が逆転していた。
交代してからそれまで五回程サンファニーの番が回ってきたが黒を置けたのはたった一回だった。
「こんなに上手いのに、どうして団長にならなかったんですか?」
「俺は体力を補う為に戦略をたてるんだ。団長なんて器じゃない」
シレイトには密やかな竜騎士団があり、度々会合が開かれたり訓練をしたりしている。
今ではその活動はもっぱら中央との対立ばかりだ。
争い事は嫌いだった。
それに、ヒロはもちろんリョウも他の竜騎士に比べたら体力は少ない。
それは喫煙のせいだと皆から言われるのだが、禁煙をする気はないらしい。
「リョウさんらしいです。みんな来て欲しいのに無理を言わない理由がわかります」
サンファニーはシレイトの出身ではないが、人よりも竜を大事にするような人だ。
特例として竜騎士団への出入りが許されていた。
そこで度々話題になるのがリョウだ。
腕のいい飛竜使いだというのに決して争い事に首を突っ込まない。
「俺には俺の役目があるんだよ」
伏せた漆黒が何を護るのか、サンファニーは知らない。
グランドマウンテンを登る山道に響く轟音は風と竜の雄叫びが混ざる。
狭く成りつつある自然の土地を巡り縄張り争いは激しさを増している。
赤色の大地に染み込む錆びた鉄分は不毛に近い山脈に相応しい色を産み出していた。
岩山の影からじっと若い竜の争いを見る青銅の竜が鎮座している。
彼は長くこのグランドマウンテンを根城にし、時には竜騎士と街へ下りた竜だった。
一時期、伝説の竜とまで持て囃された時代は懐かしく、変わり果てた大地と共に失われたのは景色だけではないのだと年寄り臭い想いにまで嫌気がさす。
人に比べたら何百という長い月日を生きた竜だが千年、またはそれ以上の寿命を誇る竜にとってはまだまだ壮年にはならないはずだ。
「「コロネウドの死から百と十二年。此れが定めと言うなら従おうではないか。」」
竜の契約は人にとっては一度きり、それは強すぎる竜のエネルギーに肉体が耐えられないのが理由とか
だが、竜は違う。
契約が破棄されるか、契約者が死んだ場合にはやり直しが効くのだ。
ゴツゴツとした硬い翼を羽ばたかせ砂を巻き上げる。
一声、彼が空へ向かって吼えるとたちまち辺りは鎮まり、グランドマウンテンの乾いた風を強靭な翼できる音だけが響くのだった。
「「客人をもてなすのは誰の仕事か、ブラッドレーン」」
青銅の翼が向かう先は山脈に似合わない小さな緑の牧場だ。
「そう言えば」
オセロの再戦は何度やってもリョウには敵わない。
半ば自棄になっているサンファニーが話題を変えた。
「シレイトに軍人が二人入ったとか?」
その言葉に手を止めざるを得なかったリョウはため息をついてタバコに手を伸ばした。
嘘をつくつもりはないが、話す気もなかったために話題にはあげなかったのだがサンファニーは何処からか情報を得ていた。
恐らく竜騎士団からだろう。
「また、Dragon Killerを探しているらしいですね」
「…そのようだな」
リョウはフジを思い出した。
彼は軍人の話になると表情をがらりと変えた。
サンファニーにも同じ事が言えるだろう。
「僕は、軍人が大嫌いです。大事な人を皆奪って…」
サンファニーがどんな経緯でこの牧場に暮らすのか、詳しいことは聞いていない。
長い付き合いになるが、詮索をしないのが一つのルールだった。
これ程に嫌う理由があるのなら、あまり幸せとは言えないのだろう。
彼がたった一人でこの辺鄙な土地の牧場を切り盛りしていることが物語っている。
彼には身寄りがない。
「『あの人』を奪うだけではもの足りず、後継者まで奪うつもりなんです。そんなの、僕は許せません。リョウさんもそうでしょう?」
涙をいっぱいに溜め込む金の目はキッとリョウを睨んでいる。
答えを選ばせまいと、同調させようと彼なりに必死のようだ。
煙草の煙りはゆっくり吐き出され、リョウは笑うわけでも怒るわけでもなく、ただ静かに口を開いた。
「復讐は、『あの人』の望みじゃない」
漆黒の眼は宙を見ている。
「そんなの分からないですよ。殺されて怨まない人間なんていません」
「……怨みは、しないさ」
ムキになって否定したサンファニーにリョウは哀しげに微笑む。
記憶はいつでも曖昧なはずなのに『あの日』の事はヤケに鮮明に覚えている。
「怨みなんて、似合わない」
寂しげな言葉にサンファニーは声を出せなかった。
辛いのは自分だけではなかったと思い出したからだ。
『あの日』リョウは父に連れられて網を引きに沖へ出ていた。
魚が少ないと顔を曇らせた父は直ぐ様シレイトへ戻った。
そして、知らされたのだ。
残酷な現実を…。
幼かった彼にでも解るほどに紅く染め上げられた部屋で何が起きたかなど容易に想像できた。
dragon killerが死んだのだ。
「すみませんでした」
サンファニーの口からようやくこぼれたのは謝罪だった。
ぼんやりと宙を見詰めるリョウの眼に何が映っているのかは明白で、それは決して良いものではない。
その引き金は自分だったのだから謝らなければならないと。
「忘れろと言われたが、忘れられる訳がないよな」
煙草の火がふわりと赤く光る。
立ち上る筋は真っ直ぐ天井を目指した。
「リョウさん、僕は……僕はっ」
サンファニーは目と拳をギュッと握る。
解っていてもどうしようもない衝動が襲うのだ。
震える身体をなんの前触れもなく掴んだのは細く冷たい手だった。
「サン?どうしたん。難しい顔して」
後ろから被さるように肩を掴んだヒロは空いている右手でサンファニーの頬を摘まんだ。
「そんな顔しとったらあかんよ。笑わな損や」
今までの話しなど、空気などこの人には通じない。
ニコニコと純粋な笑みが直ぐ隣にある。
驚き固まっていたサンファニーはゆっくり唇を曲げ不自然ではあるが笑って見せた。
そんな笑いかたでも不満はないのか、ヒロは上機嫌だ。
「ヒロ、いつから起きてた?」
何やら微笑ましい光景ではあったが、話の筋は完全に断たれた。
リョウは苦笑いだ。
「ん~、よう分からんけど、聞いたらマズかったんか?」
「いや。特に問題はないが」
あまり聞かれたくない内容ではある。
それに少しばかり思い出に浸っていたのも事実だ。
柄ではない事をしたなと、頬を掻いて誤魔化した。
「で、何の話やったん?」
このように和んだ空気の中で話題に戻れるはずもなくサンファニーとリョウが視線を交わして笑う。
口を尖らせるヒロが声を出そうとした時、暴風のような鳴き声が外に響き渡った。
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