第5話  ディオラード編

雲の多い空の下、何軒目かわからない店を出た二人の軍人はため息を吐いた。

白のコートを見るだけで人気がなくなる。

「何処に行っても同じですね」

背伸びをしたアルグレットは疲れた顔で呟いた。

僅かな情報だけでいいというのに、得られるものは暴言ばかり、有力な情報はおろかまともな話すら聞けてはいない。

「中佐、Dragon Killerなんてホントにいるんですかね?」

しかし返事がない。

前を見ればフラッドはぼんやりと空を見ている。

「中佐?」

「ん?あぁ。どうしたんだ?」

どうやら話も聞いていなかったらしい。

彼にしては珍しい事だ。

度重なる不発に流石の中佐も参っているのだろうか。

そう言えばため息の数も多い気がする。

ここは部下の仕事だと、突然アルグレットの何かが燃えた。

「中佐!少し休憩しましょうよ」

強引に肩を持ちベンチにフラッドを座らせると戸惑うフラッドに構うことなくアルグレットは輝いていた。

「ここで待っていて下さい!何か飲み物でも買ってきます」

彼が犬ならば千切れんばかりに尾を振っていた事だろう。

止める間もなく走り去った後ろ姿は実にイキイキとしていた。

小さな広場に人はなく、ぽつんと残されたフラッドは左手に触れた。

「珍しいね。君から出てくるなんて」

コートの袖をごそごそと何かが動く。

ひょこりと顔を出したのは小さな小さな赤い竜だった。

「どうかしたのかい?シンファルト」

竜といってもその種類は鳥や哺乳類の様に様々で、体長が何十メートルにもなる巨大な飛竜から深海深くまで潜る水竜、飛ぶことを止め小型化した幻竜や大地を力強く走る甲竜など姿形もその能力も多様、フラッドの腕を這うシンファルトは幻竜の一種だ。

辺りを見渡したシンファルトは丸い目をフラッドに向ける。

「「フラッド、ココは嫌いだ。『あいつ』の匂いが残ってる」」

シンファルトはじっとフラッドを見つめ、早く立ち去るように促す。

その気持ちに気づいているフラッドだが簡単に帰るわけにはいかない。

そっと頭を撫でるとその目はそっと閉じられた。

「もう少し、もう少しだけ私の我が儘を聞いてくれ。少しでも多く見ておきたいんだ。師が愛したシレイトを」

小さく頷いたシンファルトは淡い光の粒となりフラッドの左手甲に刻まれた紋に戻っていく。

空は白い雲に覆われて、一雨来そうな重たい色をしている。

小さな広場に一人、彼は目を閉じて部下の帰りを待った。


海と山に挟まれたシレイトの天気は変わりやすい。

昼間は良い天気であったのにポツポツと滴が落ちてきた。

夜も更けた頃、最低限の荷物を背負い外に出た三人を見送りにミサが来ていた。

「雨だから気を付けてね」

「むしろ都合がいいさ」

重い雲の中、真っ直ぐ向かってくるのは一頭の飛竜だ。

漆黒の体は雨の降る夜に溶け込み姿を消すことができる。

降り立った飛竜は大きな体を低くして彼らが乗れるようにした。

「頼むぞ。ブラッドレーン」

この竜こそが陸稲リョウのパートナーだ。

紅の瞳は色よりはずっと優しく、任せろと言わんばかりに翼を伸ばした。

リョウとヒロ、そしてコウを乗せるとなかなか窮屈で定員はギリギリと言ったところだろう。

「ほんなら、行ってくるな」

パタパタと手を振るヒロに続き、コウも負けじとミサに手を振る。

「俺、絶対立派な竜騎士になるから!そし…」

そしたら と続けたかったコウなのだが、先頭のリョウの鋭い視線に口を閉ざす。

そんな二人の間に割り込んだのはもちろんヒロだ。

「二人ともミサが好きなんやねぇ」

「ヒロさん、ストレート過ぎますよ!」

顔を赤らめてヒロに対抗するコウとムスッとして顔を背けるリョウも直球で言われてしまえば誤魔化すしかできないようだ。

ソフィーがあくびをしながらヒロにしがみついている。

時おり濡れた体を震わせて雨水を振り払っているがその目はトロンとしていて今にも眠ってしまいそうだ。

「サラちゃん、みんな行くよ」

ミサが室内に向かって叫ぶが返事はない。

雨音だけが聞こえている。

「無理に呼ばんでえぇよ。疲れてんのやろ?」

ソフィーを抱えたヒロが答える。

ミサは少々納得がいかないものの、仕方がないと言うように息を吐く。

「なんて言うか、相変わらずですよね。サラさんとヒロさん」

こそこそとリョウに話すコウは二人の微妙な空気が苦手だった。

今日も二人はまともに顔を合わせていない。

せいぜいすれ違った程度だ。

もともとクールなサラだが、ヒロに対してはいっそう冷たい。

ヒロはヒロで平静を装うものの何処かぎこちない。

「俺たちが口出しできる事じゃないからな」

もう何年もこんな関係であるために慣れてはきたがやはり気持ちの良いことではない。

「その内解決するさ」

それは時が解決するということだろうか。

コウには全く解決する気配は感じられなかった。


雨が強くなる空に消えたブラッドレーンを見送って、ミサは濡れた傘を畳んでいた。

「行った?」

階段を降りてきたサラは窓の外を見ながら尋ねた。

ダンテはもう寝ているのか姿はない。

「心配なら見送りに来ればいいのに」

雨は少しずつ強くなってきた。

蒼の眼はブラッドレーンが飛び去った方角を真っ直ぐ見つめ、手すりを掴む手には力が入っていた。

「ミサ、もう15年も経つのに。何で私は許せないかな」

しゃがみこんだサラにミサはそっと手をそえた。

涙こそ見せないが悲しんでいるのは確かだ。

「サラちゃんだけじゃないよ。みんな、本当は許せない。大丈夫。きっといつか…」

途切れた言葉は続かない。

綺麗事を並べても慰めにはならない。

許せるか許せないかでも忘れるか忘れないかでもない。

受け入れるか受け入れないか。

15年前の事件は当時幼かった彼女には大きすぎる出来事だった。

「ヒロもリョウも…強いな」

大人ですら取り乱した事件だった。

まだ幼かったからかもしれないがあの事件を知りながら引きずることなく二人は前を向く。

だからこそ、彼女は距離をとってしまうのだろう。

「サラちゃんも、強いよ」

強まる雨足は泣いているというよりは何かに苛立っているようだ。


嵐の雲を抜けた漆黒の竜の真下に見えたのは重い雲の塊と堂々たる山脈の群だ。

切り立った崖は生き物を寄せ付けまいと牙をむき、土や岩は所々血をすったような赤をしている。

先の尖った一帯を抜けると大陸側の平野を一望できる。

グランドマウンテンの先、広大な平野と一本の鉄道、汽車が向かう都市が中央とよばれるイヤードレイクの首都セクトマルト

バルラチア大陸有数の都市であり軍の配下に竜騎士をおく国の中枢だ。

「あれが、中央」

「コウ、落ちたら竜の餌やで」

身を乗り出して景色を見ようとするコウを後ろからヒロが引っ張った。

真下はまだ崖が続く。

「お前、シレイトの出じゃないだろ?中央に行ったことくらいあるんじゃないか?」

ブラッドレーンに指示を出していたリョウは前を向いたまま問いかけた。

シレイトはグランドマウンテンと海に隔離された地域だった。

シレイトの出身でなければ大陸側の人間ということだ。

「いや、俺はグランドマウンテンのふもとの町なんで、中央には行ったことないんですよ」

あのあたりだと指差すのは牧草地の広がる平原で、民家も少なく、確かに中央までは距離がありそうだ。

ブラッドレーンは平地が近づくに連れて低空飛行に切り替えた。

雲の少ない大陸側の空は目立ってしまうからだ。

少し南に旋回し岩の影を飛行していくと突然唸りが聴こえてきた。

それは地鳴りのようなビリビリと響く声だ。

「「リョウ、少し迂回する」」

「ブラッドレーン、この声は?」

目的地までの直線ルートを外れて高度を上げる。

急だったため、後ろの二人は必死にブラッドレーンの背にしがみつく。

「「縄張りに入ってしまった。威嚇されている」」

グランドマウンテンへは何度か来ている。

竜の縄張りも把握し、それを避けるルートを作ったはずだ。

若い竜が新しく縄張りにしたのなら納得はいくのだが声はそれほど高くはないし、直ぐに攻撃を仕掛ける様子もない。

ある程度成熟した竜と思われる。

「「聞いたことのない声だ。平地から逃れて来たんだろう」」

ブラッドレーンはグランドマウンテンで生まれ育った竜だ。

まだ竜としては若いが50年近く生きている。

この辺りの竜についてなら熟知していた。

古くからこの山脈に暮らす竜は滅多に縄張りを変えない。

ただ、最近は竜を嫌う中央の傾向が強まり平地に住んでいた竜が人から逃れる為にグランドマウンテンを登ることが多くなった。

迂回をしたあと、唸りは止み元の静かな大地になった。


グランドマウンテンの中腹にあるわずかな平地に一つの牧場がある。

『スターライト』と書かれた立て札が門の隣に立てられ、わずかといえど広い牧草地には木の柵が続いていた。

「「サン!!サン!!」」

牧場に響く元気な声に小屋の中にいた牧場主は慌ただしく仕度をしながら外へ出ようとした。

戸に手をかけたとき、彼は声が思った以上に近いことに気づく。

嫌な予感がした。

そして、その予感は直ぐに的中することとなった。

「「サンファニー!!」」

一頭の竜がその戸を破壊し、牧場主 サンファニーに飛び付いて来たのだ。

「わぁぁぁ!!ディオ、落ち着いて下さい!」

橙の皮膚におおわれたディオラード、通称ディオはワイバーン型の竜だ。

翼を上下に動かしながら喜びを表す姿は遠目に見たら愛らしいのだろうが、ディオラードは大人の背丈以上の体長がある。

力一杯の表現は加減をしらず、その動作は暴力に近い。

それを子供程の背丈しかないサンファニーが対応しているのだからなかなか落ち着かせる事ができない。

「「サン!!早く!!早く」」

「ちょ、落ち着いて下さいってぇぇ!!」

服をくわえられ引きずられながら外に出ると朝日がグランドマウンテンの山頂から顔をだし、薄紫の空を白く染め上げていく。

光の下でディオラードは新緑のような緑色の瞳をキラキラと輝かせていた。

「「サン、ディオお迎えいく!」」

翼を大きく拡げて上機嫌に羽ばたかせている。

それをみたサンファニーは笑顔で答えられない。

ディオラードは竜なのだ。

なにかの間違いで人の目に触れてしまえば大騒ぎになってしまう。

「す、すすストップ!勝手に出ないでくださいよ」

尻尾をつかんで踏ん張るがジリジリと引っ張られていく。

ディオは今すぐにでも飛んでいきたいらしいがサンファニーの行動も気にしていた。

小刻みに翼を動かしながらグランドマウンテンの頂をジッと見ている。

「直ぐに来ますよ。慌ててすれ違ったら会えないじゃないですか」

「「う~、ディオ、お迎え行くぅ」」

力を抜いたのを見計らいサンファニーはディオラードの前に回る。

両手でディオラードを反対に押しながら言葉で宥めようとした。

まだ納得がいかないディオラードだが、目の前に立たれては飛び立つ事ができない。

彼はまだ若い竜だ。

一頭でグランドマウンテンを渡れば他の竜に襲われるかもしれない。

ムッとした顔でディオラードは翼を降ろした。

それでも引き下がらずにその場で待つつもりのようだ。

動く気配のないディオラードに戸惑いながらもサンファニーはそっと手を離した。

「ディオ、僕は作業にいきますが、絶対に牧場からでないでくださいよ」

サンファニーは牧場主だ。

ディオラードだけの世話をしているわけではない。

牛や羊、ヤギも豚もいる。

ディオラードに釘をさすと目だけは彼に向け牧場の方に戻る。

「「うぅ。コウ、早くぅ」」

ディオラードはぼふっと音を立てて芝に転がった。


一方、グランドマウンテンを渡る一行はというと

「ブラッドレーン、大丈夫か?」

大型の飛竜といえど男三人を乗せるのは厳しかったらしい。

始めに通る近道は三人を乗せて飛ぶのにギリギリの距離だった。

それが今まで縄張りを避けたために距離がのび、しかも西側は天候がよく長く休む訳にもいかなかった。

「「問題ない。このまま行ける」」

ブラッドレーンは一言の弱音も吐かないが声はそれほど張っていない。

ヒロもコウもしてやれる事と言えばじっとしているくらい。

軽いソフィーだけがちょこちょこと這い回っている。

「……!みえた」

ブラッドレーンの首に掴まっていたリョウの目にようやく目的の緑色が見えた。

茶色に映える鮮やかな緑は朝日に照らされ輝いていた。

少しの間、その輝きに見とれていたリョウだが

「リョウ!」

ヒロの声と共に突然体が傾いた。

ホッとしたのはリョウだけでなくブラッドレーンも同じだった。

安心して緊張が解けたのかそれとも既に限界だったのか漆黒の翼を傾かせふらつきながら急降下している。

「ブラッドレーン!?くっ…ヒロ!」

「わかっとる。コウ、ソフィー頼んだで」

ポンとソフィーをコウの頭に乗せるとヒロは身を乗り出した。

紫の瞳が着地点をとらえると彼の右手が線を描く。

「頼むで、スノーライト」

ブラッドレーンが落ちる速度に合わせて作られたのは氷の滑り台だ。

はじめは急な坂が緩やかに弧を画きその上をツルリと滑っていく。

腹這いになったブラッドレーンはせめて振り落とさないようにと翼を立てた。

氷とブラッドレーンの皮膚が擦れる音は次第に小さくなり、固い皮膚に削られた氷には数本の筋が刻まれた。

ブラッドレーンにしがみついていた三人は着地して静かになってもそのままで、ソフィーはひょっこり顔を出して辺りを見渡している。

「し、死ぬかと思った」

固まっていたコウが呟くとようやく緊張が緩む。

リョウがため息をつきヒロが笑い出した。

「ブラッドレーン、怪我はないか?」

リョウの手がブラッドレーンの角に触れる。

真紅の眼を向け、首を下げた。

立てた翼をゆっくりと下ろすとそのままぐったりとしている。

よほど疲れたのだろう。

腕時計を見れば予定より一刻ほどおしている。

「ゆっくり休んでくれ」

山に囲まれたこの牧場に人は来ない。

ブラッドレーンはそっと真紅を閉じたのだった。

踏みしめた大地は道中の赤い岩石とは違い、植物特有の柔らかさでおおわれていた。

牧草の匂いが気に入ったのかソフィーはゴロリと横たわり体を擦り付けている。

「リョウ、先に行っとるな」

「っ!?待て、ヒロ!」

何故か元気のいいヒロが既に十メートルほど先で手を振っている。

キラキラと輝く笑顔なのだが、顔色は出掛ける前と変わらない。

ブラッドレーンを気遣っていたリョウも走っていくヒロが不安だ。

それに気づいたコウはソフィーを抱き上げると背中を追う。

「「コウ!!」」

声が響いた。

足を止めたコウの目に飛び込んできたのは太陽に似た橙の翼、幼い頃に別れた親友の姿だった。

「え?えぇ!?ディオ?大きくなっ…」

前方の空から飛んできたディオラードに両腕を拡げて迎えたコウだがその大きさに言葉を失った。

無理もない。彼がディオラードと別れた時、ディオラードは産まれたばかりの子竜で、ソフィーと同じかほんの少し大きいくらいだったはず。

それが今や大人の背丈を超える立派な飛竜になっているのだ。

「大きくなりすぎだよ!」

叫んだコウを押し倒し、ディオラードが飛び付く。

その衝撃は大型犬とは比べ物にならない。

人よりも大きな竜が力一杯飛び込んできたのだ。

立っていられるわけもなく背中から叩きつけられたのだが今のコウは痛みよりも再会の喜びのほうが大きい。

赤いトゲのある首に腕をまわし、ギュッと抱き締めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る