第25話 ジル1
私はまじまじとエクスター公子の美しい顔を見つめた。
「隣、座ってもいい?」
「だ、ダメですわ。私ごときが殿下の前で腰かけることは……」
「あー、そう言うの止めてもらえないかな、フロウ」
今、殿下はフロウと言った。
「フ、フロウ?」
「自分で言ったじゃないか。フロウと呼んで欲しいって」
殿下は、じれたように話しかけた。
「……ジル?」
私は小さな声で聞いた。それこそ虫眼鏡で念入りに見ないとわからないくらいの小さな声で。
「うん。俺がジル。君はジルが嫌いだった?」
言葉使いはジルだった。ジルそのものだった。ピンクの紙からジルが話しかけているかのようだった。
「……いいえ?」
「それなら、どうして逃げたの?」
彼は不機嫌そうに聞いた。
「行けない……会わないだなんて」
私は彼の目を見た。不機嫌そうなのは見た目だけだ。彼は不安で一杯なのだ。
「だって! だって、あなたは好きな女の子がいるんだって書いてきたじゃない。その子に交際を申し込みたいって」
「ああ」
「フロウはほんとは女の子なのよ。もしあなたがその女の子にOKしてもらえたら、私は邪魔者なだけ」
ジルの目が私を見つめた。
「だからダメだと思ったの。知らないことにならなくちゃ。だから……」
「フロウ……君はジルのこと、好きだった?」
「大好きだったわ。面白い、思いがけない返事をしてくれる友達だった。先生の批判も、友達の批判もたくさんあったけど、悪口じゃなかったもの。ジルは悪口は言わない、いい子だった。だから好きだったし、話がとても楽しかった。ジルには思ったことが言えたの。ずっと友達でいたかった」
目の前のエクスター殿下は、いつもと違っていた。にこやかな笑みではなく、すっと背を伸ばした姿勢でもなく、残っているのは、仏頂面で、真剣な様子で、どこかだらけた姿勢の男の子だった。
ジルは……誰なの? エクスター殿下だと言うの?
なんとも言えない違和感があった。
二人のイメージは全く違っていた。とても上品で、大勢に取り巻かれ、常に笑みを絶やさない美しい貴公子と、いつでも何かに夢中で、他人には批判的、鋭い皮肉や辛辣なユーモアを浴びせかける、いかにも若くて無鉄砲なジル。私の仲間。
「エクスター殿下のことは忘れて欲しい。そうじゃなくて僕はジルだ。ジルとしてずっときみのそばにいたい」
私はあっけに取られて、エクスター殿下の顔を見た。
「そして、一番言わなきゃいけなかったことは、僕が話しかけようとしていたきれいな女の子は君のことだってこと。フロウ」
「え…」
私は口の中でつぶやいた。
「ピンクの紙に書いてあったよね?」
ジルはぶっきらぼうにキツい口調で、言い出した。
「話しかけたい、もっと知りたいって。そんな女の子がいるって」
言葉の意味を頭が拾っていく。思い出して、
「あの女の子?」
「そう」
食堂はガラ空きだった。
いつもだったら、ガヤガヤ大勢がしゃべっている食堂が、休暇なのと食事時間と少しずれているせいでほとんど誰もいなかった。
私はエクスター殿下と見つめあっていた。
ジルのいろいろな言葉が思い出されてきた。
ジルが狂った!とあの時は思った。
だけど、今なら、ちょっとわかる。
ハーヴェスト様とベアトリス様の目と目で交わすあの無言の会話を見た後の今なら。
ジルは狂ってなんかいない。
ジルにも大事な人ができたのだ。それを理解できた。
私も大事な人がいればなあと思った。それがジルならいいなと思ったりした。でも、目の前のこの人と、ジルは遠く離れて過ぎていて、私にはとても同じ人だなんて思えない。
「エクスター殿下じゃなく、ジルとなら、踊ってくれる? ダンスパーティー」
ジルが小さな声で聞いた。
そのほかにもいろいろ思い出した。
ジルの言葉の数々。
エドワード・ハーヴェスト様の言葉がよみがえった。
『あなたに本当に愛する人ができたら、私はもちろん席を譲るよ』
「ねえ、こっちきて」
ジルは言った。
「どこへ?」
「こっち」
彼が誘う先には、ドアがあった。誰が使うのか知らないけど、貴顕の方専用の小食堂があると聞いたことがある。多分、それだ。
「この部屋を開けさせたんだ。一人きりの時に申し込まれたいと言ってたから」
ええ? そんなこと、覚えていたのだろうか? じゃあ、その他のことも?
私はおずおずと小食堂にはいって、そしてびっくりした。
そこは豪華な部屋だった。
大食堂だって、学園には、基本、貴族かよほど金持ちの平民の子弟でなければ入学しないから、テーブルや椅子も悪い素材ではない。ただ、共用だし子どもが使うものなので、決して豪華ではない。
だが、この部屋は噂通り、貴顕の方用だった。
部屋には、大きなフランス窓が付いていて外から出入り出来るようになっていた。食事用の立派なテーブルと椅子のセット、傍らには食後にくつろげるようにソファやオットマン、肘掛け椅子などが具合よく置かれて、入ってきたドアと別の小さなドアもあって、おそらく廊下か厨房に続いているようだった。
「王子や王女が在籍している時、たまに国王夫妻などが見学に来られる場合のための部屋さ。今は王族方で在籍しているのは、僕だけだから、エクスター家専用」
「ジル!」
「どうかした?」
あなたって、すごいのね……私は言いかけた。
部屋に人の気配はなかったのに、真ん中のテーブルにはお茶の用意がしてあった。
「僕が使うと言ったので誰かが気を利かせたんだろう」
ソファに座るように頷いて見せながら、私の目線を追ったジルが当然と言ったように説明した。
ジルとエクスター殿下が少しずつ重なって、そしてずれていく。
口ぶりとむぞうさな様子はジルのままだが、貴顕室を意のままに使うジルは想像つかない。
「ジル、あなた、いつから私が女の子なんだって気がついていたの?」
ジルが困ったような顔をした。そして、照れ臭そうに微笑んだ。許しを乞うように。
「最初からだよ」
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